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第三章
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しおりを挟む「裕、おはよう」
そう言って隣に並び立ち、肩を抱いて爽やかな笑顔を振りまく男こと、蓮。
その掌の大きさと熱さや近さに、なぜだかじわりと体が熱を持った気がして、得体の知れない緊張感にも似た何かを振り払うよう小さく身動ぎながら裕も、おはよう。と返事をした。
しかし曖昧な顔をしている裕を、蓮は目敏く察知したらしく。
「どうしたの? もしかしてまた何かされた?」
なんて、嫌がらせでもされたのかと眉間に皺を寄せ顔を覗き込んでくるので、いや、お前のせいだし。とは思ったが、素直に言える訳もなく。
なんもねぇわ。ととりあえず笑った裕だったが、しかし、昨夜の蓮のあの台詞や態度を思い出してしまい、俯いてしまった。
裕がクラブ『ROSE』で働くようになり、早いもので気が付けばもう半年。
仕事にも慣れ、仕事抜きにしても今後も付き合っていきたいと思える友人達に出会えたと思っていた、矢先。
あの、春の嵐のような台詞を投下してきた蓮。
出会った月日が全てとは言わないが、蓮と仲良くなってからまだ二ヶ月ほどしか経っておらず。それなのになんだかずっと前から一緒に居たような居心地の良さだったり、不意に距離が近くてなぜだかドキッとしてしまったりと、なんだかいつも蓮のペースに振り回されている気がする裕は、……やっぱこいつ良く分かんねぇなぁ。なんて小さく頭を掻いては、昨夜の仮眠室での騒動を思い出していた。
『頑張るからさ、褒めてよ』
なんて訳の分からない事を言ってきた蓮が居なくなり、一人フロアで火照った頬を冷ましていた裕の耳に、響く喧騒。
それに堪らず裕も仮眠室へと向かえば、簡易ベッドもあるのに相変わらず広い部屋の隅っこで毛布を敷いては石やんと引っ付いて寝ていたらしい誠也が、目をしぱしぱとさせながら寝転んだまま布団の側に立つ蓮を見上げていた。
部屋のなかには他にも数名のホストが居り、蓮が何を言ったのか知らぬが、聞いていた周りのホスト達がざわざわと騒いでいて。
それに裕は近くの椅子に座って携帯を弄っていたらしい瑛に、素知らぬ振りをして問いかけた。
「ど、どうしたの?」
「……いや、俺も良く分かんないんだけど、いきなり蓮が誠也を起こしてさ、」
「……うん」
「来月、俺が一位になるからって……」
そう放心状態で呟いた瑛の言葉に、……うぁぁ、俺に言った言葉とそっくりそのまま言ったんかアイツ。と裕が驚いたのも束の間。
蓮が座り込み、
「誠也、ちゃんと聞いてた?」
なんて誠也に笑いながら問いかけている。
その顔と周りのざわめきに顔をしかめ、寝起きのせいで物凄く不細工な顔をした誠也が、うん? なんて間抜けな声を出し、のそりと上体を起こした。
未だ布団の上で頭をボリボリと掻く誠也のそのむくんだ顔を見ては、不細工すぎ。なんて吹き出した蓮の本気かどうか掴めぬ態度に、
「……さっきの、本気で言ってる?」
と漸く頭が働いてきたのか、眉間に皺を寄せた誠也。
それにやはり掴み所のない笑顔で蓮は笑った。
「もちろん」
そう言い切った蓮に周りがやはりざわざわと騒ぎ始めたが、それを気にするでもなく誠也はじっと蓮の顔を見ていたかと思うと、口を開いた。
「そっか。じゃお前に抜かされないように、俺も来月は真剣に頑張ってみるわ」
以前まであまり出勤もせずのらりくらりと仕事をこなしていた蓮。
けれど長年の友人だからこそ分かるその珍しく本気らしい態度に、誠也が一気にきゅっと顔を引き締めては、普段は一位だとか売り上げだとかに拘らないくせ、蓮の宣戦布告に真っ向から受けて立つ。と笑った。
その二人の姿に仮眠室らしくもなく部屋の中は、最高の盛り上がりを見せていて。
拍手やら口笛やらが沸き起こるその割れんばかりの音に、ようやく目を覚ました石やんは飛び起き、「は? え、なに? コンサート始まった?」なんて意味不明の言葉を吐いていた。
辺りをキョロキョロと見渡し、未だ状況が掴めていない石やんを他所に、話もう終わりなら俺まだ寝るよ。と言いたげにまた布団に潜り込んだ誠也。
そして横で困惑している石やんに向かって、
「サルみたいな顔すんなよ」
なんて笑い、それからそのまま秒速で眠りについた誠也の普段通りの態度に、……どういうこと? と石やんが蓮を見たが、蓮もまたただ笑うだけで、何も言いはしなかった。
そんな突然始まった誠也と蓮の、勝負話。
それに、まじやべぇよ! なんて他のホストが口々に言い合っているなか、一人顔を青くしながらそれを見ることしか出来ない裕は、勝負はいいが蓮が突然そんな事を言い出したその発端は自分にあるらしいのがどうにも腑に落ちない。と眉をハの字に下げ、瑛と一緒に顔を見合わせてしまった。
そしてそんななか、未だ静まらぬ部屋の様子に、
「めちゃくちゃ煩いんだけどなに!?」
なんて突然叫ぶよう入ってきた、有人。
その声に一気に皆ピシッと背を正し、マネージャーお疲れ様です! なんて挨拶をしていたが、ふいに立ち上がった蓮だけはやはりマイペースなまま、有人を見上げて笑った。
「アリさん、俺来月めちゃくちゃ頑張るからさ、シフトめいっぱい組んでよ」
「え、この騒ぎ蓮のせいなの?」
どうやら蓮のせいらしいと瞬時に理解した有人が詰め寄ったが、蓮は特になにも言わず、いつもの爽やかな笑顔を浮かべるばかり。
それに、いや説明しろや。と有人が怒っていたが、その脇を通りすぎ裕の方へと歩いてきたかと思うと、
「裕、早く帰らないと終電なくなっちゃうよ?」
なんて言っては自分の腕時計を指し、やばいよ。とご丁寧に教えてくれる蓮。
そんな蓮の態度に裕は困惑の表情を浮かべたまま、けれども帰れなくなっては困ると後ろ髪を引かれながら仮眠室を出て、急いで帰宅した。
それなのでそのあとどうなったのか全く分からない裕は、瑛や誠也(石やんは一番理解していないだろうから頼るのはやめた)にメッセージを送ったが忙しかったのか返事は返ってこず、不安と良く分からないドキドキを抱えたまま、今日出勤してきたのだ。
──そんな裕の心情など知ってか知らずか、未だに肩を抱いたまま、
「今日は俺たちも一部で上がりだからさ、このあと皆で遊ばない?」
なんて、いつも通りの笑みを浮かべる蓮。
その腹の底が見えない笑顔に、……なんだかなぁ。と内心モヤッとしつつも、明日は午後からしか講義がないのでいいか。と裕はその誘いを了承した。
「ほんと? やった」
裕が頷いたのを見て、蓮が嬉しそうに微笑んでいる。
その笑顔がやはりなぜか胸に詰まるなか、……まぁ深い意味なんてないよな。たまたま頑張りたいなって時期に俺が誠也を褒めてんの見たから便乗してそう言ったんだろ。と結論付け、もうごちゃごちゃ考えんのやめよ。なんて裕は思考放棄をしたのだった。
***
──その日の、仕事終わり。
誠也、石やん、瑛、そして蓮に裕といういつものメンツで(仕事が終わればそこに有人も合流するというのが最近の流れである)深夜の居酒屋で飯をかっくらい、仕事でも飲んでいるにも関わらず酒を飲んでは和気あいあいと楽しく食事をしていたのだが、ふと、
「そういや蓮、なんでいきなり一位になるとか言ってきたの?」
なんて枝豆をもしゃもしゃ頬張りながら、誠也が向かいに座る蓮に問い掛けた。
その言葉にぴくりと身を揺らしたのは蓮の隣に座っている、裕で。
それから裕はちらりと横を見たが、蓮は相も変わらず何を考えているのか分からない笑顔で、んー? なんて言っては、酒を呷っている。
「蓮ってそういうの俺より興味ないじゃん? それなのに急になんでそんな事言い出したんだよ」
そんな飄々とした態度の蓮に誠也が畳み掛けるよう問いかけ、それに少しだけ黙ったあと、
「誠也みたいに褒めてもらいたいから」
なんて、蓮がど直球に答えた。
その瞬間ゆらりと身動いだかと思うと、わざとなのかたまたまなのか分からないが、蓮が裕の肩にトン、と自分の肩を当ててくる。
それからそのまま、その近い体勢から動こうとはせず、右肩だけがじわじわと熱を持っていく感覚に裕は何故だかドキリとしてしまって、目を伏せた。
じわじわ、じわじわ。
服越しから伝わる体温に心拍数が上昇し、……なんだこれ。と戸惑う裕を他所に、会話はどんどんと進んでゆくばかりで。
「褒めてもらいたいって誰に?」
なんて聞き返してきたのは、誠也の食べかけの枝豆をむんずと横から奪い取り、皮ごと食べた石やんだった。
そんな暴挙に出た石やんに誠也が目を見開き、お前……! なんて石やんの口から吐き出させようとしていて。
「ちょちょちょ、痛い、あっ待って、枝豆の皮の先端が頬に刺さった、痛い!」
「はははっ、どういう状況なんだよそれ!」
「石やん、ぺっしちゃいなって」
なんて向かいで誠也を真ん中に挟み、左隣の石やんと右隣の瑛の三人が、わちゃわちゃとし始めていて。
それを楽しげに、ばかだなぁ。と笑いながら見つめている蓮は、先の質問に答える気はないのか、スルーを決め込んでいる。
けれどもそうは問屋が卸さないとばかりに、誠也に頬っぺたを手で潰されたままの石やんが、
「ふぁいふぁいおれ、おひたばっはでろういうじょうひょうかふらひらなはっはんられろ! はれにほめられはいんらろ!(だいたい俺、起きたばっかでどういう状況かすら知らなかったんだけど! 誰に褒められたいんだよ!)」
と、宇宙語にも近い言葉で蓮に詰め寄った。
しかし、それでも蓮は笑顔のまま、「なに言ってるか分かんないんだけど」と返すばかりで。
そのなんとも言えぬ空間にちらりと裕が蓮を伺えば、やはり目敏くその気配を察知したのか蓮も裕を横目で見やり、唇を弛ませた。
まるで、(俺たちだけの秘密だよ)と言いたげなそのどこか色っぽい表情に、またしてもドクンッと心臓が高鳴った気がした裕は、思わず目を伏せてしまった。
なんだよそれ。別に俺にって言えばいいじゃん。こんなわざわざ特別だから黙ってるみたいなオーラ出すなや。
そう言って笑えば、この場に居る皆も、なんだよ裕かよ! と笑うだろう。
それだというのに、その一言が何故か喉の奥でつっかえては出てこず、きゅっと太股の上に置いていた掌を握る裕。
なんだかもう呼吸すらも上手く出来ないようなドキドキに苛まれ、身体中が酸欠に陥っていくような感覚に、……なんだよほんとに。と元凶である蓮を裕は恨みがましく見たが、しかしやはり柔らかく笑い返されるだけだった。
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