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待ち合わせのレストランに時間ぎりぎりで到着したトラヴィスは、駐車場にとめた車から飛び出ると、急ぎ足で入り口に向かった。
首都ワシントンDC一帯は、大統領官邸であるホワイトハウス、連邦議会議事堂、連邦最高裁判所などの最高機関や、中央官庁などの行政機関など政府関係の建物が集結しており、その関連の繋がりが強い。FBI本部ももれなく存在するのだが、トラヴィスが本部配属を言い渡された時、まっさきに思ったのは、この膨大な権力が集まる都市に、果たして人生を味わえるような美味しいレストランがあるのかという心配だった。イタリア系移民の家庭で、ニューヨークで育ったトラヴィスは、何気に食事にこだわりがある。バージニア州クアンティコのアカデミーで訓練をしていた期間、一番辛かったのは、不味い食事に耐えることだった。そこをからくも卒業し、本部配属になったのだが、新しい仕事を覚えるのと同じくらいの情熱で、美味しいレストラン探しに熱中した。トラヴィスは料理もできるのだが、ふらりと立ち寄れるレストランも確保しておきたかった。料理の質はもちろんのこと、無駄に広くなく、かといってマニアのように狭くもなく、リラックスして食べられるようなイタリアンレストランを。
トラヴィスが待ち合わせ場所に指定したレストランは、まさに理想通りの店だった。「イタリアーノ」という気取らない看板の下を通って中へ入ると、明るくモダンな店内の雰囲気に出迎えられる。テーブル席は手で数えられる程度だが、カウンター席があり、そこにはいつもハリウッド女優のような金髪美女が立っていて、入ってくる客に笑顔を向ける。この店のオーナー兼シェフの奥方と聞いているが、詳しくは知らない。いつものようにトラヴィスはコーヒーを頼み、奥の席へ向かった。店内はまばらで、イタリアの曲がかかっている。目当ての人物は、トラヴィスに気がつくと立ちあがった。
「トラヴィス! 久しぶりだね!」
「ベン! 相変わらず格好いいな!」
二人は再会を抱き合って喜ぶと、お互いに肩を叩きあった。
「もう私も年なんだよ。ご老人をからかうのはよしてくれ。君こそ、相変わらず男前じゃないか」
「そんなことないさ。あんたは本当にいい男だ」
トラヴィスは惚れ惚れするようにベンを見上げた。
ベン・シドニーはアフリカ系アメリカ人で、元特別捜査官だ。トラヴィスには先輩にあたるが、たった一年間本部で一緒になり、辞職してしまった。理由は定かではないが、人種的なことではないだろうということだけは衆目で一致していた。日頃のベンの仕事ぶりと人柄からは考えられない一番の理由だからだ。
トラヴィスは共に仕事をする機会はなかったが、ベンのことは好きだったし、尊敬していた。ハイスクール時代からアメリカンフットボールの選手をしていたという立派な体躯。ハーバード大学を優秀な成績で卒業した怜悧な頭脳と知的な顔立ち。何より、その眼差しが好きだった。暖かでいて、相手を包み込んでしまうかのような深い眼差しが。
ベンが辞めた時、あのジェレミーが残念だと言っていたのを思い出す。他人に興味のないジェレミーですら、ベンを認めていたのだ。
「いいレストランだね。本部にいたのに、知らなかったよ」
「隠れ家的な感じだからな。おかげで、俺にとってはありがたいさ。こんなところまで、同じ顔に会いたくないからな」
「君のことだから、彼女と一緒に来ているんだろう」
トラヴィスは「まあな」と軽く受け流して、椅子に座った。まだ一度もジェレミーを誘っていないことに、罪悪感がちらりと浮かんだ。
「そんなことより、俺に会いたいなんて、いったいどうしたんだ? 変な女に言い寄られて困っているのか?」
どうぞ、と脇からコーヒーが出される。サンクスと言って、白いカップの取っ手に指をまわした。金髪美女はおそらく外国人だ。英語が少々訛っている。
「いや、そうではないよ。残念だけどね」
ベンはコーヒーを追加で頼んだ。先に来ていたベンのカップは、空になっている。
「私に言い寄ってくれる物好きな女性など、そう簡単にいないよ」
「おいおい、ミリアムはベンのことが大好きなんだぞ。俺がレストランで一緒にコーヒーを飲んだって聞いたら、きっとカンカンに怒るぜ。自分も会いたかったのにってな」
「そうかい。嬉しいよ」
ベンは静かに微笑んだ。
「ミリアムは元気かい?」
「ああ、毎日元気に俺をこき使っているぜ」
「君も元気そうだね」
トラヴィスはコーヒーをひとくち飲んだ。
「まあな、死ぬ時以外だったら、たいていは元気に生きている」
二人はコーヒーのお代わりを持ってきた金髪美女に、それぞれ料理を頼んだ。
「それで、俺に用って何だ?」
一週間ほど前に、突然ベンから電話がかかってきた。トラヴィスは驚いたが、喜んで電話に出た。お互いの近況を教えあった後で、よかったら会ってくれないかという話になり、二つ返事で快諾した。どのような理由であれ、ベンに会えるのは嬉しかったからだ。
「電話じゃ、はっきりと言ってくれなかったから、ちょっと心配していたんだ。盗聴でもされていたのか?」
「されているかもしれないが、聞かれて恥ずかしいことは何もないよ。ベッドでも一人だしね」
ベンは苦笑した。そういえばまだ独身だったと、この時トラヴィスは気がついた。
「君を心配させてしまって、すまない。だが危険なことには何も関わっていないから、安心して欲しい」
そう言うと、カップを静かにソーサーに置いた。
ベンはテーブルの上で手を組み、改めてというように目の前に座るトラヴィスを見た。トラヴィスは無意識に姿勢を直した。ベンの雰囲気が微妙に変わったからだ。
「君に聞きたいことがあって電話をしたのは確かだ。だから、率直に言うよ。電話でも話したとおり、私は今弁護士をしている」
捜査官時代を思わせるような口調で、喋り始める。
「シアトルで、弁護士事務所に勤めているんだ。社員は、今のところ三人だけの小さなオフィスだけどね」
「あんたらしいな」
シアトルはアメリカの北西部にあるワシントン州の都市で、名の知れた街ではあるが、大都市というほどでもない。弁護士としてのステータスを得たいのであれば、やはりニューヨークやロサンゼルスなどで名を売るのが手っ取り早いだろう。
「ベンだったら、もっと有名な事務所で働けただろう? 何でシアトルなんだ?」
「私の大学時代の友人に誘われたんだ。いい街だよ。トラヴィスも一度は来てみるといい」
「彼女を連れて行く」
「ああ、それはいいね」
ベンは穏やかに相槌をうった。ジェレミーを連れて行ったらどう反応するだろうかと、トラヴィスは不謹慎にも考えてしまった。
首都ワシントンDC一帯は、大統領官邸であるホワイトハウス、連邦議会議事堂、連邦最高裁判所などの最高機関や、中央官庁などの行政機関など政府関係の建物が集結しており、その関連の繋がりが強い。FBI本部ももれなく存在するのだが、トラヴィスが本部配属を言い渡された時、まっさきに思ったのは、この膨大な権力が集まる都市に、果たして人生を味わえるような美味しいレストランがあるのかという心配だった。イタリア系移民の家庭で、ニューヨークで育ったトラヴィスは、何気に食事にこだわりがある。バージニア州クアンティコのアカデミーで訓練をしていた期間、一番辛かったのは、不味い食事に耐えることだった。そこをからくも卒業し、本部配属になったのだが、新しい仕事を覚えるのと同じくらいの情熱で、美味しいレストラン探しに熱中した。トラヴィスは料理もできるのだが、ふらりと立ち寄れるレストランも確保しておきたかった。料理の質はもちろんのこと、無駄に広くなく、かといってマニアのように狭くもなく、リラックスして食べられるようなイタリアンレストランを。
トラヴィスが待ち合わせ場所に指定したレストランは、まさに理想通りの店だった。「イタリアーノ」という気取らない看板の下を通って中へ入ると、明るくモダンな店内の雰囲気に出迎えられる。テーブル席は手で数えられる程度だが、カウンター席があり、そこにはいつもハリウッド女優のような金髪美女が立っていて、入ってくる客に笑顔を向ける。この店のオーナー兼シェフの奥方と聞いているが、詳しくは知らない。いつものようにトラヴィスはコーヒーを頼み、奥の席へ向かった。店内はまばらで、イタリアの曲がかかっている。目当ての人物は、トラヴィスに気がつくと立ちあがった。
「トラヴィス! 久しぶりだね!」
「ベン! 相変わらず格好いいな!」
二人は再会を抱き合って喜ぶと、お互いに肩を叩きあった。
「もう私も年なんだよ。ご老人をからかうのはよしてくれ。君こそ、相変わらず男前じゃないか」
「そんなことないさ。あんたは本当にいい男だ」
トラヴィスは惚れ惚れするようにベンを見上げた。
ベン・シドニーはアフリカ系アメリカ人で、元特別捜査官だ。トラヴィスには先輩にあたるが、たった一年間本部で一緒になり、辞職してしまった。理由は定かではないが、人種的なことではないだろうということだけは衆目で一致していた。日頃のベンの仕事ぶりと人柄からは考えられない一番の理由だからだ。
トラヴィスは共に仕事をする機会はなかったが、ベンのことは好きだったし、尊敬していた。ハイスクール時代からアメリカンフットボールの選手をしていたという立派な体躯。ハーバード大学を優秀な成績で卒業した怜悧な頭脳と知的な顔立ち。何より、その眼差しが好きだった。暖かでいて、相手を包み込んでしまうかのような深い眼差しが。
ベンが辞めた時、あのジェレミーが残念だと言っていたのを思い出す。他人に興味のないジェレミーですら、ベンを認めていたのだ。
「いいレストランだね。本部にいたのに、知らなかったよ」
「隠れ家的な感じだからな。おかげで、俺にとってはありがたいさ。こんなところまで、同じ顔に会いたくないからな」
「君のことだから、彼女と一緒に来ているんだろう」
トラヴィスは「まあな」と軽く受け流して、椅子に座った。まだ一度もジェレミーを誘っていないことに、罪悪感がちらりと浮かんだ。
「そんなことより、俺に会いたいなんて、いったいどうしたんだ? 変な女に言い寄られて困っているのか?」
どうぞ、と脇からコーヒーが出される。サンクスと言って、白いカップの取っ手に指をまわした。金髪美女はおそらく外国人だ。英語が少々訛っている。
「いや、そうではないよ。残念だけどね」
ベンはコーヒーを追加で頼んだ。先に来ていたベンのカップは、空になっている。
「私に言い寄ってくれる物好きな女性など、そう簡単にいないよ」
「おいおい、ミリアムはベンのことが大好きなんだぞ。俺がレストランで一緒にコーヒーを飲んだって聞いたら、きっとカンカンに怒るぜ。自分も会いたかったのにってな」
「そうかい。嬉しいよ」
ベンは静かに微笑んだ。
「ミリアムは元気かい?」
「ああ、毎日元気に俺をこき使っているぜ」
「君も元気そうだね」
トラヴィスはコーヒーをひとくち飲んだ。
「まあな、死ぬ時以外だったら、たいていは元気に生きている」
二人はコーヒーのお代わりを持ってきた金髪美女に、それぞれ料理を頼んだ。
「それで、俺に用って何だ?」
一週間ほど前に、突然ベンから電話がかかってきた。トラヴィスは驚いたが、喜んで電話に出た。お互いの近況を教えあった後で、よかったら会ってくれないかという話になり、二つ返事で快諾した。どのような理由であれ、ベンに会えるのは嬉しかったからだ。
「電話じゃ、はっきりと言ってくれなかったから、ちょっと心配していたんだ。盗聴でもされていたのか?」
「されているかもしれないが、聞かれて恥ずかしいことは何もないよ。ベッドでも一人だしね」
ベンは苦笑した。そういえばまだ独身だったと、この時トラヴィスは気がついた。
「君を心配させてしまって、すまない。だが危険なことには何も関わっていないから、安心して欲しい」
そう言うと、カップを静かにソーサーに置いた。
ベンはテーブルの上で手を組み、改めてというように目の前に座るトラヴィスを見た。トラヴィスは無意識に姿勢を直した。ベンの雰囲気が微妙に変わったからだ。
「君に聞きたいことがあって電話をしたのは確かだ。だから、率直に言うよ。電話でも話したとおり、私は今弁護士をしている」
捜査官時代を思わせるような口調で、喋り始める。
「シアトルで、弁護士事務所に勤めているんだ。社員は、今のところ三人だけの小さなオフィスだけどね」
「あんたらしいな」
シアトルはアメリカの北西部にあるワシントン州の都市で、名の知れた街ではあるが、大都市というほどでもない。弁護士としてのステータスを得たいのであれば、やはりニューヨークやロサンゼルスなどで名を売るのが手っ取り早いだろう。
「ベンだったら、もっと有名な事務所で働けただろう? 何でシアトルなんだ?」
「私の大学時代の友人に誘われたんだ。いい街だよ。トラヴィスも一度は来てみるといい」
「彼女を連れて行く」
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