生きてたまるか

黒白さん

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02:願い叶えば

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 20××年4月×日、人類は消え、世界は終わった。
 滅びのその日に、東京の真ん中で、ただひとり生き残っていた僕がしたことは、デパートで高級食材を漁り、食べ続けただけ。それだけ。
 電気の無くなった街に、夜の帳が降りると、全てはただ闇に包まれ、手元も足元も見えなくなり、自分の存在さえも消えた気がした。
「これがないと、何もできななかったな」
 デパート内を漁るために、アウトドアグッズ売り場で見つけていたヘッドライトが非常に役に立った。両手を塞がずに暗がりを動けるし、なんとなくテンションが上がる。
 寝具売り場で最高級のウォーターベットを選び、一番上等な毛布にくるまり、世界でただひとりの眠りにつくことにする。
「……とりあえず、何しよう」
 しばらく、生きてみることにした。何日か、気が向けば、もう少しか……。
 膨らんだ腹がもたらす、満足な心地を胸に、ほんの少しだけ、現実的な思考を取り戻してみる。
 人間社会は消失した。こういう中で生き延びることを、サバイバルと呼ぶのだろう。
 本好きの僕だけれど、そういったサバイバル知識は持っていない。便利なネットは、もう使えない。
 しばらく生きるにしても、最低限、必要なものはあるはず。
「文明から切り離された人間が、さしあたって生き延びるのに、一番大事なものは……」
 水と、シェルターであり、食糧はその後に重要であると、何かの本で読んだ覚えがある。
「水なら、いっぱいあるか」
 常温で保存可能なミネラルウォーターが、デパートでもどこにでも、ダンボールで山積みにされている。飲料水の問題は、当分心配することはないだろう。
 シェルター、というのは、安全な居場所だろう。猛獣のような外敵を防ぎ、風雨や寒さをしのげる住空間が、それにあたるのだろう。
 アメリカのテレビでやっていた、実際にサバイバル生活を行って、生き延びる期間を競争する企画では、ジャングルなどでこれを作ることが、最初の関門であり、高いハードルになっていた。
 けれども、僕が放り出されたこの環境は、いわばシェルターだらけなのだ。
 気候も、春先の今は、暑さ寒さも、そう問題ない。寒くなれば、アウトドアグッズ売り場にあった、練炭コンロを使い、暖を取ることもできる。
「あれなら、そのまま死ぬのにも使えるし」
 猛獣などの脅威についても、東京にそういうのがうろつくことは無さそうだし、何よりも、一番の脅威になりかねない、人間がいないのだ。喫緊の生存条件は、ひとまずクリアできている。
「食べ物も、食べるだけならまあ、大丈夫だけれど」
 カセットコンロとボンベが、街中にいくらでもあるので、火や水を使う調理は問題なくできる上に、レンチンご飯やレトルト食品、カップ麺や缶詰なんかも無数に残されてはいるのだが……。
「……食べたいのは、今日みたいな肉とかなんだよな。すぐに腐っちゃうから、……ええと、冷凍か。冷凍ができればいいんだよな」
 冷凍庫さえ動かせればいいのだ。それだけで、多くの食材を保存しておける。
「よし」
 明日することを決めて、今夜はもう寝ることにする。上等な毛布にくるまれて、一切の心置きなく眠りにつく。……なんて静かで、穏やかな夜なんだろうと思う。
 将来の不安も、今日明日の悩みも、何かを失う恐怖も何もなくなったまどろみ。こんな心地は、それこそ今際の際あたりにしか得られないと思っていたのに。
 その代わりに、誰かを案ずることも、探したい相手も、僕にはない。
 恋人どころか友達もおらず、生に執着も未練もなく、隙あらば死のうとしていた僕の心に、誰かを想うような隙間は、どこにも空いていなかった。
 そんな自分が、世界が終わったことで、初めて明日がちょっとだけ待ち遠しくなっていた。

「やかましいけど、苦情こないよね?」
 デパートの屋上で鳴り響く、自家発電機の騒音。
 ガソリンを入れれば動き、そのままコンセントを挿せば電力の供給ができる発電機は、アウトドアグッズ売り場に陳列されていた。こういう時に大活躍する分野のようだ。
 ガソリンは、ガソリンスタンドにあり、電動ポンプが動かなくなっても、手動ハンドルを回すことで給油ができた。
「よしよし、ちゃんと冷えてるな」
 発電機は排気ガスを出すので、室内では稼働させられず、屋上広場の出店の冷凍庫を使うしかなかったけれど、なんならそれで、ガス自殺できるなとも思った。
「まあ、こいつらを食べ終えてからにしよう」
 業務用の大きな冷凍庫には、ぎっしりと高級肉や冷凍食品が積み込まれている。溶けてしまう前にと大急ぎで、この二日間、あちこちのデパートからかき集めたものだ。エレベーターもエスカレーターも動いてないので、ここまで階段を使うしかなく、えらい重労働だった。
 数年分くらい階段を昇り降りしたぞと愚痴りながらも、身体を使った後の食事がものすごく美味なことにも気がつく。
「死ぬ前の余興みたいなもんなのに、ちょっと健康的過ぎるだろ。汗水たらして働くと、ご飯がおいしいか。ほんと、その通りで」
 それから一週間ほど、デパートの屋上と寝具売り場を拠点として、僕は世界の終わりを、やりたい放題やって過ごした。
 食べてばかりもいられないので、空腹を待つ間には、こうなってからでしかできないことを思いついては実践していた。
 原付という足はあったけれど、もう少し行動範囲を広げたかったので、免許もないのに車を乗れるようにした。ありがたいことになぜか、街中に駐車している車のほとんどが、ドアのロックがされていない上に、キーが挿さりっぱなしなのだ。
 最初は恐る恐る、運転のしやすそうな軽のワゴンを動かしてみたが、三十分もしないうちに、ぶつかったり壊したりすることもなく、すいすい操ることができるようになった。
「オートマ車なら、ゴーカートとか、ゲーセンのマシンと変わらないじゃん。もしかして僕、運転の才能あったのかな?」
 もっともこんなのは、他の車も通行人もおらず、信号もなく交通ルールも無くなった、この状況だからできたことだろうが。
 運転に慣れてくると、風を切りながら流れゆく景色を眺めるのは、実に楽しかった。好きな音楽CDをかけながら、無人の街道や首都高速を走らせるのも爽快で、ドライブを趣味にしていたひとたちの気持ちが大いにわかる。
「なんだこれ、めっちゃ楽しいじゃん。車、色々変えてみよっかな」
 便利な足ができたので、まずは都内のあちこちの、面白そうな場所に行ってみた。
 野球場や競技場、アミューズメントパークや劇場などへ、無人をいいことに侵入しまくり、絶景ポイントを見つけては、そこで何をするでもなく、眺めたり寝転がったり飲食したりし、それが許される自由と解放感、そして奇妙な優越感に浸っていた。
 繁華街の多種多様な店の中や、有名企業のオフィス、果ては役所や官公庁などへも入り込んでみたけれど、閉鎖的なビル内は電気が点かないので、暗くて怖くて面白くなく、国会議事堂で壇上に登ったり、首相官邸で総理の椅子に座ったりしたのが、ちょっと愉快なだけだった。
 意外と悪くなかったのは、作りが開放的な学校だった。
「教室久しぶり。楽しいことなんか全然なかったけど、誰もいなくなると、じんわり来るな」
 職員室や理科室、音楽室、体育館などを感慨深く巡り、屋上に登ってみる。
「青春の名所じゃん。ここで待ち合わせとかね」
 そんな記憶、僕には何もなかったけれど、壁の落書きに、未来の希望を書いたものが目に入ると、ちょっぴり切なくなる。
「人類、終わっちゃったよー……」
 世界が終わった中で、やりたいことをやっているうちに、自分がこういう、感傷的な行動を好むということを、改めて知った。これまではやろうにも、人目も監視カメラもあり、できるはずがなかったのだ。
 無人の都会に沈む夕日や、赤く照らされる街を眺め、高台や街角で夕風に吹かれていると、自分は今、生きているのだと、深く実感する。
「ま、もうすぐ死ぬんだけどな」
 夜になると何も見えなくなるので、早めにデパートに戻り、まだまだ無くなりそうにない高級肉を楽しんでから、寝床に入る。
「うーん、そろそろ、辛いなあ……」
 そこそこエンジョイしている、世界の終わりの日々だったけれど、甘受していた不便の中に、ひとつ、耐えられないことがあった。
 お湯のシャワーが浴びられないことだ。
 デパート内にシャワー室を見つけたけれど、電気もガスも止まっているので、温水は出ず、仕方なく暗闇の中で、汗まみれの身体に水シャワーを当てていたのだが、これがかなりの苦行だった。
 また、食料の保存のために、自家発電機を使ってみたけれど、これもひどく非効率なのだと、すぐにわかった。
 燃料タンクの容量は少なく、動作する時間も長くて半日で、冷凍庫を止めないためには、毎日給油するしかなかった。
 ガソリンスタンドで手動でポンプを回し、汲んできたガソリンを屋上まで上げる作業は、いいかげん面倒になってきた。もう少し鍛えておけば良かったと、ひ弱な身体のたよりなさを実感する。
「じゃ、死ぬか」
 とも思ったけれど、どうにも肉を残すのがためらわれる。
「なんとかならないかなあ……。情報ないか、情報」
 本屋から持ってきて、気が向いた場所で読んでいたミステリー小説の内容に、まさにそういったサバイバル要素が載っており、参考になった上に面白かった。
「主人公曰く、電気がなくなるというだけで、今までなんなくやれてきたことが、ほとんど不可能になる、ですか。僕と同じこと思ってるじゃん。この作者、経験あるのか?」
 読んでいるうちに、使えそうな情報と方法を見つけ、これだと手を打つ。
 けれどもそれを実践するには、このデパートは拠点としてふさわしくなく、移動するしかなかった。
「今日まで、だな」
 わりと気に入っていた、ここでの眠りも最後になるなと思い、照明用の携帯LEDライトを消そうとしたその時、フロアのどこかから、はっきとわかる物音がした。
「……だ、誰?」
 肩を抱いて身をすくめるが、誰の姿もなく、音はそれっきりしなくなった。
 何かのはずみで物が倒れたかなと、強引に自分に言い聞かせ、頭から毛布をかぶる。
「……幽霊かなあ。あの、そういうのとかだったらさ、もうすぐそっち行くから、ちょっと待っててよ。一気に増員しちゃって、あの世は満員なのかもしれないけど、帰ってくるのはやめようよ」
 どう考えても、この世は失敗作なので、おおかたあの世は、もっとろくでもない欠陥社会が広げられているのだろう。たとえば働かない閻魔とか。
 死ぬのをこうして延ばしていれば、あの世の受付も少しは混雑回避するだろうと、自分の行為を納得させ、なんとか眠りにつく。
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