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19. 兄上、その気持ちは?
しおりを挟むレオンはダイニングに消えていった兄ノアルフィスを追った。
中に入れば、ノアが怒りを駄々漏れにして座っていて、レオンは彼の目の前に腰掛ける。
あまりに重々しい雰囲気は、ダイニングを闇の中に葬りさるような気さえして。
使用人達は、晩餐をテーブルに並べ終えるとそそくさとその地獄のような空間から逃げ出した。
「レオン」
目の前から地を這うような声が聞こえて、レオンはこの晩餐が長くなることを覚悟する。
「はい」
「ハイ、じゃないだろうッ!何を企んでいる!」
バンッとノアがひと思いに机を叩けば、食器が跳ねガシャンッと音を立てた。
それにも動じる事なく、怒りを露わにする兄をレオンはちらりと盗み見る。
いつも冷静沈着な兄がこんなに怒るなんて、珍しい事もあるものだ······そう思いながら、レオンは何食わぬ顔で目の前の前菜に手を付け始めた。
「今日はコースではないのですね?メインも一気に出してくるとは······皆兄上の事が怖くてここに出入りしたくないのではないですか?」
「······お前。これは俺が指示したからだ!誰にもこの話を聞かせたくなかった。ただそれだけだ。それでお前、何を企んでいる」
「企む?企んでなどいませんよ。なんの話ですか?」
「分かっているのだろう?フィリスをどこにやった」
「フィリス?義姉上がいなくなってしまったのですか?とうとう愛想をつかされて家出されてしまった、といった所でしょうか?」
レオンの涼しい顔に苛立ったノアは、ガタンッと音が立てながら机の下で乱雑に脚を組むと、大きな舌打ちをした。
その乱暴な態度にレオンは首を傾げる。
そんなにフィリスに出て行かれた事が嫌なのだろうか?契約結婚とはいえ、公爵家の体裁に関わるから?それとも、フィリスのお腹の中にいる自分の跡継ぎがいなくなることを危惧しているのか?
「兄上、兄上らしくないではないですか。公爵家の人間たるもの、音は最小限に!ではなかったですか?それに、義姉上とは契約結婚で、彼女には全く興味がなかった筈では?彼女が貴方の元から逃げ出した事すらも気に食わないので?」
冷ややかな表情でそう言ったレオンに、ノアは声を荒げる。
「気に食わないとかそういう事ではないだろう!フィリスは俺の子を身籠っている。その身重な彼女が一人でいなくなったら心配するに決まっているだろう!俺は、彼女の夫なのだぞ?!」
鋭い目つきで睨みつけられたレオンは、······───笑った。
「っ、はははっ!兄上は面白いなあ。本当に、流石はこの国の外交関係をやられているだけあって冗談がお上手だ。僕の子供なのではと疑っていたのに、今や ”俺の子” ですか?それに兄上から”身重”やましては”夫”なんて言葉がでてくるなんて······驚きましたね」
「······オマエ、馬鹿にしているのか?」
「いえ、本当に素晴らしい冗談だと思っただけです。でも、有能な兄上ならもう彼女が何処にいるか、いや誰といるかは知っているのでしょう?そんなに心配する必要があるとは思えませんが?」
「それは······だが、彼女にはこの邸にいてもらわねば困る。一応は公爵夫人なのだからな」
レオンの疑問に一瞬目を泳がせたノアを見て、レオンは一瞬目を見張る。
ノアの中で何か心情の変化があったのではと思ったからだ。
今まで、女性に······いや、他人にここまで固執する兄など見たことがない。
これはもしかすると······公爵家の体裁とか、お腹の子の問題ではなく······フィリスの事が好きになっている可能性もあり得るのか······?
だから、レオンはそれを明らかにするため、強硬手段に出る事にした。
「へえ、臨時の公爵夫人で、それも、教育がなっていないから来客でも外に出すなと行動を制限しているのに、ですか?」
その言葉を聞いて、傷口を抉られるような感覚に、ノアは顔を歪める。
「それは······それに関しては······。というかそこまでオマエに言われる筋合いはないぞ。これは夫婦の問題だ。オマエには関係ない!」
······───此処だ。
ノアの、開き直るようなその言葉に、主菜を平らげたレオンは食器を置いた。
カシャン、と食器のぶつかるかすかな音がして、ノアはレオンを見る。
レオンは作法も所作も完璧だ。そのレオンが微かでも音を立てた。ということは何か不満があるに違いない。そう思って。
「その話ですが。関係がないわけではありません」
「なに?」
「兄上、何故そんなに怒っているのです?あなたの子を身籠った義姉上が家出したから、ですよね?」
「そう先ほどから話しているだろう······」
「要するに、貴方は貴方の跡継ぎを心配している、のですよね?」
「なんの話をしている?どちらでも同じ事だろう」
「いえ、全然違いますよ?貴方は義姉上がいなくなった事ではなく、そのお腹にいる貴方の子供が心配なのでは?」
「それは······」
「要するに、義姉上が貴方の跡継ぎを産めば、もう彼女が家出しようが、誰かに攫われようが、どうでもいいという事ですよね?」
そう、此処を明確にしないと、兄はいつまで経っても先に進めないだろうから······。
僕が言わなくては、兄はずっと逃げ続けるだろう。答えを探そうとすらせずに。
兄がフィリスを跡継ぎを産む為だけの道具の用に扱うのなら、どうにかして彼女を奪おうと思っていた。
それは今も変わらない。彼女を幸せにしたいと······心からそう思う。
でも、兄の心の中で以前から芽生えていて、漸く気づき始めている感情。恐らく、それはフィリスに対する恋心だ。
だから、レオンは真剣な瞳でノアをまっすぐ見つめる。
多少強引な方法で、兄を嫉妬させたとしても······怒らせたとしても······絶対にここで気づかせなければ。
レオンは決意と共に、机の下で拳を強く握りしめた。
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