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そう呟きながらも、蓮はその場で俯いて、何かを探すかのようにうろうろしていた。
「どうした」
蓮のおかしな様子に、シキは顔を覗き込んで訝る。
「具合が悪いのか?」
「……そうじゃない」
口の中で声が篭もる。
「何だ」
「……いや」
蓮も困ったように顔を背ける。
「その……ありがとう」
言葉に詰まりながら、視線を周囲に彷徨わせる。
「どうした? レン」
シキは【門】を前にして明らかに様子がおかしくなった蓮を、只事でないように心配する。
「何を悩んでいる?」
蓮の彷徨っていた視線が、捕まれたようにぴたりと止まった。
――ああ……そうか。
直球で投げかけられた言葉が、自分自身まごついていた感情に光を照らした。
――俺……迷っているんだ……
シキと別れることに。
元の世界へ帰るために、命を狙われながら旅をしていた。悪夢にうなされながら、ひたすら生き抜いてきた。だがそれは、自分を守ってくれた半人半蛇との別離をも意味していた。
――元の世界へ帰れる……けれどシキと会えなくなる……
旅の間は無意識に避けていた二つの現実に、ようやく一人で向き合わなければならないのだと悟った。
蓮はシキに背を向けると、【門】へと近づいた。照りつけるような太陽の光を浴びながら、足元に落ちる影の濃さに長くて深い息を洩らす。
「悩むな」
まるでその胸中を察したかのように、シキは強く言った。
「悩まずに行くんだ、レン」
その声に押されるように、蓮は一歩踏み出した。しかし、すぐに立ち止まった。
「――なあ、シキ」
蓮は再びズボンのポケットに両手を入れて振り返る。
「俺、お前と寝ただろう」
昨夜もいたわるように抱かれた。蓮はその身を寄せた精悍な胸板に熱っぽく目をやる。
「俺、お前の里の長老から聞いたんだ。ヒトと……俺と交われば、ヒトになれるって」
(我らの里では、ヒトを喰らうのではなく、ヒトとまぐわえば、ヒトになれると言い伝えられている)
「それなのに、お前はちっとも変わらない。おかしいよな。どうしてだよ」
腰からは蛇の姿のままだ。
「お前……俺と同じになれないのかよ……」
もし蛇の姿ではなく、ヒトの姿になれたら……
「そうしたら……俺と一緒に……」
「それはできない」
シキは素早かった。
蓮は突如として出現した壁にぶち当たったように息を呑む。
「……シキ」
「たとえヒトになったとしても、私はお前たちの世界では生きてゆけない。何故だと訊くな。それはそうであるからだ」
「……そんなこと言うな」
蓮は渾身の力で言い返した。だがシキは駄目だというように首を横に振った。
「何故毎朝日は昇るのかと訊かれて、レンは答えられるか?」
「……自然の原理だからだろう」
「そうだ。それは私たちも同じだ」
シキは風に逆らうような動きでレンのそばに行くと、両腕で優しく抱きしめた。
「お前が私を想ってくれているのは嬉しかった。私もお前が想う以上に、深く想っている」
逢瀬を重ねるたびに口づけた胸に、しっかりと刻みつけるように、今再び蓮を抱きとめる。
蓮は熱い肌を感じながら、声もなく腕の中に埋もれる。
それに、と言葉が続いた。
「私が聞いた言い伝えは、少々違う」
「……えっ?」
驚いたように蓮は胸から顔をあげた。
「違うって……ヒトになれる言い伝えか?」
「そうだ。母者はそうは言ってはいなかった」
蓮は少しだけ面食らった。そんな話は初耳だった。
「私に母者がいてはおかしいか?」
蓮の表情が余程おかしいのか、シキは口元をゆるめる。
「いや、違うけど……」
昼も夜も共に生きてきたのに、一度もシキはそんな重要なことを話してはくれなかった。それなのに、どうして今になって自分に教えてくれるのか。その理由がわからなかった。
「私の母者の祖父にあたる方は、こう仰っていたと話していた」
蓮の戸惑いに構わず、シキは語りだす。
――遥かな昔、天と地と海の神々は、己が愛と知恵からヒトをお創りになった。しかしヒトの振る舞いはやがて神々の怒りを呼び、魂を二つにお分けになった。一つの魂で我らをお創りになり、もう一つの魂は自らの身に戻された――
「偉大なる種族であるヒトの半身が我らである。ゆえにもう半身を我が身に与えるには、ヒトと……」
シキはそこで押し黙った。
「――なんだよ。ヒトとどうすればいいんだよ」
緊張して聞いていた蓮は、肝心なところで黙ってしまったことに苛立ちをぶつけた。
「言えよ! ヒトとどうすれば、【人】になれるんだ!」
しかし、シキはどこか難しい顔をする。
「シキ!」
「――その方は」
シキは蓮の耳元に顔を埋めると、低く囁いた。
「脱皮されたそうだ」
「……脱皮……?」
意外な言葉に、蓮は反芻する。
「脱皮って……」
ポケットの中に入れてある手が、柔らかい物を触った。以前に拾った蛇の抜け殻だった。
「そうだ、脱皮だ」
シキは重々しく頷いた。
「我らは【ヒト】へとなることを、そう呼んでいる」
深い沈黙が二人の間を覆った。
「……って、つまり、その……【人】になったってことか?」
少しの間合いの後で、暗闇から這い出るように蓮は聞き返す。
そうだとはシキは言わなかった。
「それは真っ赤な月夜の下で、起こったそうだ。母者はその赤い月が魂を奪ったのだと言っていた。二人の魂を奪って、その姿を隠したのだと」
シキは顔を起こすと、これで話は終わったというようにするりと蓮から離れた。
「……」
蓮は茫然とシキを見つめ返した。口の中はすでにからからと渇いていた。その信じられない告白に、表情は驚愕で強張っていた。
「……俺みたいな奴がいたってことか?」
問いかけるように呟く。
「俺と同じように……この世界へ飛ばされた人間がいたってことか、シキ」
シキは無言だ。
「答えろシキ!」
蓮は苛立つままに怒鳴った。
「どうして今まで黙っていたんだ!」
「それを知って、どうだと言うのだ?」
シキの口調は冷や水を浴びせるようだった。
「私が聞いたのは、その方が脱皮されたということだけだ。そしてそのそばには、もう一人いたということだ」
「そういうことを聞いているんじゃない!」
蓮は感情を剥き出しにした。
「もし俺と同じ奴が昔にもいたって話してくれていたら、俺の気持ちも少しは違っていたはずだ!」
半身半獣たちに命を狙われる辛い日々と疲れ切った心が、出口をこじ開けるように爆発した。
「お前は俺の気持ちが全然わかっていない!!」
投げつけるように叫んだ蓮は、続けて飛び出しかけた罵声を我に返ったように唇の内側で押し止めた。
シキはずっと蓮を見つめていた。その眼差しは、どこか微妙に弱かく、哀しげであった。
「……その二人は」
シキは再び口を開く。
「ゆく末を誓いあった仲であったそうだ」
それだけ伝えると、蓮から視線を逸らし、顔を背けながら身を翻した。まるでそこには誰もいないかのように、静かに離れてゆく。
「シ……」
蓮は自分を拒むように向けられた背中を、思わず追いかけようとした。しかし、足が言うことを全く聞かなかった。
――シキを傷つけた……
荒れていた気持ちは、罪悪感の重石に引っ張られ心の奥へ沈んでいく。
「シキ……待ってく……」
その時だった。
空が、不気味にざわめいた。
「どうした」
蓮のおかしな様子に、シキは顔を覗き込んで訝る。
「具合が悪いのか?」
「……そうじゃない」
口の中で声が篭もる。
「何だ」
「……いや」
蓮も困ったように顔を背ける。
「その……ありがとう」
言葉に詰まりながら、視線を周囲に彷徨わせる。
「どうした? レン」
シキは【門】を前にして明らかに様子がおかしくなった蓮を、只事でないように心配する。
「何を悩んでいる?」
蓮の彷徨っていた視線が、捕まれたようにぴたりと止まった。
――ああ……そうか。
直球で投げかけられた言葉が、自分自身まごついていた感情に光を照らした。
――俺……迷っているんだ……
シキと別れることに。
元の世界へ帰るために、命を狙われながら旅をしていた。悪夢にうなされながら、ひたすら生き抜いてきた。だがそれは、自分を守ってくれた半人半蛇との別離をも意味していた。
――元の世界へ帰れる……けれどシキと会えなくなる……
旅の間は無意識に避けていた二つの現実に、ようやく一人で向き合わなければならないのだと悟った。
蓮はシキに背を向けると、【門】へと近づいた。照りつけるような太陽の光を浴びながら、足元に落ちる影の濃さに長くて深い息を洩らす。
「悩むな」
まるでその胸中を察したかのように、シキは強く言った。
「悩まずに行くんだ、レン」
その声に押されるように、蓮は一歩踏み出した。しかし、すぐに立ち止まった。
「――なあ、シキ」
蓮は再びズボンのポケットに両手を入れて振り返る。
「俺、お前と寝ただろう」
昨夜もいたわるように抱かれた。蓮はその身を寄せた精悍な胸板に熱っぽく目をやる。
「俺、お前の里の長老から聞いたんだ。ヒトと……俺と交われば、ヒトになれるって」
(我らの里では、ヒトを喰らうのではなく、ヒトとまぐわえば、ヒトになれると言い伝えられている)
「それなのに、お前はちっとも変わらない。おかしいよな。どうしてだよ」
腰からは蛇の姿のままだ。
「お前……俺と同じになれないのかよ……」
もし蛇の姿ではなく、ヒトの姿になれたら……
「そうしたら……俺と一緒に……」
「それはできない」
シキは素早かった。
蓮は突如として出現した壁にぶち当たったように息を呑む。
「……シキ」
「たとえヒトになったとしても、私はお前たちの世界では生きてゆけない。何故だと訊くな。それはそうであるからだ」
「……そんなこと言うな」
蓮は渾身の力で言い返した。だがシキは駄目だというように首を横に振った。
「何故毎朝日は昇るのかと訊かれて、レンは答えられるか?」
「……自然の原理だからだろう」
「そうだ。それは私たちも同じだ」
シキは風に逆らうような動きでレンのそばに行くと、両腕で優しく抱きしめた。
「お前が私を想ってくれているのは嬉しかった。私もお前が想う以上に、深く想っている」
逢瀬を重ねるたびに口づけた胸に、しっかりと刻みつけるように、今再び蓮を抱きとめる。
蓮は熱い肌を感じながら、声もなく腕の中に埋もれる。
それに、と言葉が続いた。
「私が聞いた言い伝えは、少々違う」
「……えっ?」
驚いたように蓮は胸から顔をあげた。
「違うって……ヒトになれる言い伝えか?」
「そうだ。母者はそうは言ってはいなかった」
蓮は少しだけ面食らった。そんな話は初耳だった。
「私に母者がいてはおかしいか?」
蓮の表情が余程おかしいのか、シキは口元をゆるめる。
「いや、違うけど……」
昼も夜も共に生きてきたのに、一度もシキはそんな重要なことを話してはくれなかった。それなのに、どうして今になって自分に教えてくれるのか。その理由がわからなかった。
「私の母者の祖父にあたる方は、こう仰っていたと話していた」
蓮の戸惑いに構わず、シキは語りだす。
――遥かな昔、天と地と海の神々は、己が愛と知恵からヒトをお創りになった。しかしヒトの振る舞いはやがて神々の怒りを呼び、魂を二つにお分けになった。一つの魂で我らをお創りになり、もう一つの魂は自らの身に戻された――
「偉大なる種族であるヒトの半身が我らである。ゆえにもう半身を我が身に与えるには、ヒトと……」
シキはそこで押し黙った。
「――なんだよ。ヒトとどうすればいいんだよ」
緊張して聞いていた蓮は、肝心なところで黙ってしまったことに苛立ちをぶつけた。
「言えよ! ヒトとどうすれば、【人】になれるんだ!」
しかし、シキはどこか難しい顔をする。
「シキ!」
「――その方は」
シキは蓮の耳元に顔を埋めると、低く囁いた。
「脱皮されたそうだ」
「……脱皮……?」
意外な言葉に、蓮は反芻する。
「脱皮って……」
ポケットの中に入れてある手が、柔らかい物を触った。以前に拾った蛇の抜け殻だった。
「そうだ、脱皮だ」
シキは重々しく頷いた。
「我らは【ヒト】へとなることを、そう呼んでいる」
深い沈黙が二人の間を覆った。
「……って、つまり、その……【人】になったってことか?」
少しの間合いの後で、暗闇から這い出るように蓮は聞き返す。
そうだとはシキは言わなかった。
「それは真っ赤な月夜の下で、起こったそうだ。母者はその赤い月が魂を奪ったのだと言っていた。二人の魂を奪って、その姿を隠したのだと」
シキは顔を起こすと、これで話は終わったというようにするりと蓮から離れた。
「……」
蓮は茫然とシキを見つめ返した。口の中はすでにからからと渇いていた。その信じられない告白に、表情は驚愕で強張っていた。
「……俺みたいな奴がいたってことか?」
問いかけるように呟く。
「俺と同じように……この世界へ飛ばされた人間がいたってことか、シキ」
シキは無言だ。
「答えろシキ!」
蓮は苛立つままに怒鳴った。
「どうして今まで黙っていたんだ!」
「それを知って、どうだと言うのだ?」
シキの口調は冷や水を浴びせるようだった。
「私が聞いたのは、その方が脱皮されたということだけだ。そしてそのそばには、もう一人いたということだ」
「そういうことを聞いているんじゃない!」
蓮は感情を剥き出しにした。
「もし俺と同じ奴が昔にもいたって話してくれていたら、俺の気持ちも少しは違っていたはずだ!」
半身半獣たちに命を狙われる辛い日々と疲れ切った心が、出口をこじ開けるように爆発した。
「お前は俺の気持ちが全然わかっていない!!」
投げつけるように叫んだ蓮は、続けて飛び出しかけた罵声を我に返ったように唇の内側で押し止めた。
シキはずっと蓮を見つめていた。その眼差しは、どこか微妙に弱かく、哀しげであった。
「……その二人は」
シキは再び口を開く。
「ゆく末を誓いあった仲であったそうだ」
それだけ伝えると、蓮から視線を逸らし、顔を背けながら身を翻した。まるでそこには誰もいないかのように、静かに離れてゆく。
「シ……」
蓮は自分を拒むように向けられた背中を、思わず追いかけようとした。しかし、足が言うことを全く聞かなかった。
――シキを傷つけた……
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