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しおりを挟むシュナが数十分もしない内に戻り、だが肩で息をしながら少年に近付く。
しかしそれを見た少年はやはり泣きそうになりながら自身の身体を抱き抱え死にそうな顔をし、その顔はシュナを怖がっている事は火を見るよりも明らかで、シュナは数歩後退りまたしても両手を上にあげ、脅威は何もない。と示した。
「タオルと服を持ってきました。あなたは着替える事が出来ます。そして薬も。俺が触る事を望まないならあなたは自分でそれを塗る事が出来ます」
「……」
「タオルと着替えをここに置きます。俺は後ろを向いておくので、心配しないでください」
シュナがなるべく声が柔らかく聞こえるよう努力しながら少年のすぐ近くに服を置き、後ろを向く。
そうすれば数分の沈黙のあと、タオルで身体を拭いて服を着替えているような音がして、シュナは、良かった。と内心で微笑みながら安堵の息を吐いた。
「……あなたは、なぜ俺に敬語を使っていますか?」
シュナが背を向けたままでいれば、不意に後ろから響いた声。
初めて自発的に少年が自分に声をかけてくれた事、そしてその声が未だ緊張し警戒に溢れていてもどこか穏やかで深く、とても綺麗だという事にシュナは目をぱちくりと瞬かせたあと、しかしそれから質問の意味が分からない。と言うように肩を竦めた。
「あなたは見知らぬ人で、かつあなたは俺をとても怖がっているように見えるからです」
「……あなたはアルファです」
「え? あぁ、まぁ、はい。アルファです」
「……普通アルファはこんな事をしません」
「は?」
少年がポツリと呟いた声に、シュナが思わず素の返事をし振り返る。
どういう意味だとやはり少年の言っている事が分からないシュナが眉間に皺を寄せ少年を見れば、少年はシュナの大きな服を纏い、けれど怯えたよう身を固くした。
「ああ、すみません。怖がらせるつもりはありませんでした。怒っているわけじゃない。が、でも俺にはあなたの言っている意味が分からなかったので」
「……あなたのような強いアルファに、初めて出会いました」
「……ん?」
「……俺はまだ、第二性が来ていません」
「……そうですか」
「それでもすぐに、あなたがアルファだと気付きました。それほどあなたのアルファの匂い、アルファとしての資質は強いです」
「……えっと、ありがとうございます?」
少年が何を言わんとしているのか分からないが、とりあえずアルファとして優れていると褒められたとポジティブに捉えたシュナが肩を竦め緊張した場にそぐわない冗談を言えば、ぱちくりと目を瞬かせたあと、小さく口の端を弛めた少年。
その曖昧な、けれども確かに微笑んだと分かる表情にシュナは心を満足げに震わせ、少年に小さな笑みを返した。
「そんな事を言うアルファもいません」
つんとすました顔で、少年が言う。
だがその顔はどことなく面白いと思っているようで、シュナはこの時初めてきちんと少年をまじまじと見つめた。
濡れて深い色になっているが、滑らかで柔らかそうな金色の髪。
血色を取り戻した頬と印象的な唇は薔薇色に染まり、小さな鼻は可愛らしく、二重の、愛らしさと意思の強さが窺える瞳は綺麗で、シュナはこれまでの人生でこんなにも綺麗で愛らしい人を見た事はないとぼんやり思いながら、それでも少年に向かってやはり肩を竦めただけだった。
「もしかしてあなたは善良なアルファを知らない?」
「……善良なアルファ?」
「はい。俺です」
「……善良な人は自分を善良だとは言いません」
それは知らなかった。というようシュナが鼻を鳴らせば、今度は目に見えてはっきりと少年が口を開けて笑い、その細くなる目と可愛らしい歯はシュナの心をやはり震わせ、シュナも同じように歯を見せて笑った。
「俺が薬を塗っても良いですか?」
「……あなたを善良なアルファだと信じて」
暫くの沈黙のあと、少年が皮肉を交えながら頷く。
その少しだけ生意気な態度に瞬いたあと、それでも気にもしない様子で笑ったまま、ゆっくりと少年に近付いたシュナ。
怖がらせないようそっと歩き、そして少年を座らせたシュナは、群れから出た時に持ってきていた消毒液とガーゼで少年の頬や身体に付いた傷に、優しく優しく触れた。
時折痛みに顔を歪ませるが少年はじっと耐えており、シュナは最後に良くできましたと言わんばかりに少年に微笑んでから、一人分のスペースを開けて隣に座り、少年を見た。
「……こんなにも傷だらけで、しかも溺れていた。あなたに何があったんですか、少年」
「……」
シュナの言葉に途端に身を固くし、何かを言おうか言わまいかと悩んでいる素振りをしたあと、しかし少年はとうとうふいっと首を横に振っただけで、シュナのアルファ性はそれに不満げな声をあげたが理性がそれをたしなめさせた。
「あなたの群れはこの近くですか?」
「……多分俺はこの川の上の所から来ました。……とりあえず助けてくれてありがとうございます。俺はもう戻らなきゃいけないので……」
上という言葉にシュナが川を眺め、それから果てなく続くその先を見たあと、少年の足をちらりと見る。
傷だらけで、そして先ほど捻っている様子だった事を思い出したシュナがこの身体で何時間も歩くのは無理だろうと眉間に皺を寄せ、それからこの提案を受け入れてくれる可能性は低いと思いながらも、ゆっくりと口を開いた。
「その今の状態で群れに戻るのは無謀です、少年」
「……いえ、大丈夫です」
「まともに歩けもしないのに強がるのはやめた方がいい」
「……でも、俺は戻らないといけません」
「……この近くに俺の小屋があります。俺は今洗礼式の最中で、一人です。他に誰も居ません。信用に値しないかもしれないが、本当に俺はあなたを傷付けないと誓います。そこで数日間安静にし傷を治してから、群れに戻るべきです」
「……」
「俺はあなたを小屋へ連れて帰れますか?」
「……」
シュナが跪き少年の瞳を見つめながら丁寧に申し出れば、やはり少年は幽霊を見ているような表情をしたあと、それから長い時間をかけ、ようやく、小さく、本当に小さく、微かに頷いた。
「……あなたは多分、嘘は言っていません……」
「良いね」
その少年の返事にシュナは目尻に皺を寄せ、アルファ特有の鋭い犬歯を覗かせながらしかし可愛らしく微笑み頷く。
そんなシュナを少年はじっと見たあと、パッと目を逸らした。
「俺の名前はシュナです」
「……ノアです」
「ノア」
名を名乗り合い、シュナが少年の名を繰り返せば、こくんと頷いた少年こと、ノア。
その名前は少年の外見にとても良く似合っていて、シュナはなぜか誇らしげに微笑んだあと、もう一度ノアの名を呟いた。
「ノア。……良いな。良く似合った綺麗な名前だ」
一人言のようにシュナがそう溢せば、ノアは目を見開き口をはくはくとさせ、しかしシュナはその動揺を見もせず忘れ去られていた自身の服が目の端に留まったのか、ノアに少しだけ待っていてください。と声をかけた。
それからシュナは先ほどノアを助けるべく服のまま飛び込み、そして自身を拭うことすらもせずそのままにした状態のため髪や全身を寒さで震わせながら、真水の冷たさに顔をしかめつつ持ってきた服を洗い清潔にした。
そして数分後、絞って叩いてからそれらを手にしたままノアの元へと戻ったシュナが、お待たせしました。と声を掛ければ、ノアは自身をくるんでいたタオルをシュナに差し出し、泣きそうな顔をした。
「……シュナさん、俺のせいで濡れて……、」
「っ、ああ、まぁ、そうです、はい」
「ごめんなさい」
ノアに初めて名を呼ばれ、ぴくんと身を揺らしたシュナが動揺し曖昧な返事をすれば、やはり泣きそうな顔でノアは謝り、せめてと言うように先程シュナから渡されたタオルを向けてくる。
それにシュナは慌てて首を振り、もう大分湿ってしまっているがそれでもなぜだか温かいような感じがするタオルを受け取った。
「謝ることは何もない」
そう言いながら微笑み濡れた髪の毛を拭えば、不意にタオルから桃のような爽やかで甘い匂いを感じ、目を細めたシュナ。
それはきっとノアの匂いで、シュナは今まで嗅いだ中で一番良い香りだとノア本来の匂いに人知れずすんすんと鼻を鳴らしたあと、深い息を吐いた。
「それじゃあ行こう」
シュナが濡れた服を肩に掛けながらノアに向かって腕を広げれば、突然何故か知らぬがノアが驚きに目を見開く。
だがその理由が分からず、シュナは首を傾げながら、早く。と急かしただけだった。
「……自分で歩けます」
「でも足を挫いてますよね」
「平気ですから」
「……少年、俺はあなたを傷付けないと言った筈です」
「っ、そういう事じゃない! 俺はもう抱き抱えてもらうような子どもではありません! それに少年でもない! 俺はもう十五歳です!!」
先ほどから度々少年と呼ばれ、そして今もなお幼子のような扱いをされたと感じたのか、恥ずかしさでノアが顔を赤くしながらシュナに怒鳴る。
その言葉にシュナは目を瞬かせ、もう少し下だと思っていた。と確かに十五歳を相手にするにはあまりにも幼すぎる対応をしたと思ったが、それでも目の前で顔を真っ赤にし反論しているノアが可愛らしく、堪らず笑みを浮かべながら肩を竦めた。
「……そうか。分かりました。ならもう少年とは呼びません」
「はい」
「じゃあとりあえず俺の肩に掴まってください。小鳥」
「小鳥!?」
からかうようわざと軽口を言えば、ノアが目を大きくさせたまま声を張り上げる。
その面食らった顔がおかしくて可愛らしく、シュナは肩を揺らし笑いながらも、ほら早く。と手を差し出し促した。
そんなシュナに驚き、不満を感じているのか唇を尖らせているノア。それがやはり小鳥のクチバシのように見えて堪らずふはっと吹き出したシュナを、なんて無礼な人なんだ。とジロリと睨みつけたあと、ノアはシュナの大きな掌をじっと見つめ、それからそろりと手を伸ばした。
握った手は遥かに小さく、華奢ではないがそれでもどこか柔らかくて、シュナはその手の感触に息を飲み、それからノアを優しく上へと引っ張った。
近くなる距離に、ふわりと香るノアの甘い柔らかな匂い。
それを満足げに小さく嗅いだあと、シュナはノアの細い腰に腕を回し、ゆっくり、ゆっくり自分の小屋へと導いたのだった。
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