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第1章2 無名の怪物
27. ちょっと休憩
しおりを挟むああ、惜しい。
速攻に加わるため走り出していた遥は足を緩める。
早琴のスタートは遅かったがその走力で遅れを十二分に補えていた。
つかさも反射的に強いパスを出してしまったのだろうと遥は思った。あんな走り込みをされたら自分も早琴が初心者だということを忘れてびしっとしたパスを出していたことだろう。
お互いターンオーバーとなったので点差は変わらず八点。
残り時間は三分三十四秒。
さっきのが決まっていればと考えても過ぎた話。ディフェンスに集中する。
「どんまい。ディフェンス、もう一回がんばろう」
「うんっ」
敵は弱点をついてきた。
早琴が抜かれた。舞がヘルプに寄るとストップしジャンプシュート。と見せかけ、合わせに飛び込んだ選手に空中でパスをしようとする。しかしそれを読んでいた舞はさっと後ろに下がってパスコースを潰す。
飛んでしまったオフェンスはパスの出しどころがない。そのまま着地すればトラベリングだ。空中でシュートからパスに切り替えた敵は、そこからもう一度シュートに切り替えた。苦しまぎれに打ったシュートはリングに弾かれる。
杏が飛び、リバウンドを掴む。早琴が走った。タイミングは良かったが先ほどのダッシュで警戒されていたのだろう、明らかにセーフティー(カウンターに備える選手)の動き出しが早い。そして着地した杏もディフェンスに囲まれてしまい速攻に繋げられない。
結局この攻撃権は早い展開に持ち込めなかった。
ここは焦らず一本組み立てよう。遥はゆっくりフロントコートへ入る。
その瞬間は唐突にやってくる。
遥にパスがなされ、ボールが飛んでくる方向へ顔を向けていたときのことだ。
ゴール下付近にパスコースが生まれたのを視界の端でとらえた。
「まあ通ると思ったらそういうパスも含めてどんどん出してよ」
昼休憩。そんな先輩たちの言葉で枷が外れていた遥は気づくが早いか、露ほどの迷いもなくその空間めがけ体の回転とスナップを使った小さく鋭い動作からボールを投げ込む。
ボールは閃光のような速さで一直線に飛んでいく。途中ディフェンスの横を通過するも手は出てこない。軌道上近くに位置するなんぴとも手を出すどころか気づけてすらいなかった。それはパスターゲットでさえも例外ではなく、すんでのところで飛んでくる物体に気づいた杏は「あぶなっ!」と身を翻し避けた。
ボールはラインを超えてなおも飛んでいく。壁に激しく打ち当たり笛が鳴る。
遥の手を離れてから誰もそれに触れていない。よって東陽ボールとなる。
「ごめんなさい」
「こっちこそごめん」苦笑いの杏が遥の肩を叩く。「でも今みたいなのどんどんやってこう」
チャレンジは失敗に終わったが、遥は針の穴を通すようなパスの感覚を思い出すことができた。それは大きな収穫であった。
両チーム連続のターンオーバーで得点は動かず。
25-33
その後残り時間が一分三十秒を切ったところ。ゴール下の攻防で杏がシューターへのファウルを犯した。シュートは外れフリースロー二本が与えられる。
一本目失敗。二本目成功。
この日初めての二桁得点差をつけられた。
29-39
遥のパスミスからここに至るまで、引き続き早琴は積極的に速攻を狙って走っていた。
さすがに無茶なんじゃと思うようなタイミングでも早琴が走るとチャンスに様変わりするのだから驚いた。そしてチームのためにはもちろん、早琴のためにもどうしても一本決めさせてあげたいという気持ちが強くなっていった。
隙あらば、一見それが隙には見えずとも、足を活かしてゴールを脅かしてくる存在を敵はずいぶん嫌がっているようだった。慣れないスピードにスタミナも奪われているようだがそれは敵だけではない。
遥は早琴を見る。
誰よりも辛そうにしていた。
それはそうだ。バスケに不慣れな早琴があんなにも全力疾走を続けているうえに、後半になって試合の展開もかなりテンポアップしている。
この試合、岩平は早琴をさげるつもりはないようだ。その早琴はと言うとスタミナ切れ寸前である。二クォーター勝負とはいえ、こちらは早琴以外のメンバーもつかさを除いては試合で動き続けられる身体には戻せていない。
連続得点を決められ、現在その差は十二点に広げられた。一分三十秒に満たない残り時間を考えるとこの状況から追いつく、もしくは逆転するのは困難を極める。
攻守ともに無駄な時間を使う余裕はない。だがここで足が止まってしまうのはもっと避けたい。
先ほどの失点はこちらのミスから速攻に繋げられてのもの。流れは向こうにある。
この残り時間でこの点差。相手からすれば勝利が見えかかっているが完全には油断できない状況。できるだけ時間を使い使わせて安全に逃げ切るという作戦も考えられるが。
「守りに入るな。攻めろ」
「当然」
どうやらそのつもりはないようだ。今ある流れに乗じてさらに点差を引き離そうという考えのようだ。
スタミナに限らず連携など多くの面で劣っている御崎が今の早いペースに合わせるのは危険だ。間違いなく相手の思うつぼになる。そうさせないためには時間をかけたくなくとも一度スローダウンする必要があると遥は判断した。
マンツーマンのオールコートプレスに対してボールを運ぶのはつかさ。打ち合わせをする余裕はない。
つかさだけはまだまだ余裕がありそうだ。勝負あったという心境になっていなければ普通であればすぐに点を取りにいくだろう。敵陣に入ったら一旦ボールを預けてもらおうとした遥はしかしそこでためらってしまう。
私の独断でコントロールしていいのかな。
本当にここで止めるのが正しいのか不安になった。
つかさがセンターラインを越えた。
思い切って遥は呼んだ。
「つかさちゃん」
3ポイントラインから離れた高い位置でボールを求めるとつかさはためらいなくパスをよこした。
片手でボールを抱えながら遥は空いているほうの手のひらを前に向ける。
全員の動きがぴたりと止まり、視線が一点に集まる。敵味方が激しく往復し声が飛び交っていた場から音が消える。それら視線と静けさが遥の不安を煽った。
一方で、気分がよくもあった。
自分の合図一つで味方の動きを制御できたのだ。
〇
死にそうだった。
力の抜きどころがわからなくてばかみたいに全力疾走を繰り返した。どれも得点には繋がらなくてスタミナだけが根こそぎ削られた。
ビギナーズラックという言葉を聞いてうまくいく気になっていた。それがよくなかったのだろうか。全然ラッキーが舞い込まない。
攻守の入れ替わりが激しくなって、しんどさのあまりもうダメかもと心が折れそうになったそのとき。
突然全体の動きが止まった。
床ばかり見ていた早琴は顔を上げる。
ボールを抱えた遥がこちらに手のひらを向けていた。
早琴にはその姿が天使に見えた。
おかげで久しぶりに足を止めることができる。
残り時間を確認すると一分十六、十五、十四と何もしないまま経過してゆく。
休憩できるうえに早琴にとってのゴールがどんどん近づいてくる。
ありがたいことこの上なかった。
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