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第八章
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しおりを挟む「ん、う……」
顔に当たる強い光に太一が小さな声をあげ、もぞもぞと体を動かす。
微睡むままに目を開けると、大きな窓に掛かっている高級そうなカーテンの隙間から夕陽が線のように射し込んでいるのが見え、段々と覚醒してきた頭がここは亮の家だったと思い出させてきたので、太一はハッと起き上がり部屋をキョロキョロと見回した。
しん、と静まり返った部屋。
亮の姿は、どこにもない。
その事に、学校へ行ってまだ帰ってきていないのか、或いは今から塾なのか知らぬが、せめてどこかに行く時は起こしてくれれば良かったのに。だなんて家に上がり込み風呂を借りただけでなく図々しく寝こけていた事を棚に上げ、太一が心の中で少しだけ亮を非難する。
それでも、じわじわと胸を締め付けるこの息苦しさが、太一は大嫌いだった。
居る筈の人が、居ない虚無感。
そんな寂しさがじわじわと体を纏い、それでも冷静になれと、いや、寂しいってなんだ。と太一はかぶりを振った。
大体、母が死んでから今までずっと一人だったじゃないか。と、誰かに待たれる事も誰かを待つことももう一生ないのだから俺がそう想うことすらお門違いにも程がある。と心のなかで呟き、しかしそんな思考とは裏腹にハッハッと浅くなっていく呼吸に堪らず、キュッと胸元を握った。
苦しい。
そうゼェゼェと呼吸をしながら必死に耐えていれば、ガチャリ! と些か乱暴に扉が開く音がして、太一はいつの間にか蒼白になってしまっていた顔をあげ、扉の方を見た。
「わ、やっぱり起きてた! 帰ってくるの遅くなってごめんね」
なんて情けなく言いながら部屋に入ってきた亮が、しかし太一の顔色を見るなり表情を強張らせ、ベッドへと駆け寄ってくる。
「どうしたの!? 気分悪いの!?」
「……ちが、なんでもない、へいきだから」
亮の真剣な顔に、しかし亮の顔を見た途端息苦しさがふっと和らいだ気がして、へにゃりと眉を下げながら笑う太一。
その顔と、深呼吸しながらも段々と顔色が良くなってきた太一を見つめては、本当に調子良くなってきたみたいだ。と一応胸を撫で下ろしつつ、亮は心配げにベッドの脇にしゃがみこんで太一を見つめた。
「……でも、本当に大丈夫?」
心配げに声を潜ませ、ちょこんと座りながら見上げてくる亮の、普段あまり見ない上目遣い。
それに、うっ! な、なんだこの可愛さは……! だなんて現金にもほどがあると思いつつ太一は心臓をバクバクと言わせながら、ほ、ほんとに大丈夫だから。なんでもねぇから。と焦りながらも、問いかけた。
「そ、それより、学校行ってたのか?」
「あー……、えっと、母さんの所」
少しの沈黙のあと、何故か言い淀みながらそうへらりと笑った亮。
しかし、その顔がいつも家族の話をする時の悲しそうな、どこか少し諦めているような笑顔ではなく、どことなく優しい気がして、太一はそんな亮の些細な変化にぴくっと身を揺らした。
まるで憑き物が落ちたかのように照れ臭そうに、それでも嬉しそうにしている亮の様子に、きっと両親と何か上手くいきそうなきっかけがあったのだろうな。と思いつつも、太一には何の話をしていたかなんて深く聞く権利はなくて。
「……そっか」
と呟いては、良い方に向かうといいなぁ。だなんて心のなかで一人ごち、柔らかく微笑み返した。
亮にとって今日の記憶が、“友人が暴行を受けていたのを目撃した日”よりも、両親との少しでも温かな記憶として塗り替えられてくれていれば良い。と目を伏せ笑った太一はしかし、ピリッと唇が痛んだ感覚に、眉間に皺を寄せた。
「痛い? ガーゼ変えようね」
顔をしかめた太一の様子を目敏く見ていた亮が、やはり心配そうな顔をしたままベッドの縁に座り、脇の小さな机の上に置いていたままだった救急箱に手を伸ばす。
それに、いや、自分で出来るから。と慌てて太一も救急箱に手を伸ばし、そのせいで二人の指先がトン、と触れ合った。
「っ、あ、ご、ごめん!」
謝った太一が慌てて手を引っ込めたが、その時初めて会った日のようにビリッと身体に電流めいたものが流れ、そしてそれをお互い感じ取ったのか、二人して顔を赤くしてしまった。
たった少し指先が触れただけなのにドキドキと馬鹿みたいに心臓を高鳴らせ、そんな自分を叱咤しつつ太一が震えてしまいそうになる手で救急箱を開けようとしたが、
「……俺の方こそごめん。でもやっぱり俺に手当てさせて?」
とぽつり呟いた亮が救急箱を開け徐に準備をし始めたので、じゃ、じゃあお願いする……。と太一は赤い顔のまま、待った。
「……ガーゼ、剥がすね」
「ん。……っ、」
「痛いよね、ごめん」
「だ、いじょうぶ」
「血が固まっちゃってる。消毒液で拭くから染みると思うけど、我慢してね」
「ん」
「それとさ太一、当分この家に住まない? ほら、もうあいつが居る所になんて戻りたくないだろうし、俺の両親もオッケーだって言ってくれてるし、せめて高校の間だけでもさ、この家から一緒に学校行こうよ」
話の流れのついでのよう、まるでなんて事ないような口ぶりで話す亮が、ガーゼに消毒液を染み込ませている。
しかしその言葉をうんうんと聞き流すにはあまりに重大だと太一は目を見開き、何を言っているのだ。と亮を見つめた。
「はぁ!? な、なに、言ってんだよお前! そんなの無理だろ!」
「えっ、なんで?」
「え、な、なんでって……、」
「じゃあ太一はあの糞の掃き溜めたいな所に戻りたいの?」
「も、戻りたいわけじゃ、ていうか糞って……、口悪すぎだろ……」
「そうかなぁ? それに、本当にちゃんと俺の両親には了承貰ってるから俺の家に迷惑掛けるからとかっていう遠慮ならまじで要らないし」
「で、でも……、」
「……だめ?」
言い淀む太一を負かそうとゴリゴリに押し、しかし最後はそっと伺うよう、またしても太一の顔を覗き込んでくる亮。
その綺麗な琥珀めいた瞳に捉えられ、先程からどこか夢心地のままふわふわとし出してきてしまった太一は頷きかけたが、それでも、いやいやいや、待て俺の理性。となんとか必死に食い止めた。
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