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9. それは不貞だろう!?いや、貴方でしょ!

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「ライラ、すまない。直ぐにフィリスの所に行ってくる」

 バルコニーでの光景を見たノアは、直ぐに駆け出した。

 まず、先に伝えるべき重要なことがある。
 この国の女性は、素足を男性に醸さない。

 家にいようと皆しっかりと、室内履きや外出用の靴を着用しているのはその理由だ。
 成人後に異性でそれを見ることがあるとすれば、夫くらいだろうか。
 だから、フィリスのバルコニーに裸足というのは、それくらいには恥ずべき行為なのだ。

 その恥ずべき行為を、夫である自分以外の男に醸すなど。それが弟であったとしても、許されることではない。

 ノアは内から湧き上がる怒りを必死で制御していた。



 フィリスの部屋の扉は閉まっていた。

「チッ、夫以外の男性と密室など、許される事ではないぞ」

 ノアは無断でその閉ざされた扉を押し開ける。
 当たり前だ。彼女が弟のレオンといることは外から確認済み。であれば、夫である自分が入っていけない理由がないのだから!

 怒りに任せてズカズカと歩を進めるノアルファス。
 高身長で体格も良い彼が、スラックスのポケットに手を突っ込み少し不機嫌に歩いて来る様子はかなり威圧的だ。

 彼は部屋に入るや否や目に飛び込んできた、今日も開放された窓を見て溜息をつく。
 真っ白なレースカーテンが風に揺られて靡き、次の瞬間強い風と共にたなびいた。
 その瞬間、レースの合間からバルコニーの柵に手をかけて空を見上げる二人の姿が目に入る。

 ズキン、と刺されたような痛みが胸に走り、ノアは、バルコニーへ脚をふみだすとそれを消し飛ばすよう声を出した。


「朝っぱらから二人で密会とは。本当に良いご身分なものだな?」


 いつもよりも低い、地を這うような声に二人が同時に振り向く。
 『っ、やば』という表情のレオンと対照的に、フィリスの顔に特段表情の変化は見られなかった。

「兄上、これは······!」
「なんだ?逢瀬中に見つかって焦って言う言葉も見つからないと?」

 ノアルファスは自分で分かっていた以上に怒っていたらしい事に気付いた。
 二人を、特にフィリスを目の前にしたら、込み上がる怒りが抑えられなくなり、堰き止められていた感情が言葉となって溢れ出した。

「そんな夜着姿、それも裸足を夫以外の他の男に醸すなど!貴女は淑女として、公爵の妻として、恥ずかしくはないのか!」

 思った以上に大きな声が出て、レオンはぴくりと肩を震わせる。
 そんな時、フィリスがクスクスと笑った。

「ふふっ、あはははっ」
「オイ、馬鹿にしているのか?何も面白い話はしていない!」
「······ふふ、面白いですわ?」

 突如、フィリスの冷ややかな視線に射抜かれたノアは身を固くする。
 
 何故、そんな攻撃的な目を······?

 そんな疑問を考える暇すら与えないように、フィリスはその美しい唇を動かすと言葉を紡いだ。

「ノアルファス様。僭越ながら。私は貴方様の仮の妻の身。私が契約時に言われた事は、貴方の跡継ぎを身籠り、産む事と、貴方の干渉をしないこと。でしたよね?なのにどうして、貴方にそこまでの事を言われなくてはならないのでしょうか?」

 フィリスの赤い瞳にまっすぐに見つめられて、ノアは息をのむ。
 確かに、初夜の時はそれだけしか言わなかったが······。だが、彼女はこんなにもこの結婚に気がなかったのか······そう思えばノアの心が締め付けられた。

「公爵様の仰っている件ですが。まず、私は部屋の外、公の場でこのような恰好をしているわけではありません。それとも、自室でも服装を完璧に着なくてはいけない、と言う決まりが公爵家にはあるのですか? そして、レオン様が急に部屋に来られたのは、先日のどなたかと同様に私の命を心配しての事、のようです。これも、公爵家ではよくあることなのでしょうか?」

「······」

 無言のノアにレオンの焦ったような声が響く。
 だが、その言葉は直ぐにノアの声に遮られた。

「兄様、僕は本当に、フィリスの身の心配をしただけで······「でていけ」

 ノアはレオンをギロリと睨みつける。

「レオン、何度も言わせるな!人の妻の寝室に入り、密室で面会するなど!それに人の妻の名前を気安く呼ぶな」
「っ······、申し訳ございませんでした。義姉様ねえさまも、僕の浅はかな考えの所為で迷惑かけて······ごめんなさい」

「いいのよ、貴方のせいではないわ。でも、貴方ももう年頃の男性なのだから、婚約者でもない女性の部屋に断りなく入るのはやめた方がいいわ?」

 ノアの怒りの声が響き、フィリスにも注意を促されたレオンは二人にお辞儀をすると部屋を退出した。彼の退出を確認したノアは、再びフィリスに向き直る。

「さて。貴女は契約にはなかったと言っていたが、契約結婚でも俺の妻になったからにはそれ相応の対応をしてもらわなくては困る。そんなのは言わなくとも分かるだろう!」
「分かりませんわ」

 ピシャリと言い返され、ノアは顔を顰めた。
 公爵嫡男として生を受け、いつだって、自分に言い返してくる存在など父親を除いてはいない。
 自分の意見に反論するのか?と睨みつければ、また彼女の冷たい瞳に射抜かれた。

「口に、出さなければ伝わらない事もあるのですよ。ずっと高貴な身分であった貴方には分からないのでしょうね。分かりました。この部屋には誰も入れない。鍵でもしめた方がいいでしょうか?
 もし誰かを迎い入れる際は、ドレスに着替えてからお出迎えする。レオン様とは距離感を保ちます。他に何かございますか?あれば今仰って下さいませ」

「······本当に、レオンとは何もないんだろうな?」

 ノアの訝し気な表情に、フィリスは感情の籠らない視線を向ける。

「はい?当たりまえです。そんな、節操のない女だと思ってもらっては困ります」
「そんなの、どう信じられるというんだ!レオンと密室で会っているのを見るのは今日が初めてではないんだぞ?!新婚の公爵家で妻が不貞を働くなど、貴族の間で良い笑いものだ!」

 暫しの沈黙の後、フィリスが顔を俯けた事で、ノアは少し気持ちに余裕が出来た。
 これで、フィリスは状況を分かってレオンを遠ざけるだろう、そう思ったのだ。
 だが、続く彼女の言葉に驚愕する事になる。


「それは······貴方が不貞を働いている事は、問題にはならないのですね?」
「は?」


 ノアには心当たりが全くなかった。今まで、女性と真剣な交際をして続いた事がないノアルファスだ。外交という仕事の関係上、語学は堪能、成績も優秀。公爵家ということもあり身体も鍛えていたから、剣も扱える。見目も人よりは麗しく、婚姻話や交際を申し込まれる事もよくあった。
 だが、女関係には滅法疎い。だから、大抵は女性の方が嫌がるか、彼が面倒になって有耶無耶になってしまっていたのだ。

 だから、ノアの答えは一つだった。

「俺には心あたりがない」

 その日、ノアは初めてフィリスに明確な拒絶をされた。

「自分勝手になさるのも大概にしてください!
 私は”契約結婚”だと言われた時から、貴方との未来は全く考えておりません。ですが、こんなに自分勝手な貴方と、貴方の恋人の元に子供を残して去る事などできません!そんな無責任な事、どうして出来るというのですか!私も、子供を産む母親として、この件に関してはよく考えさせて頂きます!」

 そう言って、ノアをギロリと睨みつけた彼女の瞳は潤んでおり、すぐに大粒の涙が溢れて、零れ落ちる。
 それを見たノアは、あまりのショックに何も言い返すことができなかった。
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