【本編完結済み】朝を待っている

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第七章

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 そしてそんな夜から時はあっという間に過ぎ、中間テストも無事終わり季節はもう梅雨入りをする、六月となっていた。

 じめじめとした重苦しい雲が空に浮かぶなか、しかしそれでも太一は授業中にも関わらず常に心を浮き足立たせていた。

 その原因は勿論、そろそろ亮の誕生日が来るからで。

 それなので何を買おうかとひっそり考えており、けれども亮が何をあげれば喜んでくれるのか分からない太一は、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませつつ、けれでもそれが楽しいと表情を綻ばせていた。

 好きな人が、この世に生まれた日。
 それを祝えるということが、こんなにも幸せなのか。

 そう目尻を柔らかく下げていた太一だったが、ふらりと目眩がし、思わず机に突っ伏した。
 なんだか最近調子が良くなく、今日も学校に着いてから何度か目眩や動悸が起きていて。
 どうせそろそろくる発情期のせいだろうとは思っているが、どうか亮の誕生日と被りませんように。と信仰などしていない神に祈る太一は、それでもキリキリと痛む胃に違和感を覚えつつ、ぎゅっと拳を握って耐えた。





 ──それから、数日後。

 本格的に梅雨入りを迎えた亮の誕生日当日、太一は願い虚しく物置小屋の薄い煎餅布団の上で丸まり、踞っていた。

 はぁはぁ、と上がる息。
 ずくんと重い腰はむずむずと疼き、生理的な涙がポロポロと頬を流れ落ちては、布団に染みてゆく。

 そのどうしようもない暴力的なまでの性欲をなんとか抑え込んでいる太一は、赤らんだ顔のまま、ぎゅっと目を閉じた。

 そうしなければ、目に留まる亮から貰ったモノに体が浅ましく反応してしまいそうだったのだ。
 だからこそ太一はそれだけは絶対に嫌だと、亮の優しさを性的な感情で踏みにじりたくはないと必死に歯を噛み締め、そして薬を飲もうと枕元に置いてある薬を入れている簡易ポーチを、震える腕を伸ばし掴んだ。

 しかしその瞬間、ガシャガシャと音を立てて薬が散らばってしまい、それを眺めながら、こんなものに頼らなければならない不条理さに唇の端をひしゃげた太一は、抑制薬と共に一緒に散らばったアフターピルを忌々しげに睨み、ぐしゃりと握り潰した。


 薬を貰いに行くと必ず、『アフターピルは残っていますか?』という質問をされる。

 それがどういう意味なのか十分に理解しているからこそ、その言葉を投げ掛けられるたび太一はオメガの歴史がどれだけ闇深く、人権を無視し不道徳さに虐げられてきたのかを、思い知らされるのだ。

 そしてその理不尽さは、今もなおこの世界から消える事はない。

 太一はベータ寄りのオメガであるため妊娠する確率が極めて低く、そして幸いそういった目に合う事もなく最初に貰った時から一度も使った事はないが、何かあった時の為に。と一応こうして持ち歩く簡易ポーチに、アフターピルも忍ばせている。
 それがなんとも屈辱的でやり場のない怒りにも似た哀しみに襲われ、もう一度ぐしゃりと握り潰した太一はそれからアフターピルを投げ捨て、抑制薬を手にした。

 もう既に一日の規定の量以上の薬を飲んでいたが、太一はどうしても今日、亮に会いたかった。
 きっと今日を逃せば、もう一生亮の誕生日を一緒には祝えないだろうと、太一は分かっていた。

 高校を卒業してしまえば、お互い違う人生を歩んでゆく。
 そうなればもう、顔を見ておめでとうと言える事はないだろう。

 去年も結局当日には言えず、だからこそ、最初で最後、今日だけは少しだけでいい、一瞬だけでいいから、おめでとう。と顔を見て言いたかったのだ。

 その一心で震える手で錠剤を飲み込み、それから暫くしてふっと意識を飛ばした太一の目からは、つぅと生理的な涙が一筋流れ落ちていった。





 その、数時間後。
 すっかり夜になり、窓から差し込む暗さにうっと眉間に皺を寄せながら目を覚ました太一は、キリキリと痛む胃を抑え携帯に手を伸ばし、時間を確認した。
 時刻はもう夜の十時を回っており、やばいと慌てて立ち上がった太一は目眩と吐き気にふらっと体を揺らしたが、それでもなんとか足を踏ん張り、汗を掻いた服を着替え亮の誕生日プレゼントを大事そうに抱えては、物置小屋を出た。

 ガラリと引き戸を引けば、纏わりつくような暑さが肌を撫でていく。
 どんよりと重いその空気に、雨が降りそうだと空を見たが、それでも傘を持つことさえ忘れてよろよろと歩きだす太一の足元で、ジャリジャリと砂利道が音を立てていた。

 それから、キィ。と門を開け、亮の家を目指し歩く太一の顔には脂汗が浮かんでおり、顔面は蒼白く、どこからどう見ても健康とは言い難かったが、そんな事など太一は気にしていられなかった。

 亮の家までの道はそんなに遠くはないのに、今日は驚くほど足が重く、思うように歩けなくて。
 薬を飲んだお陰で発情期特有の体の熱さはなくなっていたが、そのせいで目眩とだるさに苦しむ太一がヒュッヒュッと息を乱しながらなんとか亮の家へと辿り着いたのは、物置小屋を出てから実に一時間後だった。




 ぺたり、と門に手を付き、必死に息を整える太一が携帯を取り出し、震える指で亮へと電話をかける。
 早く。早く。と祈るようコール音を聞く太一がきゅっと口を結んだその瞬間、プツリ、とコール音が途切れ、『もしもし?』と耳元に亮の声が流れ込んできた。

 太一? と紡がれる自分の名前。
 その声がとても優しくて、それだけでひどく嬉しく、鼻の奥がつんと痛くなる感覚に堪らず小さくかぶりを振った太一は一度深呼吸をしてから、夜遅くにごめん、と前置きをした。

『いや、全然大丈夫だけど、どうしたの?』
「あの、いま、ちょっと出れる?」
『え?』
「今、お前の家の前に居るんだけど、」
『え、は!? 俺の家!?』
「……ん」
『え、ちょっと待って、太一今発情期なんじゃ、』
「……ん、そうなんら、けど、」

 ……ああ、上手く呂律が回らない。なんだか意識も朦朧としてきた。と門に体を預けた太一が、

「……りょうに、どうしてもきょう、あいたくて、」

 と思わず本音を溢してしまい、あ、と口元を押さえたが、時既に遅し。
 ばっちりその声を拾った亮が小さく息を飲む音が鼓膜を揺らし、それから、今いく。と慌てたように切れた電話。

 プーッ、プーッ。とこだまする音に、太一も通話終了のボタンを押し、それでも、……ああ畜生、立ってられない。とズルズル座り込む。
 息は絶え絶えで、こんな姿を見られたくないとなんとか必死に呼吸を整えようとしたが、それから少しもしない内にガチャリと玄関の扉が開く音がして、こちらに走ってくる足音が夜に響いた。

 まずい。と慌ててふらふらの体を気力で動かし、太一が立ち上がる。
 ギィッ。と重たい扉が開き、たいち!? と亮が辺りをキョロキョロと見回していて、もう寝る前だったのかスウェット姿の亮を見た太一が、りょう、と声を掛ければ、振り向いた亮は嬉しそうな顔をしたあと、しかし太一の姿をみてぎょっと目を見開かせた。


「太一、やっぱり具合悪いんじゃ、」

 そう駆け寄り、太一の体を支えようとする亮。
 しかし太一の体からぶわりと香るフェロモンの匂いにぐらりと理性が揺れそうになって慌てて一歩身を引き、けれどそんな亮の葛藤など気にしていられない太一が、ヒュッヒュッと喉を鳴らしながらも、口を開いた。

「たん、じょうび、だから、……たんじょうび、おめでと、りょう」

 そう苦しそうに息を乱しながらも、本当に嬉しそうに呟く太一の声は、ひどく震えていて。

 その今にも消えてしまいそうな声と笑顔に、嬉しさと心配でごちゃまぜになった亮が何も言えず泣きそうな顔をしたが、そんな亮に太一は大事に抱えていた誕生日プレゼントを差し出した。

「りょうのほしいもん、わかんなくて、ごめん」

 なんて太一が呟くので、亮は、ごめんなんて言わないでよ。と慌てて差し出されたプレゼントの包みを受け取る。
 しかしその瞬間太一の体がぐらりと揺れ、亮が咄嗟にその体を支えれば、驚くほど熱く。

「たいち!?」

 と叫んだが、太一は誕生日おめでとうと告げられた事と、プレゼントを受け取ってもらえた事になんとか保っていた気力を手放してしまったようで、その声に応える元気はもうなかった。


「たいち、たいち!!」

 亮が自分を必死に呼ぶ声がする。

 その声に、ごめん、迷惑かけたかったわけじゃないのに。と落ちかける意識のなかでそう自分を責めた太一の頬に、ポツッ、と雨粒が当たり、その温度を最後に完全に意識をなくした太一を、亮は抱き抱えながら必死に何度も何度も名前を呼んだが、その声を掻き消すほどの雨が二人を、辺りを、瞬く間に包み込んでいった。




 
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