【完結】愛らしい二人

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後編

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 ノアが何処へ向かったのかなど、甘く熟れた桃の香りを辿れば分かりきっていて。
 しかし一人森の中を歩くシュナは、ノアが向かった先がどこか知り信じられない想いで一杯になりながらも、それでも後を追った。

 森の中は冷気を含み濡れていて、肌寒く。

 毛皮を持ってくれば良かっただろうか。とシュナは一瞬思ったが、しかしそれをノアはもう受け入れ羽織ってはくれないだろうと思い直し、唇を噛んだ。
 ましてや、まともに話し合いをしてくれるのかどうかすらも怪しい程である今の関係性に、まるで死刑宣告を待つ罪人のようだ。と自ら赴いているというのにそんな事を考えながら、しかしシュナは一度、深呼吸をした。


 草木を掻き分け、進んだ森の深く。
 突如として拓けた場所が現れ、しかしシュナにとっては見慣れた風景のなか、シュナとノアしか知らない今は一面枯れ草だらけの花畑に、ノアがぼんやりと座っていた。


 その背は風が吹けば消えてしまいそうなほど儚く見え、シュナが堪らず口を開こうとした、その瞬間。

「……俺と二人きりになるのは許されてませんよ、シュナさん」

 だなんて来ることが分かっていたかのよう、振り向きもせずノアが背中越しに、ポツリと呟いた。


 二人の間を、冷たい風が通り抜けていく。

 段々と陽が陰り、薄暗くなり始めた森はいっそう鬱蒼さを増し、ノアを掻き消すよう見えなくさせてくるばかりで。
 そんな遠ざかってゆくかのようなノアの背中と言われた言葉にシュナは強く拳を握り、それから溜め息を吐いた。

「ノア、話がしたい」
「……」
「側に行っても良いか?」
「……」

 シュナの懇願に、されどノアは黙ったまま。
 肯定なのか否定なのかすらも分からないその沈黙にシュナは堪らず首の後ろを掻きながら、それから結局一歩も動くことはなく、しかしノアの背を見据え、ゆっくりと口を開いた。

「……今日来た奴はお前に値しないし、何も気にする事はない。お前の中でアルファはもう信用出来ない人間になったかもしれないけど、世の中そんなアルファだけじゃないって事だけは知ってて欲しい。……まぁ俺が言える立場じゃない事は分かってるけど、お前にはいつか運命だって思えるような人が現れるよ」

 あの高圧的なアルファも、兄としてお前を見れなかった俺も、お前にとっては全て脅威で裏切りなのだろうけれど、それでもどうかそれすらも吹き飛ばすような人にいつか巡り会えますように。

 だなんて自分もノアを傷付けたであろうにも関わらずシュナが俯き心のなかで願えば、ノアがピクリと身を揺らし、それから小さく息を飲む。
 その音にシュナが顔を上げれば、ようやくノアがシュナへと振り返ったが、その顔は悲しげに歪み、唇は色を失くしわなわなと震えているだけだった。

「ノ、ノア……、」
「……シュナさんが言える立場じゃないってどういう意味ですか」
「っ、……それは、」

 ノアの悲痛な声にシュナがどもり、またしても俯く。
 だがどういう意味だと問われても、今この場で、お前は兄としての俺しか望んでいなかったのに愛してしまったから。なんて言えるわけもなく。
 思わず黙り込んでしまったシュナに、しかしノアが小さく息を飲みながら足元の草を掴み、鼻を啜ったのが分かった。

「……前に、傷付けないって、ずっと側に居てくれるって言ったのに……。嘘つき。シュナさんの嘘つき……」

 そう言ったあと、堪らずポロッと涙を落としたノア。
 それからとうとう耐えきれなかったのか喉をひきつらせ、顔を歪ませ、声を上げて泣いた。


「っ、運命の人だなんて……、皆を置いて、俺を捨てて行くくせに、なんで、そんなこと……、シュナさんにだけは、言われたくないっ、」
「……ノ、ノア、」
「……オメガになんて、やっぱりなりたくなかった。なったって、意味なんかない。シュナさんが側にいてくれないなら、なんの、意味もない……。シュナさん以外の人なんて要らないのに、それなのに俺じゃない他の人を選んで出て行くシュナさんに……、俺の事をとやかく言う資格なんてない!」

 ぼたぼたと涙を落とし、引き抜いた雑草をシュナへと投げつける、ノアの悲痛な叫び。

 その声が辺りを浸し、ひび割れ消えていく。
 しかし草は当たり前にシュナにまで届く訳もなく、それでもその姿はあまりにも痛々しく悲しくて。
 けれどもシュナはというと、今のノアの言葉に違和感を覚え、……は? と眉間に皺を寄せただけだった。

「……待て、ノア。言ってる意味が分からない」

 そう困惑したままシュナがおろおろとすれば、キッと強い眼差しで、だが涙に濡れた瞳で、ノアがシュナを見る。

「最後の最後まで誤魔化そうとしなくても良いです! シュナさんが誰かにあげる贈り物を作ってるのも、群れから居なくなろうとしてるのも、俺は知ってます!」
「っ、」
「あの街で会ったオメガの人の所に行くんでしょ! ……俺を、群れを捨ててまで、その人の事がシュナさんは大事になっちゃったんだって、もう、分かってます……」

 張り上げていた声がだんだんとか細くなり、最後はとうとう俯いたノアが泣き伏せ、ぎゅっと自身を抱くよう踞っている。
 しかしシュナはというとそのあり得ない勘違いに驚きに目を見開き、それから先ほど言われた言葉にじわじわと顔を赤らめた。


 ──シュナさんが側にいてくれないなら、なんの意味もない。シュナさん以外の人なんて、要らない。


 その言葉は、まさかノアもそういう意味で自分を求めてくれているのかもしれない。とシュナに自信を持たせるには十分で。
 シュナは今もなおさめざめとノアが泣いているというのに、高揚感とときめきに心臓を高鳴らせながら、そっとノアへと近付いて行った。


「ノア、」
「……来ないでください」
「ノア」
「来ないで。……これ以上無駄に優しくしないでください」
「ノア」
「……シュナさんの特別だなんて勘違いして自惚れてた俺が余計に惨めになるだけだから、来ないでってば……」
「ノア」
「……ごめんなさい、シュナさん。ずっと避けて……、ごめんなさい。……シュナさんの幸せを祝ってあげられない自分が大嫌いだ。……ごめんなさい。シュナさんが知らない誰かを大事に想ってると思うと、向き合えなかった。でもせめて最後は笑って送り出してあげようって思ってたのに、ごめんなさい……。嘘つきだなんて言って、こまらせて、ごめんなさい……」

 怒りをぶちまけたあと、しかし後悔したのか、ごめんなさい。とさめざめ泣きながら呟くノア。
 その姿はやはりあまりにも健気で美しく、シュナは同じようしゃがみこみ、躊躇わずその体を抱き締めた。

「っ、シュナさ、」
「愛してる」

 ノアを腕に抱き、その背を撫でながら、髪の毛に鼻先を埋めたシュナが囁いた言葉。

 それはこの身の内で暴れる感情を名付けるにはあまりにも足りなかったが、だがしかしやはりその言葉しか伝えられる方法が無いのだ。とシュナはノアの体を強く強く抱き締めながら、唇を噛んだ。

 そして、シュナのその言葉に身を捩り抱擁から逃れようとしていたノアがぴたりと動きを止め、それから掠れた声で小さく、……え、と呟いたのが聞こえた。

「泣かせてごめんな。傷付けて、ごめん」
「……シュ、シュナさん、いま……、」
「お前を愛してる、ノア」
「……う、うそです。そんなうそ、言わなくても良い……」
「嘘じゃない。お前を愛してる、ノア」
「っ、でも、シュナさんだって、俺を避けてた……!」
「……お前に避けられてた理由がまさかそんな勘違いだったなんて考えすらしなかったし、俺のせいだと思ってたんだ」
「シュナさんの、せい……?」
「お前が俺を避けてる理由が、俺がお前をそういう目で見てることに気付いてお前が裏切られたって感じたんじゃないかと……」
「っ、そんなこと、」
「前に、俺をヒーローだって言っただろ。……だから、お前にとっての俺はそういう対象として自分を見ない、兄みたいな存在なのかなと思ってた」
「……」
「俺が好きなのは、俺が求愛したいって思うのはお前だけだ、ノア。前にも言ったが、本当にあの街で会ったオメガとは何もない。誓う。お前が見たっていう求愛の贈り物も、無意味だと思いながらもお前を想って作ってただけだ」
「っ、」
「でも本当に渡そうとも思ってなかった。お前が俺に裏切られたと感じてるかもしれないのに、駄目押しで求愛なんかしたらもっと傷付けるかと思ったから」

 そう力なく眉を下げ笑うシュナが、目を見開き見つめているノアを見る。
 その頬に走る涙の跡をそっと優しく指で拭い、こんな風に触れるのも、気兼ね無く話せるのも随分と久しぶりな気がする。なんてこの一ヶ月の苦悩が嘘だったかのよう以前と変わらない距離に居るノアを見て、シュナはまたしても微笑んだ。

「出ていこうとしてたのは本当だが、それも全部お前を傷付けたくなかったからだ、ノア。俺に裏切られたと感じてお前が笑えないなら、俺が出て行けば良い話だろうって、それでお前が幸せになってくれれば良いって、思ってただけだ」

 一つのボタンの掛け違いがずれにずれ、お互いこの一ヶ月馬鹿みたいな勘違いをしていただけ。

 それに気付いたシュナが、なんでこんな遠回りしたんだ俺達。と小さく苦笑しながらも、いやでもノアの事になるとどうも周りが見えなくなるらしい。と自身の盲目さに呆れ、ノアの頬を優しく擦った。


「……な、んですかそれ……それじゃあおれ、ずっと、いろんなかんちがい、して……、」

 シュナの言葉をようやく信じたのか、ノアがまたしても顔をくしゃりと歪ませ、ぽろぽろと涙を流し始めている。
 だがしかしその表情は安堵に満ち美しく、シュナは宥めるようその背を優しく撫でながら、こつんと額を触れ合わせた。

「ノア……」
「っ、ひっ、う、……お、おれっ、ヒートになってから、ずっとシュナさんに触りたくてっ、シュナさんにどうにかして欲しくてっ……、で、でも、あの日シュナさんから知らない匂いがして、それが凄く嫌でっ……、それでつい、その後も避けちゃって……、でもそっからどう仲直りすれば良いのか、分かんなくなっちゃってっ、……ひっ、うぅ、ごめ、なさいっ、馬鹿な嫉妬して、ごめんなさいっ、」
「違う、ノア。俺が悪い。悪かった。お前が苦しんでたのに、知らない奴の匂い付けて帰ってきて、嫌だったよな」

 安心したのか、ノアがこの一ヶ月間感じていた想いを吐露するよう、泣きじゃくりながら話し始める。
 その背を、ごめん。と言いながら抱いたシュナにノアがふるふると首を振ったが、シュナはそれでも、溜め込まずに今ここで全て吐き出してくれ。とノアの背中を優しく擦った。

「……俺を避けてたのはそれだけじゃないだろ?」
「……へ、変にギクシャクしてるのが苦しくて……、だから駄目だって分かってても、前、夜にシュナさんの小屋に、い、行ったんです……。それで、こっそり窓から覗いたら、シュナさん、何か、作ってて……、だから俺、シュナさんが求愛してくれるのかなって、思って……」
「っ、」
「でも、待っててもぜんぜん、してくれなく、て……、だから、もしかして俺ってただの可愛い弟としかっ、今まで見られてなかったのかなって、俺への、贈り物じゃないのかなって……、この間の匂いの事もあったし、ふ、不安になって……、それで、シュナさんが小屋の整理してるのも偶然見ちゃってっ、……だから、おれ、ほんとに、俺じゃなかったんだって……、シュナさんの番いにはしてもらえないんだって、思ったらっ……、かな、悲しくて……、」

 可愛らしい綺麗な顔を歪め、ずびずび、と鼻水を啜りながらノアが泣く。

 そのぽろぽろと溢れる涙が真珠のようにキラキラと輝きを放ちながら落ちてゆき、それが美しく、しかし自分の取っていた行動が全て裏目に出てしまいここまでノアを傷付けていたとは思ってもいなかったシュナは、胸を貫かれるような気持ちになりながら、ノアの体をきつく抱き締めた。

「悪かった。俺が意気地無しのせいで、お前をこんなにも傷付けてたなんて……。ノア、ごめん」
「ちが、俺も、ごめんなさいっ……、勝手に自分の頭のなかだけで決め付けて、シュナさんを傷付けて、ごめんなさい……」
「……ノア」
「うぅ、……」
「……ノア、ごめん。泣かないでくれ。ノア……、愛してる」
「っ、ひっ、ぅ、お、おれ、も……あい、愛してますっ……、」

 謝っても謝りきれぬほどの後悔に苛まれながらも、ノアから返してもらった言葉が胸に沁み、冷たい空気が突き抜けて、つんと痛む鼻。

 だがそれでも吸い込む空気からは大好きなノアの甘い香りがし、シュナはごめんと愛してるを繰り返しながら、もう一度ノアの背中をきつくきつく、抱きすくめた。

 それに応えるようノアもシュナを強く抱き締め返し、それから二人は藍色がひたひたと空を浸す寒空の下、短くも長かったこの一ヶ月の隙間を埋めるよう、ただひたすらに抱き合ったのだった。




 
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