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しおりを挟む春に、『また来てくださいね』だなんて泣ける程可愛らしく健気に言われ、雅が恋心で死にかけながらも必ず行くと何とか必死に頷いた日から、一週間後。
春のあの天使のような姿を何度も何度も思い出しては脳内で悶絶するという日々を過ごしていた雅は、
『あのっ、俺、月曜と水曜、それから木曜は大体夕方から入ってて、あっ、土日は今月は朝から昼まで入ってるので……!』
だなんてあの日シフトまで教えてくれた春の(もう雅は知っていたが)言葉を鵜呑みにするよう、土曜日の朝、お店の前に立っていた。
昨夜のライブの調整やなんやかんやであの日から結局一週間お店に行けていなかった雅は、あの後も何人かの女性に絡まれ交わしつつも拓真や慎一達と打ち上げをし、寝てすらいないまま、今お店に来ていて。
そこまで飲んではいないので酒臭くはないと思っているものの、もう一度自身の服の袖をクンクンと嗅いだ雅は、晴れやかな寒空とはうってかわったゾンビのような見目で、ゆっくりと扉を開いた。
カランカラン、と鳴り響く鐘の音。
それを聞きながら雅がのそりと店内へと入れば、カウンターに居た春はすぐに気付いたようで、パァッと明るい表情をしたのが見えた。
「っ! いらっしゃいませ!」
そう弾んだ声で挨拶をした春は、まるで主人の帰りを待っていた子犬のように愛らしく。
そして営業スマイルの綺麗な表情ではなく、あのくしゃりとした笑顔をまた見せてくれた事に雅はズドンと心臓を撃ち抜かれながら、やはり吸い寄せられるよう、カウンターへと近付いた。
「いらっしゃいませ!」
「っ、ど、どう、も……」
「あの、この間はすみませんでした。でも、気遣って頂けてとっても嬉しかったです」
「い、いえ、別に俺は……」
「……今週は一度もいらしてくださらなかったので、もしかしたら本当は怒ってたのかなって不安だったんですけど、でも今日来てくださって嬉しいです」
「っ、」
「あ、もしかして俺が休みの日とかには来てました?」
「い、いや……、ちょっと仕事が忙しくて、中々来れなかっただけ、で……、」
「そう、なんですか。……確かに、顔色あまり良くないですね」
なんて言いながら、帽子とマスクで隠されたほんの僅かな隙間からでも雅の顔色を窺おうと少しだけ腰を曲げ、上目遣いで見つめてくる春。
その姿はあまりにも愛らしく破壊力満点で、雅は堪らずングッと息を詰まらせてしまった。
「あ、じろじろ見てすみません。アイスコーヒーでよろしいですか?」
「いえ、……はい」
「今日はバッチリ二人体制なので、誠心誠意作らせて頂きますね!」
「……ふ、はい」
頑張ります! と少しだけ鼻の穴を膨らませる春はまるで幼子のように可愛らしく、ふ、と思わず笑った雅を、春がじっと見つめる。
それが気まずく、コホッと咳をしマスクを無意味に上げ直す仕草をした雅は、居た堪れなさに視線を逸らした。
「……今からお仕事ですか?」
「……え、あ、いや、今から帰るとこです」
「え、今からって、徹夜だったんですか?」
「……まぁ、そんな所です」
「……わぁ、本当にお疲れ様です」
「いえ」
「今お仕事終わったなら、お疲れですよね。……店内ではなくテイクアウトにされますか?」
「えっ、……ぁ、はい……」
「……かしこまりました」
その瞬間、何時もハキハキと喋る春の優しい声がどこか一瞬だけ沈んだ気がして、雅が俯かせていた顔を上げる。
だがそこには綺麗な笑顔を浮かべている春しか居らず、気のせいだったかな。と思いながらも、雅は営業スマイルではもう何だか物足りなくなってしまった自身の欲深さに己を叱咤しつつ、一度息を飲んだあと、口を開いた。
「……あ、あの、すみません、やっぱり店内、で……」
「っ! かしこまりました!」
急いで帰る事もないし、この間の件で気味悪がられてもいないのならば、今日も盗み見たい。
だなんて邪な想いしかないまま雅がそう告げれば、春がまたしてもパァッと花が咲いたような明るい表情をする。
それから営業スマイルではない顔でくしゃりと笑ったのを見て、……いやほんとに可愛すぎるだろ。と頭を抱えたくなった雅は、何がその笑顔を引き出しているのだろうか。やら、その顔がいつでも見れるならいくらでも金を積むのに。だのとあまりにも馬鹿げた事をぼんやりと考えながら、ただひたすらに呆けてしまった。
「席までお持ちしますね」
そう不意に春に言われ、一瞬だけ宇宙空間へと飛んでいた思考を慌てて取り戻した雅が、ペコッと会釈する。
その姿に春がふふっと可愛らしい笑い声をあげたのを見て、……な、なんだ。何が起こってるんだ今日は。だなんて、いつもよりぐっと近付いたような距離感に雅が目を白黒とさせていれば、カウンターから少しだけ身を乗り出した春が、口を開いた。
「……いつも来てくださって、この間も優しい言葉をかけてくださって、本当にありがとうございます」
店内に他の客は居らず、そしてもう一人居るだろう他のスタッフも裏で何か作業をしているのか姿が見えない中、誰に聞かれるでもないというのに口元を手で覆いながらこっそり囁いてくる春。
その姿はあまりにも可愛らしくそしてあざとくて、ふらっと目眩がしてしまいそうになりながら、雅はドクドクと高鳴る心臓を何とか沈めようと必死にマスクの下で深呼吸をした。
「っ、……い、いえ、」
「アイスコーヒー、本当に大好きですよね。それ以外のコーヒーもたまに飲まれたりしますか?」
「え、……いや、自分で買ってまで飲むのはアイスコーヒー、だけ、ですね」
「……そう、ですか。あっ、突然馴れ馴れしくしてすみませんでした。お席にお持ちしますので少々お待ちください」
内心で心臓をバクバクとさせている雅が必死に、けれどもどこか冷たく聞こえてしまうような返事しか出来ていなければ、先程の愛らしさを段々と潜めさせ、悲しげに眉を下げた春が慌てたよう頭を下げて、笑う。
だがその顔はどこからどう見ても引きつっており、そんな顔させるつもりもそんな事を言わせてしまうつもりもなかった雅は自身の口下手さに死にたくなりながらも、咄嗟にカウンターへと寄った。
「ち、違うから、馴れ馴れしいなんて思ってないし、嫌とかじゃない。俺がただ口下手なせいで、だから上手い言葉が返せなかっただけで、それに、その、緊張して、」
だなんてつっかえながら支離滅裂な言葉を必死に紡ぎ、焦った顔で詰め寄った雅が無意識に春の腕を掴んでは、見つめる。
時間にすればほんの一秒にも満たない、刹那の触れ合い。
それでもじわりと掌が春のシャツ越しの体温を捉え、しかしその突然の接触に春の肩がビクッと震えたのを見た雅は、ハッとし慌てて手を離した。
「っ、悪いっ、」
「いえ、……だ、大丈夫、です……」
「……」
「……」
「ごめ、いや、すみません……」
謎の沈黙が続き、……まじで最悪だ。何してんだ俺。と堪らずもう一度、しかしきちんと敬語で謝った雅が頭を下げれば、今度は逆に春が慌てた様子で、大丈夫ですから! と力強く言った。
「ほ、ほんとに大丈夫ですから!」
「……」
「嫌とかじゃ、ないんで。ほんとに、全然……」
「……」
「それより、あの、緊張って……」
「っ、いや、その……、」
「……」
まさか、好きだから緊張している。なんて言えるわけがない雅が何を言うべきか分からず、押し黙る。
そんな雅を春は、ただじっと見つめるだけで。
カウンター越しでモジモジとし合う、二人。
そんな間抜けな二人をジャズの柔らかな音が包み込み、その光景はやはり滑稽でしかなかったが、しかしそんな沈黙を破ったのはおずおずといった様子で口を開いた、春の方だった。
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