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言葉よりも、抱きしめて
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ロミオはベッドの上でうんざりしていた。
ちょっと前にキスをしながら服や下着を全部脱いで、さあこれから愉しい夜を過ごそうとベッドへ向かったのはいいのだが、その甘くて胸躍るような興奮にバケツの水をぶちまけるような勢いで、携帯電話が鳴ったのだ。
ロミオは携帯電話が大嫌いだった。正確に言えば、大嫌いになった。イタリアの家庭電話事情は、先進国の中ではあまりよろしくはない。しかし昨今の情報化社会で、互いの連絡に時間がかかるというのは大変なリスクである。携帯電話はその発明通りにどこでも持って歩けるので、大変に便利なのだが、その便利さに今は腹が立っていた。
ベッドの上で片膝を立て、そこに肘をついて頬杖をしているロミオは全裸である。ゲイポルノ俳優なので、肉体の管理だけはしっかりとやっている。全身の筋肉がよく引き締まり、かつ男にしては華やかな肉体は、ゲイポルノファンからは一度は抱きたいと熱望されている。そのファン垂涎の躰を唯一自由に抱ける男は、今一生懸命に携帯電話で話していた。
「……ええ、ですから、それは……」
ロミオは突き刺すような目で、その様子を眺めていた。最初はイタリア語だったが、途中からわからなくなった。たぶん、日本語だろうと思った。そうすると、相手は日本人だということだ。
くっそうと、ロミオは唸った。頭に血がのぼって暴れたくなる衝動を、現在の恋人と交際が始まってから培った忍耐が抑えていた。
――オレとハヤトがこれからセックスしようとすると、いつも携帯電話を鳴らすバカがいる。
ふざけんな! と、ベッドの大きな枕をその相手に投げつけたかった。大体ハヤトも取るなよ! と、ロミオの怒りはそれを持ち込んだ恋人にまで飛び火する。オレの部屋はオフィスじゃないんだ! 仕事の話なんかするな! 今度それを持ち込んだら、絶対に粉々に壊して地中海にばら撒いてやる!――
「はい、そうです。その通りです……」
恋人に背中を向けて真剣に喋っている隼人は、そんなロミオの声など聞こえない。
ロミオは誰にもわからないようなため息をついた。電話の用件は終わりそうになかったので、静かにベッドを下りると、そばにあったバスタオルを腰に巻き、電話に夢中な恋人を置き去りにして部屋を出た。
バスルームにあるシャワーブースへ入りノズルをひねると、熱い湯が細い滝のように出てきた。
数日前まで職務放棄をしていたシャワーだが、アパートメントの大家に文句を言うと、でっぷりとしたお腹を抱えた無口な大家は何とか頑張ってくれたらしい。出ないよりはましな量の湯を浴びることができた。
ロミオは全身をくまなく濡らした。熱い湯は、肉体の汚れだけではなく、心に巣くった疲労も洗い流してくれるようだ。
――最低な一日だった。
ロミオは今日行われた新作のゲイポルノ映画の撮影を思い出す。ロミオは抱かれる役だったが、その相手というのが性に合わない男だった。容姿がどうのこうのではなく、セックスのやり方が荒々しいのだ。それが売りであるようだが、ロミオは本番を前に、もっと丁寧にやれと注意した。だが相手は無視した。そして、主演男優二人による乱闘が始まった。
――パウロが監督だったら、あいつが撮影から蹴りだされたのに……
慌てて監督やら撮影係やら照明係やらが仲裁に入ったので、互いにひどい顔にならずに済んだのだが、ロミオが降板させられた。
相手の男の勝ち誇った笑い声を思い出す度に、腸が煮えくり返る。パウロは数週間前にローマへ行ったきり、帰ってこない。マネージャーのカルロが髪の毛をかきむしって怒り狂っているが、ロミオも同じくローマにいるはずのパウロの交際相手に靴を投げつけてやりたかった。
「……あいつ、パウロと何しているんだ?」
あのジャガイモ野郎と、罵る声はきつい。またドイツへ行こうなんて訴えているんじゃないだろうな。もしそうだったら、熱々のフライドポテトにしてやる……
ロミオは両腕を抱えて、天井を見上げた。シャワーの湯が額や頬にあたり、唇に流れ落ちる。目を瞑って、しばらく浴び続けた。疲れた……
「――ロミオ!」
いきなりシャワーブースのドアが勢いよく開いた。ロミオはびっくりして振り返る。腰だけタオルを巻いた隼人が息を切らして立っていた。
「すまなかった!」
どうやら、電話は終わったようである。その焦った様子から察するに、寝室にロミオがいないことに気がついて、慌てふためいて探し回ったようだ。
ロミオは濡れた唇をへの字にさせた。頬は子供のように膨らんでいる。
「……ようやく、オレのことを思い出したようだな」
隼人の謝罪とロミオの拗ねた態度は、毎度のお約束コースだ。
ちえっと、ロミオは自分に呆れた。たとえどんなに怒っていても、ハヤトの顔を見れば、こんなにも心と体が焦らされる――
「あ、あのな、ロミオ……」
どう言い訳するべきかと悩む隼人のタオルを掴んで捨てると、無理やりブースへ引っ張り込んだ。
「シャワーでも浴びて、すっきりしよう」
ブース内は二人入れば身と身を寄せあうほどに狭い。だがロミオは、躊躇うことなく隼人の胸の中に飛び込んだ。
「……ロミオ」
隼人はシャワーの湯を浴びながら、自分の胸に顔を埋める恋人を、どうしたらよいのかわからないというようにおろおろする。
「……キスが欲しい」
ロミオは隼人にだけ聞こえるように呟いた。
言葉よりも、抱きしめて欲しい……
隼人は下を向いて、ロミオを覗き込んだ。だが表情は見えない。
途方に暮れていた腕が、気遣うようにゆっくりと、ロミオの濡れた躰を抱きしめた。その力は徐々に、強くなってゆく。
やがて、二人はキスをした。
それからしばらくもしない内に、シャワーブースの中からは、湯煙に混じって、愉しそうに愛しあう声が聞こえてきた。
それは、とても幸せそうだった。
ちょっと前にキスをしながら服や下着を全部脱いで、さあこれから愉しい夜を過ごそうとベッドへ向かったのはいいのだが、その甘くて胸躍るような興奮にバケツの水をぶちまけるような勢いで、携帯電話が鳴ったのだ。
ロミオは携帯電話が大嫌いだった。正確に言えば、大嫌いになった。イタリアの家庭電話事情は、先進国の中ではあまりよろしくはない。しかし昨今の情報化社会で、互いの連絡に時間がかかるというのは大変なリスクである。携帯電話はその発明通りにどこでも持って歩けるので、大変に便利なのだが、その便利さに今は腹が立っていた。
ベッドの上で片膝を立て、そこに肘をついて頬杖をしているロミオは全裸である。ゲイポルノ俳優なので、肉体の管理だけはしっかりとやっている。全身の筋肉がよく引き締まり、かつ男にしては華やかな肉体は、ゲイポルノファンからは一度は抱きたいと熱望されている。そのファン垂涎の躰を唯一自由に抱ける男は、今一生懸命に携帯電話で話していた。
「……ええ、ですから、それは……」
ロミオは突き刺すような目で、その様子を眺めていた。最初はイタリア語だったが、途中からわからなくなった。たぶん、日本語だろうと思った。そうすると、相手は日本人だということだ。
くっそうと、ロミオは唸った。頭に血がのぼって暴れたくなる衝動を、現在の恋人と交際が始まってから培った忍耐が抑えていた。
――オレとハヤトがこれからセックスしようとすると、いつも携帯電話を鳴らすバカがいる。
ふざけんな! と、ベッドの大きな枕をその相手に投げつけたかった。大体ハヤトも取るなよ! と、ロミオの怒りはそれを持ち込んだ恋人にまで飛び火する。オレの部屋はオフィスじゃないんだ! 仕事の話なんかするな! 今度それを持ち込んだら、絶対に粉々に壊して地中海にばら撒いてやる!――
「はい、そうです。その通りです……」
恋人に背中を向けて真剣に喋っている隼人は、そんなロミオの声など聞こえない。
ロミオは誰にもわからないようなため息をついた。電話の用件は終わりそうになかったので、静かにベッドを下りると、そばにあったバスタオルを腰に巻き、電話に夢中な恋人を置き去りにして部屋を出た。
バスルームにあるシャワーブースへ入りノズルをひねると、熱い湯が細い滝のように出てきた。
数日前まで職務放棄をしていたシャワーだが、アパートメントの大家に文句を言うと、でっぷりとしたお腹を抱えた無口な大家は何とか頑張ってくれたらしい。出ないよりはましな量の湯を浴びることができた。
ロミオは全身をくまなく濡らした。熱い湯は、肉体の汚れだけではなく、心に巣くった疲労も洗い流してくれるようだ。
――最低な一日だった。
ロミオは今日行われた新作のゲイポルノ映画の撮影を思い出す。ロミオは抱かれる役だったが、その相手というのが性に合わない男だった。容姿がどうのこうのではなく、セックスのやり方が荒々しいのだ。それが売りであるようだが、ロミオは本番を前に、もっと丁寧にやれと注意した。だが相手は無視した。そして、主演男優二人による乱闘が始まった。
――パウロが監督だったら、あいつが撮影から蹴りだされたのに……
慌てて監督やら撮影係やら照明係やらが仲裁に入ったので、互いにひどい顔にならずに済んだのだが、ロミオが降板させられた。
相手の男の勝ち誇った笑い声を思い出す度に、腸が煮えくり返る。パウロは数週間前にローマへ行ったきり、帰ってこない。マネージャーのカルロが髪の毛をかきむしって怒り狂っているが、ロミオも同じくローマにいるはずのパウロの交際相手に靴を投げつけてやりたかった。
「……あいつ、パウロと何しているんだ?」
あのジャガイモ野郎と、罵る声はきつい。またドイツへ行こうなんて訴えているんじゃないだろうな。もしそうだったら、熱々のフライドポテトにしてやる……
ロミオは両腕を抱えて、天井を見上げた。シャワーの湯が額や頬にあたり、唇に流れ落ちる。目を瞑って、しばらく浴び続けた。疲れた……
「――ロミオ!」
いきなりシャワーブースのドアが勢いよく開いた。ロミオはびっくりして振り返る。腰だけタオルを巻いた隼人が息を切らして立っていた。
「すまなかった!」
どうやら、電話は終わったようである。その焦った様子から察するに、寝室にロミオがいないことに気がついて、慌てふためいて探し回ったようだ。
ロミオは濡れた唇をへの字にさせた。頬は子供のように膨らんでいる。
「……ようやく、オレのことを思い出したようだな」
隼人の謝罪とロミオの拗ねた態度は、毎度のお約束コースだ。
ちえっと、ロミオは自分に呆れた。たとえどんなに怒っていても、ハヤトの顔を見れば、こんなにも心と体が焦らされる――
「あ、あのな、ロミオ……」
どう言い訳するべきかと悩む隼人のタオルを掴んで捨てると、無理やりブースへ引っ張り込んだ。
「シャワーでも浴びて、すっきりしよう」
ブース内は二人入れば身と身を寄せあうほどに狭い。だがロミオは、躊躇うことなく隼人の胸の中に飛び込んだ。
「……ロミオ」
隼人はシャワーの湯を浴びながら、自分の胸に顔を埋める恋人を、どうしたらよいのかわからないというようにおろおろする。
「……キスが欲しい」
ロミオは隼人にだけ聞こえるように呟いた。
言葉よりも、抱きしめて欲しい……
隼人は下を向いて、ロミオを覗き込んだ。だが表情は見えない。
途方に暮れていた腕が、気遣うようにゆっくりと、ロミオの濡れた躰を抱きしめた。その力は徐々に、強くなってゆく。
やがて、二人はキスをした。
それからしばらくもしない内に、シャワーブースの中からは、湯煙に混じって、愉しそうに愛しあう声が聞こえてきた。
それは、とても幸せそうだった。
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