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番外編
その後 8
しおりを挟むその微かな声が次第にハッキリと聞こえ始め、三人ともがヒュッと息を飲み、それから詰めていた息を吐き出す。
──おぎゃあ、おぎゃあ、と廊下にまで力強く鮮明に響き渡る、泣き声。
それに目を見開いたまま固まったシュナの視界に見える廊下は、燦々と降り注ぐ朝陽に照らされ美しく。
光の筋が空中に浮かぶ粒子をキラキラと輝かせているその光景がいきなりクリアに見えたシュナは、その天まで届くような美しい赤子の泣き声に堪らずぐっと拳と唇を噛み締め、それからまたしても掌に顔を埋めた。
……産まれた。産まれたんだ。ノアがお腹の中でずっと守ってくれた俺達の子どもが、無事に産まれた。
そう肩の力を抜いて呼吸を乱したシュナが体を震わせ、ずびっと鼻を啜る。
心臓がこれ以上動けないほど速く高鳴り、幸福に押し潰されそうな肺は息苦しくて。
隣でロアンとテアが歓喜の声をあげ抱き付き、両側から圧迫される苦しさや、ぐしゃぐしゃと頭をロアンの手で撫でられる感触、それからテアが肩に顔を押しつけ涙で濡らすのを感じたが、しかしシュナは一言も発する事が出来なかった。
喉が燃えるように熱く、止めどなく溢れ出る涙のせいで前すら見えなないシュナが、うぅ……、と嗚咽を溢し、それにロアンが涙声で笑った、その時。
煌々と灯っていた【手術中】のランプがふっと消えた。
バタンッと扉が開き、汗を掻きながらも安堵の表情をしつつ出てくる医者。
それにテアとロアンが立ち上がり、未だに放心状態で泣くシュナを立たせてから、三人ともが頭を下げた。
「無事に産まれたよ。元気な女の子だ。産んだその直後に少しだけ意識を失ったノアも、今は意識もハッキリしてるし心拍も安定していて、異常もない。ノアも赤ちゃんも、良く頑張ってくれた。少しすれば病棟へ移って、それから二人に会えるよ」
そう穏やかに微笑みながら、医者が言う。
それにズビズビと鼻水を啜りながら、シュナは誰よりも深々と頭を下げたまま、口を開いた。
「あり、がとうございます、ありがとうございますっ……」
ひくっと喉を、安堵と歓喜で体を震わせながらなんとか声を絞り出したシュナの弱々しい呟きが、廊下に溶けていく。
そんなシュナの肩をロアンとテアが変わらず横から支えてくれ、医者もポンポンとシュナの肩を叩き、シュナも良く頑張ったね。おめでとう。と励ましては、去って行った。
辺りはすっかり陽が昇ったのか明るく、窓から見える空は青々しく美しくて。
雲一つないその快晴が涙目に染み、シュナはただただぼんやりと自身の身に起こった素晴らしい出来事に空を見上げたまま、ずびっと鼻を啜り続けた。
***
「……シュナさん」
暫くし、案内された病室の扉を緊張した面持ちでガラリと引いたシュナに、ベッドの背もたれにもたれ赤ん坊を抱いたままのノアが、穏やかに声を掛けた。
その髪の毛はぐしゃりと乱れ、顔色は未だに蒼白く、体調が良いとは嘘でも言えないほどだったが、腕の中の赤ちゃんを大事に抱きかかえて微笑むノアは圧倒されるほど美しく、綺麗で。
朝陽を浴びながら、穏やかに瞳を伏せて赤ちゃんを見つめているノアのその優しい表情にシュナはまたしても涙腺が決壊する気配を感じつつ、直ぐにベッドへと駆け寄った。
「ノアッ……!!」
「わっ、」
「ノア、ノア……、ありがとう、ありがとう、ノア……」
シュナがそっとノアを抱き締め、だがしかし肩を震わせては泣きじゃくる。
そんなシュナにノアは一度目を丸くし、それからぽろりと一粒涙を落としては、それでも朗らかに笑った。
「シュナさんがこんなに泣いてる所、初めて見ました」
「うっ、うぅ……」
「あは、シュナさん、泣かないで。ほら、俺達の赤ちゃんですよ」
軽やかでありながらも凛とした声で囁くノアが、すりっと一度シュナの赤くなっている鼻先に自身の鼻を擦り付けつつ、ほら見てください。と腕に抱いた赤ちゃんを見せてくる。
それにシュナが赤ちゃんにぶつからぬようにとノアを抱き締めていた腕を離し、恐る恐る見下ろせば、すやすやと眠っている赤ちゃんが目に入った。
生れたてで未だに少しだけ肌が赤く、とても小さいその姿。
瞑る目に微かに生えている睫毛や、小さな鼻にむにゅむにゅと動いている唇。
ノアの美しい金髪とは違う、だがしかしシュナと同じ色の、艶やかな黒髪。
エコー検査で日々成長している姿を見ていた時も感動したが、いざ目の前にすると、あまりにも可愛らしく愛しくて。
それに息を飲んでまたしても咽び泣いたシュナは、柔らかくすぐに壊れてしまいそうな赤ちゃんの頬に、そっと指を伸ばした。
指の腹が触れる皮膚はやはり柔く、温かく。
そして反応するようまたしても唇をむにゅむにゅとした赤ちゃんの愛らしさにシュナは破顔し、それからノアのこめかみに鼻を埋めた。
「……ノア、ありがとう……」
「……俺の方こそ、ありがとうございます。シュナさん」
俺に赤ちゃんを産ませてくれて、親にしてくれて、ありがとう。
そう微笑むノアの声がまるで聖母のように美しく、シュナはやはり胸に詰まる幸福さとノアと赤ちゃんへの愛しさに溺れながら、ノアの体をそっと抱いた。
そんな涙を流しながら寄り添って微笑み合う二人を、朝の光はいつまでもキラキラと美しく輝かせていた。
「あはっ、見てみろノア、可愛いな」
「ふふっ、ほんとですね。……凄く小さい」
「……でもすぐに大きくなるんだろうな」
「……そうですね」
だなんて、泣き止んだものの涙で膨らんだ瞳のまま、しかし二人が幸せに声を弾ませては赤ちゃんを見つめる。
ノアの腕のなかに居る赤ちゃんの手も指も本当に小さく、そっと差し出したシュナの指を反射的に握るその微かな握力にシュナは喜びに喉を鳴らし、ノアもそんなシュナを見ては花が綻ぶような顔で美しく笑った。
「ねぇもう良いよね!?」
突如ガラリと引かれた扉と共に、そう突如響き渡る声。
それに二人が肩を跳ねさせ驚きに目を見開いたが、最初は二人きりにしてあげようと配慮して外で待っていたが長すぎるでしょとテアがぷりぷりとしながら中に入り込んだのを見て、二人は顔を見合わせて笑った。
「俺、ずっと待ってたんだけど!?」
「それは分かったが、もう少し声を落とせテア。赤ちゃんが泣くだろ」
「うわっ、さっきまでぐちゃぐちゃに泣いてたのにもうすっかりクールぶっちゃってるよこの人」
「まぁまぁそう言ってやるなよテア。なんせ初めての子だしさ」
シュナの小言にへっと鼻を鳴らすテアを嗜めつつ、ロアンも病室へと入ってくる。
それから二人ともが、お疲れ様ノア。と必死に子どもを命がけで産んだノアを抱き締め優しい声をかけ、それからシュナとノアの間ですやすやと眠っている赤ちゃんを覗き込み、キラキラと瞳を輝かせた。
「っ、かっわいい~~……!!」
「俺の姪っ子……!」
「いや、俺の姪っ子ですよ!」
「おい! なんでだよ! シュナの子なんだから俺にとっても姪っ子だろうが!」
「それでも一番の叔父さんは俺ですから!」
「何だそれ! 年齢的に言ったら俺が一番の伯父さんだろうが!」
「そういう事じゃなくて、一番赤ちゃんを愛してる叔父さんが俺って事ですー!」
「っ! それは俺だ!!」
だなんだと騒がしい二人に、ふにゃりと赤ちゃんが眉をしかめ、ふぇ、と唇を震わせる。
それに全員が慌てて押し黙り、それから泣くことなくむにゃむにゃとしては眠り続けた赤ちゃんを見て、ほっと息を吐いた。
途端にしんと静まり返る、病室内。
カチッカチッと病室に置かれた時計の秒針が進む音だけが響く部屋のなか、赤ちゃんをまじまじと見ては表情を弛ませる三人を見ては、ノアは赤ちゃんをしっかりと腕のなかに抱いて、あはっと笑い声をあげた。
それは美しい朝にとても良く似合う、晴れ晴れとした声だった。
***
そうして、無事に赤ちゃんを出産し一週間ほど入院したノアは、その間に赤ちゃんを安全にお風呂に入れる方法、微かに膨らんだ胸から赤ちゃんに上手に母乳を飲ませる方法などを習い、群れへと帰宅した。
ノアの義母でもあるシュナの母親は泣いてノアを抱き締め、赤ちゃんもノアも無事で良かった。と喜び、シュナの父親であるパックアルファも赤ちゃんを見ては少しだけ瞳を潤ませ、それからノアの肩を優しく抱いてありがとうと呟いた。
それにノアは泣きながらも微笑み、それから集まってきたリカードやアストル、ウォル達もノアに労いと祝福の声を掛け、初めて見た赤ちゃんに瞳を蕩けさせた。
ロアン達の子どもであるロイドとカインが赤ちゃんを見ては目を輝かせ、テア達の子どもであるアンもよちよちと歩いては赤ちゃんを覗き込み、キャッキャと嬉しそうに笑い声をあげている。
それはとても素晴らしく微笑ましい光景であり、群れ全体が幸せに包まれるなか、シュナは赤ちゃんを腕に抱いて微笑むノアを誇らしく想いながら息を飲み、俺の何よりも大事で大切で愛しい人。と赤ちゃんを抱いたノアごとそっと抱き締め、ずびっと鼻を啜った。
──それから、約一ヶ月後。
春の風が穏やかに吹くなか、ノアとシュナはいつもの花畑に立っていた。
ノアの腕のなかに居る赤ちゃんは一ヶ月であっという間にぐんと大きくなり、真っ黒で円らな瞳をぱちぱちと瞬きさせては、ぽっちゃりとした指をしゃぶっている。
それがとても愛らしく、ノアがせっせと編んだ黄色の帽子から覗いているキラキラと太陽の光を浴びて輝く赤ちゃんの髪の毛を、そっと撫でたシュナ。
それから額に優しくキスをすれば、擽ったそうにむにゃむにゃと唇を震わせる赤ちゃんにシュナは穏やかに微笑み、そっとノアの肩を抱いた。
こてん、とシュナの肩に頭を乗せたノアも穏やかに微笑んでいて。
その表情は愛に満ち溢れていて、シュナは胸を占める幸福さに息を吐き、目の前を見た。
さわさわと吹く風に揺れる、小さくて白い花達。
それが美しく、シュナが目を細めていれば、ノアがそっと口を開いた。
「……願いが、叶いましたね」
「……そうだな」
「綺麗……」
「ああ」
「……ふふっ、見てください。眠たそうな顔がシュナさんにそっくり」
ちょんちょん。と赤ちゃんの頬を撫でながら、微笑み目を伏せるノア。
それにシュナも同じよう視線を下げれば、シュナと同じ黒髪で、シュナと良く似た眼差しで、だが真っ白な肌をした赤ちゃんが見つめ返している。
それに、確かに俺にそっくりだ。とシュナもはにかみ、肩に回した腕で更にノアを抱き寄せた。
「お前が言った通りだったな」
「ふはっ、でしょう。やっぱりシュナさんに似ると思いました」
「……でも不思議だな。自分とそっくりでも、とびきり可愛く見える」
「そりゃあそうですよ。自分の子どもですし、それにこんなに可愛いんですから」
何当たり前の事を言ってるんだこの人は。と呆れた顔で笑いつつ、ノアが赤ちゃんの鼻に自身の鼻先をすりすりと擦り付けている。
その瞬間、咲き誇る花にも負けずにふわりと香る、元に戻ったノアの爽やかで甘い桃の香りと、赤ちゃんから香るミルクとベビーパウダーの匂い。
それにシュナはまたしても泣きそうになりながら微笑んでは、完璧な美しさに息を飲んだ。
麗らかな昼下がり。
ずっとずっと願っていた幸せが今この手の中にある事にシュナが畏敬の念を抱きながらノアを見つめていれば、赤ちゃんのぽっちゃりとした頬に自身のふっくらとした頬を寄せ、お父さんは泣き虫ですねぇ。だなんてノアが呟いている。
それが変わらず幸福さで胸を締め付けさせ、だがノアの目にも涙が滲んでいるのを見たシュナは、そっとノアのこめかみに口付けた。
その擽ったさにクスクスと笑い声をあげ、ノアが目を細めては笑う。
それはノアもこの幸福さに圧倒されているようにも見え、それから暫くしてノアは息を吐き赤ちゃんの頬に指を伸ばしては擽りながら、愛しの我が子に話しかけた。
「……愛してるよ、ユリア」
そう囁くノアの声はとても凛として澄んでいて美しく、柔らかな表情は愛に溢れ綺麗で気高くて。
そして二人に『ユリア』と名付けられた可愛らしい女の子が二人を見上げては目を瞬かせるその圧倒されるほどの素晴らしい光景に、やはりシュナは息を飲んで鼻水を啜った。
それは良く晴れた青空に似つかわしくないみっともない音だったが、だが燦々と陽が降り注ぐ森のなかで、何よりも優しく誇らしい音だった。
【 愛らしい二人 その後~完~ 】
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