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44. 僕が”悪役令嬢”にしてあげる
しおりを挟むシェリルは連れ込まれた宿屋の寝台の上で目の前まで伸びてきた男の手を見つめた。
遡る事数刻前、ヴァレンティ―ナのメモに書かれた通りの店で、この冒険者の男性に会った。
そして、彼の宿屋に連れ込まれ、今は寝台の上。
”彼の言う通りにして、全てを委ねる”それがヴァレンティ―ナの指示だったから、シェリルは男から逃げない。
このままこの男に委ねて何が起こるのかは分からないけれど、初めての男女の睦み合いである証拠となる処女を失えば自分はヒューベルと結婚できなくなるらしいから。だから、ヴァレンティ―ナの為に、ここは絶対に拒否してはいけない。
そして、シェリルはギラギラとした眼差しを向けたその男に、メモに書いてあった一文を告げた。
少し顔を俯けて、瞳を揺らし、小さな声で。
「初めてなので、優しくしてくださいませ」······と。
その言葉を聞いた直後、男の鼻息が荒くなり、シェリルは身を固くする。
男の手がゆっくりと自分のドレスの胸元に伸び、肌に触れると思って瞳をぎゅっと閉じる。
だが、その手は触れられる事はなかった。
突如、部屋の扉が蹴り開けられ、それと同時に窓の方からも声が聞こえたのだ。
「ヤバッ、殿下早すぎィ!ちょっと腕もらうよお~」
それは一瞬だった。
シェリルの目の前が一瞬で赤く染まり、シェリルの思考が停止する。
「え?」
でもその赤をシェリルが被る事はなかった。
次に見えたのは一つに束ねられた緑の髪と、真っ赤に濡れながらも嬉しそうに微笑んだ男性の顔。
確か、彼は以前もエヴァン様と助けてくれた人······とシェリルの脳が漠然とそんな事を思い出した時、彼は何かを持ちながら、寝台を蹴って窓から外に飛んでいった。
「ひっ······、な······何······」
きっと、その”何か”は先程まで一緒にいた冒険者の男だったのだろう。だが、その男はまるで最初からこの部屋にいなかったかのように跡形もなく消えていてシェリルは混乱する頭を抑えた。
「私は······」
もうこの部屋には誰もいない。
シェリルは身体をゆっくりと起こし、寝台の真ん中に座った。しかし、直ぐに部屋の温度が急激に下がったように感じ、シェリルの身体が震え出す。
「これで満足かい?」
聞き慣れた声が部屋に響き、シェリルはゆっくりとその声のする方向を見た。
「ヒューさま······」
「何をしようとしているかは······分かっていてやっている、んだよね?」
「······」
「う~ん、もっと分かりやすく言おうか。あのまま、あの男と身体を重ね交わっていたとして、それでどうなるか分かっていてやっているの?」
ヒューベルの冷たい声が部屋に響き渡り、シェリルは震える身体に爪を突き立てる。
爪が皮膚に食い込み、白い肌から血が滲む、でも、そうでもしないと、痛みの上書きにならないから。彼の傷ついたような表情にも、心が締め付けられる······。
けれど、ここで言わなければ。
ヒューベルと婚約破棄をしたいと、一緒にいられないと、もう一度。
「わ、分かっていますっ。あの方に私の処女を奪って頂き、ヒューベル殿下とは······婚約破棄を、したいのですから!」
シェリルは彼の顔を見れなかった。
だってこれは本心、ではないから······。でも、自分にはこの世界でやらなくてはいけない役割があるし、言わなくてはいけない事があるのだ。
「そう······か。······婚約破棄を、ねえ」
「はい!私と婚約破棄を、してくださいっ、」
涙を堪えながらそう呟いたシェリルの元までゆっくりと近寄ってきたヒューベルは、寝台に座りこむシェリルの顔を覗き込む。
そして感情の籠らない顔でにっこりと微笑んだ。
その冷たい笑みすらもあまりにも妖艶で、シェリルは目を疑う。
美しい紫の瞳、すっと伸びた鼻······そしてその下の唇が動き、軽やかな歌でも口ずさむように言葉を紡いだ。
「うん、断る」
「え······?」
ヒューベルは立ち上がると、冷ややかな目で見下ろす。
「これも、あの女の指示かい?」
「······。わたくしは、友人の人生の為に······役割を与えられてこの世界にいるのです。私が、彼女の将来の夫になる筈のヒューベル様と結婚などできない······彼女は私の親友なのですからっ」
「友人?親友?友人、ましてや親友とは、相手に不幸を与える存在ではない。君と、言うならばリルのような関係が本当の友人だろう?親友とは君が困っていたら助け、力になってくれる唯一無二の存在だ。
彼女は君の親友ではないと断言しよう。寧ろ、友人である事すら疑問だ」
「······っ、ヴァレンティ―ナさんを、悪く言わないで······下さい。前世で何も無かった私に唯一、話かけてくれた友人なのですっ······」
シェリルはボロボロと零れ落ちる涙を止める事ができなかった。
確かに、リルとの関係が”友人””親友”というのであれば、今のヴァレンティ―ナとの関係は少し違うのかもしれない。
でも、前世では唯一無二の”友人”だった。
だから、彼女の為にはなんでもやってあげたいと思うのだ。
それが、前世の彼女への恩返しになるのであれば。
そんなシェリルにヒューベルは興味深そうに手を顎にあてると首を傾げる。
「あれが君の”友人”······ねえ。
あぁそうだ、シェリル。君はこの世界で、ヴァレンティーナ嬢に与えられた”悪役令嬢”というものを全うするために生きているといったよね?それが”友人”である彼女の為になると」
シェリルはヒューベルの言うその”悪役令嬢”という言葉に頷いた。
「······はい······」
その答えを待っていたかのように、ヒューベルは嬉々とした様子でシェリルに口を開く。
「それなら、僕は思うんだ。君は根本的に出来ていない。”悪役令嬢”になんて全くなれていないんじゃないかってね」
「”悪役令嬢”になれていない······?」
「うん、こんな中途半端な状態でヴァレンティ―ナ嬢が満足するとは思えないなあ?」
遠くを見つめたヒューベルを見てからシェリルは顔を俯ける。
「······えぇ······と、確かに中途半端ではありますが······」
失意の垣間見えたシェリルにヒューベルはにっこりと微笑んだ。
「それなら、僕が君を”悪役令嬢”とやらになれるように協力してあげよう。だから覚悟しておくといいよ」
直後、ヒューベルに腕を強引に捕まれ彼の方に引きずられて、シェリルは顔を歪める。
そんなシェリルの表情にもヒューベルはニコリと笑顔を零した。
「え?まさか、こんな痛みで限界なんて事はないよね?君の友人、ヴァレンティ―ナ嬢の指す”悪役令嬢”とやらは他人に精神的苦痛や肉体的苦痛を与えるのが楽しくて仕方ない筈だろう?」
そう発したヒューベルはにっこりと笑いながら更に言葉を続けた。
「それなら痛みも知って、もっと楽しめる様にならないとね?そうすれば相手にもやりたくなる筈だよ?痛みと快感は紙一重なんだ。······あぁ、でも処女喪失は痛いらしいから······それはよく慣らしていこうね?」
「······っ、ちょっと待ってくだ······さ」
ヒュ―ベルに抱え込まれ、口を手で塞がれる。
そして彼は魔法の詠唱を始めた。
「ヒューベル······さ······ま」
急に眠気が襲い、シェリルは薄れゆく視界の最後にヒューベルの笑顔を見た。
顔は笑っているのに目は笑っていない。どこか傷ついたような笑顔。
ああ、これも自分の所為。
自分が、彼に何も言わず裏切ってしまったから······。
こうして為すすべもないまま、シェリルは意識を手放す直前に夢を見た。
『主、ちょっと、流石にやりすぎじゃ······』
『煩いよ、リル。もう決めた事だ。それに邪魔はするなと言った筈だよ』
意識を手放す直前リルが目の前に来て自分を覗き込み、言葉を交わしている······なんて、そんな非現実的な夢を。
「シェリル······。君は僕だけの”悪役令嬢”でいれば良いんだから」
だから、彼がそんな言葉を呟いたなんて······知る由もなかったのだ。
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