シェラ・オーディスに白き花を

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1.そっくりな少女

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 真奈愛と書いて、めのあと読む。
 それがこの私、矢伊香真奈愛めのあに、生まれて最初に与えられたプレゼントだった。
 俗に言うきらきらネームってやつだ。この名前のせいで、いかに私の性格がひねくれたか。入学式、初めての出席確認、表彰台、一度も正しく呼ばれたことのない名前。あだ名はマナー。もしくはキソク。
 唯一の救いは、まあ、自分で言うのもアレだけど、両親が名前負けしない顔を一緒に授けてくれたことくらいか。おいどん眉に厚ぼったい瞼をして、相撲のような腹を揺さぶりながら、「ごっつあんです」とか言い出しそうな唇を動かして「めのあです☆」なんて言わずに済んだというわけだ。

 しかし、そんな私の苦難に満ちた人生に終止符が打たれようとしていた。空は夕暮れ。見上げたその先に、キッ○カットみたいな不吉な影。

 工事現場につるされていた幾本もの鉄柱が、まさに鼻先に降り注がれんとしていたのだ。

 今日は部活を休んで、早く帰ろうとしていた。なんとお姉ちゃんが産気づいたというのだ。私は猛然とチャリをこぎ、近道をつかって病院に急いでいた。あるいは、そのまま、通り過ぎてしまえばよかったのだ。

 ギチ、となんか変な音が上で聞こえて、私は思わずブレーキをかけて止まってしまった。そして、巨大なキッ○カットの落下トラップにまんまとはまってしまったのだった。

 なんてことだ。私はまだ十七歳。もっと生きていたかった。バドミントンの部活はまだまだこれから、態度ばっかでかくて足手まといの三年生に耐え忍び、唯一の二年生レギュラーとして勝利に貢献してきた。これからようやくチームとして機能しだすというところなのに。それに部活一筋の私は、まだ青春の酸っぱいところしか味わってない。どんな愛の告白も部活に集中したいというストイックな言葉で突っぱねてきた、これが、その報いだとでもいうのか。

 ああ神様、お願いです。きらきらネームでも花子でも太郎でもポチでもタマでも、なんでもいいから生きていたいです。お姉ちゃんが次なる命に「心愛ここあ」なんていうなかなかのきらきらネームを用意していたから、断固として阻止せねばならないという使命すら負っているのです。
「……」
 私は神に祈りをささげて天を仰ぎ、両手を組んで、目を閉じた。
「……」
 まだかな。
「……」
 まだかな。怖いんだから早くしてくれ。
「……」
 来ないな。
 私は目を開けた。それらしい白いローブを着た神様なんて、当然降りてこないことはわかっている。私が待っているのは、鉄柱だ。


 ――そう、みなさんはお気づきだろうか。


 先日の授業でちらっと出てきた万有引力の法則によると、私は冒頭のきらきらネームを紹介したあたりですでに鉄柱の下敷きとなり、ぐちゃぐちゃになっているはずだということに。

 なんと実は、鉄柱が、すごくゆっくり、じわじわじりじり、迫ってくるのだ。

 そればかりでない、空を飛ぶカラスも、通り過ぎる自動車も、すれ違う主婦も、全部が全部、スローモーションとなってしまったのだ。

 空に浮いた鉄柱をアホみたいに見上げた格好のまま、私はかれこれ十分くらい自分の人生を噛みしめていた。なにしろ十七年という短い生涯、そろそろ思いを馳せるネタもなくなってきた。

 これは一体どういうこと?

 首をひねったそのとき、スローモーションの世界で、唯一、てきぱき歩いてくる少女の姿が目に映った。
 私は自分の目を疑った。いやもう、すでにどこも信じられないんだけど。
 なんと彼女は、私と全く同じ顔をしていたのだ。
「危機一髪ね」
 彼女はそう言って唇をにこりとさせた。
 同じ顔、同じ背格好と言っても、雰囲気はずいぶん違っていた。黒いワンピースに、黒いブーツ、黒い長髪。すべて黒ずくめのなかで、一際目につくのが鮮やかな青い瞳。
「あなたが助けてくれたの?」
 私が問うと、少女は小さく頷いた。
「すごいでしょ。私、魔女なの」
「……す、すごいですねー」
 私は愛想笑いを振りまいた。本当に彼女が、世界の重力の法則を捻じ曲げているのであれば、たちまち本来の落下速度に戻される可能性もあるわけだ。機嫌を損ねないよう細心の注意を払わねばならない。
「でも、あなたは死ぬわ。めのあさん」
「矢伊香です!」
 きらきらネームにさんづけという恥辱に、私はご機嫌伺いも忘れて声を荒げた。「…ヤイカさん」やや引き気味の少女に憤然と鼻をならし、満足げにひとつ大きく頷いて、それからすぐに、彼女の言葉を理解した。
「…死ぬ? やっぱり?」
「ええ。もう、ヤイカさんの力じゃ避けられようもありません」
「でも、今のうちに安全なところに非難すれば」
「鉄柱をかいくぐった瞬間、あそこの右折車が突っ込んできて跳ね飛ばされます」
「……」
「そしてそれを回避したとして、自殺願望者の通り魔に殺されます」
「……」
「仮に通り魔を撃退できたとして、放火魔により家が火事になり、あなた一人だけ逃げ遅れて死亡します」
 なんて町だ。
「つまり、死ぬ運命ってやつです。運命は曲げられません」
「…それをわざわざ、警告しにきてくれたの?」
「まさか」少女は肩をすくめた。「死にかけたヤイカさんに、ちょっとした、提案をしに来たんです」
「ほう」
 私はようやく自転車から降りようという気になった。あわよくばこのまま走りぬけてやろうとずっとスタンバイしていたのだが、どうやら物騒な運命のせいで逃げたって無駄らしい。
「実は私、シェラも、死にかけているんです」
「シェラ?」
 私と同じようなきらきらネームに、私は思わず仲間意識が芽生えて顔を輝かせた。
「漢字はどう書くの?」
「漢字?」
 シェラはきょとんと首を傾げた。
「あ、ごめん、なんでもない」
 そうか、ひらがな系きらきらネームか。しぇらなんて、私より可哀想だな。
「続きをどうぞ。死にかけているようには、見えないけど」
「ええ、それはまあ、ほら、今は時をゆっくりにしているから。その隙にちょっと逃げ出してきたんです。でも、私も今のヤイカさんと同じように、ツミかけてるんです」
「死ぬ運命になったら、たとえ何しても死ぬんでしょ?」
「ええ。“あっち”の世界の“シェラ”は、死にます。“こっち”の世界の“ヤイカさん”も死にます。けど、入れ替わったら…“あっち”の世界の“ヤイカさん”は死なないし、“こっち”の世界の“シェラ”も死にません」
「ふむ。死の運命とやらが、回避されるのね」
「その通り。死にかけていることに、変わりませんが。私は魔女、あの鉄の塊をどうとでも回避することができます。そしてヤイカさんも、死にかけている今の私の状態を、脱することができるでしょう」
「じゃあ、提案っていうのは」
 シェラはにっこりと青い瞳を細めて笑った。
「入れ替わりませんか? お互い、まだ生きたいじゃないですか」
 私が顎に手をあててうつむいたのは、十秒ほどだ。
「わかった」
「潔いですね」
「だってここにいても、死ぬしかないんなら、迷うことなんてないもん。ただ問題が一つ」
 私はじろじろとシェラの華奢な体を眺めまわした。
「シェラさん、バドミントンの経験は? いや、運動神経はいいの?」
「は、はあ、バドミントン? 一応剣とかならやってましたけど」
「ふーむ剣道か」回内回外運動とは全然違う種目じゃないか。そもそもネットスポーツですらないし。「ちゃんときれいなフォームを身に着けてね。レギュラー落ちしちゃうけど…仕方ないか」
「ヤイカさん。私は魔女です。あなたが積み上げてきた経験、身も心も、そっくり真似ることができます。ヤイカさんがシェラになり替わることは難しいかもしれませんが。生まれもって普通の人は魔女にはなれませんから…」
「普通で悪かったね」
「そんなヤイカさんにも使える魔法があります。願ったことが、全て叶う魔法です」
「へえ! それなら、なにがあっても安心ね」
 私はさらにもう一つ、姉の子供に「心愛ここあ」なるきらきらネームをつけさせないことを約束した。
「それでは、私からも」
 シェラはくるっと手をひねり、手品のように一枚の古めかしい紙を取り出した。 いや、やけに分厚くて茶色く変色しているそれは、紙じゃなくて革だ。
「こちら、契約書です。絶対に無くさないでくださいね」
 広げてみると、初めて見るような奇怪は文字が連ねられていた。
「よ…読めないけど」
「入れ替われば読めるようになります」
「ふうん」
「それと、たぶん最初、すごく困るだろうから、一つだけ魔法の呪文を教えておきます」
「ふむ」
「呪文はこうです。『ケイヤクワヒキツイダ』」
「『ケイヤクワヒキツイダ』」
「そうです。それでは、お互いにツミかけた人生の立て直し、検討を祈ります」
「こちらこそ」
 シェラが手を差し出した。

 そうして、同じ顔をした少女は、ひどくゆったりした時の流れる不思議な世界の片隅で、強く握手を交わしたのだった。
 



 シェラの手を離した瞬間、私の目の前に広がる景色は一転した。
 高い。
 非常に高い。
 眼下に広がる、家々のオレンジ色の瓦屋根――ということは、家より高い位置にいる。
 その先に広がるのは、広大な森。草原――ということは、木々より高い位置にいる。
 そこは工事現場の一角でもなく、夕日が落ちる街中でもなかった。
「……え?」
 私は愕然とした。手足が動かない。当然だ、手足は、太い縄でぐるぐるに巻き付けられ、太い丸太を二本交差させただけの簡易な十字架に、磔になっていたのだ。
「え?」
 やけに見晴らしがいいのは、そこはどうやら、小高い丘の上だからだ。集まったおびただしい数の人々が顔を真っ青にして私を見上げている。足元のずっと下、私が磔にされている十字架が根ざす場所には、なにやらでっかい焚火。
「な、な…」
 私は知ってる。
 これはどうやら、火あぶりの刑というやつだ。
「なあああああああああ!?」
 私はシェラのかわいらしい笑顔を思い出した。
 


 あの女、だましやがった。
 



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