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第1章
13. 練習終わりの至福
しおりを挟む自主練習の時間はするすると過ぎ去り、あっという間に閉館時間を迎えた。
夢を見ている気分だった。
もう一度バスケが生活の一部になる日々が始まろうとしている。それはまだ現実感に乏しかった。ふとした瞬間、新しいチームメイトと共にバスケをしている自分が客観的に見えたとき、目の前にあるものが夢の中の光景であったとしても不思議ではないと思えるほどに。
片付けをしてから着替えをし、部員全員が体育館を出る。
御崎高校の体育館にはシャワー室も完備されているが今日のところは軽い運動しかしていないので誰も使用しなかった。
杏ともなかと舞が練習後にほぼ毎回行くという場所へ一年生たちを引き連れて向かっていた。
「やっぱり練習後はこれがないとなんのために練習したんだって言いたくなるよね」
屋外に設置された自動販売機コーナーに到着し杏がしみじみと言った。缶にペットボトル、紙パックや紙コップの飲料が並ぶ。
「よし、じゃあ今日は入部祝として一年生のみんなにはジュースをご馳走しよう」
礼を言うと、背後から足音が聞こえてきた。
振り向くと暗闇からこちらに歩いてくる人物の姿が徐々に見えてきた。
「全員いるのか」
現れたのは岩平だった。
「がんちゃんもジュース?」
「ああ」
杏は自販機の前から一歩下がり「じゃあお先にどうぞ」と譲った。
「お、さんきゅー」
岩平は自販機の前で商品をざっと見た。財布の中を確認するとジュースを買えるだけの小銭がなかったようだ。取り出したお金が紙幣挿入口に吸い込まれ、ボタンに赤いランプが点った。
「あ、どうぞ」
「え?」
杏が頓狂な声を出した。
「入学と入部祝ってことで。一年生以外にも今日は特別に奢ってやるよ」
「お、優しい。ということで一年生。がんべーがあたしたちに代わってご馳走してくれるらしいから遠慮なく買ってもらいなさい」
部員全員にジュースを買ってから、岩平は自分のジュースを選んだ。がぽんと落ちてきた紙パックのジュースを取り出す。
「じゃあな。もう遅いからお前らも早く帰れよ」
「はーい」
部員たちはそれぞれ返事をした。
遥たちは自販機近くのベンチに腰掛ける。
四月とはいえ日が落ちるとまだ少し冷える。体育館を出たときは体が温まっていたので寒さを感じなかったが、今はそうでもなかった。遥は肌寒さを感じながらジュースをちびちび飲む。
「まだまだ温かい飲み物がおいしいです」
環奈は一人だけホットを飲んでいた。
ミルクバニラを飲んでいた 杏がストローから口を離した。紙パックが空気を吸い込みぼこっと音を立てた。
「おいしいにはおいしいけどあんまり運動してないといまいちだな」
「こういう日はさ、運動後のおいしさを求めなければ残念な思いすることないんじゃない」
「どういうことよそれ」
「それはそれこれはこれってことだよ。たぶん牛乳好きの人は普段牛乳飲むときにお風呂上がりに飲む牛乳と比べないんじゃない」
「言いたいことはわかった。今は運動後と思うなってことだな。でもそれは無理難題。今の状況はお湯をひと被りしただけの風呂上がりに飲む牛乳みたいなもんなんだよ」
「なるほど。納得しちゃった」
杏は残り少なかった中身を一気に飲み干すと、空になった紙パックを離れた場所にあるゴミ箱に投げ入れた。
「それはそうと、一年生に言い忘れる前に言っとかないと。一応毎日朝練やってるから来たかったら明日からでもおいでよ」
朝練って言っても自由参加の自主練だけどね、ともなかが補足した。
遥はやる気が込み上げた。
「行きます。何時からですか」
「特に決まってないよ。八時十五分までに片付けも終わらせて引き上げるから、それまでなら何時でも」
「あんまり早く来ても体育館開いてないけどね」飲み終えた紙パックを折り畳みながら舞が答えた。「いつも鍵開けてくれるのが七時前だから、体育館使えるのは七時からって思ってればいいよ」
「わかりました」
早琴もまた誰に誘われるまでもなく朝練の参加を希望した。環奈も練習はしないが来るとのことだ。つかさは「がんばるわ」とだけ言っていた。
みんなが参加の意思表示をしていて、その輪に自分も加わっている。遥は自然と顔がほころぶ。
バスケが好きで入部しているのだからやる気や向上心があるのは何も不思議なことではない。高校の部活ともなればそういった人たちが多く集まるのはむしろ普通なのかもしれない。けれど遥にはその普通がこの上なく嬉しかった。
解散したのはそれからしばらくしてからのことだった。
遥は湯船につかりながら今日の出来事を反芻する。
まだ初日を終えたばかりだが良きチームメイトに巡り会えたと思う。
初心者の早琴ちゃんからは早く上達したいって気持ちが伝わってくるし、環奈ちゃんは本当にバスケが大好きなんだってわかる。環奈ちゃんを見てるとなんだかこっちが嬉しくなるくらい。
お調子者の印象が強かったあんちゃんは、練習が始まるとバスケに対してはひたむきに見えた。練習中たまにふざけることはあっても、それは中学時代のチームメイトがふざけるのとは違った。彼女たちがふざけた場合の多くは練習から逸脱していて練習放棄に繋がった。でもあんちゃんの場合はチームを盛り上げて活気ある練習にしてくれるようなムードメーカー的行動だった。
もなちゃんや舞ちゃんはしっかりしていて頼れる印象があった。もなちゃんは見た目や雰囲気通り優しかったけど、見た目はちょっと怖い舞ちゃんも実は優しいように思う。
岩平先生はバスケ経験が長いらしいし知識もありそうで心強い。
そして、つかさちゃんは練習にのめり込むタイプだと思った。誰かが止めない限り時間も忘れていつまでも練習してそう。それからプレー面。これはよくわからないくらいすごい。チームメイトになった実感が湧かないくらいに。だからこそつかさちゃんには気になることがいくつかある。……今度聞いてみよう。
「ふぅ」
ひと息ついて別のことを考える。
みんな、中学から同じチームだったらよかったのに。
もしもの話を考えても詮ないことだとわかっていながらもあれこれと想いを巡らせた。
遥はお風呂が好きだ。そんな今日の入浴はいつもより気分が良かった。リラックス状態のためか頭の中では無意識に様々な出来事を思い出したり考えたりしていた。前後の脈絡に関係なく自分への話題が次から次へと浮かんできた。
明日になるのが待ち遠しかった。
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