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40. 僕なら君に、触れられるから
しおりを挟む執務室をあけると不機嫌そうに椅子に腰かけるヴィクトールが見えて、セドリックは跪いた。
「陛下の御前、失礼致します」
「セドリック」
地を這うような低く威圧的な声が聞こえ、セドリックは姿勢を変えず、床をじっと見つめる。
「はい」
「昨夜の事、忘れたとは言わせないぞ。お前の指示とは言え、あの場にいた者達には相応の罰を受けてもらう」
「はっ。お心のままに」
「ほう?弁解もなしか?いつも雄弁に舌だけはよく回る男が笑わせてくれる」
「いえ、」
セドリックは顔を上げて、真剣な眼差しでヴィクトールを見つめた。
「それが、ヴィクトール様のお心であれば私はそれに従いましょう。ですが······」
セドリックは一旦言葉を区切った。ほんの少し、躊躇する様な素振りを見せ、だが言葉を続ける。
「ですが、今の貴方様も、記憶のある頃の貴方様も······私にとってはどちらも大切な主ですので」
ヴィクトールはその言葉に片眉を釣り上げてセドリックを見る。
「何が言いたい?俺は俺だ。今も昔も変わらん」
「そうですか」
「それと、あの不敬な女だが。お前たちの言う事が正しく、アレが俺の妻であるのであれば早々に離縁の手続きをしよう。俺は神殿の手の者と婚姻をした覚えもないし、昨夜の件は多額の寄付金でも渡しておけば「兄上、やめて下さい!」
聞こえた馴染みのある声に振り返ると、開いた執務室の扉から顔を覗かせたロキと、その隣に俯く白銀の髪の女が見えた。ヴィクトールは『またあの女を連れて来たのか······』と溜息交じりに口を開く。
「ロキ、ノックはしろ。いくらお前でも「しましたよ。その音に貴方が気づかなかっただけだ。それに······そんな事、兄上だからと言って許されると思うのですか!」
「ロキ様、陛下に対する不敬ですよ。直ぐにお怒りをお沈め下さい」
「セドリック、俺に命令するな。これは兄弟喧嘩だと思ってくれて構わないし、オレは許せない!」
「ロキ様、私は大丈夫です······から」
ロキは隣で拳を強く握りしめるリリアーナを見た。
できればその手を握って、その小刻みに震える肩を抱きしめてあげたいのに······それすら出来ないのだ。兄の独占欲の塊である誓約魔法によってそれすら許されない。
なのに······。なのに、兄はリリアーナを憶えてもおらず、その上に”離縁”などと!
「離縁?寄付金?ふざけるなっ!リリアをなんだと思ってるんだよ!いくら兄上でも許せない。彼女に誓約魔法まで刻んでおいて、そんな仕打ち!自分も父帝となんら変わらないじゃないか「ロキ様!」
兄弟喧嘩、と言われ黙っていたセドリックだったが、ロキの最後の言葉に我慢ならずそれを遮った。
ヴィクトールはそれを気にする様子は見せずロキを睨みつける。
「ロキ、なぜお前がその女のためにそこまで怒る必要がある?身体でも篭絡されているのか?可哀相な事だ」
「ッ、クソぉ!」
「ロキ様!落ち着いて下さい!!ヴィクトール様も、ロキ様を煽るような事······お控え下さい!」
ヴィクトールに掴みかかろうとしたロキをセドリックが抑えつける。
ロキは、一旦怒りを抑えると、ヴィクトールをまっすぐに見つめた。
「······では、兄上。先ほどの言葉、本心であるならば、今すぐに誓約魔法を解除して下さい!あるのでしょう?解除方法が。そして、その暁には······皇国皇位継承権をもつロキ・ルドアニアとして彼女を私の妻に······────
「いやはや、凄い良いタイミングだね、ルイネ。でも間に合って本当によかったよ。そっかぁ、ヴィクトール先輩がリリアーナ様と”離縁”······ねえ?」
部屋にいた皆がその人物の登場に目を見張る。
昨日まで、ドラファルトで邪竜討伐の後処理を行っていたと報告を受けていた二人が目の前にいたからだ。
竜王ロンファとその宰相ルイネは悪びれる様子もなくヴィクトールの執務室に入ってきて、一人で立ちすくむリリアーナの隣に立った。
「ロンファ様······お早いご到着でいらっしゃいましたね?それに、勝手に皇城に入り、護衛を威圧して執務室に立ち入る等、相変わらず見た目と反して趣味が悪くていらっしゃる······」
「セドリック先輩、お久しぶりですね。いえいえ、皇城に入るときもしっかり皇国の皆様に挨拶はしましたし、武力的な行使は一切していないですよ?それに、今日の朝に知らせは出したはずですが?」
にっこりと微笑んだロンファにヴィクトールは顔を向ける。
「ロンファ、邪竜はどうなった」
「先輩のおかげで、邪竜は無事殲滅。事後処理も終わり、お礼とお詫びを兼ねて来たのです。竜の毒消しのポーションも一応持ってきてはあるんですけど······でも······そうか······先輩が昨日の今日でこんなに完治するなんて。薬は必要なさそうですもんね?皇国には何か秘密があるのかな?」
探るような視線にヴィクトールは冷ややかな瞳を向ける。
「皇国では研究が進んでいるからな」
「なるほど?そうだ、そんなことより、先ほどの話、僕も入れて頂けませんか?」
「先ほど······?」
ロンファはリリアーナを見ると彼女の前に跪く。そして下から顔を覗き込んだ。
「ああ、貴女にこんな表情をさせるだけでなく、皇国には誰も抱きしめてあげられる男がいないなんて。ここも大概男の教育がなっていないのかな?それとも、誰も触れられないの······か?」
「おい」
ヴィクトールの制止を無視し、ロンファは着物をバサリと翻し、大きく手を広げると言葉を紡ぐ。
「神剣、フランベルジュよ。竜王の元に命じる。私に力を、」
真っ赤な炎が一瞬彼の全身を包み込み、すぐに消える。そして彼はリリアーナの両腕をそっと掴んだ。
リリアーナの身体がびくりと大きく震えるが、誓約魔法の制裁はロンファには起こらない。
「もう大丈夫。僕なら君に触れられる······抱きしめてあげられるから」
驚きに顔を上げたリリアーナの頬に伝った涙を指で拭ったロンファは、震える彼女を正面から強く、優しく抱きしめた。
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