ホウセンカ

えむら若奈

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君に捧げるカランコエ

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「自分の絵に対する悩みは、ずっと抱えたままなんだよ。藝大入ってからも」
「私は桔平くんの絵、好きだけどな」

 オレの髪を人差し指でクルクルと弄びながら、愛茉が言う。

「いつも家で描いてるのは、桔平くんの絵でしょ?」
「まぁ、そうだな。どっかに出すもんじゃねぇし」
「なんか……繊細なのに大胆っていうか。でも、すごくあったかくて優しい感じがするもん。桔平くんのお父さんの絵を見た時とは、どこか違って……あ、ごめんね。めちゃくちゃ抽象的な感想で」
 
 芸術に明るいわけでもない人間の、何の忖度もない感想の方が真っ直ぐ心に届く。特に愛茉は心の機微に人一倍敏感だから感受性も強い。美術界のお偉い方の賛辞より、愛茉の素直な感想の方がオレにとっては何倍も価値がある。

 それに、愛茉の色は真っ白だ。だから愛茉が家にいても、オレは自分の絵を描くことができた。

「父親と比べられるのは、最初から分かってたんだけどな。死んでるから余計にってところもあるんだろうし」
「……桔平くんは、お父さんが亡くなった時のことって覚えてる?」
「うーん、5歳だったしな。ぼんやりって感じ。母親が泣き崩れている姿だけは、鮮明に覚えてるけど」
「そっか……死んじゃうって、どういうことなのかな……」

 数時間前に母親の死を聞かされたばかりだから、少しばかりセンシティブになっているのだろう。大丈夫だと言いつつも感情が不安定だったようで、ついさっきまで泣いていた。

 オレは一時期、死に関する本を読み漁っていた時期があった。だからそれがどういうものなのか、自分なりの考えは持っている。ただそれは今ここで愛茉に話すことではないような気がして、答えの代わりにその頭を撫でた。

「桔平くんのお父さんは、たくさん作品を遺しているんだもんね。それが生きた証ってことなのかな」
「そうかもな」

 愛茉の母親は、自分の痕跡をすべて消してから旅立とうとしていたらしい。何故そんなことを考えたのかは分からない。

 ただ、愛茉の母親がこの世に生きたという最大の証は、今オレの腕の中にある。それ以外のものを遺すことに、何の意味もない。そう考えていたのかもしれない。
 
「でも大変だよね。お父さんが偉大なのも……」
「まぁどっちにしろ、何の悩みもなく絵を描けることは、ほとんどねぇしな」
「そうなの?」
「一心不乱に描いた翌日に、その絵を破り捨てたくなることもあるし。絵を描くって、どこかマゾヒスティックな面があるからな」
「マゾヒ……あ、桔平くんはMってこと?」
「ドSっぽく見えるだろ?でも実はドMなんだよね」

 愛茉の大きな目が見開かれた。冗談を真に受ける時のこの顔が可愛くて、ついつい意地の悪いことを言ってしまうことがある。
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