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第四章
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しおりを挟むチュンチュン、と窓の外から聞こえる、鳥の囀り。
その声にぱちりと目を開けた裕は、全身に走る鈍痛に眉間に皺を寄せながらも、今何時だ。といつも枕元に置いている携帯を寝ぼけ眼なまま探した。が、そこで、……そういや携帯ないんだった。とようやく思い出し、むくりと起き上がった。
誰かが探してくれるかも。という咄嗟の判断で、店を出る際にそっと店先のコンクリートの割れ目から生えている柔らかい雑草の方にぽんっと投げた携帯。
それがどうやら大いに役立ったようで、あの時の俺ナイスすぎだな。なんて自画自賛しつつ、けれどこれでは時間も分からない。と裕はボリボリ頭を掻きつつテレビをぴっと付けた。
テレビ画面の左上に表示されている時刻でちょうど今がお昼の二時を過ぎた頃だと分かり、どんだけ寝てたん。と昨夜の爆睡具合に相当疲労が溜まってたんだなと裕が苦笑しながら、のそりとベッドから起き上がる。
それから店に向かうため痛む体を押し、準備をして鞄を探したが、もちろん鞄もなく。
昨夜、荷物を置く暇もなくあの店に連れていかれたせいで、きっと鞄はあの店に置き忘れられているだろうと気付いた裕は、これじゃあ電車にも乗れないじゃん。と顔を青ざめさせたが、まぁタクシー捕まえてお店に着いたら瑛辺りに立て替えてもらっとけばいいか。と楽観的に考えながら、家を後にした。
そうしてタクシーを拾い、無事お店まで辿り着いた裕は、運転手にちょっと待っててください。と頭を下げながら店の中へと入り、仮眠室へと向かった。
そこにはちょうど、二部が終わり仮眠室で休んでいる面々が居て。滅多にお昼になど来ない裕の登場と、そして昨日の一件のあとまだ会っていなかったため驚いた様子で石やんや誠也、瑛が駆け寄り、声をかけてきた。
「裕!」
「昨日有さんから話は聞いたけど、大丈夫なの?」
「唇の端切れてるじゃん!」
なんて騒ぎ立ててくる、三人。
その心配が溢れる表情にへらりと笑ったあと、けれども今はもっと重要な事があるのだ。と瑛を見た。
「ごめんごめん、心配かけて。俺は全然大丈夫だから。そんなことより、瑛……、悪ぃ! 金貸してくれ!」
そう大声を出し、パンッと顔の前で両手を合わせ、頭を下げる裕。
それに瑛はもちろん、石やんと誠也もポカンとした顔をしては、は? と裕を見つめたのだった。
***
あの店に鞄を置き忘れてきたという事を伝え、瑛にタクシー代を立て替えてもらった、その後。
裕を囲みスタッフルームに集まった皆はガヤガヤと遠巻きに裕を見つめていて、誠也、石やん、瑛はそんな皆の想いを代表するよう、口から開いた。
「ほんとに大丈夫なの?」
「だから、ほんとに大したことないって」
もうすっかりお馴染みとなった、くたびれた深紅のソファ。
そこに腰かけたまま、大丈夫だって。と裕が笑っていれば、珍しく騒がしいスタッフルームをちらりと覗いた有人が裕に気付き、なんで来てんだ! と驚きの声をあげながら、輪に加わった。
「──で、どうしてあんな事になったの」
もう来ているのなら怒っても仕方がない。と言わんばかりに溜め息を吐きながらも、詳しい流れを話してくれ。と真剣な眼差しをして有人が聞いてくる。
それに裕は困ったようポリポリと頬を描きながら、俯いた。
「俺の態度が悪かっただけだよ」
そう嘘を付き、でも半分以上はそれも本当だと思うし。なんて心の中で呟きながらも、皆に向かってへらりと笑う裕。
そうすれば、あまり納得はしていないものの理解はしたのか、とりあえず無事で良かった。と皆が胸を撫で下ろし、それから石やんが、「そういえば!」と立ち上がっては自分のロッカーから裕の携帯を取り出した。
「あー! 俺の携帯! 石やんが見つけてくれたん?」
「うん」
「そっか。さんきゅ」
「ん。にしても昨日の蓮の剣幕には、まぁじびっくりした」
「確かに。あんな蓮滅多に見れないからなぁ」
石やんと誠也が顔を見合わせて、やばかったよな。と話している。
それを聞きながら、駆けつけてくれた蓮の、しかしあの感情ひとつない冷たい顔で容赦なく暴力を振るっていた姿を思い出した裕は、様々な気持ちが沸き起こるまま、またしても俯いてしまった。
そんな裕の様子に、一応有人から何があったのか他の人より詳しく聞いているらしい誠也達がハッとし、ばか。と瑛が二人を小突く。
その重苦しい雰囲気に有人が小さく溜め息を吐いたが、一度席を外し、それから戻ってきた有人は手に裕のショルダーバッグを持っていた。
「あ、これ、……有さんが預かってくれてたの?」
「違う」
「え?」
「……さっき、カイが持ってきたんだよ」
そうぽつりと言った有人の声にざわっと場が揺らぎ、しかし誠也だけが有人に詰め寄っては、いつの間に。と表情を厳しくさせた。
「カイさん、いつ来てたの」
「二部営業してる時にこっそり」
「……なんで俺に声かけてくれなかったの」
「ばかか。ナンバーワンがそう簡単に抜けれるわけないだろ」
「……何しに、」
未だ表情をひきつらせた誠也が小さくそう呟けば、その誠也をじっと見たあと、しかし有人はしっかりとした口調で告げた。
「ロッカーの荷物、取りにだよ」
その言葉に、自身の隣だったカイのロッカーをバッと振り返り見た誠也が慌ててカイのロッカーを開け、それから中に何もないのを見ては、項垂れた。
──それが何を意味するのか。
そんな事ぐらいもうこの場に居る全員が知っていて、誠也のその背を見て皆が固唾を飲むなか、
「……カイが最後に言った言葉、なんだと思う。誠也」
と、有人が優しく声を掛けた。
「……」
「……頑張れよナンバーワン、だってさ」
無言を貫く誠也に、ふっと穏やかに微笑みながら有人が言った、言葉。
それは、この一連の騒動を詫びるでもなく、今までの対立に関する何かを言うでもない、シンプルな言葉で。
端から聞けば最後の最後までなんてふてぶてしいと思われる言葉だったろうが、しかし誠也にとっては、その一言で十分だったようだった。
「……っ、グスッ……」
有人から告げられたカイの言葉に、カイのロッカーの前で皆が居るにも関わらず、カイのロッカーの前でずびずびと鼻を啜り嗚咽を溢し始める誠也。
そんな誠也の姿を、眉を下げ裕が悲しげに見ていれば、
「……どういう経緯で知り合ったのかは教えてくれなかったけど、誠也がホストになるって決めたのはカイさんがきっかけだったらしい。それに誠也が新人だった頃、面倒見てくれたのもカイさんなんだって。俺達を誘うときも、すっげぇ人が居るんだよ。冷たく見えてほんとはすげー優しくて、格好良くてキラキラしてて、なんていつも凄く嬉しそうに話しててさ。そんな誠也の楽しそうな顔を見て、俺達は誘われるがままここで働いてるみたいなもんだったんだけど、でも俺達が入った頃ぐらいから何でだか知らないけど仲が拗れて、今みたいな感じになってて……。でも誠也にとってはやっぱり、ずっと大事な人なんだろうな」
そう横から瑛がそっと教えてくれ、その言葉に裕はそうだったのかと目を小さく見開かせたが、この騒動のせいでカイ達が居られなくなってしまった申し訳なさに、表情を曇らせた。
「……まぁ言い逃げにも程があるし、最後に誰の顔も見ずに辞める狡い奴には制裁が必要だと思ってさ、ちょうどスタッフが居なくて困ってたらしい俺が以前勤めてたホストクラブのマネージャーに連絡してやったよ。一応今回の件も話したけどそれでもいいからっていうんで、そこで一から出直して、ちゃんとその店で一位になったその時に自分の口から誠也にそう言えって、突っぱねてやった」
しんみりとした空気が流れるなか、誠也にちゃんとこうして伝えたくせ、わざと軽い口調で言った有人。
その言葉に誠也が涙でぐしゃぐしゃになった顔で振り返り、その間抜けな顔に、不細工すぎる。と有人が笑いながら、渇を入れた。
「うちだってカツカツなのに四人も一気にいなくなったんだから、泣いてる場合じゃないんだよ、ナンバーワン!」
「グスッ……そう、ですね……」
ズビビッと垂れる鼻水を吸い、色々な感情が込み上げているだろう誠也がそれでも、乱暴に袖で涙を拭っては、笑ってみせた。
「それから裕、裕が気にする事でもないし、蓮が取った行動も良いとは言えないけど、それでも結局はカイ達の弱さのせいだからね。裕は胸張って、堂々としてればいい。まぁ蓮にはちょっとだけお灸を据えるけど」
俺のせいで。と落ち込んでいる裕に気付いていたのか、裕のせいじゃない。とキッパリ言い切った有人が、あははと笑う。
その言葉に裕が少しだけ笑顔を見せ、いつも通りの空気感が漂い始めた頃。
横にいた石やんが誠也に向かって、
「泣くなよせいや~。ほら、有さんか瑛のおっぱいでも揉んで元気だしなよ」
なんて言いながら有人と瑛の腕を掴み、生け贄だと捧げた。
「なんでだよ!」
「はぁ!? 意味わかんないんだけど! なんで俺と有さんなん!?」
「いいじゃん別に! 減るもんじゃないし! 疲れてる奴に、おっぱい揉む? って言うのが昔流行ってたし!! 俺はいやだけど!!」
両方から総スカンを食らい、バシバシと叩かれ、痛い痛い! と叫ぶ石やん。
その、俺は嫌だけど。という拒否の言葉に二人が俺だって嫌だよばかと叫び返していたが、しかし誠也はいつものよう、明るい笑顔を浮かべた。
「癒されてーー!! もうこうなったら誰の乳でもいい! 触らせろーー!! うおぉーー!!」
そう叫びながら誠也が両手をわきわきとさせ、有人と瑛に詰めより、やめろや! と逃げ回る二人を追いかけ回す。
それになぜか石やんも一緒になって追いかけ始め、部屋は阿鼻叫喚と爆笑の渦に包まれ、裕も痛む体に顔を歪ませつつ、それでも耐えきれない。と声を上げて笑った。
──そんなほんわかとした、いつも通りの空気が流れるなか、気が付けばそろそろ一部が始まる時間となっていて。
皆が泣き腫らした誠也の顔に、これで店出るのかよと笑ったが、いいんだよ! と歯を見せて快活に笑い返した誠也。
その顔を見て、……強いなぁ。と裕が感心していれば、ふいに隣に来た有人が裕は大人しく帰りなさい。と促し、それから徐に誰かに電話を掛け始めた。
「あ、蓮? 休みの日にごめんね。って言った後になんなんだけど、今からお店来てくれない? 裕が来ててさ、送ってあげてよ」
そう言ってはすぐに電話を切る有人に、しかし裕が驚きに目を見開く。
それから、一人でも帰れるしよりによってなぜわざわざ蓮を呼んだんだ。と裕は気まずげな表情しては、口を開いた。
「なんで……、わざわざ蓮を呼ばなくても別に俺一人で帰れますよ、有さん」
「んー……、でもなんか裕、今蓮にあんま会いたくないって思ってない?」
「っ、」
「それずるずる続くと、ボタンの掛け違いみたいになって後々取り返しつかなくなるよ。……カイと誠也みたいにさ。だから二人の間の事は、ちゃんと二人で早めに解決しなよ」
図星を付かれ息を飲む裕に有人は笑うばかりで、裕は顔を曇らせつつ、それでももう何も言わなかった。
そんな気まずそうな裕をよそに皆は準備で部屋を出ていき、一人きりになった裕はソワソワとしながら部屋で蓮を待った。
そして、有人が電話をしてから十五分もせずにスタッフルームの扉が開き、いつもより随分とラフな格好をした蓮が裕を見ては、小さく溜め息を吐いたのが分かった。
「蓮……」
「怪我治ってないのになんでいるの。……送るから、帰るよ」
だなんて困り顔をしている裕を見てはまたしても溜め息を吐き、ほら、立てる? と手を差し出してくる蓮。
その、安静にしてろと言われている筈なのに。というどこか呆れが滲む態度と、それでも優しい声に裕は小さくごめんと呟いては、差し出された大きくて綺麗な蓮の手をそっと取った。
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