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chapter5 撮影準備
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フランツはバスルームから出たその足で部屋へ戻った。腰にバスタオルを巻いているだけの姿である。撮影前に、シャワーを浴びた。念のためだ。バスルームではロミオに色々とけしかけられて、落ち着かない気分を整理できないまま部屋のドアを開け、そこで足をとめた。
部屋の窓はカーテンで閉め切られ、少々薄暗くなった室内を照らすのは、スタジオなどで使われる照明機材だ。それがベッドのそばに設置され、眩しい光を出している。清潔そうな白いシーツが人口の光に照らされて奇妙に浮きあがっている。カメラはベッドの前後に置いたままの状態で、パウロは後ろのカメラをいじっていた。
「フラ?」
気配に気づいたのか、パウロが頭をあげて振り返った。パウ、と言いかけたフランツの口がその形で固まる。パウロは着ていた白いワイシャツのボタンを全部外していて、胸が露になっていた。下着はつけておらず、剥き出しになった裸の胸に、フランツは思わず顔を背けてしまった。
「どうした?」
パウロが近寄ってくる。
「具合が悪いのか?」
「……い、いや。違う……」
フランツは鼻を両手で押さえ俯く。
「鼻血でも出たのか?」
「……出てないよ」
何をやっているんだと、フランツは自分が恥ずかしくなった。パウロが胸を見せているだけで、こんなに心臓がひっくり返るなんて。
「すまない。大丈夫だ」
ゴクンと息を呑み込んで、体勢を立て直した。
すぐそばで、パウロが心配そうに見守っている。
「大丈夫か? 顔がトマトのように赤いぞ」
「さっき、そのトマトを食べ過ぎたから」
下手糞なジョークを言って、フランツは無理に笑顔を浮かべた。だが目の前にいるパウロの胸に目がいってしまい、カアッと熱くなった。
「具合が悪いなら、中止にしよう」
「……大丈夫だ。気にしないでくれ」
そうだ、気にするなとフランツは自分自身を叱った。男の裸の胸なんて、職場で見慣れているじゃないか。でもパウの胸はまるで磨かれた宝石のように綺麗だ……。駄目だ。考えるな。フランツは深呼吸をして、意識をしっかりさせた。
「少し緊張しているんだ。初めてだから」
「……そうだな。学校でも教えないことだからな」
パウロはフランツの様子を注意深く観察しているようだった。フランツはパウロの視線を感じて、また心臓がカーニバルのように踊り始めた。ついでに自分も裸体だったのを思い出す。
「おかしいかい?」
パウロが見ているのは自分の肉体だと思った。
「私の体では、役不足なのかな?」
「そんなことはない。立派な体をしている。さすがだ、フラ」
パウロは苦笑した。フランツが何を言いたいのか感じ取ったようだ。
「さっき、バスルームでお喋りな彼の体を見せてもらったから、ちょっと心配していたんだ。彼ほど立派な肉体じゃないから」
「ロミオが? フラの前で脱いだのか?」
「ああ、びっくりしたけれど」
びっくりしたけれど、心臓は平常運転だった。フランツは心の中で首をひねった。
「パウは優しいって言っていたよ」
――そうさ。あんた、鈍いぜ。
ロミオの告白が頭の中で鳴り響く。
「私の肉体は、彼のようにしなやかではないから。鑑賞に堪えうるものかどうか、心配なんだ」
――パウロが優しく教えてくれた。
「……君に迷惑かけるんじゃないかって……」
――パウロは、本当に凄いぜ?
「だから……」
フランツは続く言葉を呑み込んだ。パウロが自分の頬に手を添えていた。
「フラ、余計なことを考えているだろう? ロミオが余計なことを言ったんだな? フラはそのままでいいんだ」
「……しかし私は、パウや彼のようにプロではない。だから足を引っ張るのではないかと……」
「そうだ、フラはそれが仕事じゃない。だから裸にならなくてもいいんだ。それなのに、脱いでくれた。それだけで十分だ」
パウロの口調は柔らかかったが、フランツの迷いを断ち切るような強さがあった。
「フラはそのままでいい。さあ、俺の言葉に頷くんだ」
「……ああ」
フランツは導かれるように頷いた。なぜかパウロの言葉を聞いて安心した。
パウロはフランツの頬を優しく叩くと、身を翻した。
「フラ、こっちへ来い」
手招きされて近寄ると、パウロがカメラや照明道具を指して、ちょっとした説明をした。
「この照明とカメラは撮影に使うものだ。カメラは二台あるが、ベッドの前方にある方だけを使うことにした。これ一台で、色々な角度から撮れるはずだ」
フランツは照明道具とカメラを交互に見た。照明の光は間近で見ると、さらに眩しく感じられる。この光に照らされたべッドの上で、自分はバスタオルも取って裸になるのだ。そう思うと、フランツは急に自分が見世物になったような気分になった。
――パウは平気なんだ。
すぐ目の前にあるパウロの背中が、妙に遠く感じられた。
「……パウ」
「何だ?」
パウロはベッドを整えていた手をとめて、振り返る。
「ちょっと……聞いていいかな?」
「ああ、たっぷりと聞いてくれ」
フランツは少し躊躇ったが、慎重に言葉を選んだ。
「どうして、こういう仕事をやろうと思ったんだい?」
パウロを傷つけないようにと気を配ったが、返事はあっさりときた。
「裸になるのが好きだからさ。見せるのも好きだ。嫌いじゃない」
「……」
フランツはどう相槌を打ったらよいのか悩んでしまった。久しぶりに再会した幼馴染みはやはりイタリア人だったんだと、今更ながら感じてしまった。
「それに、気持ちもいい」
パウロは意味ありげに口元をゆるめる。
「そのうち、フラもわかる」
「……え?」
思わず聞き返した。だがパウロはフランツの脇から背後を覗いて叫んだ。
「遅いぞ!」
フランツも肩越しに振り返ると、ロミオが入ってきた。バスルームで脱いだ服を着ている。
「何をしていたんだ?」
「バスルームでヴィーナスに祈っていたのさ。この頭がキャベツのように硬いドイツ人が、パウロの裸を見ても鼻血を出しませんようにってね」
ロミオは挑発するようにフランツへウィンクをする。フランツは自制心を最大限に引き出した。
――彼の言葉に踊らされるな。
訓練を思い起こし、感情を抑制して、曖昧な表情を浮かべる。それを見て、ロミオはわざとらしく口笛を吹いた。
「パウロじゃなきゃ、あんたを泣かせられないんだな。つまんねえぜ」
フランツの作った表情にパキッとひびが入りそうになったが、ありったけの理性をかき集めて、何とか持ちこたえた。
「くだらないことを喋っているな。お前の仕事もあるんだぞ」
「わかっているって。カメラを調整するから、ちょっと時間をくれ」
ロミオは枕元の脇にあるカメラのファインダーを覗いて、何やら操作をする。その手馴れた様子を見て、フランツの中で新たな緊張が生まれた。
部屋の窓はカーテンで閉め切られ、少々薄暗くなった室内を照らすのは、スタジオなどで使われる照明機材だ。それがベッドのそばに設置され、眩しい光を出している。清潔そうな白いシーツが人口の光に照らされて奇妙に浮きあがっている。カメラはベッドの前後に置いたままの状態で、パウロは後ろのカメラをいじっていた。
「フラ?」
気配に気づいたのか、パウロが頭をあげて振り返った。パウ、と言いかけたフランツの口がその形で固まる。パウロは着ていた白いワイシャツのボタンを全部外していて、胸が露になっていた。下着はつけておらず、剥き出しになった裸の胸に、フランツは思わず顔を背けてしまった。
「どうした?」
パウロが近寄ってくる。
「具合が悪いのか?」
「……い、いや。違う……」
フランツは鼻を両手で押さえ俯く。
「鼻血でも出たのか?」
「……出てないよ」
何をやっているんだと、フランツは自分が恥ずかしくなった。パウロが胸を見せているだけで、こんなに心臓がひっくり返るなんて。
「すまない。大丈夫だ」
ゴクンと息を呑み込んで、体勢を立て直した。
すぐそばで、パウロが心配そうに見守っている。
「大丈夫か? 顔がトマトのように赤いぞ」
「さっき、そのトマトを食べ過ぎたから」
下手糞なジョークを言って、フランツは無理に笑顔を浮かべた。だが目の前にいるパウロの胸に目がいってしまい、カアッと熱くなった。
「具合が悪いなら、中止にしよう」
「……大丈夫だ。気にしないでくれ」
そうだ、気にするなとフランツは自分自身を叱った。男の裸の胸なんて、職場で見慣れているじゃないか。でもパウの胸はまるで磨かれた宝石のように綺麗だ……。駄目だ。考えるな。フランツは深呼吸をして、意識をしっかりさせた。
「少し緊張しているんだ。初めてだから」
「……そうだな。学校でも教えないことだからな」
パウロはフランツの様子を注意深く観察しているようだった。フランツはパウロの視線を感じて、また心臓がカーニバルのように踊り始めた。ついでに自分も裸体だったのを思い出す。
「おかしいかい?」
パウロが見ているのは自分の肉体だと思った。
「私の体では、役不足なのかな?」
「そんなことはない。立派な体をしている。さすがだ、フラ」
パウロは苦笑した。フランツが何を言いたいのか感じ取ったようだ。
「さっき、バスルームでお喋りな彼の体を見せてもらったから、ちょっと心配していたんだ。彼ほど立派な肉体じゃないから」
「ロミオが? フラの前で脱いだのか?」
「ああ、びっくりしたけれど」
びっくりしたけれど、心臓は平常運転だった。フランツは心の中で首をひねった。
「パウは優しいって言っていたよ」
――そうさ。あんた、鈍いぜ。
ロミオの告白が頭の中で鳴り響く。
「私の肉体は、彼のようにしなやかではないから。鑑賞に堪えうるものかどうか、心配なんだ」
――パウロが優しく教えてくれた。
「……君に迷惑かけるんじゃないかって……」
――パウロは、本当に凄いぜ?
「だから……」
フランツは続く言葉を呑み込んだ。パウロが自分の頬に手を添えていた。
「フラ、余計なことを考えているだろう? ロミオが余計なことを言ったんだな? フラはそのままでいいんだ」
「……しかし私は、パウや彼のようにプロではない。だから足を引っ張るのではないかと……」
「そうだ、フラはそれが仕事じゃない。だから裸にならなくてもいいんだ。それなのに、脱いでくれた。それだけで十分だ」
パウロの口調は柔らかかったが、フランツの迷いを断ち切るような強さがあった。
「フラはそのままでいい。さあ、俺の言葉に頷くんだ」
「……ああ」
フランツは導かれるように頷いた。なぜかパウロの言葉を聞いて安心した。
パウロはフランツの頬を優しく叩くと、身を翻した。
「フラ、こっちへ来い」
手招きされて近寄ると、パウロがカメラや照明道具を指して、ちょっとした説明をした。
「この照明とカメラは撮影に使うものだ。カメラは二台あるが、ベッドの前方にある方だけを使うことにした。これ一台で、色々な角度から撮れるはずだ」
フランツは照明道具とカメラを交互に見た。照明の光は間近で見ると、さらに眩しく感じられる。この光に照らされたべッドの上で、自分はバスタオルも取って裸になるのだ。そう思うと、フランツは急に自分が見世物になったような気分になった。
――パウは平気なんだ。
すぐ目の前にあるパウロの背中が、妙に遠く感じられた。
「……パウ」
「何だ?」
パウロはベッドを整えていた手をとめて、振り返る。
「ちょっと……聞いていいかな?」
「ああ、たっぷりと聞いてくれ」
フランツは少し躊躇ったが、慎重に言葉を選んだ。
「どうして、こういう仕事をやろうと思ったんだい?」
パウロを傷つけないようにと気を配ったが、返事はあっさりときた。
「裸になるのが好きだからさ。見せるのも好きだ。嫌いじゃない」
「……」
フランツはどう相槌を打ったらよいのか悩んでしまった。久しぶりに再会した幼馴染みはやはりイタリア人だったんだと、今更ながら感じてしまった。
「それに、気持ちもいい」
パウロは意味ありげに口元をゆるめる。
「そのうち、フラもわかる」
「……え?」
思わず聞き返した。だがパウロはフランツの脇から背後を覗いて叫んだ。
「遅いぞ!」
フランツも肩越しに振り返ると、ロミオが入ってきた。バスルームで脱いだ服を着ている。
「何をしていたんだ?」
「バスルームでヴィーナスに祈っていたのさ。この頭がキャベツのように硬いドイツ人が、パウロの裸を見ても鼻血を出しませんようにってね」
ロミオは挑発するようにフランツへウィンクをする。フランツは自制心を最大限に引き出した。
――彼の言葉に踊らされるな。
訓練を思い起こし、感情を抑制して、曖昧な表情を浮かべる。それを見て、ロミオはわざとらしく口笛を吹いた。
「パウロじゃなきゃ、あんたを泣かせられないんだな。つまんねえぜ」
フランツの作った表情にパキッとひびが入りそうになったが、ありったけの理性をかき集めて、何とか持ちこたえた。
「くだらないことを喋っているな。お前の仕事もあるんだぞ」
「わかっているって。カメラを調整するから、ちょっと時間をくれ」
ロミオは枕元の脇にあるカメラのファインダーを覗いて、何やら操作をする。その手馴れた様子を見て、フランツの中で新たな緊張が生まれた。
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