ホウセンカ

えむら若奈

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愛しのホウセンカ

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 父が姉たちのことも可愛がっていたのは知っている。ただ男はオレひとりだったし、所謂“男同士の秘密”を共有することは、父自身の楽しみでもあったようだ。

 とにかく、父のようになりたかった。だから絵を描く姿もよく観察していたし、身振り手振りや喋り方まで少しずつ真似をしはじめる。オレが浅尾瑛士にそっくりだと言われるのは、無意識に真似る癖がついていたからだ。

「桔平。お前がこの先、どんな道を選ぶかは分かんねぇけどな。これだけは覚えておけ」

 ある日、父がオレを膝の上に抱いて、真剣な表情で言った。

「完全なものだけを美と呼ぶ大人にはなるな。不完全に宿る美しさってのがあるんだ。そして人間は、不完全な生き物。だからこそ愛しい気持ちが湧いてくるんだよ。完璧な満月より、繊月せんげつ。真新しい漆椀より、使い込んで塗りが剥がれた椀の方が粋だろ?」
「せんげつ?」
「細い月だ。明後日あたり見られるだろうよ。父ちゃんと一緒に、月見しような」
「うん」
「もうすぐこのホウセンカも枯れるが、また来年に新しい花を咲かせる。楽しみだな」
「そしたら、また絵描くよ」
「ああ、一緒に描こうな」

 それが、父と過ごした最後の夏。その年の瀬に癌が見つかり、満開の桜が見守る季節に、父は自宅で眠るように旅立っていった。

 大好きな父がいなくなってしまった衝撃は、幼心に耐えうるものではない。だからオレは、父が死ぬ前後の記憶を出来るだけ封じ込めようとしていたらしい。ところどころ、記憶に曖昧な部分がある。悲しみに押し潰されないための精一杯の抵抗だったのだろう。

 それからオレは、父の部屋に籠ってひたすら絵を描いていた。そして描き上げたものを父の写真の前へ置く。また褒めてくれるかもしれない。そう思って描き続けた。

 しかし、そのうちに気がつく。父はもう、自分に笑いかけてくれない。あの大きくて温かい手で、頭を撫で回してくれることはないということを。

 その年も、庭のホウセンカが紅い花を咲かせた。ただ、もう父と一緒に眺めることはできない。絵を描くことはできない。オレは、父の部屋で泣き叫んだ。母や姉たちに宥められても止まらず、何時間も泣き続けた。

 旅先の美しい景色に心打たれてひとりで涙を流したことはあるが、人前で泣いたのはこれが最後。泣かないのではなく、泣けない。きっと父の部屋で、一生分の涙を流してしまったからだ。

 そう思っていたのに。そのはずなのに。あの花が当時と変わらぬ姿でそこに在るのを見た瞬間、堰を切ったように止まらなくなった。
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