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ミラノ・コンチェルト②
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「……あ、あの、シニョーラ」
まさに鳩が豆鉄砲を食ったようという諺を体現するような表情で、隼人は額に汗をかきながら、事の間違いを正そうとする。
「ぶつかってきたのは、あなたの車ですよ。自分の車はちゃんと指定の駐車パーキングに止めていたので、何も悪くはありません。あなたの車が……」
と言いかけたところで、爆風のような大声に真正面から襲われた。
「私は悪くないわ!! あなたの車が邪魔だったのよ!! 人のせいにするなんて、なんて男なの!! 卑怯だわ!!」
「い、いや、あの……」
「あんなところに車を止めて!! ぶつかった私の車が可哀そうよ!!」
女性はまるでルネッサンス時代の巨匠ラファエッロが描いた人物のように、両手を広げて天を仰いで絶叫する。
「……」
隼人は目を白黒させ、絶句した。もはや何を言っているのか理解できない。どこの世界に駐車していた車に運転していた車をぶつけて、自分は悪くない! と絶叫する運転手がいるのだろう。いや、イタリアだからなと隼人は呆れた。お互い運転中で事故ったのであれば、互いに罪をなすり付けあうのは、日本でもアメリカでも間間あることだとは思うのだが、駐車スペースにちゃんと止めていた車にぶつかっておいて――しかもエンジンもかけていないのに――ここに止まっていた車が悪いと主張するのは、とてもイタリアらしいと言えばらしい。馬鹿げたことだが、妙に納得した後で深い深い溜息が出てしまった。
「シニョーラ、話を聞いてください」
しかし相手の自分勝手な自己主張に付きあってしまったら、圧倒的に自分が悪くなりそうなので、まずは警察を呼ぶことにした。来てくれるかどうかは置いといて。
「今警察を呼びますから、それから話し合いましょう」
話し合いも何も、二百パーセントこの女性の過失なのだが、女性だけを相手にしていたら話が進まない。周辺にいた人々も何事かと集まってきた。
「私は全く悪くないわ!! 悪いのはこの車よ!!」
近寄ってきた相手に、女性は共和制ローマ時代の哲学者キケロの演説の如く、烈しく呼びかける。
「警察を呼んで、話し合いましょう」
隼人は早くジュリアーノが戻ってこないかなと少々呆れながら、携帯を取り出す。わけのわからないことを叫ぶイタリア人相手には、同じイタリア人が有効だろうに。そう思いながら、警察を呼び出そうとした。その時だった。
「シニョーラ、車をぶつけたのは、あなたの責任ですよ」
落ち着いた男性の声が聞こえた。
耳元に携帯を持っていきかけた隼人は、反射的に首をひねって振り返る。
荒ぶる女性の前に進み出たのは、一人の黒髪の男性だった。
「彼の車は、駐車スペースに止まっていました。その車にぶつかったのは、シニョーラ、あなたです。彼ではありません。彼には、全く非はないですよ」
その穏やかな言いように、隼人はあれ? と思った。どこかで耳にしたような気がする。
「私が悪いと言うの!!」
突然現れた男性に対して、女性は声も手ぶりも荒げる。
「神に誓って、私は悪くないわ! ええ、神にかけて誓うわ!!」
「それは、神にとって、とても迷惑ですよ」
男性は優しい口調で言い返す。
隼人はいったん通話を切ると、吸い寄せられるようにその男性を見た。若くて、端正な顔立ちをした男性だった。髪は黒く、瞳の色はダークブルーだ。その南欧系の容貌からして、イタリア人だろう。オフホワイト色の小ざっぱりとしたシャツを着て、デニムを履いている。スポーツ選手のように均整の取れた全身で、すらりとした長身の男性だ。背中で髪を結っている。
この男性はどこかで……と、隼人が思い出すように見つめていると、相手が視線を感じてか、隼人へ目を向けた。
その口元が、ふわりと笑む。
あっと思った。その時に、馴染みの声が飛び込んできた。
「どうした! ハヤト!」
隼人はホッとしたように振り返った。ジュリアーノである。こちらへ小走りに駆け寄って来る。その後ろから、女性もまた駆けつけて来る。モニカだ。
良かったと、隼人は正直に思った。これでどうにかなるだろう。口から、安堵の息が出た。
改めて、男性の方へ向き直る。冷静に仲裁に入ってくれたお礼を言わなくては。
「あの……」
隼人は声をかけた。すると、その男性は隼人の方へ向き、涼やかな目で頷くと、なごやかに微笑んだ。
それは、どこか茶目っ気たっぷりに語りかけてくるような愉快げな笑みだった……
「で、結局どうなったんだ?」
コーヒーを飲みながら、ロミオは続きを聞く。
「警察が来てくれて、無事に終わったよ。いや、助かった」
隼人もマグカップを手に持ち、やれやれといったように椅子の背もたれに寄りかかっている。
「周りの人たちのおかげだ。あとでお礼をしに行きたいよ」
黒い猫が寝そべっているマグカップのイラストを目にしながら、苦笑いする。仕事を終えてロミオのアパートメントを訪ねた隼人は、今日一番のハイライトシーンだった出来事をロミオへ語っていた。
警察を呼んで、事故の状況から相手運転手の前方不注意による過失として現場検証は終了し、隼人たちには勿論何の責任もないと立証されたが、その間ずっと騒動が収まらなかった。相手の女性は隼人を責め、隼人から説明を聞き自身でも状況を素早く把握したジュリアーノが言い返す。仲裁に入ってくれた男性も冷静に指摘し、集まった人々はてんやわんやの野次馬と化す。珍しくすぐに来てくれた二人の警察官たちは、周辺の騒ぎっぷりに、ハリウッドスターでもいるの? という冗談を飛ばしながら、鼻歌交じりに検証を始める。隼人が当時の状況を説明すると、事故った運転手の女性は声高に主張した。
「嘘をついているわ!」
「ハヤトは嘘をついていない! 嘘つきはあなただ!」
ジュリアーノが女性を指す。
「ハヤトは日本人だ! 日本人が嘘をつくものか! 嘘をついたらハラキリしなきゃいけないんだぞ!」
おい、と思わず隼人が突っ込みかける。
「嘘つきなイタリア人とは違うんだ! つまりあなたのことだ!」
「私はミラネーゼよ! でたらめなイタリア人と一緒にしないで!」
「俺だってミラネーゼだ! 言っておくがでたらめなイタリア人じゃないぞ! 少なくとも駐車している車に衝突するほど運転は下手糞じゃない!」
「私は衝突していないわ! 向こうの車が衝突してきたのよ!」
「運転手もいないのにどうやって衝突できるんだ!」
「私は見たのよ!」
「あなたが見たのは幻覚だ! オカルトだ! 悪魔にそそのかされたんだ!」
……側で聞いていた隼人は段々と眩暈がしてきた。相手の女性とジュリアーノが口角泡を飛ばして言い争っている。野次馬たちも古代コロッセオでの決闘を観戦しているかのように、てんで言い合っている。はっきり言ってわけがわからなくなってきた。
「俺と彼女の昨日の口ゲンカよりも凄いね」
若い警官の一人が呑気に隼人へ話しかける。
「日本人だって? なら俺もイタリア人より日本人を信じるよ。日本人まで嘘をついたら人類も終わりさ。それよりドラゴンボールは知っている? 大好きなんだ。生きているうちに、かめはめ波を打ちたいよ。ルパン三世も最高だね」
はあと、隼人は額に浮き出た汗を拭きそうになった。何を言いたいのかよくわからない。
「さあさあ、シニョーラ。怒っている顔は似合わないよ。あとは私たちとお喋りしようか」
もう一人の警官が手を叩いて、この場の騒ぎを収束させた。野次馬たちも手で追い払って、ぎゃあぎゃあ叫んでいる女性を優雅にパトカーまでエスコートする。隼人たちへは、帰っていいよとあっさり言い渡して終わった。
良かったと隼人は胸を撫でおろしたが、まだやらなければならないことがあった。本社に電話をし、事の次第を伝える。車の保険会社へも連絡し、事の次第を伝える。そして修理工場へも連絡をし……の前に、とりあえず帰ろうと提案するジュリアーノの運転で、本社へ戻った。ジュリアーノのハンドル捌きは頭に血が上ったラテンの男らしいもので、助手席の隼人はただただ血の気が引いた。
まさに鳩が豆鉄砲を食ったようという諺を体現するような表情で、隼人は額に汗をかきながら、事の間違いを正そうとする。
「ぶつかってきたのは、あなたの車ですよ。自分の車はちゃんと指定の駐車パーキングに止めていたので、何も悪くはありません。あなたの車が……」
と言いかけたところで、爆風のような大声に真正面から襲われた。
「私は悪くないわ!! あなたの車が邪魔だったのよ!! 人のせいにするなんて、なんて男なの!! 卑怯だわ!!」
「い、いや、あの……」
「あんなところに車を止めて!! ぶつかった私の車が可哀そうよ!!」
女性はまるでルネッサンス時代の巨匠ラファエッロが描いた人物のように、両手を広げて天を仰いで絶叫する。
「……」
隼人は目を白黒させ、絶句した。もはや何を言っているのか理解できない。どこの世界に駐車していた車に運転していた車をぶつけて、自分は悪くない! と絶叫する運転手がいるのだろう。いや、イタリアだからなと隼人は呆れた。お互い運転中で事故ったのであれば、互いに罪をなすり付けあうのは、日本でもアメリカでも間間あることだとは思うのだが、駐車スペースにちゃんと止めていた車にぶつかっておいて――しかもエンジンもかけていないのに――ここに止まっていた車が悪いと主張するのは、とてもイタリアらしいと言えばらしい。馬鹿げたことだが、妙に納得した後で深い深い溜息が出てしまった。
「シニョーラ、話を聞いてください」
しかし相手の自分勝手な自己主張に付きあってしまったら、圧倒的に自分が悪くなりそうなので、まずは警察を呼ぶことにした。来てくれるかどうかは置いといて。
「今警察を呼びますから、それから話し合いましょう」
話し合いも何も、二百パーセントこの女性の過失なのだが、女性だけを相手にしていたら話が進まない。周辺にいた人々も何事かと集まってきた。
「私は全く悪くないわ!! 悪いのはこの車よ!!」
近寄ってきた相手に、女性は共和制ローマ時代の哲学者キケロの演説の如く、烈しく呼びかける。
「警察を呼んで、話し合いましょう」
隼人は早くジュリアーノが戻ってこないかなと少々呆れながら、携帯を取り出す。わけのわからないことを叫ぶイタリア人相手には、同じイタリア人が有効だろうに。そう思いながら、警察を呼び出そうとした。その時だった。
「シニョーラ、車をぶつけたのは、あなたの責任ですよ」
落ち着いた男性の声が聞こえた。
耳元に携帯を持っていきかけた隼人は、反射的に首をひねって振り返る。
荒ぶる女性の前に進み出たのは、一人の黒髪の男性だった。
「彼の車は、駐車スペースに止まっていました。その車にぶつかったのは、シニョーラ、あなたです。彼ではありません。彼には、全く非はないですよ」
その穏やかな言いように、隼人はあれ? と思った。どこかで耳にしたような気がする。
「私が悪いと言うの!!」
突然現れた男性に対して、女性は声も手ぶりも荒げる。
「神に誓って、私は悪くないわ! ええ、神にかけて誓うわ!!」
「それは、神にとって、とても迷惑ですよ」
男性は優しい口調で言い返す。
隼人はいったん通話を切ると、吸い寄せられるようにその男性を見た。若くて、端正な顔立ちをした男性だった。髪は黒く、瞳の色はダークブルーだ。その南欧系の容貌からして、イタリア人だろう。オフホワイト色の小ざっぱりとしたシャツを着て、デニムを履いている。スポーツ選手のように均整の取れた全身で、すらりとした長身の男性だ。背中で髪を結っている。
この男性はどこかで……と、隼人が思い出すように見つめていると、相手が視線を感じてか、隼人へ目を向けた。
その口元が、ふわりと笑む。
あっと思った。その時に、馴染みの声が飛び込んできた。
「どうした! ハヤト!」
隼人はホッとしたように振り返った。ジュリアーノである。こちらへ小走りに駆け寄って来る。その後ろから、女性もまた駆けつけて来る。モニカだ。
良かったと、隼人は正直に思った。これでどうにかなるだろう。口から、安堵の息が出た。
改めて、男性の方へ向き直る。冷静に仲裁に入ってくれたお礼を言わなくては。
「あの……」
隼人は声をかけた。すると、その男性は隼人の方へ向き、涼やかな目で頷くと、なごやかに微笑んだ。
それは、どこか茶目っ気たっぷりに語りかけてくるような愉快げな笑みだった……
「で、結局どうなったんだ?」
コーヒーを飲みながら、ロミオは続きを聞く。
「警察が来てくれて、無事に終わったよ。いや、助かった」
隼人もマグカップを手に持ち、やれやれといったように椅子の背もたれに寄りかかっている。
「周りの人たちのおかげだ。あとでお礼をしに行きたいよ」
黒い猫が寝そべっているマグカップのイラストを目にしながら、苦笑いする。仕事を終えてロミオのアパートメントを訪ねた隼人は、今日一番のハイライトシーンだった出来事をロミオへ語っていた。
警察を呼んで、事故の状況から相手運転手の前方不注意による過失として現場検証は終了し、隼人たちには勿論何の責任もないと立証されたが、その間ずっと騒動が収まらなかった。相手の女性は隼人を責め、隼人から説明を聞き自身でも状況を素早く把握したジュリアーノが言い返す。仲裁に入ってくれた男性も冷静に指摘し、集まった人々はてんやわんやの野次馬と化す。珍しくすぐに来てくれた二人の警察官たちは、周辺の騒ぎっぷりに、ハリウッドスターでもいるの? という冗談を飛ばしながら、鼻歌交じりに検証を始める。隼人が当時の状況を説明すると、事故った運転手の女性は声高に主張した。
「嘘をついているわ!」
「ハヤトは嘘をついていない! 嘘つきはあなただ!」
ジュリアーノが女性を指す。
「ハヤトは日本人だ! 日本人が嘘をつくものか! 嘘をついたらハラキリしなきゃいけないんだぞ!」
おい、と思わず隼人が突っ込みかける。
「嘘つきなイタリア人とは違うんだ! つまりあなたのことだ!」
「私はミラネーゼよ! でたらめなイタリア人と一緒にしないで!」
「俺だってミラネーゼだ! 言っておくがでたらめなイタリア人じゃないぞ! 少なくとも駐車している車に衝突するほど運転は下手糞じゃない!」
「私は衝突していないわ! 向こうの車が衝突してきたのよ!」
「運転手もいないのにどうやって衝突できるんだ!」
「私は見たのよ!」
「あなたが見たのは幻覚だ! オカルトだ! 悪魔にそそのかされたんだ!」
……側で聞いていた隼人は段々と眩暈がしてきた。相手の女性とジュリアーノが口角泡を飛ばして言い争っている。野次馬たちも古代コロッセオでの決闘を観戦しているかのように、てんで言い合っている。はっきり言ってわけがわからなくなってきた。
「俺と彼女の昨日の口ゲンカよりも凄いね」
若い警官の一人が呑気に隼人へ話しかける。
「日本人だって? なら俺もイタリア人より日本人を信じるよ。日本人まで嘘をついたら人類も終わりさ。それよりドラゴンボールは知っている? 大好きなんだ。生きているうちに、かめはめ波を打ちたいよ。ルパン三世も最高だね」
はあと、隼人は額に浮き出た汗を拭きそうになった。何を言いたいのかよくわからない。
「さあさあ、シニョーラ。怒っている顔は似合わないよ。あとは私たちとお喋りしようか」
もう一人の警官が手を叩いて、この場の騒ぎを収束させた。野次馬たちも手で追い払って、ぎゃあぎゃあ叫んでいる女性を優雅にパトカーまでエスコートする。隼人たちへは、帰っていいよとあっさり言い渡して終わった。
良かったと隼人は胸を撫でおろしたが、まだやらなければならないことがあった。本社に電話をし、事の次第を伝える。車の保険会社へも連絡し、事の次第を伝える。そして修理工場へも連絡をし……の前に、とりあえず帰ろうと提案するジュリアーノの運転で、本社へ戻った。ジュリアーノのハンドル捌きは頭に血が上ったラテンの男らしいもので、助手席の隼人はただただ血の気が引いた。
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