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39. 契約達成まではもうすぐだから・・・

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 それから更に月日は経ち、フィリスは大きくなったお腹を見た。

 外はもう”雪”が降りそうなほど寒い。
 他の国では降る事のないと言われる”雪”は真っ白で純白。神からの聖なる贈り物と言われているがあまり高頻度で見かけるものではない。

「早いわね······もうまたこんな時期が来て、今年は“雪”が降るかしら?」
「奥様、朝はやはり冷え込みますし、早く室内に入りましょう。これ以上はノア様に怒られてしまいます」

 ボインメイドライラが優しく微笑んで手を差し出した。フィリスはその手を掴みゆっくりと歩きながら部屋に入る。
 もう普通になってしまったこの部屋も、妊娠が発覚した当時は全く使わなかった夫婦の寝室だ。

 ギプロスから帰ってすぐにフィリスが倒れ、その後からノアが常にフィリスを傍において離さなくなった。そして今でもこの寝室を二人で使っているのだ。
 所謂、軟禁というべきか······。

 苦笑いを浮かべたフィリスに気付いたライラは温かい紅茶をテーブルに置きながら、頭に疑問符を浮かべた。

「奥様、どうかしましたか?」
「いえ······、私がこの公爵家に来た時から本当に色々と変わってしまったわ······と思っただけ」

 この”軟禁”は、ノア曰くフィリスの体調管理をするため、という事だった。
 なのに、安定期に入って以降、ここ2ヵ月は王家御用達の妊娠中でも使用できる香油を使ってフィリスの身体のケアをしたりとノアはメイドのするような事も自ら行い始めている。

「跡継ぎの母体を気遣うのがそんなに重要なのかしら?まあ、此処に跡継ぎがいるのだし、もうすぐ手に入るのだから大切にしてくれるのでしょうね」
「······」

 お腹を撫でながらそう言って自嘲気味に笑うフィリスを見て、ライラはその鈍感さにほんの僅かノアの苦労を垣間見た気がした。

 とはいえ、ノアも未だ気持ちを直接ハッキリとは伝えてないようだし······どっちもどっちなのかもしれない、と二人の進展のなさに心の中で溜息をつく。

「でも、本当に······()もうすぐね」
「ええ、本当ですね。公爵家一同、楽しみにしておりますよ」

 ライラはフィリスの真に意図する言葉の意味は分からないまま頷いた。
 だってこの時のフィリスは本当に、出産が間近で公爵家の誰もがその誕生を心待ちにしていたのだから。



 朝食後、ボルマン医師の診察を受けながら、隣に座っていたノアが神妙な面持ちで口を開く。

「子は元気か?いつ出てくる?話しかけた方がいいか?」
「え?ええ······勿論元気でございます。ほら、また皮膚が盛り上がっていますね······これは位置的に······脚でしょう」
「うっ······確かに痛いわね······蹴られているわ」

「なんだって······?母上のお腹を蹴るなんて······いけない子だな」

 と、なんとまあ甘ったるい声に加えて、ふふ、と笑みを浮かべながらその突き出した皮膚を撫でるノアを見て、フィリスは顔を引き攣らせた。

「う"ぇぇえ、」
「ど、どうした!フィリス!ボルマン、これはまたツワリというヤツか?!」

 嘔吐ならもう慣れている!俺がフィリスの世話を!とメイドよりも早く行動を取ろうとしたノアにボルマン医師は慌てて口を開いた。

「いえ、悪阻は終わっている筈です。もしかしたら、胎児に胃が圧迫されてしまったのかもしれませんね」
「そ、そうなのか?!」
「······ハイ。ソウミタイデス······」

 フィリスは苦笑いを浮かべた。
 貴方のそのあまりの変貌が、少し、ほんのちょっとだけ、キモチワルクテとは流石に言えず······。

 本当に、妊娠が発覚した時とは全くの別人だ。
 笑顔すらない堅物で、笑えないのではとまで社交界で囁かれていた彼が、目の前で目尻を垂らして蕩けるような笑みを浮かべている。それにフィリスへの態度も、お腹に向かって話しかける話し方も、もう全てが変わりすぎて、最初の彼を思い出せない位には。

 そしてそれを徐々に受け入れ······今ではそれが普通になった。この彼に慣れてしまって、このまま、ノアと二人本当に仲の良い夫婦のように生活できるのではと思うくらいまでになってしまった······───

 ───······なんて。

 フィリスはその考えを振り払うように頭を横に振る。
 フィリスから少し漏れて出た溜息を聞き、ノアは彼女の頭を優しく撫でた。

「フィリス、疲れているのかもしれないな。今日はゆっくり過ごすと良い。だが、ボルマン医師の言った通り毎日の運動は必要だ······。ライラ、散策に付き合ってやってくれるか」
「はい、勿論でございます」

「だ、旦那様。本格的に寒くなる前に、本日は城下町におりて、お買い物をしたいのですが······」
「買い物?そんなものは行商に来させれば良いだろう」
「いえ、自分で行きたいのです······。気晴らしと······運動も兼ねて、」

 『お願い!』と上目遣いで見つめられたノアは、少し考え込んだ後ライラに向き直った。

「ライラ、頼めるか?俺は今日は付き添えないから······転んだりしないように十分に注意を払って欲しい」

「はい。勿論でございます。ただ、ノア様。今後の事も考慮するのであれば、奥様には専属の護衛も雇った方がいいのではないですか?私だけでは対処できないこともあるかもしれません」

「ああ、それはいい考えだ。今後俺が四六時中フィリスに付き添うわけにはいかないし······それに子供にも護衛を付けた方がいいか······?うん、早速人選を始めておこう」

「それと、も新しく雇った方がいいかと」
「ああ、そうか······そうだな。ライラ、母君のようになりたいという夢、お前は本当に昔から変わらないな」

 ノアとライラが話をして今後の計画を進ませる中、フィリスはその日、漸く叶った城下町への買い物に浮かれていた。

『この公爵家を出る時に必要な最低限の物は、今日購入しなくてはならないわね』

 もう出産は間近なのだ。離縁後、公爵家を出る、その来たる日の為の準備を始めなくてはいけないから······。
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