【完結】君と恋を

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君と恋を~誠也とカイの話~

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 ──約、五年前。ホストクラブ【ROSE】のナンバーワンホストだったカイはその日も遅くまで働き、そして明け方、やっと自宅へと帰ってきた。

 早朝の静けさを裂く、電線の上のカラスの声。

 しっとりと冷たい空気が朝焼けに染みるような時間帯のその中を、疲れきった体を引きずりながら歩いていたカイはしかし、そこでマンションのゴミ捨て場にデカイ図体をぐでんと晒け出しスピスピと寝息を立てている男を、見つけた。

 なんだコイツ……。と不審者を見る眼差しで見下ろすカイ。
 見た限り大学生ぐらいの若い風貌の男は、きっと自身の酒の許容範囲を越えてしまいとうとうこんな場所での垂れ寝をしているのだろうと推測はできるものの、……こんな冬の寒い朝にわざわざ人ん家のゴミ捨て場で寝てんじゃねぇ。とカイが眉間に皺を寄せ、知らぬ振りを決め込み通りすぎようとした、その時。

 くしゅんっ。

 と寝ながらもくしゃみをするその男にカイは一度足を止め、それからまた歩きだしゴミ捨て場を通りすぎたのだが、くしゅんっ……、くしゅんっ、くしゅんっ! と後ろから絶えず聞こえるくしゃみの音にとうとうカイは立ち止まり、深い溜め息を吐いて舌打ちをしたあと、ガシガシと頭を掻いてはくるりと振り返ったのだった。


 それからぐーすかぴーすか人様の家のベッドを占領し寝ていた男が目を覚まし、『ここどこ?』と寝ぼけ眼なまま問いかけてきたそのなんだか見た目とはちぐはぐなどことない幼さに、カイは思わず吹き出しながらも、事のあらましを説明してやったのだ。
 そうなれば、普通なら不審がったり、お礼を言いはするものの慌ててこの場から出るだろう展開に、されど酔いつぶれていた男はぱちぱちと瞬きをしたあと、ふにゃりと、

『お兄さん優しいんだぁ。ありがとうございます』

 なんて至極柔らかな笑みを浮かべるだけで。
 その笑顔に逆に面食らうカイをよそに、部屋をキョロキョロと見回しては、『なんかすげーいい匂いするしめちゃくちゃ広いっすね』なんてへらへらと笑う男。
 そんなマイペース過ぎる男にカイは本来なら自身の顔のキツさを活かし、もう意識がなくなるまで飲んだり往来の場で酔い潰れるんじゃねーぞ。ガキ。と少し脅してやるつもりだったのだが完全に出鼻を挫かれ、『……あ? はぁ、そ、そうか……』なんて呟いたのだった。


 それから誠也と名乗った男はよく喋りよく笑い、二十歳の誕生日に皆で酒を飲んだ帰りだった。と先ほど酔い潰れていた理由を少し気恥ずかしそうに話した。
 その誠也の屈託のない笑顔や人柄に毒気を抜かれたカイは、何故だか早々に追い出す事が出来ず。結局昼ごはんを作ってやり、それからなんと誠也は一部の出勤時間まで家に居座り続けた。
 流石に、『俺今から仕事だから帰れよ』と促したのだが、何の仕事をしているのかと何故か質問されてしまい、渋々口を開いたカイ。

『……ホストだよ』
『ホスト……。ああなるほど! だからこんな香水のいい匂いしてんだカイさん! それにおしゃれだし、やっぱかっけー男は違うなぁ! ねぇねぇ、俺もカイさんのお店付いていっていい!?』

 だなんて、カイの言葉にあろうことか誠也はパァと表情を明るくさせ、これでカイの格好良さに合点がいった! と嬉しそうにするだけで。
 普通の人ならやはりホストという職業をあまりよく思っていないというのに、むしろ好印象として受け取られた事にまたしてもびっくりし、何故だか誠也の押しに負け、カイはその日結局、誠也を店まで連れていってしまった。


 それからあれよあれよという間に何故か懐かれ、そしていつの間にかホストとして働くようになった、誠也。
 カイさん、カイさん。と金魚の糞のように纏わりつく誠也をカイはいつも面倒くさいと言いつつも面倒を見ては家に上げる事も多く、二人は本当に、仲の良い先輩後輩として過ごしていた。


 ──そんな二人の関係が変わったのは、出会いから約半年後。

 すらりとした長身に見目も悪くなく、そして人懐こい笑みを浮かべるお調子者の誠也が人気になるのは分かっていたが、いつもいつも自分を慕い付いてきていた誠也に、カイはどことなく優越感を覚えていた。
 そしてその優越感の正体に、見えない振り、気付かない振りさえしていれば良かったのだが、だがしかし、誠也の友人である蓮達が働くようになり、そして誠也のホストとしての技量に惚れたと有人が他店を辞めてまでマネージャーとしてやってきた事が、カイにとっての引き金だった。




 ……カイは幼い頃に両親に捨てられ、児童養護施設で育った。
 それでもまだ年端も行かぬ子どもであったカイはすくすくと成長していたし、夢もあった。
 それは、テレビの中で見た幸せそうな家庭。

 カイは、『お嫁さん』になりたかった。

 愛する人と結婚し、その人の為だけに生きる。
 その姿がカイにはとても眩しく美しく、こんな風に誰かに愛され、愛する人生を歩みたいと、幼心に思ったものだった。
 そして好むものはやはり可愛らしいものや綺麗なものが好きで、だが、その夢が、その嗜好が“普通”ではないと気付き始めたのは、カイが小学生になった頃。
 カイを変なやつだと、女々しい奴だとからかうクラスメイトからの視線と言葉に、カイはだんだんと、自身の殻に閉じ籠るようになっていった。

 ただ、女の子のように愛されたかっただけ。
 ただ、女の子のように可愛い物を可愛いと言いたかっただけ。

 それだけなのに、男というたったそれだけでカイはまるで罪人だと言わんばかりに糾弾され、そしてそれに拍車をかけるよう、養護施設にいるという噂が広まるようになると、瞬く間にカイに人権というものはなくなった。

 孤児だと馬鹿にされ、貧乏人だと罵られ、小学校高学年になる頃には、言葉だけでなく殴る蹴るの暴行を受けるようになった。

 ぐしゃぐしゃの教科書。
 落書きされた机。
 隠される上靴。
 クラスメイトから罵倒されているのを、見て見ぬ振りする教師。

 そんな地獄のような毎日に、カイは世界に絶望していった。
 そして、知ったのだ。
 世界はいつだって明確な線が引かれている、と。

 強者は声高々に多数派の意見こそがこの世の正義だと大義名分をふりかざし、そして弱者は声を潰され、地べたを這いつくばるしかない。
 恵まれた者が全てを手にし、貧困にあえぐ者は、笑い者にされていく。
 それがこの世の中であり、そして男と女という性別でくくられた、たったそれだけの違いが、こうも窮屈に身を蝕んでいく。
 引かれた線引きはそう易々と越えられるものではなく、常にその線は引かれ続けたまま。
 そして、その白線は決して覆らぬ境界線なのだと、悟ったある日。

 ──カイは、自分を捨てた。

 それからは、弱者になんてなってたまるか。と自分を馬鹿にした奴らを片っ端から殴るようになり、中学生の頃は手も付けられない問題児だという扱いを受けていた、カイ。
 それでも、泥水を舐めるような屈辱を受けていた日々を思えば、その方がずっとマシだった。

 傷付きたくないのなら、こちらが先に傷付けてしまえばいい。
 弱者になりたくないのなら、何をしても、どんな手を使ってでも、強者になればいい。

 そう考えるようになったカイはなんとか進学した高校をしかし中退し、当てもなく街をぶらつくようになった。
 女にはやはり興味はなかったが、見目が良く、そして不良というステータスに釣られた女達は、カイを放っておかず。
 そしてカイもまた、自分は普通になるんだと、過去の自分の馬鹿馬鹿しい夢は心の奥の奥、自身ですら開けられないような深い場所へとしまい鍵をかけ、自分を偽り続けた。

 そんな生活をしていれば、気が付けばあれよあれよという間にいつの間にかホストという職業に就いていて。
 それでも、それこそが偽りの理想だと思っていた時に出逢ったのが、誠也だったのだ。

 誠也の屈託なく笑う顔が、自分を呼ぶ声が、共に過ごす日々が心の奥底に沈めていた自身の核を揺さぶり続け、そしてその事をひたすらに気付かない振りをしていたカイは、けれど蓮や有人と居る誠也を見て、とうとう、認めざるを得なかった。

 あの誰にも等しく優しい笑顔を、あの力強く優しい温度を灯す声を、自分だけのモノにしたい、と思ってしまった事を。

 ……自分は誠也を好きなのだ。と。

 しかしそう思ってしまう事は異常だともはや強迫観念のように自分を追い詰めていったカイは、まともに誠也と話すことはおろか、目を見る事すら出来なくなり。そうしてそんな時にとうとう、カイはホストとしての地位ですら、呆気なく誠也に奪われてしまった。

 ナンバーワンとして居る事でなんとか保っていたプライドが崩れ去った瞬間、カイは敗者に、弱者になる事に恐怖を覚え、誠也を拒絶した。

 そんなカイの態度に誠也は勿論困惑し、何度も何度もカイときちんと話そうとしたが、誠也に恋心がバレてしまうのを、醜い嫉妬と畏怖を抱いている事を知られたくないカイはそれから誠也にひどく当たるようになり、それに同調するよう周りも誠也達に冷たい態度を取り始め、あっという間に誠也派、カイ派というくだらない派閥が出来てしまったのだ。

 そして、そのいざこざが最高潮になり弾けた結果が、あの裕への暴行事件で。

 冷静になればなんて愚かな事をしていたのだろうと思うが、あの時は自分を守る事で必死だった。と情けない言い訳しか言えないカイはしかし、そんな自分の弱さが引き起こしてしまった最悪の結末に、裕にも、誠也にも、蓮達にも本当に申し訳なく思っていた。
 そして、だが有人が恩をかけてくれたホストクラブ【HEAVEN】でナンバーワンになるまでは辞めないと、歯止めを効かせてやれず間違いを起こさせてしまったあの三人をちゃんと更正させるまで側に居てやる事が自分のせめてもの贖罪だと心に決め、この一年半、カイはがむしゃらに、ただひたすらに前だけを見て走ってきた。

 そして人知れず誓った通りナンバーワンになり、あの三人が過去を自分と同じように悔いながらも必死に頑張って生きているのを見つめてきたカイは、来てくれた女性に夢を見せる場所であるホストクラブに自分を偽りたいが為だけに働いていた自分は相応しくないとも、もうずっと前から分かっていたからこそ、ホストクラブ【HEAVEN】を辞めたのだ。


 ──叶うならば、わざわざ斡旋してくれたのに申し訳ないと有人に謝罪とお礼を伝えたいし、裕達にも土下座して謝りたい。
 誠也に、ごめんなと、頑張れと伝えたい。
 しかしそんな資格などある筈もないと分かっており、すっかり闇に染まった空に煙草の煙を浮かばせながら、カイは誠也と出会ったごみ捨て場を、ずっとずっと、見つめ続けていた。

 いつしか灰が落ちきり小さくなった煙草は火を灯す事すら辞めてしまったが、それでもカイはやはりベランダから動かず。そんなカイの輪郭すらもおぼろげにするほど冬の夜は暗く深く、しかしひっそりと、静かにカイを見つめているようだった。




 
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