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第1章2 無名の怪物
19. 早すぎるデビュー
しおりを挟むコート上のチームメイトが心配そうにつかさに駆け寄る。
何かあったのかな。早琴は不安になる。
「怪我か」
岩平の声には憂いが混じっていた。
「どうなんでしょう」環奈も不安げだ。「でも心配ですね。さっきの動きはなんか変な感じがしました」
「やっぱり変だったよな」
岩平が腰を上げる。「大丈夫か」とフリースローサークル付近に集まっている部員たちへ声を投げかけた。
つかさがこちらを向いた。胸の前で腕を交差させ『×』を作った。
つかさが心配なのはもちろん、別の意味でも早琴はどきっとした。
これってまさか……。
「でも心配ないよー」もなかが言った。「でも交代してあげて」
つかさがボールは持たずシュートフォームの動作をした。すぐじゃなくても大丈夫なのかと岩平が交代のタイミングを聞くと、今度は『×』を作ろうとしたところで一瞬迷ってから『○』を作った。
「さっこ」
びくっとした。岩平に呼ばれた。
「つかさと交代」
環奈が、「あそこの人に『交代お願いします』って言って来てください」と両チームのベンチ間にあるオフィシャルズテーブルを指差した。
早琴は言われた通り交代の申請をした。オフィシャル横のパイプ椅子に座って待機する。
「さっこ」岩平が呼ぶ。「ミスしていいからな。思い切りやってこい」
「はい」
声が震えた。早速出番がやってきた。あまりにも早すぎて心の準備ができていない。
「大丈夫ですよ早琴さん。練習試合は練習したことを試す場です。他人と比べるのは一旦忘れましょう」
「そうだよね。ありがとう」
つかさがフリースローを成功させた。
ブザーが鳴る。オフィシャルズテーブルのスコアラーが立ち上がり、胸の前で腕を交差させたあと、御崎ベンチ側へ腕を伸ばした。
「メンバーチェンジ」
よし、がんばるぞ。意気込みとは裏腹に身体はがちがちになっていく。
「あとはお願い」
「ま、まかせて」
つかさと手のひらを合わせる。一礼してから早琴はコートへ足を踏み入れた。
あれ……
ラインの内側には別世界が広がっていた。
バスケのコートってこんなに広かったっけ?
妙な感覚を覚えながら早琴はチームメイトのもとへ走った。足が絡まりそうになりながらたどり着くと、
「さっこちゃん力抜いて」
そう言ってもなかが早琴の肩を揉んだ。
「顔ひきつってるよ」
と杏が笑う。早琴の頬をほぐすようにぷにぷにした。
もみくちゃにされて少しだけ緊張が和らいだ。
「ちゃんとカバーするから心配いらないよ」
舞が早琴のお尻をぽんと叩いた。
「がんばろうね」
最後に声をかけたのは遥だった。
「うん。がんばろう」
相手スローインから試合再開。御崎が引いて守っているのでゆっくりと攻め込んでくる。早琴は十五番の選手をマークすることになった。
相手にとって最初の攻撃。こちらのディフェンスを探るようにボールを回している。
十五番にボールが渡った。右四十五度の位置から同じサイドのコーナーへパスを送ると、すぐさまリングへ向かって片手を挙げながら走り込む。やばっ。早琴も慌ててパスコースを塞ぎながらついていく。十五番はそのまま左サイドへ流れてからまた高い位置に上がった。
「おっけーおっけー! いいよさっこ」
岩平がベンチから立ち上がって誉め立てる。
ボールは逆サイドにあったが早琴はマークマンにぴったりとつく。気づけば敵チームの誰かが放ったミドルシュートが決まっていた。
そんなことよりも、緊張と慣れない動きでもう息が上がりかけている。信じられなかった。
「さっこちゃん。ディフェンス思い出して」
遥の声だった。
「……あ、そうだった」
「でもさっきのカットインした相手へのディフェンスはよかったよ。ナイスディフェンス」
身体からまた少し余計な力が抜ける。
そして遥のおかげでマークマンがボールを保持していないときの守り方を思い出した。一線、二線、三線というものだ。ボールマン以外の相手にも常にぴったりつくディフェンス方法もあるが通常はその必要はない。
一線はボールマンに対しての面と向かった一対一のディフェンス。
それはできていたが二線、三線を失念していた。
二線はボールに近い相手へのディフェンス。腕を伸ばしてパスコースを塞ぐように守る。
三線はボールから遠い位置。空いたスペースを守りながらヘルプとマークマンへのパスに備える。
遥がシュートを決めた。
早琴は自陣に戻ってマークマンを待ち受ける。
右、左、右とボールが回る。杏を背にした敵がゴール下でボールを受けた。
一対一を仕掛けようとするも、もなかが寄ってきたので外へボールを返した。
「はいっ!」
十五番がトップの位置へ走り込みながらボールを要求した。
ボールを手にした十五番は着地するなり踏み込んできた。早琴は一瞬で抜き去られてしまう。
フリースロー付近にぽっかりとスペースができていた。杏がそのスペースを埋めにいこうとすると、十五番はキュッと音を立ててストップ。ジャンプシュートを放った。
ボールはリングに弾かれ、杏がリバウンドを取った。
速攻だ、走らなきゃ。
早琴はトップの位置にいた。後ろには敵も味方もいない。
迷わずスタートを切った。中央から斜めに。反対側のゴールへ向かって右サイドを全力で駆け上がる。
走りながらちらりと振り向く。パスがこない。しまった。
リバウンドを制した杏がすぐに縦のパスを出せていたなら好スタートになっていたことだろう。だが状況は違っていた。リバウンド後敵に囲まれたため一旦横へ出しているうちに守りを整えられてしまった。
タイミングが早すぎた。もっと状況を見て走らないと。
早琴はコーナーで待機しながら荒い息をする。
先の全力疾走、加えて緊張の影響で一気に息が上がっていた。呼吸を整えようとするが、落ち着くまで休んでいられる暇はなかった。
敵味方がぞろぞろとやってきて自分たちのオフェンスが始まる。
「さっこちゃん!」
もなかからパスが回ってきた。
ディフェンスにぴたっと距離を詰められ、その圧に早琴は怯んでしまう。
リングも見ずにリターンパス。それが精一杯だった。ボールをキープできる気がしない。ドリブルなどしようものなら一瞬で奪われてしまいそうだった。
攻守はそれからめまぐるしいまでに何度も入れ替わった。
早琴は何度もコートを往復した。ただただ、往復した。
速攻のチャンスは頻繁にあるわけではなかった。そして速攻とは関係ない場面では何をしていいかわからなかった。どこにいればいいかもわからない。実際に試合をするまではなんとなくわかっていたはずだったのに。
ひたすらコートを往復するだけの時間が続く。辛い。苦しい。上半身と下半身がばらばらに動いているようだ。お腹が気持ち悪い。内蔵がぐわっと込み上げてくるような感覚だ。残り時間を確認する。
嘘でしょ……。
気が遠くなった。交代してからまだ三分も経っていなかった。
御崎のオフェンスに切り替わる。
ボール運びは遥たちに任せて早琴は敵陣へ上がる。
ゴールがずっと遠くにあるようだ。ディフェンスの背中も遠く見える。
早琴は息を切らしながらゆっくり走る。
しんどい。
早く終わって……。
遥がドリブルで中に切れ込んだ。ディフェンスを引きつけ、コーナーで待機していたもなかにパスを送る。ボールはもなかの構えていたところにビシッと飛んだ。
「うおっ。ナイスパス」
手を動かすことなくボールを受けたもなかは、テンポよくスムーズにシュート動作に移った。
「リバンッ!」
敵が叫んだ。
入りそうな流れに反して、もなかのシュートが外れた。
「外れたのに気持ちいい。次は入りそうな気しかしない」
リバウンドを掴み取ったのは敵だった。その位置と状況的に逆に速攻を出されるピンチが訪れた。
早琴のマークマンがスタートを切る。反応が遅れた早琴もすぐに追いかける。
バスケットボールコートは端から端まで二十八メートル。
当然、走り出すのが攻め込むゴールに近ければ近いほどその距離はさらに短くなる。つまり走り出すタイミング次第では多少相手より走力が優っていても追いつくことは難しくなる。
しかし圧倒的な差があれば……。
リバウンドを取った敵が迷わず縦のロングパスを出した。経由なし、先頭を走る味方へのタッチダウンパス。このパスが通ればフリーでのシュートを許してしまう。
山なりのボールが飛んできていた。
早琴は一度ボールから目を切り全力で走る。追いつけそうな気がした。ボールの位置を確認しようと後ろへ目を向ける。
頭上にボールが降ってきた。
下半身は前を向いたまま上半身を捻った体勢でボールをキャッチした。
やった! 追いついた。
笛が鳴る。
「トラベリング」
あ。
キャッチするまではよかったがその勢いのままボールを持って走ってしまった。
「いいぞ、よく追いついた」
拍手しながら岩平が笑っている。
「追いついただけでもすごいですよ早琴さん」
環奈も懸命に声を飛ばす。
もなかが駆けつけた。早琴はトラベリングを吹かれてしまったことを謝った。
「何言ってんの。二点阻止したんだよ。ナイスだよ」
遠くにいた他の仲間からも称賛が送られた。
照れ笑いがこぼれる。
「さ。相手ボールだぞ。もう一回ディフェンスがんばれ」
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