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3. バルモント公爵家の美形兄弟

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 バルモント公爵家のダイニングは広い。

 ダイニングだけではない。まあ、豪邸なのだから仕方がないけれど、本当に広くて未だに迷子になる時がある。実家の侯爵家も広かったけれど、実家は少し財に余裕がなく、それをこの結婚で立て直している最中。
 だから、これは家同士利害の一致した契約結婚なのだ。

 けれど······とフィリスは目の前に無言で座る夫をじっと見つめた。

 ノアルファス・バルモント公爵。
 この国で王家に次ぐ、由緒正しき家の現当主だ。
 二十八歳とこの国で初婚にしては少し年増。仏頂面で笑顔などは見せないが、男性らしい凛々しい顔と少し彫りの深い顔立ちが印象的の、巷でいう、濃い味イケメン。すらっと高い身長に、普段は見えないけれど鍛えられた身体······が服を脱いだら凄いのをフィリスは知っている。

 フィリスはその筋肉の隆起した勇ましい身体を思い出し、恥ずかしくなって顔を俯けた。

「して、妻殿。子を授かったと聞いたが?」

 そしてこの低い声だ。
 フィリスは今年十八を迎えたばかりで、デビュタントの時、同じ年の令嬢たちはこの声にも黄色い声を上げていた。
 要するに、彼は女性から人気はあるのだ。あるのに、その冷たい態度が女性を寄せ付けない壁を作っている。

「······はい。そのようです」
「そうか。それは良かった。契約内容の達成まではまだあと九ヵ月ほどあるのか?あまり詳しくは分からないが······まあ、それまで頑張ってくれ」

 ノアルファス、フィリス、レオンハルトが着席するや、晩餐のテーブルに並べられていく豪華な食事。公爵家当主の帰邸と、フィリスの懐妊、という朗報で邸中が活気だっているのであろう事がよくわかる。

 広いテーブルがあっという間に埋め尽くされ、使用人が退出すれば、ダイニングはシーンと静まり返った。
 食器の音さえ細心の注意を払わなくてはいけない公爵家だ。
 ノアルファスが美しい所作で目の前に出されたフォアグラの脂にナイフを入れ始め、フィリスは自分の前に居座る、テカテカと光る脂の塊に目線を落とした。

 震える手を抑えながらナイフを握り、その肉塊にゆっくりと入刀。
 刹那、その脂っこいコッテリとした濃厚な匂いが鼻孔をかすめ、フィリスは盛大にえづいた。

「うう"え"ぇぇっ······、」

 公爵家の美形兄弟二人の視線がゆっくりと集まり、フィリスは口を抑えると立ち上がる。

「っ、う"、もうしわげぇ······っう、げぇ」


 いいえ!もう限界ですのよ!こんな脂ぎっとぎとの真っ茶色のソースがかかったフォアグラに、ふんだんに乗せられたトリュフから香るこの芳醇な茸の······強烈ッ!
 ええ、いつもであれば美味しく頂きますわ?け・れ・ど、今の状態の私にこんなラスボス級デッシュを相手にどうしろと言うのでしょうかッ?!
 食欲もなく、ただひたすら嘔吐を繰り返している私にこれは少しハードルが高くってよ?もう······無理ィ!


 フィリスはさっとカーテシーを軽くとり、小走りでダイニングを横切る。

「ああっ!義姉ねえさまッ!!そんなに走ったら危ないよ!!」

 レオンの叫び声を背後に聞きながら、無駄に広いダイニングを走り、扉を開けて盛大にリバース!
 ああ、本当に最悪だわ······侯爵家の御令嬢だったとは到底思えない失態ね······。
 廊下で力尽き蹲ったフィリスは、医師とメイド数人に抱えられて強制的に自室へと回収された。



『う“え”ぇぇええ、え”ええぇぇ、』

 ノアルファスは外で聞こえるその音に顔を顰める。

「あれで淑女教育を受けたとは思えんな」

 冷ややかに発せられたノアルファスの言葉を無視して、真向かいに座っていたレオンハルトが使用人たちに怒りを露わにした。

「オイ、執事を呼んで!公爵家の人間が、仕事も出来なくてどうするんだ?義姉様は妊娠しているんだ。あんな高いヒールのついた靴を履かせるなよ。それにこんなキツイ晩餐の匂いは嫌に決まっているだろう!きちんと彼女の意思を確認しろ!」

 公爵家の人間とは思えない口調になった弟に、ノアルファスは更に顔を引き攣らせる。
 いつもは優しくおっとりとした優しい少年なのだが······何事なんだ?と片眉を釣り上げた。

「······レオン、なぜお前がそこまで怒る」
「兄上、いえ······」

 レオンハルトのアイスブルーの瞳が動揺に揺らめき、ノアルファスから目を逸らす。

 鼠色の髪に美しいアイスブルーの瞳の彼は、異母兄弟。
 前公爵である父が外交中に恋をし、側室として連れ帰ってきたのが隣国ギプロスの第三王女だった。
 その二人の間に生まれたのがレオンハルトだ。生粋の姫を母に持つ彼は高潔で誇り高く、まるで王子様のような見た目の美男子。
 剣術などはさることながら、この国では珍しい魔法が使える事で、実力もある。騎士団に入ればすぐにトップになるに違いない優秀な人材なのだ。

「どうした、言えない事情でもあるのか」
「いえ。そういうことではありませんが······。兄上。兄上が義姉上あねうえと契約による政略結婚だったとしても······。子を身籠った女性に“契約満了まで頑張ってくれ”など、あんまりではないですか。貴方の御子を身籠っているわけですよね?」

 “俺が父親なら、もっと力になってあげられるのに······”
 レオンの小さな呟きは、続いて発せられたノアルファスの声で掻き消された。

「何故?女性は子を身籠るのが仕事だろう?」
「そういう考えは······どうかと思います。義姉上あねうえが不憫で」

 レオンは立ち上がると、悲痛な表情をしながらノアルファスを見る。

「申し訳ありません。本日はあまり気分が優れず、お先に失礼致します」

 彼が逃げるようにダイニングから出て行って、一人取り残されたノアルファスは重々しい溜息をついた。

 はあ······、どうしてこうなるのか。
 自分とレオンの決定的な違いは母にある。

 ノアルファスの母は政略結婚だった。
 そして、想像できる通り、父親は女遊びの多い、色男。

 生粋の姫である継母上ははうえにたっぷりの愛情を注がれて育てられた弟と違い、ノアルファスは生まれてすぐに乳母に預けられ、母との記憶が一切ないのだ。

 要するに、愛されるとか愛するとか、そういう気持ちがわからない。

 実際、ノアルファスだって前公爵である父のようになりたいわけではなかった。一生を共にし、愛し愛される関係を築ける相手を探し、結婚を先延ばしにした結果婚期を逃した。ただ、それだけ。

「ふっ、俺の母は直ぐに出て行ったというのに、そんな期待をするなど」

 ノアルファスは葡萄酒を一気に飲み干すと、ピンと張っていた背筋を崩した。

「レオンは何故あんなに必死なんだろうな······」

 同じ兄弟なのに心優しく、素直だ。
 少し悔しくて、拳を強く握りしめ、机にたたきつける。
 ドンッという鈍い音が、そのだだっ広いダイニングに響き渡った。
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