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しおりを挟む「……はぁ、」
「……」
は、と吐いた白い息が二人の間に落ちてゆく。
未だ抱き合ったまま、一回だけなんて言っていたキスに夢中になっていた二人だったが、今度こそ本当に腰が砕けちゃう。と言わんばかりに顔を離し、雅の肩にこてんと頭を預けてくる春。
それにやはりまだ足りないと雅は内心で唸りつつ、それでもそっと春の背を抱き締めた。
「……」
「……」
お互い、無言のまま。
車一台も通らない夜は、静かに二人を闇へ同化させようとするばかりで。
だがしかしそのどことなく緊張が走る沈黙を破ったのは、雅の方だった。
「……春」
「……はい」
「……あの、さ、」
「はい……」
「……あの、その、」
「……」
キスも、キスをする時の手つきも何もかも優しく巧みだったというのに、突然しどろもどろで顔を赤くしながらモゴモゴとする雅。
そんな雅の態度に春は愛しげに目を細め、それからそっと雅の頬を両手で挟んだ。
「……何でも言っていいですよ、雅さん」
「っ、」
まるで聖母のような眼差しで微笑み、大丈夫だから何でも言ってください。と言わんばかりに見つめてくる春の、息を飲むほどの美しい顔。
それに雅は息も絶え絶えになりながらも、素直な気持ちを伝えるべく春の背中をそっと優しく撫で、ふわふわの帽子から覗く外気に晒され冷たくなっている春の襟足に、指を通した。
「……まだ、帰したくない」
そうぽつりと囁いた雅に、春が小さく息を飲んだあと、息を吐く。
それから、ぎゅうぅ。と力強く抱きついてきた春が、
「俺も、まだ帰りたくないです」
だなんて嬉しそうな声を出したので、それに雅も幸せそうにはにかみ、可愛らしい顔で春の体を強く抱き締め返した。
「何もないし狭いけど、俺の家、来る?」
「えっ! やった! 行きたいです!」
「おわっ、」
雅の言葉にテンションを上げ、抱き合ったままピョンピョンと跳ねた春に、雅が驚きに声をあげる。
それからゆらゆらと横に揺れる春の背をしっかりと抱きつつも、揺れて気持ち悪いからやめろ。と雅が喉を鳴らして笑えば、春もへにゃりと眉を下げ、笑った。
「やっぱ雅さんって笑うとめちゃくちゃ可愛いですよね。俺、雅さんの笑った顔大好きです」
「……なんだそれ」
「さっき、雅さんがコーヒー要らないって言ってくれた日から好きって言いましたけど、もしかしたら俺、初めて雅さんが笑ってくれた日にはもう恋してたのかも」
「……何時の話」
「俺が雅さんに何か声を掛けて、雅さんがありがとうって笑ってくれた時です。俺が何て声かけたかは忘れちゃったけど」
「……あぁ、あの時」
「えっ、覚えてるんですか、雅さん」
「……お前が、雪が降ってるから気を付けろって言ってくれた時だろ」
お前に引かれたんじゃないかと思ったから、覚えてる。
とは当たり前だが恥ずかしくて言えず、ただ覚えていると返した雅に春が記憶を探るよう上を向いたあと、笑った。
「確かにそう言った気がします。お互い相手が言った事は覚えてるって面白いですね。……あ、でも、本当は去年で辞める予定だったけど謎の常連さんだった雅さんの事がちょっと気になって辞めなかったから、その時から無自覚に好きだったのかなぁ……」
「……は? 辞めるつもりだったのか?」
「はい」
そうあっけらかんと返事をしては、笑う春。
まさか辞めようとしていたとは初耳で、あっぶな。と雅は心の中でヒヤヒヤとしながら、それでも話す前から自分の事を春も気になっていた。というその新事実に、パシパシと瞬きをした。
だが何かを言う前に、そんな事より早く雅さんの家に行きましょう! と春が腕を引いて歩き出すので、呆気に取られつつ小さく笑った雅は、引きずられるがまま足を前へと出した。
それから夜道には朗らかな春の笑い声が時おり響き、二人はしっかりと手を繋いで肩を触れ合わせながら、雅の狭いアパートメントへと仲良く帰った。
***
──ガチャリ。と部屋の扉を解錠する音が、蛍光灯に照らされた廊下に響く。
それを聞きながら、しかし、もう無理。というように握ったままの春の手を引きながら、扉をぐわっと開いた雅。
二人で並んで歩いているその時間ですら幸福でしかなく、そして春がもう自身の恋人なのだと思えば歯止めが効かなくなってしまった雅の性急さに、わっと春が声をあげたのが分かる。
だが、それでも玄関横の壁に体を押し付けられ、囲うように横に手を付きじっと見てくる雅のその視線に、春もまた切羽詰まった表情をしては、ハッと短い息を吐いた。
「春……、」
「みやび、さ、んっ……」
お互い相手の名前を吐息混じりで呟き、すっと顔を近付けた雅が春の頬にちゅっと唇を落としてくる。
その繊細な仕草と擽ったさに思わず春が可愛らしく息を飲み、それを見つめた雅は、まじでほんとに無理。というよう、少しだけ屈みながら顔を傾け、春の唇に触れた。
ちゅ、ちゅ。と玄関先に響く、可愛らしいリップ音。
だがそれはやがて熱を帯び始め、春の柔らかな唇を堪能した雅は、ちょん。と舌先で春の唇をつついた。
「っ、ふぁ、ん……」
「……は、」
雅の意図を理解したのか、おずおずと口を開いた春。
その可愛さに堪らず、良い子。と喉の奥で笑いながら顎先を指で擽り、雅がぬるりと舌を侵入させてゆく。
そのスムーズさにひくんっと春は体を跳ねさせながらも、上顎を撫でられる気持ち良さにゾクゾクと背筋を震わせてしまった。
ぴちゃ、と絡まり合う、互いの舌。
電気も点いていない暗い玄関に、二人の吐息と水音だけが響いては溶けてゆく。
それでもお互い相手の温もりを欲するよう、雅は春の体の線を大きな掌でなぞり、春もまた雅のプラチナブロンドの髪の毛をくしゃりとかき混ぜながら、しがみついていた。
──玄関で荒々しく口付けをし合った、数分後。
名残惜しげに唇を何とか離し、ハァッと吐息を乱しながら、二人がコツンと額をぶつけ合わせる。
それは濃密な空気を孕んでおり、雅は春の唇をじっと凝視したまま、そっと囁いた。
「……はる、」
「っ、」
「……ごめん、こんなすぐに手を出すつもりじゃなかったんだけど、なんか、たまんなくて……、」
「いい、です、大丈夫です……、俺も、我慢できなかったです、し……」
欲が存分に籠ったキスをしてしまい、申し訳なさと気まずさから小さく謝った雅に、頬を真っ赤に染めながらも春はふるふると首を振りそう言うだけで。
その姿は可憐ながらも耽美で、暴力的ですらある美しさに雅はングッと呻きながらも、……落ち着け、落ち着け俺。がっつくな。ダサいぞ。と精神統一し、ようやく玄関横の電気をパチリと点け、春の少しだけ乱れてしまった蜂蜜色の髪の毛を整えた。
「……と、とりあえず、あがって」
「っ、は、はい……。お邪魔します……」
長く節くれだった長い指でそっと春の髪の毛を耳にかけては、上がって。と呟く雅がへにゃりと可愛らしく微笑んでいる。
その手慣れた手付きと、それでもとびきり可愛い雅の笑顔に春もキュンキュンと心臓を高鳴らせたまま、こくこくと頷いた。
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