ブリュー・デ・ブリュー

蒼月さわ

文字の大きさ
上 下
9 / 35

8

しおりを挟む
 コーナーにボールをおいて、相手チームのゴール前を睨んだ。ユーズの選手は我々のゴール前にいる二人のフォワードを残して、全員が下がり、守備をかためている。我らノーザンプールも、キーパーとセンターバック以外、全員がゴール前に散らばり、得点のチャンスを逃すまいとしていた。
 コーナーキックを促す笛が鳴り、私は勢いをつけて、ボールをゴール前に蹴った。ボールは私の予想どおりにやや高めのコースを飛び、赤い髪の頭に着地する。
 飛びあがっていたレインは、全身を折り曲げて、プールに飛び込むようにそれを頭で押し込んだ。
 ゴールを認める笛が鳴り、スタジアム中が轟音で揺れた。今期初得点である。

「やったぜ!!」

 興奮に湧く観客席に駆け寄ってガッツポーズをするレインに、チームメイトが抱きついて祝福をする。私も彼の頭を撫でた。
 電光掲示板を見れば、三十分を過ぎていた。いい時間帯だ。このまま一点を守って前半を終了すれば、良い状態で後半に専念できる。
 ベンチにいるバーン監督に目をやれば、周囲がはしゃいでいるにもかかわらず、普通に座っていた。両腕を膝におき、背中を丸めて、深々と腰を沈めている。とても静かだ。
 私は了解した。長いシーズンの幕開けなのに、最初から浮かれていては仕方がないのだ。
 ゴールが決まったので、再びセンターサークルから試合が始まった。相手チームのボールである。ユーズの選手たちはシューズにイカロスの翼でも生えたのか、太陽にでも駆けあがっていくような勢いで、我々のゴール前に突撃する。しかしノーザンプールのディフェンダー陣に、全ての翼をもぎ取られてしまった。
 まもなくアダムス審判が前半の終了を告げ、ハーフタイムに入った。我々はサポーターたちの拍手を背に、ドレッシングルームへ戻った。そこで水分を補給し、疲弊した肉体を休めた。すぐにバーン監督も現れた。

「みんなよくやった。この調子で、次の後半戦も戦おう」

 監督の指示で、中盤と守備の連携を若干手直し、ドレッシングルームを出た。

「見ろよ、ヴィク」

 ペットボトルを口にあてたポーティロが、私と肩を並べると、顎をしゃくった。その先へ視線を流すと、我々の後ろから、監督と日本人の彼が一緒に歩いてきた。ポーティロが言わんとしたことを嗅ぎとって、首を横に振った。

「交代ではないだろう」
「そうか? 監督はいやにあいつの肩を持っているぜ」
「それは、バーン監督を馬鹿にしているのかい?」

 どれだけ能力を秘めていようとも、合宿やリザーブの試合でろくにその片鱗も見せなかった選手を起用するはずがない。ポーティロの言葉は監督に対する侮辱である。

「まさか。尊敬しているさ」

 口元を手の甲でぬぐって、私をじろりと睨んできた。

「余計なことを考えていないで、試合に集中しよう」

 ポーティロは肩をすくめた。
 後半戦も我々に有利な展開で終始した。二十五分過ぎ頃には、ゲイリーが豪快なミドルシュートを決め、スタジアム中がお祭り騒ぎになった。
 四十分を過ぎたあたり、ユーズの選手からも諦めの匂いが濃くなった頃、ボールがタッチラインの外へ出た。ユーズの選手が出したので、我々のボールである。ケリーがスローインをするために走っていた時、選手交代が告げられた。
 交代はノーザンプール。掲示板は、背番号七番と二十一番とある。七番はレイン。二十一番は、あの日本人だ。
 チームのベンチから、小柄の赤いユニフォーム姿が出てきた。相手のゴール前にいたレインは、小走りに彼の元へ駆け寄ると、気安げに手を叩きあい、背中を軽く押す。サポーターたちがレインの交代に惜しみない拍手をした。レインと入れ替わるようにピッチに出た彼は、脇目もふらずケリーがボールを投げる近くまで走っていった。
 ケリーは両腕を伸ばし、ボールを高く掲げた。
 咄嗟にスターンが走り出て、釣られるようにケリーはボールを投げた。
 スターンは足下でボールを転がし、猛然とドリブルで突破すると、ゲイリーへあわせた。
 ゲイリーは後ろ向きでボールを受けとると、つま先で弾き、半回転して、相手陣営のゴールに突進する。その間ユーズのディフェンダー二人を置き去りにした。
 ゲイリーはいい角度からシュートした。しかしユーズのゴールキーパーが直感を閃かせて、横滑りに飛び、拳で弾く。ボールは右サイドのコーナー付近へ転がった。すると、その先に彼がいた。
 彼はゴールポストへ姿勢を傾けると、力強くボールを蹴った。ボールは美しい曲線をえがき、地球の引力に従う。何もなければ、そのままゴールネットに飛び込むはずだったに違いない。
 しかし、ゴールキーパーが重力に逆らい起きあがった。ボールは突然出現した壁にあたり、方向を変える。そばにいたディフェンダーが、慌ててラインの外に蹴りだした。
 すべて、一瞬の出来事だった。サポーターのため息が長い尾となって、スタジアムを一周する。アディショナルタイム前に三点目が入ったら、決定打となっていた。
 彼はその場に立ち、ボールが消えた方向を見つめている。手が拳を握っているので、悔しいのだろう。まだ少年の顔立ちがしかめっ面をしている。私もボールのあとを辿りながら、静かに驚いていた。いつのまにかボールの前に躍り出ていた彼の俊敏さに舌を丸めた。まるで気配を殺した動物のようだった。
 結局、試合は二対〇で終了した。
 開幕戦を勝利で飾ることができて、チームはもとより、サポーターも大いに喜んだ。勝どきを祝う大合唱がうねり、私たちは手を叩きながらピッチを後にした。通路では初得点を決めたレインが取材を受けていた。
 ドレッシングルームへ戻ると、バーン監督やコーチたち、クラブ関係者が集まっていて、私たちと勝利を祝いあった。エヴァンスマネージャーもいて、満足そうな笑みを浮かべている。前期の開幕戦と同じ光景だ。

「やったな、ヴィク。もっと嬉しそうな顔をしろよ」 

 ゲイリーが私の頭に手をおいた。

「もちろん、喜んでいるよ」

 私はその手を払いのけた。子供のような扱いは真っ平である。

「それにしちゃ、浮かない顔をしているな」
「君がきちんとシュートを決められるか心配していたのさ。まるで赤ん坊が初めてミルクを飲むのをハラハラしながら見ている父親のような心境だったよ」
「おいおい、子供扱いするなよ。俺はちゃんと一人でトイレにだって行けるんだぜ」

 私たちは笑いあった。
 バーン監督が手を叩いた。

「みんな、よくやった。我々のサッカーができた。この調子で次の土曜日も戦おう」

 監督の言葉にチームメイト全員が頷いた。開幕戦での勝敗は、チームの心理状況に深い影響を及ぼす。幸先の良いスタートだ。
 ドレッシングルームがまた賑やかになった。エヴァレットやスターンとも手や肩を叩きあって、健闘を讃えあった。レインはみんなから髪の毛をぐちゃぐちゃにされ、ひどいことになっている。
 私はそれとなく室内に目を散らした。チームメイトが騒いでいる中、黒髪の小柄な青年は隅にいた。一人だった。
 彼がチームの勝利を歓んでいるのかどうかは、その無表情な面からは少しもわからない。ただ目の前で繰り広げられている様子を、じっと眺めている。

「ヴィク!」

 私は目を伏せた。歓び方を思い出すのに、しばらく時間がかかってしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした

月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。 人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。 高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。 一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。 はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。 次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。 ――僕は、敦貴が好きなんだ。 自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。 エブリスタ様にも掲載しています(完結済) エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位 ◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。 応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。 ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。 『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

クズ彼氏にサヨナラして一途な攻めに告白される話

雨宮里玖
BL
密かに好きだった一条と成り行きで恋人同士になった真下。恋人になったはいいが、一条の態度は冷ややかで、真下は耐えきれずにこのことを塔矢に相談する。真下の事を一途に想っていた塔矢は一条に腹を立て、復讐を開始する——。 塔矢(21)攻。大学生&俳優業。一途に真下が好き。 真下(21)受。大学生。一条と恋人同士になるが早くも後悔。 一条廉(21)大学生。モテる。イケメン。真下のクズ彼氏。

処理中です...