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33. どうして・・・分かってくれないの!?
しおりを挟む翌朝、フィリスは宿の手続きを済ませている夫、ノアルファスを見た。
彼はギプロスで最も高級といわれるこの宿を出て、フィリスの滞在しているエレインの家に一緒に来るのだという。
「はぁ······エレイン様の家から王城まではそこそこ遠いのだから、ここに一人で滞在していてくれないかしら······?」
「麗しきご令嬢、一人でしょうか?誰か待っているとか······?おや?」
「······な、なにか用でしょうか?」
突然隣に腰掛けて、顔を覗き込んできた男を見て、フィリスは首を傾げる。
「なんと!そんな表情をされているなんて······殿方に振られでもしたのですか?ですが、こんなに美しいご令嬢を一人にするなんて······困った相手もいるものですね」
「え?いえ······その······振られたわけでは」
なんとも直接的な言い方にフィリスは目を丸くする。
一応結婚はしているわけだし、夫がいますと言った方がいいかしら?とフィリスが考えた時、その男がグイッと距離を詰めてきて、フィリスは身体をのけ反らせた。
「そんなに辛そうな顔をしているのに?!私でよければ御慰めしますよ?今からまずはお茶でも「お前、私の妻に何をしている?」
刹那、後ろから低く威圧する様な声が聞こえて、男は咄嗟に顔をあげた。
「おお、これはこれは。やはりお相手がいらっしゃったのか!てっきり失恋されて一人哀しみに暮れているのかと思い······。余計なお世話だったようですね。では、失礼致します」
「は?フィリスが失恋など、するわけがないだろう。分かったらさっさと行け」
男が逃げるように去っていき、フィリスは溜息交じりに椅子から立ち上がった。
「はぁ······」
「大丈夫か?何もされてはいないな?体調に変化は?」
「はい、大丈夫です······から」
「まったく、一瞬の隙もあったものではないな······目も離せない」
ノアは周りを見渡して、牽制するように男たちを睨みつけながら見渡す。
だが、そんな牽制などフィリスに気付く筈もなく、彼女はそそくさと宿の扉に向かって歩きだした。
年若いご令嬢を少し年齢の高いノアが慌てて追いかけていくという、”少女と忠犬”という構図に、周りの男達は苦笑いを漏らした。
◆
フィリスは、宿の前で待っていたエレインの魔法のかかった特別な馬車に乗り込み、瞳を閉じる。
今日は本当に話をしたい気分ではないからだ。
「フィリス······」
目の前で話をする機会を窺っているらしいノアをフィリスは完全無視する。
だって、話す事がない。彼が女性に人気があることは知っているし、それで不特定多数の女性と交流を持とうがフィリスがどうこう言える立場ではない。
自分は契約結婚で、跡継ぎを産む為だけにいるのだから。
それに、もうこれ以上、彼の優しい言葉を聞いて、勘違いをしたくない······。
そんな事を昨夜からずっと考えて、何も答えが出ないまま悶々として。
最悪の無限ループに陥っている。
「まだ怒って······いるのか······」
怒っているわけじゃない······。
ただ、悲しい気分になるだけ。
心の中が空っぽになって、凄く、凄く苦しい。
「本当にすまない······」
謝って欲しいわけじゃないのに······。
むしろここで謝られると、昨日の事も、ボインメイドの事だって、全てを肯定されているようでもっと心が締め付けられるように感じるのに······!
どうして······どうして、分かってくれないの?
「······」
何か言って欲しいわけではないし、無視をしているのも自分。
だけど、彼が黙るともっと嫌。
こんな面倒くさい女、見限られても何も言えないわね。
本当、ばかみたいっ······!
◆
結局、ノアは俯いてしまったフィリスの空気を察し、その後何も喋らなかった。
エレインの家に着けば、昨夜戻らなかった事を心配していたエレインとウィリアムが二人を出迎える。
「ノア!良かった。無事だったんだね心配したよ。フィリスちゃんに何かあったかと!それに、あのアメリア嬢、捕えられていたのに逃げ出して······って大丈夫?!顔真っ青だけど······」
馬車から最初に降りてきたノアを見て、駆け寄ったウィリアムは彼の顔を覗き込んで驚きに言葉を飲み込んだ。
エレインもすぐにノアのエスコートで馬車を降りたフィリスに駆け寄る。
「フィリスちゃん!とても心配したのよ!何かあったのかと······」
そして、エレインとウィリアムはその只ならぬ雰囲気に顔を見合わせた。
『何かあったかな?』
『ええ、何かあったみたいね······ウィル、フィリスちゃんの話を聞いてあげられる?私はノア君と話をするわ』
『うん、りょうかい!』
エレインと目で会話をした後に、ウィリアムはどんよりとした空気のフィリスを見て口を開く。
「そうだ、フィリスちゃん、美味しい果物を知り合いから貰ったんだ。離れに置いてきてしまったから一緒に取りに行ってくれるかい?」
ウィリアムのその言葉は、今のフィリスにとっては救いだった。
だからすぐに大きく頷く。そしてウィルの後を付いて離れへと向かった。
美しい湖が見えて、ホッと胸を撫でおろすと、ウィルが果物と飲み物を持って隣に腰掛ける。
「フィリスちゃん、ギプロスの王都はどうだった?こんな田舎とは全然違っただろう?」
「ええと······はい。とても美しい所でした。でも、私はこういう湖畔や自然の多い所の方が落ち着くのかもしれません······元々侯爵家の令嬢とはいっても、田舎の領地で育ったので······」
「そっか。僕もこういう所が落ち着くな~。凄く、開放的で癒されるからさ」
「でも、やっぱり私は田舎ものなんでしょうね。だから、貴族なんかに産まれなければ良かったのにって、思うのです······。貴族でなければ、自分で自由になんでも決められるでしょう?
見下されたり、比較されたり、嫌な思いだってしないかも······」
「うーん、確かに自由度はあがるかもしれないけどね~。でも、貴族であろうと、平民だろうと人間、心は同じだろう?そういう嫌な思いはする事はどこでもあると思うよ?」
ウィルはちらりとフィリスの顔を見た。
彼女の瞳から一粒の涙が零れ落ちて、落ちていくのを見てから、ウィリアムはかける言葉を探した。その間にフィリスは小さな声で言葉を紡ぐ。
「自由に······自由に恋愛をしてみたいと思うのです。契約なんて制限されたものじゃなくて、政略なんて決められたものではなくて······自分達でお互いを見知って、恋に落ちてみたいの」
「恋愛は······そうだね。貴族だと家の道具になる事が多いのかもしれないね?だけど、平民だからって自分で色々な所に行って相手に知り合えるほど裕福とは限らないよ?」
「まあ、そうなのですけれど······」
そしてウィリアムは核心に触れた。
「ノア君と何かあったのかい?」
ぴくりと肩を揺らしたフィリスが、ぽつりぽつりと話し始めたのは、昨日の夜の事、そして今まで公爵家で感じた事······。全ての、ノアに対する不信感と切ない想いだった。
彼女自身まだ気付いてはないであろうその”想い”には触れずに、ウィリアムは口を開く。
そう、メイドとやらの事はウィリアムには分からないが、伯爵令嬢とノアの関係性の誤解は解いておかなくてはいけないから。
「フィリスちゃん、一つ僕から言わなくてはいけない事があった。ノア君は本当に、その伯爵とご令嬢に薬を盛られたんだ。それは嘘じゃないよ。
だって、僕は全て見ていたし、意識を失った彼を助けてここに連れてきたのも僕だからね」
フィリスはその言葉に顔を上げ、目を見開くとウィリアムを穴の開くほど見つめる。
口をぽかんと開き、彼女は一言言葉を零した。
「······へ?」
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