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10. イロコイは苦手だ?・・・でしょうね!

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 ノアルファスは自室のドアを開けて乱雑に閉める。
 部屋の中に入ると、机のものを全て力任せに床に落とした。

「くそっ!くそ、くそ!!なんでだ!なんでッ」

 机を叩けば、ミシィと音を立てて木目に沿って亀裂が入る。

 ノアの脳裏には涙を流すフィリスの顔が焼き付いていた。
 なんで······。なんで、俺がこんなに苦しい思いをしなければいけない!
 ただ、俺の子供を身籠っただけの女性じゃないか。
 それに、あの最後の態度も、俺を試すような言い方で気に食わない。

 ノアは髪をガシガシと乱雑にかきむしる。

「それにしても、あの女がまさか花言葉なんかに精通しているとは!」

 ノアは先ほど、レオンとの不貞がないかを確認した時の事を思い出した。
 フィリスが顔を俯けたまま呟いた言葉。

「それは······貴方が不貞を働いている事は、問題にはならないのですね?」
「俺には心あたりがない」

 そう返したノアの返答に、彼女はゆっくりと顔を上げた。
 それはいつものフィリスの笑顔だった。お転婆で優しく、おおらかで、温かみのある笑顔。だが、揺るがない芯があり、強さも感じられる。
 そして、彼女はこう言い放ったのだ。


「そうですか。緋色の薔薇は”灼熱の恋”、紫のライラックは”初恋”でしたわね。
 そんなあからさまな二つの花を朝から熱心に摘まれていたのでしょう?それで、お相手にお渡しになっていたではないですか。私はお二人の恋路の邪魔をする気は毛頭ありませんのよ。むしろ、早く結婚でもして私の契約完了後には仲睦まじく暮らせるように心から願っておりますわ」


 その表情と裏腹に棘のある彼女の言葉に血が上った。だから、咄嗟に言葉が零れてしまったのだ。
 そう、また、後先考えずに辛辣な言葉を······。


「俺はそんな相手などいない!憶測で物事を言うのはやめてくれ、要らぬ噂が立つ事は避けたい。それに、変な妄想をされては困る」

 
 よくよく考えてみれば最悪だ。自分だって””でレオンとの不貞がなんの、と言っていたわけなのに。
 自分の事は棚にあげ、また彼女を責めて、怒らせてしまったなんて······。

「やっぱり俺にイロコイは無理だ」

 後々ゆっくり考察すれば分かることなのに。それに、傷つけたいわけではないのに、彼女を見ると、感情の制御が上手くできないのだから困ったものだ。
 外交の仕事で交渉に行くときは失敗すらしたことがないのに、何故だろう······。
 
 これでは国王から直々に頂戴した休暇もなんの成果もないまま終わってしまう。
 ならば、もういっそ休暇は返上しよう。
 こうして、ノアは幼馴染の国王アレクサンダーに手紙を出した。





 ロザリア王国王城、国王の私室、ソファに座るノアルファスの前。

『ふふっ、アレクったら口元についていますよ?』
『ん?ではマリアンヌが舐めとってくれればいいのだよ?』
『あらやだ、もう!アレクったら!うふふ!』

 と、まあイチャイチャイチャイチャと飽きもせず、お菓子を食べさせ合っているのが、この国の国王と王妃である。

 国王であるアレクはノアの幼馴染として、彼の育った環境についても大体は見知っていた。
 彼は公爵家当主でありながら全く妻を娶る気のないノアルファスの状況を心底心配していたのだ。
 
 でもアレクには正妻であり最愛の王妃マリアンヌがいる。
 彼女にも相談をして、結果、側室候補として何人かの女性を選び、その中からノアルファスに妻を選ばせる事にした。要するに、アレクとマリアンヌによるノアルファスお見合い大作戦だったのだ。

「さて、ノア、久しぶりだね。妊娠中の新妻との関係構築はうまくいっているかな?」
「あら、そうだったわね。公爵、貴方やっと結婚ができたそうじゃない!でも結婚式も行っていないのよね?······そういう事だったのね?」

 嬉しそうに微笑んだマリアンヌに、ノアルファスは心底嫌そうな顔をする。

「······王妃陛下、なにか勘違いなさっているようですが。そういう事ではありません」
「え?」
「マリアンヌ、ノアはそんな事が出来る男じゃないんだよ~。で、どうなんだい?」

「国王陛下」
「アレクでいいよ、今更。気持ちが悪いな」
「アレク······、俺は多分、彼女に嫌われているんだ」

 ノアは事の顛末を彼らに話した。段々と二人の表情が強張っていき、ノアは顔を俯ける。

「ノア······まずいよ。自分が何をしてるか自覚はあるんだよね?」
「というより、貴方、嫉妬されているのでしょう?それはお伝えしたのです?」

 マリアンヌの言葉に、ノアは彼女をまっすぐ見て首を傾げた。

「嫉妬?何故、私が?」
「は?」「はい?」

 彼の至って真剣な表情を見て、国王アレクサンダー王妃マリアンヌがどちらも口をあんぐりと開けたまま固まる。
 この鈍感男、どうやら自分の気持ちに全く気が付いていないらしい!
 アレクはあまりの悲惨な現状に頭を抱えた。

「御二方勘違いしないで下さい。我々は契約結婚なのです、元々夫と妻という関係になる未来など想定はしておりません」

「ちょっと待って······頭痛いな。それなら、なんでそんなに弟と彼女の関係に固執するんだい?」
「それは······私の子ではなかったら······」

「公爵、それは本当に失礼な話ですよ。それは妻を全く信頼していないと公言しているようなものですし、それこそ貴方の憶測にすぎないのでは?
 それに、そんなに契約結婚で跡継ぎのためというのであれば、最悪貴方の憶測通りだったとしても良いのではなくて?弟君と夫人の子だったとして、公爵家の血は通っているのですし、養子にすれば良いのではないかしら?」

「なっ······」

「マ、マリアンヌ······、それは彼には辛いと思うよ?だって彼、多分······初恋なんだよ······」
「そんなの知りませんことよ!恋心もわからず相手を傷つけるなど、子供ではあるまいし。この国の男性の教育に問題がありそうですわね?」
「マリアンヌ~!」

 目の前で話を進めていく二人に、置いてけぼりになったノアは慌てて口を開いた。

「っ、ちょっと待って下さい!彼女は特に、淑女教育が為されていたようには見えない。礼儀もなっていない様子です。男の心配より、女性の教育の方を······」

 ギロリと王妃の視線がノアを射抜き、彼は硬直する。

「公爵、奥様の体調が落ち着いたら是非晩餐を皆でとりましょう」
「······ですが、彼女は嘔吐を繰り返しており、淑女の風上にもおけない状態でして······」

「バルモント公!!」
 
 マリアンヌがバチンと扇を閉じたのを見て、何故か隣にいたアレクの肩がびくりと跳ねる。
 そして彼は彼女の怒りを鎮めるように、彼女の膝にそっと手を置くとノアを見た。

「ノア、それは悪阻だからだろう?仕方のないことだよ?お腹の中で、全く別の人間を育ててくれているんだ。僕たちは感謝しなければいけないよ?」

「別の、人間を······?」

「マリアンヌだって、今まで4度妊娠しているけどね。彼女は四六時中ずっと食べていてね······」
「······そんな事も、あるのですか?」
「悪阻には幾つも種類があるからね。一概には言えないんだよ?だから、マリアンヌは体調不良という事で人前には出ていなかったのさ」
「なるほど······」

 ノアは非の打ちどころのない国母として知られる王妃マリアンヌを見た。彼女こそ淑女の鏡。
 こんな気品の満ち溢れた女性が、四六時中、堕食を貪っていたなど全く想像すらつかない。

「僕はね、君も知っている通り昔は騎士団にもいたから、身体も鍛えている方だけれど。でも、この身に子を宿し、育てて、産むというのはとても大変な事だと思うよ?それもかなり長い間お腹にいるんだ。すごく体にも負担がかかると思う」
「······」
「ノア、君は少しそういう事を学んだほうがいい。それが、君と、弟レオンとの違いなんじゃないかな?」

 ノアはその日、アレクから当分国の訪問による外交の禁止を言い渡され、緊急で必要であれば、国に招待するようにと告げられた。


「夫人が心配ですわ······。思い悩んで家出などに発展しないといいですが······」


 彼の降城後、マリアンヌがアレクサンダーに零したその心配事が本当に起こるとは······。
 まだこの時は、誰も想像していなかったのだ。
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