4 / 50
4. 夫、それはダメだろう?!
しおりを挟む車で移動する間、和彦はひたすら困惑していた。隣でハンドルを握る里見は、ドライブを楽しんでいるかのように、気軽に話しかけてくる。しかし、降ろしてほしいと頼んでみると、首を振って拒むのだ。
恫喝してくるわけでもなく、それどころか声を荒らげることすらしない里見だが、和彦を帰したくないという確固たる意志は伝わってくる。
状況としては今まさに連れ去られているのだが、切迫感や危機感は乏しい。
里見の真意や、英俊との関係がどうしても気になるのだ。
話を聞いて、揺れる気持ちにケリがつくなら――と、どこか言い訳じみたことを、和彦は自分に言い聞かせる。
膝の上で握り締めていた手をゆっくりと開く。覚悟を決めるしかなかった。
「……結局、里見さんの思うとおりになってたんだよね。昔から」
和彦の非難がましい言葉を受け、里見は短く笑い声を洩らす。
「君には多少強引に出たほうがいいって、知ってるからね。自分からあれこれとワガママを言う子じゃなかったから」
「持って生まれた性分かな。ぼくの周囲は、そういう人……男ばかりだ」
ピリッと車内の空気が緊張する。和彦は、あえて里見の表情を確認しなかった。
車は、あるマンションの駐車場に入り、エンジンが切られる。戸惑う和彦に対して、里見は先に車を降りると、後部座席に置いた和彦の荷物を取り上げる。目が合うと頷かれ、車内に一人残るわけにもいかず、渋々和彦もあとに続く。
エントランスに入ると、里見は集合郵便受の前で立ち止まる。郵便物を取り出している間、和彦は所在なくガラス扉越しに外の通りを眺めていた。
「――静かだろ」
ふいに里見に話しかけられる。
「うん……」
「オフィス街にあるから、生活するには不便な場所なんだ。ただ、仕事に集中はできる」
「あっ、じゃあ、ここが仕事用に借りてる部屋?」
「出勤も楽だし、出張帰りとか、駅が近いから寝泊まりするにもいい場所なんだ。年相応に、家でも買おうかと考えたこともあるんだけど、独り身で、なんでもかんでも自分だけで処理していくことを考えたら、都合に合わせて部屋を行き来する生活のほうが、おれの性分には合ってるかなって」
別れてから再会するまでの里見の生活について、思いを馳せないわけではない。魅力的な外見と、仕事での有能さを持ち合わせた人物だ。出会いなどいくらでもあったはずだ。
巡り合わせとは怖いものだと、エレベーターで三階に上がりながら和彦は心の中で呟く。
足を踏み入れた里見の仕事部屋は、適度に物が多く、それでいてきちんと片付いていた。
「……昔の里見さんの部屋を思い出すなあ」
リビングダイニングで仕事をしているのか、テーブルの上には何冊もの本やファイルが積み重ねられ、空いたスペースはわずかだ。どこで食事をとっているのかと見回してみれば、どうやらキッチンカウンターで済ませているようだ。小さな食器棚には、わずかな食器類が収まっている。
その食器棚の上に置かれた、赤い花をつけたシクラメンの植木鉢を眺めていると、コートを脱いだ里見がキッチンに入る。
「そこら辺のクッションを適当に使っていいよ。ちょっと待って。今お茶を淹れるから」
「里見さん、ぼく、あまり長居は――」
できないというより、したくない。この部屋に連れてこられたことで和彦には、抗えない力に巻き取られてしまいそうな予感があった。里見と長く一緒にいることで、その力はどんどん強くなっていく。聞きたいことだけを聞いて、早く帰りたい。
「大丈夫。送っていくから」
里見が背を向けたため、発しかけた言葉は口中で消える。仕方なく和彦もコートを脱いだが、素直に腰は下ろせない。
ふと、半分ほど引き戸が開いている隣の部屋が気になった。
「……里見さん、こっちの部屋、入っていい?」
「かまわないよ。おもしろいものはないけど」
壁際に置かれたベッドはあえて視界に入れないようにして、和彦が歩み寄ったのは、スチール製の本棚だった。専門書ばかりが並んでいるかと思いきや、意外にも写真集もスペースを取っている。一冊手に取って開いてみると、国内の自然風景を撮ったものだ。
お茶が入ったと呼びにきた里見は、和彦が写真集を開いているのを見て、微妙な表情を浮かべる。
「それは――」
里見の様子から、和彦は即座に理解した。
「ああ……、そうか。これは、兄さんが置いてる本なんだ」
他人の宝物に触れてしまったような罪悪感に、慌てて写真集を本棚に戻す。食器棚の上に置かれたシクラメンの植木鉢も、おそらく英俊が持ち込んだものだろう。
英俊の痕跡がしっかりと残るこの部屋に、自分を連れてきた里見の無神経さが腹立たしかった。
128
お気に入りに追加
3,630
あなたにおすすめの小説

夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

【完結】彼を幸せにする十の方法
玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。
フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。
婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。
しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。
婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。
婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~
瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)
ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。
3歳年下のティーノ様だ。
本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。
行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。
なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。
もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。
そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。
全7話の短編です 完結確約です。

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。
真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。
狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。
私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。
なんとか生きてる。
でも、この世界で、私は最低辺の弱者。

愛する旦那様が妻(わたし)の嫁ぎ先を探しています。でも、離縁なんてしてあげません。
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
【清い関係のまま結婚して十年……彼は私を別の男へと引き渡す】
幼い頃、大国の国王へ献上品として連れて来られリゼット。だが余りに幼く扱いに困った国王は末の弟のクロヴィスに下賜した。その為、王弟クロヴィスと結婚をする事になったリゼット。歳の差が9歳とあり、旦那のクロヴィスとは夫婦と言うよりは歳の離れた仲の良い兄妹の様に過ごして来た。
そんな中、結婚から10年が経ちリゼットが15歳という結婚適齢期に差し掛かると、クロヴィスはリゼットの嫁ぎ先を探し始めた。すると社交界は、その噂で持ちきりとなり必然的にリゼットの耳にも入る事となった。噂を聞いたリゼットはショックを受ける。
クロヴィスはリゼットの幸せの為だと話すが、リゼットは大好きなクロヴィスと離れたくなくて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる