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第1章
11. 呼び名
しおりを挟む放課後。部活動が始まる。
遥とつかさが教室を出ると環奈と早琴が廊下で待っていた。連れだって部室へ向かう。
環奈が部室のドアをノックした。「どうぞー」と声が返ってきてドアを開けた。
遥たちは挨拶をした。杏ともなかが先に来ていた。
「みんなお揃いで、っていうか一人増えてる! ということはあなたが噂の久我さん?」
「あ、はい。初めまして。久我早琴です」
「よろしくね」
もなかは自己紹介をし、杏のことも紹介した。
「早琴ちゃんか。じゃあさっこちゃんだ。ねぇ、さっこちゃんて呼んでいい?」
「はい。先輩のお好きな呼び方でどうぞ」
「じゃあこれからさっこちゃんって呼ぶね」
「じゃああたしは、さっこで」
部員数を考えると部室は十分な広さがあった。ロッカー、パイプ椅子が数台とプラスチックのベンチが二台あった。練習用具もある。室内は物が散らかっておらず清潔感があった。
「空いてるとこ好きに使っていいからね」
指示を受け各自ロッカーを開けた。環奈が選んだロッカーは使用中のようだった。
「先輩、この鞄ってどなたのですか」
もなかがロッカーの扉の影から顔を出した。
「ああ、それ。舞はんのだよ。うちの部唯一の三年生」
初耳だった。環奈も知らなかったことから昨日はいなかったようだ。三年生と聞いて遥は少し緊張もした。三年生というのは二年生に比べて話しかけづらい印象があった。
どんな先輩なんだろう。
あれ?
三年生が一人いるということは元々この部は三人だったということになる。つかさと環奈が入部し、そして遥が入部届を出した時点で五人集まったと喜んでいた。計算が合わない。
「環奈ちゃん。それだと暑くならない?」
着替えの途中で環奈だけ長袖に長ズボンの組み合わせであることに気づいた。
「あれ、言ってませんでしたっけ。私、マネージャーですよ」
「え!」
「本当ですよ」
遥は驚愕した。同時に人数の辻褄が合った。あんなに高校でのバスケを熱く語り、誰よりもやる気を漲らせていたものだから、てっきり選手だと思い込んでいた。とはいえ環奈がマネージャーというのは頼もしく思えた。
「そうだったんだね」
「はい。中学の時から高校ではチームのサポートに回りたいと思っていたので」
中学の部活にはそもそもマネージャーがなかったそうだ。それは遥の中学でも同じだった。
一足先に着替えを終えた環奈が「持っていく物は何がありますか」と尋ねた。部室に置いてある練習用具のことだ。もなかが室内を見回す。
「人数増えたから一応ゼッケンは持っていくとして……今日のところはそれくらいかな。ボールとか救急バッグは舞はんが持っていってくれたみたい」
「ちなみに」と杏が一年生に先んじて言った。「うちは部員も少ないから用意も片づけも全部みんなで手分けしてやるから」
「でも」環奈が言いかけたところで「さあ、行こ行こ。マネージャーのやることは他にもあるから」ともなかが背中を押して部室を出た。
防球ネットで仕切られた隣のコートにはバレー部員が大勢いた。
対してバスケ部側のコートには一人だけ。壁面固定された折り畳み式のバスケットゴール、そこにある小さい輪に先がフックになった棒状の器具を引っかけ、くるくる回しながらバスケットゴールを展開させている。先ほど話にあった三年生の鷹宮舞だった。
「さんきゅー舞はん」
杏と並んで立つと、身長が百七十センチはある杏よりも少し高かった。すらっと伸びた手足は長く、顔は小さい。ストレートのショートボブも相まって余計にそう見えた。遥はその外見からやや冷たい印象を受けた。
もなかが舞に一年生を紹介してから、一年生は簡単な挨拶をした。
先輩と呼ばれた舞は照れくさそうだった。
「できれば『先輩』じゃなくて別の呼び方にしてほしいんだけど……」
「あ、がんちゃんだ」
顧問の岩平が横扉から入って来たのをもなかが気づいた。
「おう。揃ってるな」
でさ、と杏が話を戻す。
「実はあたしも、特に部活の後輩に『先輩』って呼ばれるとくすぐったいんだよね」
「実は私も。呼ばれ慣れてないから最初は感動したけど、やっぱりバスケ部の中では違う呼び方してほしいな」
岩平も頷く。
「それに」
「え、まさかがんべーもどう呼ばれたいとかあるわけ。さすがにそれは、ねぇー」
岩平を遮って杏は半眼を向ける。
「全然違うけど」
「まあそういうことらしいので、がんべーでもがんちゃんでも、なんならおっさんとでも好きに呼んであげて。喜ぶから」
「おっさんはやだなー」
外見におっさんぽさはなかった。教師というよりも近所の気のいいお兄さんみたいな若々しさがあった。
「それでがんちゃん。なんか言おうとしてたけどなんだったの」
横道にそれていたところををもなかが引き戻した。
「ああ、そうそう。先輩って呼ばれたくないって話だったな」
「それがどうかした?」
「うちの部は試合に、というかコートに立つ五人はどうしても学年バラバラになるだろ」
「まあそうなるね。人数少ないから」
「つまりさ、展開が速くて瞬時の判断が要求されるバスケの試合で、『もなか先輩』とかそういう長いのは呼びづらいんだよ。下手すればタイミングずれて一瞬のチャンスを逃すことだってあるわけで」
「言われてみればたしかに。日常生活では支障なくても、試合中はそうだね」
遥にも同じような経験があった。試合中、名字に先輩をつけて呼ぶなど、長い文字数を口にしたその瞬間瞬間はプレーしづらくなったことを覚えている。
「それって『へい』とか『はい』じゃだめなわけ?」
杏が指摘した。
「パスを要求するとかならそれで十分なんだけどな。名指しで呼ぶ必要がある場面も多いよ」
岩平は例を挙げた。敵のスクリーンに気づいていない味方に知らせたいとき。ボール運びやトップでのボール回しなどで咄嗟に出したパスに味方が気づいていないときなど。
「あ、そっか」
それから岩平は学生時代の体験談を持ち出し、先輩たちから試合では呼び捨てでもいいぞと許可をもらっていても咄嗟に呼ぶと普段の呼び方が出たこと。呼び慣れていない名前で呼ぼうとしたらしたで、なんて呼ぶんだっけと一瞬そっちに思考が引っ張られてリズムが狂ったことを話した上で、先輩本人が先輩って呼ばれたくないみたいだし、一年生は呼び慣れとくといいかもな、と述べた。
「こうなったらもう呼び方を変えてもらわない理由がないね」
「うんうん。私たちは普段から試合でも呼びやすい名前で呼び慣れといてもらったほうがいいと思うんだけど、一年生のみんなはどうかな。『先輩』を付けない呼び方でも大丈夫?」
遥は賛成だった。
「私は大丈夫です。なんて呼べばいいですか」
「あたしのことはアンジェでいいよ」
「なら私のことはモナークで」
「む、無理です。アンジェはまだしもモナークは恥ずかしくて呼べません」
慌てて拒否すると、冗談ではなかったのか、もなかは残念そうに肩を落とした。
「もなちゃん、あんちゃんじゃダメなのか」
「あ、それいい」
もなかは岩平を振り向き、両手の親指を上げた。
「ナイスがんべー。なんか難しく考えてたけど最初からそれでよかった。てかなんで最初にそれ思いつかなかったんだろ」
杏も肯定し、「これなら大丈夫そう?」とまずは遥に尋ねた。
「はい。それなら私にも呼べそうです」
「さっことつかさは」
「私も大丈夫です」
「私はなんでも大丈夫」
「舞はんのことはどうする? 舞はん? 舞ちゃん?」
遥は一瞬考える。
「舞ちゃん、でお願いします」
早琴も同じ呼び方をすることになった。
「あの」
環奈が前に出た。
「あ、そうだよね。ごめんね仲間外れにして」
「私はできれば今まで通り名前に『先輩』をつけたいです。でも先輩たちは『先輩』と呼ばれたくないんですよね。試合の便宜上などとは関係なく」
「そうだったんだけど」
もなかは顎に手をあて、首を傾げた。
「いやもちろん、今でもそうなんだけどね。例外もあることに気づきまして」
杏も同意する。
「環奈にだけは『先輩』って呼ばれても全然くすぐったさを感じないんだよ。逆に環奈から違う呼ばれ方したほうが違和感あるっていうか」
「じゃあ今まで通りでいいんですか」
「いいよ」
「話し方も今まで通りで?」
「むしろそうしてほしいくらい」
「舞先輩もこのままでいいですか」
環奈は舞本人に確認を取った。
「うん。呼び方も話し方もそのままでいいよ」
「そんな環奈とは反対にさ」
杏が視線を移す。
「もしかしてつかさちゃん?」
「そうそう」
「と言っても、まだ私ら、つかさちゃんに名前で呼ばれたことないけどね」
「もしかしてつかささんには呼び捨てで呼んでほしいということですか」
環奈は不思議そうに隣のもなかに尋ねた。
「呼んでほしいというか、まあ呼んでほしいのに変わりはないんだけど、なんていうかつかさちゃんには呼び捨てにされるのが自然な気がするんだよね」
あれだよな、と杏。
「英語圏の友達ができたとして、『ハーイ、アンズちゃん』みたいに挨拶されると、思わず杏でいいよって言っちゃいそうな。つかさに先輩とかちゃん付けして呼ばれるのはそれと同じ感じがして」
たしかに、と遥は納得する。
もなかがつかさを向く。
「ということで私たちのことは呼び捨てにしてね」
「わかった」
つかさは「じゃあ、もなか」と呼んでから、順繰りに相手の顔を見ながら、「杏に、舞。それから、寛」
「お、おう。っえ、俺も?」
杏が、たはははは、と腹を抱えて笑う。
「い、いいじゃんいいじゃん。満更でもなさそうだし。実は気にいったんでしょ? ね、寛」
「杏、お前に呼び捨てにされるとなんかムカッとくるわ」
一段落ついたところで、岩平が体育館の時計に目をやった。三時三十六分。
「もうすぐ時間だな」
もなかも時計を見た。全体練習は基本的に十五時四十五分から始まり十八時半までには終わるようだ。
「ちなみに総体ってどうなんの?」
杏の問いにほんの少し空気が張り詰める。
「人数集まったからもちろん出るよ。これを逃せば舞が出られる大会もなくなるし」
「総体まで二ヶ月くらい?」
「そうだな。二ヶ月しかないけど、焦らずやれることをやっていくしかないよ」
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