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第七章
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しおりを挟む「でもどこか行くっていってもどこもお店やってないだろうしなぁ……」
「……あ、」
「ん?」
「いや、亮の家の近くに展望台あるだろ。あそこからなら初日の出綺麗に見えるかもと思って」
「展望台? ……あぁ、あそこかぁ。生まれてからずっとここに住んでるけど全然行ったことないや」
この街の事太一の方が詳しいのウケるね。だなんて亮が笑いながら、じゃあそこ行こうよ。と目尻を弛めるので、その笑顔をじっと見たあと、おう。と呟いて歩き出す太一。
神社の中は並んでいる人や今来た人、帰る人でごった返していて、はぐれちゃうから。だなんてぎゅっと手を握ってきた亮に太一は今日何度目か知らぬほど顔を赤くしながら、とぼとぼと大人しくあとをついていった。
「……うわ、すごいね。街全体見れるじゃん」
三階までのぼりきり、手すりの向こうに広がる景色を見た亮が感嘆にも似た息を吐きながら、表情を綻ばせている。
冬の冷たい風が亮の髪をさわさわと揺らし、夜にぽっかりと浮いたかのような暗がりの、それでもぽつぽつと灯る街の街灯が下から柔らかく照らしているなかで柔らかく微笑み自分を見つめてくる亮に、太一は目尻をぽわりと薄紅色に染めながら、目を伏せた。
「ここ、良く来るの?」
「……ん、毎朝来てる」
「え、毎朝?」
「……ここから朝日を見るのが好きなんだよ」
「……へぇ、知らなかったや。新聞配達のあとにここに来てるんだ?」
「ん」
母が死に、この街に引っ越してきてからの毎朝のルーティーンになっているここからの景色は、一人ぼっちだった自分を優しく包んでくれている気がして、太一は好きだった。
しかし高校に入学してから目まぐるしく日々が一変し、友人が出来て、亮が側に居るようになって、もう一人ぼっちだとは思わなくなった。
けれどもここから見る朝日はやはり綺麗で美しく、亮と友達になれた日や、皆に自分がオメガだと伝え受け入れてもらえた日の翌朝は一段と綺麗に輝いているように感じて、太一はやはり毎朝ここで美しい景色を眺める事が好きだった。
そんな自分だけの、ひっそりと大事にしてきた場所。
そこに亮が居る事がなんだか不思議で、それでもひどく嬉しくて、太一は手すりに凭れながら腕に頭をこてんと乗せ隣に並び立つ亮をちらりと盗み見た。
街は未だ夜に沈み、寝静まっている。
その深い眠りのなかで見る亮は普段とどこか違って見えて、出会った頃よりも精悍さが増したその横顔を眺めた太一は、けれど何も言わず視線を街へと戻した。
──それから、どれくらい経っただろうか。
ぽつりぽつりと会話を交わしながらも互いに静かに街を眺め、そうしてうっすらと世界が明るくなり始めた頃。
寒さに鼻先を赤くしていた太一が小さくクシャミをし、それを見た亮は太一の首に巻いてある自分のマフラーを見ては、
「ほら、ちゃんと巻かないと」
とほどけかけていたマフラーをしゅるりと一旦ほどき、ぐるりと太一の首に巻き直した。
「よし」
「……あり、がと」
「うん」
太一の鼻先までをふわりとマフラーでくるみ、満足げに笑った亮がそれから、ちょっと待ってて。と言い残し階段をかけ降りて行ってしまう。
それに一人ぽつんと残された太一はパチパチと瞬きをしたあと、マフラーのなかでふっと柔く口元を弛めた。
鼻を擽るのは、もう自分の香りだけ。
それがなんだか寂しくて、ふっと瞳を翳らせた太一だったが、慌ててぶんぶんと首を振った。
それからほどなくして戻ってきた亮が息を切らしながら、
「はい」
と手にしていた缶を差し出してきたので、目の前に差し出された、きっと下の自販機で買ってきてくれたのだろうほかほかと温かいコーンスープ缶を、太一はなんとも言えない表情のまま、恐る恐る受け取った。
「……さんきゅ」
「うん」
にっこりと微笑み隣に立つ亮が、寒いね。と言いながらブラックコーヒーの缶を頬に当て暖を取っていて、それを真似るよう太一も鼻先にコツン、と缶を当てる。
そうすればじわりじわりと温かくなってゆく鼻先に、はぁ。と太一が息を吐いた、その時。
目の前の地平線から、ゆるりと顔を覗かせた太陽が街を一気に目覚めさせた。
艶やかな赤がじわじわと世界に広がり、朝ですよ。と言いたげに街を明るさで包んでゆく。
キラリと光る、家々の屋根。
息吹くかのように揺れる、木々。
朝日を待ちわびていた鳥が、大空を優雅に羽ばたいている。
空から差し込むいくつもの天使の梯子が美しいカーテンのようで、いつもよりとてもとても綺麗に見える街並みに目を煌めかせた太一が、ほぅ。と息を吐く。
その横で同じように朝日を浴びてきらりきらりと輝く亮も美しい景色に陶酔するかのよう息を吐き、その互いの口から出た白い息が、藍色の空を裂く赤に混じって揺蕩い溶けていった。
「すごいね……」
心ここにあらず。と言った風にぽそりと呟く亮。
その声に太一は手にしていた、すっかり冷えてしまったコーンスープの缶を握りながら、……な。と呟き返す。
「教えてくれて、ありがとう」
そう心底嬉しそうに自分を見つめてくる亮の柔らかな笑顔が朝に映えてとても眩しく、太一は目を細めたあと、カシリ。とコーンスープのプルタブを開けた。
それから勢い良くそれを飲みだせば、詰まるよ。なんて言いながらも亮が笑っていて、甘ったるいコーンスープと粒に眉間に皺を寄せながらも太一はぐびぐびと煽った。
「……っ、ぷはぁーー!!」
「え、飲み切った? そんな喉渇いてたの?」
「うるせぇ」
太一の突然の奇行に楽しそうに体を捩らせて笑う亮を見ず、ぐいっと口元を手で拭った太一は、ぽっかりと空洞になった空き缶を眺めてはもう一度口元を拭ったあと、隣で笑う亮を見た。
「ん?」
鼻の頭を赤くし、白い息を吐きながら目を細めてこちらを見る亮の瞳が、ひどく優しくて。
その顔をなんだか泣きそうな顔で見つめ返した太一は、もう誤魔化せない。と自身のなかで芽生えてしまった感情を痛切に自覚しつつも、
「……なんでもねぇ」
と目を逸らした。
このドキドキと高鳴り死んでしまいそうなほど痛む胸も、優しくされると嬉しくて泣きたくなる事も、あの大きな掌で頬を撫でて、それから逞しい腕に抱き締めて欲しいと思う事も、運命の番いのせいだなんて、もう誤魔化せない。
……苦しいくらいに、自分は亮に恋をしている。
そう心のなかで呟き、けれどもどうする事もできないと目を伏せた太一の睫毛を、新年のめでたい、それでもいつもと変わらぬ朝日がきらりきらりと輝かせていた。
それは、高校三年生に上がる前のなんの変哲もない、美しい冬の朝だった。
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