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9 セドリックの初夜
しおりを挟むセドリックはセシルとの帰宅途中一切口を利かなかった。邸に着くと彼女の手首を乱暴に掴んで、彼女の小さな宮に放り込む。
「しぇどりっく、さま。もうしわけ、ありませんでした······」
「どうしていつも謝るんだ、君は」
「セシルが、だめな子だから。もういらない、から······」
「・・・」
「きょうは、せどりっくさまの初夜なのですよね。わたしも、すぐに結婚します、ので······」
彼女の宮の玄関前で立ち去ろうと振り返らずに言葉を交わしていたセドリックは、その一言に思わず彼女を振り向いた。
「それを······何処で······」
リリアーナ様は情報をまだ得ていないはず、となると、ジョシュアかシルフィア嬢あたりか。と彼は拳を握りしめ苦虫を嚙み潰したような表情になる。
そして彼女の顔を見て固まった。
感情が不安定だからだろうか、彼女の真っ白な耳は伏せており尻尾も力なくだらんとしている。
そしてその宝石のように美しいオッドアイの瞳は曇り生気が感じられない。
そんな彼女がそのまま部屋の中へと入り扉が閉まるのを、セドリックはただ呆然と見つめていた。
その扉の内側で、彼女が一人蹲って涙を流していた等とは想像もせず、彼は無言で本邸へと踵を返す。
自分の責務のために、重い足取りを取る己の身体に鞭を打ち、ただただ前に歩を進めた。
──────どんなに乗り気でなくても夜というものはやってくるらしい。執務室の扉が開きジェイドが入って来てセドリックは顔を上げた。
「セドリックさま、まだこちらにいらっしゃったのですね?」
「······仕事が、な」
いや、違う。先程のセシルの顔が忘れられなくて、自分の責務を放棄したくて。こんな感情、久しぶりに感じたな、とセドリックはグラスの酒を啜る。
「ヴィクトール様からは一週間の蜜月を頂いているのではないのですか?それに、」
"仕事中に酒を飲む人ではないでしょう?"とジェイドはセドリックに目で異を唱えた。
「いや······まあ、そうですね。」
「そろそろ、準備を整えてください。巫女と神官も既に揃っています。あとはセドリック様だけなのですよ、」
巫女と神官と聞いてあからさまに嫌な顔をしたセドリックだったが、仕方ない事だ、と諦めて自室に戻った。さっと湯あみを済ませて、真っ白に金刺繍の施された美しいタオル地のローブを羽織る。
そして、自室を出ると婚約者であるシエナのために用意した部屋の前で立ち止まった。
そう、今日、此処でセドリックはシエナとの初夜を迎える。これを終えれば、夫婦となるのだ。
これが正しい。自分に、国に、そして何より陛下にとっても。この選択こそが正しいのだ、と自分に言い聞かせるように彼は扉を見つめた。
直後、背後にジェイドの気配を感じてセドリックは前を見据えたまま彼に話しかける。
もう後ろは見ないと決意したのだから。
「何か急用があれば、任せましたよ。」
そしてセドリックは扉を押し開けた。
─────彼女の部屋は薄暗く、少し冷えていた。
セドリックは手を翳して魔力を飛ばし、部屋の中にある暖を取るための魔道具を発動させる。
そして寝台に向かって声を投げかけた。
「すみません。待たせましたね。」
寝台には、薄い赤色の髪をした一人の少女が座っていた。少女といっても成人しているのだが。
タリタン子爵の次女、シエナである。彼女がセドリックの婚約者であり今夜で正式に妻となるのだ。
彼女は、セドリックと同じ白いローブを羽織っているが、彼のものと違い刺繍はなく生地も薄い。
少し目を凝らせば身体の部位が全てが見えてしまうような物だ。
皇国の伝統的な初夜の服装なのでなんとも思わないが、その下には何も身に着けないのでやはり男を欲情させる様に工夫されているのだろう。
セドリックは漠然とそんな事を考えながら彼女の隣に腰掛けた。
「慣らし五夜は大変でしたか?」
「いえ、この国に生まれた者として分かっていた事ですので」
その儚い表情からは想像していなかった力強い言葉にセドリックは感心した。
正直、勃起するか不安だったが、芯のある女性を屈するのも悪くはないか。と、もう一度じっくりと彼女を見る。
「これもルドアニア皇国に生まれた宿命です。私たちには選ぶ権利はない」
「······権利、そうですね。宰相である貴方様にはあるのではないですか?でも、」
彼女はそこで言葉を区切って辺りを目で確認してから、小さな魔法陣と共に静かに魔法を発動させた。
「なるほど、神官と巫女に聞かせたくないことがあるのですか?風魔法でここまでするとは、素晴らしい技術ですが。これでは完璧ではないですね、」
セドリックは自分の無属性魔法を発動させ完璧な遮音の膜を形成し、話の続きを彼女に促す。
「どうぞ、お話ください」
「セドリック様。不敬であることは重々承知しております。もしお気に触れば今ここで私を殺してください。」
「良いですよ。貴女との結婚は私の方で無理矢理進めましたから。貴女の願いを聞き届ける事くらいはしましょう。ただ、陛下に対する不敬でしたら直ぐに殺しますが。」
にっこりと微笑んだセドリックを真正面から見たまま、彼女は頷いた。
「セドリック様。今回この結婚にて多大な寄付を子爵家にしていただいたと聞いております。本当にありがとうございました。ですが、私は政略結婚を望んでいませんでした。夢見がちだと笑っていただいて構いません。私は子爵家の二女ですから。お金のためにどこかの妾として売られることもきっとあったかもしれませんが、私は、平民でも良いから自分の憧れるような男性と結婚したかった、」
セドリックは彼女の話を黙って聞いていた。女なら誰しも憧れることなのだろう。誰も、意にそぐわない婚姻などしたくはないのだから。
「セドリック様、今ここで誓約魔法を立てて頂けないでしょうか?」
「誓約魔法?内容はなんでしょうか、」
「セドリック様の世継ぎを産んだら、、離縁してくださいませんか」
「‥‥··なるほど。まあ、確かに理に適っていますね。私は陛下と同じ時期には世継ぎが欲しい。そうすれば陛下のためになりますから。貴女はそれを成してから離縁し、第二の人生を歩む、と。」
「はい」
「ですが、皇国で離縁はあまり良くは思われません。まあ、宰相の私の妻だった事に箔はつきましょうが貴族に嫁げるかは分かりませんよ?それでもいいのですね?」
「はい、」
彼女が強い意思を持って首を縦に振ったのでセドリックは頷いた。どうせ、都合の良い、後腐れのない身分の女性を金で買ったに過ぎないのだから。彼女が離縁後どうなろうと自分には関係がない事だ。
「分かりました。では、誓約魔法を私が発動しますので貴女はそれに誓って魔力を入れてください」
セドリックは目を閉じる。その瞬間彼の身体を中心に紫色の大きな魔法陣が広がった。誓約魔法ともなれば魔力も普通よりは多くかかる。彼と彼女の周りには銀色の炎が広がり二人を包み込んだ。
部屋の端にいた巫女と神官がその異様な状況に急いで立ち上がるが、彼はそれを気にしない。
自分以上の魔力がなければこの中には入れないだろうし、と彼は誓約魔法の発動を続けた。
「我、セドリック・ラズベルがアルカナの元に誓約を此処にたてる────」
次の瞬間、寝室の扉が乱暴にドンドンと叩かれ、部屋にいた四人は動きを止めた。
セドリックが魔力を一旦切り、誓約魔法のための魔法陣も消失する。
すると直ぐに扉の外からジェイドの叫び声が聞こえた。
「セドリック様!!!大変申し訳ございません!!!無礼は承知しております。しかしっ、、緊急事態でして!!」
焦ったような彼の声に、セドリックは舌打ちをする。
「すまない、シエナ嬢。直ぐに戻ります。何か陛下にあったのかもしれない。誓約魔法はその後でも良いでしょうか?」
黙って頷いた彼女を見て、セドリックは足早に寝室の扉を開け退出すると廊下にいるジェイドを睨んだ。
「どういうつもりですか?初夜に抜け出すなど本当であればあり得ない事です。何かあれば任せると言ったはずでは─────「セシル様が発情致しました。私には対処ができませんのでっ、、」」
「───────は?」
セドリックは脳がその情報を処理し理解するよりも早く駆けだした。その時、彼の頭からはもう既にシエナとの初夜の事は完全に消え失せていたのだ。
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