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しおりを挟む「えっと、それで、その……、図々しく急におしかけてきちゃって何なんですが、本当に大丈夫ですか?」
先程の穏やかで明るい態度から一変、真剣な表情をしつつも眉を下げ、申し訳なさそうな顔で蒼が雪人を見る。
しかしその姿は庇護欲を煽るだけでしかなく、そして態度から見るに優和の友人という事も納得だと思っていた雪人は、しかし優和よりもずっと良識的なようだと少し胸を撫で下ろしながらも、その顔にングッと息を詰まらせつつも頷いた。
「……大丈夫。どうせ部屋は余ってるし」
「っ、本当にありがとうございます! 僕、あ、俺、ほんとにこれからどう生活しようかと焦ってたんで……。極力ご迷惑をかけないよう努力しますので、宜しくお願いします! もちろん家賃は払わせて頂きますし、家事も頑張ります!」
僕、とわざわざ言い直し、けれども心底安心したような顔をしたあと、頑張ります! と意気込んでいる蒼。それがひどく愛らしく、またしても息を詰まらせながらも雪人は小さく首を振った。
「……金はいらないし、週に三日ヘルパーさんが入るから家事もしてもらわなくて良い」
「え……、っ、で、でも、さすがにお金は払わせてください! 無理言って住まわせてもらうんですから!」
ヘルパーさんという言葉に一瞬だけ呆けたあと、しかしお金だけは! と焦った様子で蒼が雪人を見る。
その捨てられた子犬のような顔に心臓をドクドクと高鳴らせてしまいつつ、雪人は小さく咳をしてから口を開いた。
「ゴホッ……、いや、いらない。年下から金をもらうつもりはない」
「年下って、そんなに変わらな……あ、」
「ふはっ。……ゴホン……。あと、まだ子どもなんだから大人の好意には素直に甘えとけば良いんだよ」
「……で、でも……、」
「……俺は同じ事を何度も言うのは好きじゃない」
「っ、す、すみません……」
いらないと言っている。と言外に強く主張する雪人の態度に、蒼が途端にしょぼくれたよう肩を落とす。
それに慌てて、強く言い過ぎたか。と雪人はどうにか話題を変えるよう、視線を意味もなくさ迷わせながら問いかけた。
「そ、そういえば、優和からは芸大に通ってるって聞いたんだけど……」
「あっ、はい! すぐそこの学校に通ってます」
「へぇ。専攻は?」
「専攻は絵画です」
「……あぁ。だから荷物があんなにデカいのか」
「へ?」
「キャンバスとか入ってるんだろ?」
「っ! そうなんです! 雪人さん、絵、お好きなんですか?」
「い、いや、そこまで詳しくはないけど……、見るのは、好きだよ……。にしても、あんな大きな画材とかを一人で運ぶの大変だったな」
キャンバスやら何やらの画材が入っているのだろうと雪人が言えば、途端にキラキラと瞳を輝かせ、見つめてくる蒼。
その目映いほどの笑顔に目がつぶれかけそうになった雪人は、咄嗟に無意味に瞬きを繰り返してしまった。
「実は肩がもげるかと思いながらここまで来ました。それに、課題の制作をしてたんですけど、上の階の人の雨漏りで描いてた絵もダメになっちゃって、また一から描き直さなくちゃいけなくて……」
困ったよう笑う顔ですら可愛らしく、雪人が死にそうになっていれば、不意に腕時計を見た蒼は慌てた様子を見せた。
「あっ! ヤバい、バイトに遅れる!」
そう声を張り上げ、蒼は上着のポケットに手を入れ携帯を取り出した。
「あの、さっき、色々説明してくれた時に連絡してって言ってくれてたんですけど、雪人さんの連絡先、聞いても良いですか?」
「っ、あ、あぁ……。えっと、ちょっと待って」
蒼に言われハッとした雪人も携帯を取り出し、自身の携帯番号と何かあった時に備えて会社の連絡先を告げる。
だが、蒼は少しだけ呆けたあと、それから笑いを堪えるよう小さく唇を噛み締めたのが分かった。
「っ、あり、がとうございます……。えっと、俺の電話番号言います、ね……」
もう俺と使っている蒼に、少しは緊張が弛んだのだろうかと嬉しくなりながらも、雪人は首を傾げた。
「……何がおかしいんだ?」
「ふ、ふふ、いえ、ごめんなさい、」
「……何だよ」
「いえ、連絡先って言って電話番号教えてくれる人最近居ないなって思っただけで……、ふふ、すみません」
「……悪かったな、時代遅れで」
「ちが、そういうんじゃなくて、逆に新鮮で何か楽しいなって思ってつい……、ほんとにからかったわけじゃないですけど、すみません……」
雪人の言葉に、途端に蒼が申し訳なさそうに頭を下げてくる。
そのコロコロと表情が変わる様が可愛らしく、雪人も堪らずふっと笑いながら、蒼を見た。
「怒ってない。それより、時間ヤバいんじゃないのか?」
「っ、そ、そうだった! あの、ほんと色々すみません! それにバタバタできちんと挨拶も出来てないのに、」
「良いよ。あ、これ、家の鍵」
そう言って、雪人がポケットに入れていたスペアのカードキーを差し出す。
そうすれば蒼は慎重な手付きでそれをそっと両手で受け取り、キラキラとした笑顔を浮かべた。
「……急に押し掛けたのに、こうして受け入れてくれて本当にありがとうございます!」
だなんて至極嬉しそうに笑う蒼の可愛さ。
それに眩しさで目眩を起こしそうになりながらも雪人はいそいそと玄関まで蒼を見送り、しかしバタンと扉が閉まった数秒後、不意に顔をしかめては横の壁に身を預けた。
「っ、……嘘だろ……」
一人きりになった空間に、ポツリと響く雪人の重い声。
それは決して今更ながら恋に落ちた衝撃のせいだけではなく、しばらくその場で何かに耐えるよう固まっていた雪人は、それからのろのろとした足取りで洗面所へと向かった。
洗面台の鏡に映る、いつも通り陰気臭く青白い顔をした自分自身。
そんなぶすっとした顔のまま鏡を見ながら、しかし雪人は着ていた服をそっとたくし上げた。
晒されてゆく、人間とは程遠い種族であると証明するような傷一つない生白い素肌。
けれどもその胸にはタトゥーのように赤い薔薇が刻まれており、雪人自身少しだけ目を見開いては、新しく生まれたその痣をまじまじと凝視した。
“自身の片割れである魂の伴侶と出会ったその瞬間、消えぬ花が胸に咲き誇る”
それは吸血鬼であれば誰もが知っている事であり、実際その痣があると知り合いの吸血鬼が言っているのを聞いたこともある。(ちなみに両親には互いにその痣が刻まれていない事を雪人は知っている)
だがその痣がまさか自身の体に刻まれるとは思ってもおらず、そしてその印を刻んだ相手と物理的にでも離れれば痣が痛むという事は初めて知り、だから伴侶が居る吸血鬼はその相手の側を離れないのか。と雪人は深い繋がりを好む吸血鬼の性質に少しだけ忌々しさを覚えながら、ズキズキと痛む薔薇の痣をそっと撫でた。
蒼がどんな人間なのか、何を好み何を嫌い、何に価値を見出だして日々をどう生きているのか。そのどれもを雪人は何一つ知らぬというのに、この痣はもう消える事なく一生涯胸で咲き続けるのだろう。
そしてこれから先、例え蒼がどんな人間であったとしても、雪人は蒼の事を想い続けるのだろう。
それは吸血鬼としての性でもあり、けれども吸血鬼ではない蒼にとっては出会ったばかりの雪人に何の感情もなく、ましてや繋がりなんて感じている訳もなくて。
そして将来雪人を愛してくれる可能性もないだろうと、自身の陰鬱とした性格を誰よりも知っている雪人は痣から目を逸らし俯いたあと、……これからどうするべきか。とガリガリと頭の後ろを掻いては一人深いため息を溢したのだった。
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