ブリュー・デ・ブリュー

蒼月さわ

文字の大きさ
上 下
23 / 35

22

しおりを挟む
「アイ!」

 私は息が止まりそうになった。駆け足で近寄り、アイの体を抱きかかえる。アイは頭を振りながら立ちあがった。

「ローラン! 君はレインにつづいて、アイも潰す気か!」

 私は怒りのあまり、ローランに迫った。

「今のプレーは退場ものだ!!」
「おいおい」

 ローランは額の汗を手でぬぐいながら、珍しく困惑したように言った。

「だから、こんなの日常茶飯事だろう? お前らこそ何なんだ、さっきから俺にケチばかりつけて。そんなに大切な奴らだったら、ショウケースにでも入れて保管しとけよ」
「君こそ猛獣の檻がお似合いだ!」

 誰かが私のユニフォームに手を添えた。アイだった。

「俺は大丈夫です」

 アイはしっかりとした口調で言い、ローランを見上げた。アイとローランの身長差は、子供と大人ほどにある。年齢はわずかにローランが上なのだが、背格好はまるでライオンとウサギだ。 

「今日は仲間とプロレスしないのか?」

 ローランが揶揄を込めてアイへ言った。私の頭に血がのぼった。だがユニフォームを触る手が、正気に返らせた。

「ええ、俺はプロレスラーではありませんから」

 アイはゆっくりと頭を振った。

「俺はサッカー選手です」

 それだけ言うと、私たちに背を向けた。私は背後から肩を叩かれた。

「試合は終わってないぜ」

 ゲイリーが親指でコーナーを示す。我々のコーナーキックだ。

「アイはお子様じゃないんだ、ヴィク」

 ゲイリーは汗を垂らして、私の胸を軽く押していった。
 コーナーにいたケリーと交代し、私はボールを置いた。アリーナのペナルティエリアには、赤とオレンジのユニフォームが華やかなに入り乱れている。ハッセルベイクとヴァレッティ以外のチームメイトが全員あがっている。アリーナもだ。三トップもゴール前を固めている。ヤムセン、ライー、そしてショーンズの顔が見えた。
 私はアイを探したが、恐らくローランの後ろに隠れてしまっているのだろう。姿が見当たらない。敵味方の選手がめまぐるしくポジションを変えるので、サイモン主審が苦労している。選手の立つ位置を審判の権利で制御し、ようやく合図の笛を鳴らした。

「ノーザンプール!! ノーザンプール!!」

 サポーターの大合唱の下、私はペナルティエリアをざっと見回し、コーナーから少し離れた。ボールに対し角度をつけて、助走に入る。ペナルティエリアの人波が動く。巨人の群れから飛び出る小さな人影が見えた。アイだ。
 私は息を整えて、バランスに気をつけながら強く踏み込んだ。
 ボールは私の足先から飛び出し、綺麗なラインで空を高くまわる。私の思い通りだ。ボールに向かって、いくつもの頭が飛んだ。だが私が合わせたのは、ペナルティエリアの左側前方にいる選手だ。そう、アイだ。
 アイがピッチを蹴って飛びあがった。私たちはセットプレーの練習もしていた。練習通りにやれば、必ず入る。
 ボールに、アイの頭が当たった。アイのジャンプは高さがある。背は低いが、周囲の選手たちを頭一つ分飛び越えていた。練習で私はアイの特性を熟知していた。キーパーのオコーナーも飛びあがって腕を伸ばすが、間に合わない。ゴールだ。
 しかしボールはポストバーに当たり、跳ね返ってしまった。
 アイは体勢を崩してピッチに落ちた。だが急いで立ちあがり、ボールの行方を追う。私も走った。ボールが落ちた先はライーだ。ライーは素早く切り返し、ドリブルに入る。
 サポーターの悲鳴が起きた。我々のほとんどがペナルティエリアにあがっていた。中盤もゴール前にも、選手がいない。ライーのドリブルは速く、あっというまにセンターサークルを越え、中盤を駆けあがってゆく。
 私は全力で走った。ライーを止めなくてはいけない。このまま行けば、ゴールされるのは間違いない。ハッセルベイクとヴァレッティだけでは無理だ。
 誰かが私の傍らを走り抜けて行った。風のように速い。前方を行くライーの前に回りこんでドリブルをとめた。アイだ。
 アイとライーが対峙する。ライーは巧みにボールを操り、アイを突破しようとするが、アイはがむしゃらに動き回り、ライーを邪魔する。私は荒い息を呑み込んだ。

「アイ!!」

 ライーが振り返った。その隙を逃さず、アイがスライディングでボールを奪う。転がったボールの先には私がいた。

「来るんだ! アイ!」

 私は向きを変え、ボールを蹴った。今走ってきた道のりを、今度はドリブルで戻る。疲れなど吹き飛ばした。ヴェールが阻んできたが、細かなターンで翻弄し、その場に置き去りにした。彼らのゴールポストが見えてくる。

「ヴュレルさん!」

 アイの声が背中から聞こえる。私はドリブルをしながら、肩越しに振り返った。
 アイが走ってきて追いついた。

「そのままゴールへ向かうんだ!!」

 アイは首を振って、私を追い抜いた。素晴らしい走りだ。我々は老いた駄馬にように疲弊しているが、アイは若々しい駿馬のように駆けている。
 アイの行く手に、髪を乱した男が立っている。ローランだ。もう一人の姿も見える。これはゲイリーだ。
 アイとゲイリーが交互にローランへ向かっている。その前にドリブルで走り込むのは私だ。
 ローランの顔が見えてきた。苛立ちの色を浮かべて、私を睨みながら、左右にも注意を払っている。挟み撃ちにして、迂闊に動けない状況に追い込んだ。
 私はペナルティエリアの直前で、足をとめた。片足でピッチを踏みしめ、もう片方の脚を大きく振りあげる。そのときだ。力強い合唱が聞こえてきた。



 前へ走れ、進むんだ
 たとえ一人になったとしても、必ず俺たちがそばにいる
 お前を勇気づける
 お前は王者だ
 だから進むんだ
 今日は苦しくとも、明日は輝く
 やがて光とともに道はひらけるだろう
 その時、お前は知るだろう
 自分は孤独ではないのだと
 さあ、進むんだ
 そして、勝利を掴め



 我々の歌だ。サポーターがくり返し歌っている。
 私はボールを蹴った。
 ローランが体を張って向かってくる。ボールをクリアする気だ。だが、この私がそんな単純なパスを出すわけがない。
 ボールは急激なカーブを描いて、ローランを迂回する。ローランは髪を乱して、運命を追うように振り返る。
 ボールを受け取ったのは、アイだ。

「打つんだ!!」



 その時、お前は知るだろう……
 自分は孤独ではないのだと……



「アイ!!」

 そうだ、君はけして一人じゃない。

「打て!!」

 アイは振り返ると同時に、ボールに足をあてた。一見して細身だが、足の筋肉は熱心に鍛えられたものだ。白人にも劣らないキック力を持っている。それは練習でも見せた強力なシュートとなって、アリーナのゴールへ弾丸のように飛んでゆく。
 ――君がこの地へやって来たのは必然だった。
 ボールはスピードをゆるめない。
 ――君は素晴らしいストライカーだ。その才能と実力を認めようとしなかった我々を許して欲しい。
 愚かな私を許して欲しい。
 キーパーのオコーナーは左へ飛び、腕を伸ばす。
 ボールはオコーナーの手にあたる。かすった。だが、止められなかった。
 運命は白いネットに吸い込まれていく。
 それはまるで、映画のワンシーンのようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした

月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。 人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。 高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。 一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。 はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。 次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。 ――僕は、敦貴が好きなんだ。 自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。 エブリスタ様にも掲載しています(完結済) エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位 ◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。 応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。 ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。 『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

クズ彼氏にサヨナラして一途な攻めに告白される話

雨宮里玖
BL
密かに好きだった一条と成り行きで恋人同士になった真下。恋人になったはいいが、一条の態度は冷ややかで、真下は耐えきれずにこのことを塔矢に相談する。真下の事を一途に想っていた塔矢は一条に腹を立て、復讐を開始する——。 塔矢(21)攻。大学生&俳優業。一途に真下が好き。 真下(21)受。大学生。一条と恋人同士になるが早くも後悔。 一条廉(21)大学生。モテる。イケメン。真下のクズ彼氏。

処理中です...