【完結】愛らしい二人

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「シュナ、弓を構えておけ」

 鬱蒼と茂む葉に身を隠し木の上でシュナが息を飲んでいれば、隣の木の太い枝に同じよう身を隠しながら潜んでいる父親が囁く。
 その言葉にシュナはしっかりと頷いては、背に携えていた筒から慎重に弓矢を引き抜いた。



 ──最後の最後までシュナの側から離れず、泣きそうになっているノアを宥めながらシュナが父達と共に群れを離れて、早数日。

 ようやく目的の場所に辿り着いたシュナは、洗礼式の間使っていた自身の小屋が酷く荒らされているのを昨夜見ており、一層身を引き締めながら臨戦態勢を解くことなく、先を見据えた。


 幸い風は風上に流れており、シュナ達の匂いを相手側に伝える事はなく。
 ひっそりと息を殺しながら慎重に距離を縮めてきたシュナ達は、遠くで小さく揺れる炎の灯りを暗がりで認識した。

 距離はおよそ、五百メートル先。
 弓が十分な威力を持って相手に刺さる限界の距離で、シュナがやはり鼻につくタイヤの焦げたような匂いに腹の奥で唸り声をあげながらも、父であるパックアルファの指示を持つ。

 本来アルファたるもの、こうして不意を付いて攻撃するのは意に反しているが、これはただの縄張り争いでも、純粋な決闘でもなく、必ずこの卑劣で醜悪な群れを崩壊させる事が目的であるため、シュナは強い意思を宿した眼差しで、じっと群れのある方を見た。
 それから小さな炎が照らしたその先に一人の男の輪郭を捉えたシュナは、弦を引いた。


 ギリギリ、と耳元で小さくしなる、弓。

 それを聞きながら、しかし目線は変わらず真っ直ぐ前を見据えたシュナが、深呼吸をする。
 真っ直ぐに引かれた腕はしなやかで美しく、シュナは目線の先の炎の影で浮かび上がるあの群れのパックアルファであろうタイヤの焦げたような匂いを放つ男をじっと見ては、その男が隙を見せた瞬間、そして隣に居る父親が口を開いた気配を察知し、ぐん、と更に腕を引いたあと、指をパッと放した。


「放て!」

 厳粛な父親の声に重なるよう、弓が放たれ空気を裂き進む音が辺りに響く。

 すると遠くで野太い悲鳴が上がり、混乱が沸いたそのタイミングでシュナとパックアルファ、そして潜む木の下に居た叔父二人が、駆け出した。

 咆哮をあげ、恐ろしいスピードで敵地へと乗り込んでいく叔父に続き、シュナも素早く木から身を投げ出してはしなやかな身体を鞭のようしならせ、野を駆けていく。

 辺りは騒然とし、何が起こったのか分からないベータの悲鳴、そして射られた男の叫び声や他二人のアルファの怒号が飛び交っている。
 しかしシュナ達の突然の奇襲に為す術なく、その二人も叔父二人にあっという間に制圧され後ろ手で拘束されたまま、地に伏せられてしまった。
 それはシュナの父であるパックアルファが出る幕もないほど呆気なく、シュナは自身が射った男が足を押さえ踞っているのを見ながら、深呼吸をした。


「うぅぅ……、いてぇ……!! お前らどっから出てきやがった!? 何が目的だ!? ちくしょう!! 俺を射ったやつを殺してやる!!」

 押さえつけられずとも足を負傷したせいで踞り、痛みに顔を歪ませながらも怒鳴り声をあげ吠え続けている男。
 その男は曲がりなりにもこの群れのパックアルファの筈だが、しかしそうとは思えぬほど、威厳の欠片も品位すらも感じられなかった。

 その男をじっと見下ろしたシュナは、人を射ったのは初めてだったが何の罪悪感も覚えず、むしろこいつが群れのオメガやベータ、そしてノア達にどれほど惨たらしい事をしてきたのかを思えば、腹を裂き喉を掻き切りたい衝動に駆られながら、鋭く睨み続けた。


 森はざわざわと揺らぎ、轟々と燃え盛る松明。

 叔父達に捕らえられているアルファ二人と、痛みに脂汗を掻きながらも尚虚勢を張っている男を見つめながら、周りに居たベータは何事だと身を固まらせ、踞っている。
 そしてオメガはどうやら依然として汚く不衛生な小屋に入れられているようでその場に居らず、辺りは射られた男が騒ぐ声だけが、虚しく響いていた。


「お前がパックアルファだな」

 不意にその騒音を遮るよう、シュナの父がその男の前に立ち、冷たく言い放つ。
 その声は骨身を震わせるほど底冷えていて、一気にしん、と辺りは静まり返った。

「本来なら他の群れのやり方に首を突っ込む事はしないが……、お前達はアルファの風上にも置けん奴らのようなのでな」
「……な、なんだお前……、俺を馬鹿にしてんのかジジィ!」

 男がシュナの父の威厳にたじろぎながらも、精一杯の侮蔑の表情を浮かべ、罵る。
しかしその言葉に反応したのは、シュナだった。


「──それ以上くだらない事を言うと、殺す」

 踞っている男の後ろに素早く回ったかと思うと、羽交い締めしながら腰に下げていたナイフを喉元に突き付ける、シュナ。

 風でシュナの黒髪が揺れ、刃と共に夜の月夜の光を受けて、鈍く光っている。

 首に回された腕の強さと、喉元に押し付けられる刃先に男がヒュッと息を飲んだのが分かったが、しかしシュナの匂いを嗅いだ瞬間、男は忌々しそうに鼻を鳴らした。

「……お前か。俺の群れからガキを拐ったのは」

 テアを救うためにシュナがここに一度来た時の事、そして川を下った所にあるシュナの小屋を荒らしていた形跡があった事から、シュナの匂いを覚えていたのかそう言った男に、シュナが無言の肯定を示す。
 それに男は矢で射られた痛みで脂汗を掻きながらも、ペッと唾を吐き出した。

「あのガキを自分の群れに連れて行ったなんて、結局はお前らも俺達と同じじゃねぇか」
「……なに?」
「あいつらがオメガになったら嬲るために拐ったんだろ? オメガなんてその価値しかないからな。群れの繁栄の為に拐っておいて、俺達が邪魔だから潰しに来たってか」

 ニヤニヤと笑みを浮かべているだろう口調で、口汚く男が吐いた台詞。
 それにシュナは目の前が真っ赤に染まり腹の奥が沸騰したように怒りで煮えたぎるまま、無意識にその男を押し倒していた。

 獣の唸り声のような音がシュナの喉から上がり、振り上げられた拳。
 そしてその大きく硬い拳が無遠慮に男の顔面に到達した、その瞬間。ゴツッという鈍く重い音が、辺りを裂いた──。


「カハッ、な、」

 馬乗りになられ殴られた男が痛さに呻き喘いだが、尚もシュナは構うことなく、何度も何度も腕を振り下ろすだけ。
 拳が男の頬骨に当たる生々しい音が響き、無心で男を殴るシュナの垂れ下がった黒髪の奥から覗く瞳は暗く深く、驚くほどの怒りに満ち充ちていた。


「やめ、ぶ、うぁ、ゲホッ、ゲボッ、うぅ、」

 鈍い音は止むことはなく、男が息も絶え絶えに小さく抵抗の言葉を吐く。
しかしそれは、口のなかで溢れた血のせいで篭り、くぐもっていて。
 シュナの大きな拳は今や赤黒く、そして男の頬骨や歯に当たりシュナの拳からも血が吹き出している。
 だがそれでも変わらずシュナは一発一発、渾身の力を込め振り下ろし、殴り続けた。

「ヒッ……、う、ぁ……が、……ぁう……」

 男が痛みでガタガタと身体を震わせても止まぬその行為は無慈悲で、十八の若いアルファの前で手も足も出ずただひたすらに殴られている男は、恐怖と生理的な涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらひたすら止めてくれと懇願するよう、喘いでいた。


「やめ、……オエッ、ボゴ、うぇぇ……、」

 不意に男が顔を横に向け、吐瀉物を撒き散らし、ビチャビチャと跳ねる胃酸は悪臭を伴って地面へと染みていく。

 殴られ続けきちんと喋る事も出来ず、ピクピクと身を震わせながら強打された痛みに嘔吐した男を、シュナは僅かばかり眉間に皺を寄せ見下ろしたあと、ようやく殴るのを止めた。


 ……はぁ。と一度小さく息を吐いたあと、シュナが天を仰ぐ。

 晒された喉元に浮く喉仏は男臭く、焚き火の影がそれを紅く染めながら夜に沈めてゆく。
 その姿はまさしく孤高の気高き狼のようで、月はシュナの血が滴る残忍な拳を、それでもまるで美しいものかのように輝かせていた。


 世界は一瞬だけ音を止めたように静まり返っていて、しかしシュナはその静寂を切るよう、止めもせずただじっと見ていた父であるパックアルファを見た。

 その眼差しを受け、自分の息子が獰猛な獣のように男を容赦なく襲い、手を血濡れにしているにも関わらず、親であるがパックアルファでもある父親は満足げに小さく頷いてから、ゆっくりと口を開いた。


「……私がやるまでもないほど、弱いアルファよ。そして先の発言にしても、やはりお前はもうアルファでいる資格すら無い」

 言葉の端々に嫌悪感を滲ませたまま、パックアルファが男を見下ろしている。
 痛さと苦しさ、そして絶えぬ吐き気に未だピクピクと全身を震わせながらもその男は自分が何をされるのか悟ったのか、未だ馬乗りになっているシュナの下から抜けだそうともがき始めたが、しかしそんな抵抗など微々たるもので。
 男の脇を挟む足の拘束を微塵も弛めることなくシュナは、何をするべきか知っている。と男の顎を掴んだ。

「……やめ、やめろ、っ、それ、だけは……、おれが、わるかった、もうオメガをばかにしたりしねぇ、だれもさらわねぇ……。だから……、」

 原型を留めておらぬほどボコボコになった顔で、息をゼェゼェと乱しながら上手く呂律の回らぬまま、それでも男が必死に許してくれと懇願している。
 その情けなさを見下ろしたシュナは、無表情のまま口を開いた。

「もう遅い。俺の父を馬鹿にした事、この群れのベータやオメガを侮辱し続けてきた事、そしてあいつらを苦しめた事を、後悔しながら死ね」

 そう抑揚のない声で吐き捨てたシュナが、男の口を恐ろしい力で開き、それからもう片方の手をその中に突っ込む。
 その狙いは鋭く尖ったアルファの象徴である犬歯で、その歯に指を掛けたシュナは、全体重を腕に掛けた。


「アガッ、ああぁ……、」

 メリメリメリッ……。と体内で響く嫌な音に男は目を見開き、全身に鳥肌を立たせ泣きながらじたばたと暴れ始めたが、シュナは尚も何の感情も乗らない無表情なまま、体重を乗せていく。

「ひゃ、ひゃめへふへ……」
「喋るな。抵抗する方がもっと痛いぞ。じっとしておけば俺が綺麗に抜いてやる」

 男の吐いた吐瀉物や血のせいで咥内は酷く滑り汚く、だがしかしシュナはしっかりとその歯を武骨な指先で握ったまま、深く深く下へ押し下げた。


「──あ、あああぁぁぁ……!!!!」


 美しい月夜とは裏腹に断末魔のような叫び声が男の喉から溢れ、さながらこの世の終わりが来たかのようなその鬼気迫る悲鳴は森にこだまし、それは寝静まる鳥さえ羽ばたかせるほどだった。




 
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