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9.ふっきれた
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営業部から呼ばれた稲尾と佐野は小鳥遊のデスクを囲みながらそのおかしな光景に眉をへの字に曲げている。
中原はあえて何も指摘しないつもりでいたが、『それ』が気になって稲尾と佐野はほとんど話を聞いていないと察したのだろう。
一旦、区切りがついたところで諦めのため息をついた。
「あの、部長?それはなんですか?」
中原が24型モニターの前に並べられた小さな人形、フィギュアをちょんと指差した。
「これか?みるくみくさん」
「あー、有名なvちゅーばーでしたっけ?」
「そうだ」
「お好きなんですか?」
「あぁ」
佐野が可愛らしい顔をほんの一瞬歪め、稲尾はこてんと首をかしげた。
翌日、早速というか、何か吹っ切れたのか小鳥遊はみるくみくの小さなフィギュアを数体持参してモニターの前に並べていた。黒いモニターの前に3頭身くらいにディフォルメされたフィギュアがちょこんと愛らしい笑顔を向けている。
「これ何年か前に予約始まって即完売したやつじゃないですか」
新谷は真ん中に配置されたフィギュアを指差した。
「よく知ってるな、その頃まだみるくさんってそれほどメジャーじゃなかったのに」
「サーバー落としは有名な伝説ですから。にしてもよく買えましたよね」
「そりゃパソコン、スマホ、タブレットの3台体勢で予約したからな。家にあとひとりいる」
「わぁ……」
たしかに新谷の言う通り、『みるくみく ドレスの姿』として発売されたこのフィギュアはメーカーの予想を大きく上回る予約が入り生産の限界数を超える可能性があったから早々に予約終了した代物だ。
チャンネル登録者数100万人突破記念で作ったもので、再販もされていない。転売や中古市場にも出回っているようだが軒並み定価の倍以上の値段が設定されており頭の痛い問題でもあった。
予約のときでも通販サイトのサーバーが落ちたそうで、推定みるくみくのせいなどとネットで話題になったりもした。
どちらにしても、御厨にとって苦い思い出の産物だった。
「へぇ~意外ですねー、小鳥遊さんがvチューバーなんかにハマるなんて」
「なんか?」
ピクリと小鳥遊の眉尻がつり上がる。しかし佐野は気づいていない。
「だってぇ、小鳥遊さんなら現実の女の子を選り取りみどりでしょ?小鳥遊さんが誘ったら断る子なんていないのに」
「…………」
「私、フォロワー2万人のインフルエンサーなんでぇ、何回かいわゆるvの中の人?ってやつに会ったことあるんですけど……その、何て言うのかな、言いにくいんですが、タレントとか声優になれなかったような子がやってる印象なんですよね。顔では売れなかったからキャラクターの顔借りてる、みたいな」
「ほぉ、つまり佐野さんはご自身よりみるくさんが格下だとでも言いたいのかな?」
「へ!? そんなことは……でも!小鳥遊さんがハマるようなものでもないかなーって」
瞬間、デスク回りの空気が氷点下にまで凍りついた。中原がめんどくさそうにベェーと舌を出し、隣にいた新谷が吹き出した。
「俺が何を好きでもきみには関係ないだろ」
「た、小鳥遊さん!?」
「佐野さんはみるくさんの素晴らしさをご存じないとみえる」
「す、素晴らし……?」
「ところで佐野さんはインフルエンサーをしているそうだが配信はされているのかな?」
「あ、当たり前じゃないですか!ライブだって……」
「そのときコメントをくれる一人一人のことを覚えているかい?」
「そりゃ、いつも来てくれる人なら……」
「甘い、甘いな。佐野さん」
「た、小鳥遊さん……?時間が押してるんですけど……」
中原が止めようとするが聞こえていないのだろう。小鳥遊はフッフッフと意味深に笑った。たぶん小鳥遊以外の誰かが同じような笑いかたをしたら即、怪しい人だと断定される笑いかただ。小鳥遊ですら、あまり関わりたくない雰囲気を出しているくらいだから。
「みるくさん、みるくみくさんの素晴らしさを語るとき切れ味のいいトーク力や企画能力に目が行きがちだがそんなものじゃあないんだよ。vを始めてまだ2年程度。最初こそ目立つ存在ではなかった……個人勢だしそれほど話題になるようなこともなかったからな……みるくさんは個人勢だからいわゆる箱推し、同じ事務所の横の繋がりから得られるファンはほとんどない。たしかにゲーム配信や歌枠、お絵かき配信と、多芸だがそれだけでここまで登り詰めるのは難しい……しかしみるくさんには推したくなる魅力がある!」
小鳥遊はぐっと拳を握りしめ、パチパチとどこかのサイトへアクセスした。
「『みるくさんの地下室配信』……?これなに?」
「こちらはみるくさんがときどきやってる企画の一つですね。リスナーから悩み相談にのるというよくあるネタのひとつです」
新谷が控え目に解説した。小鳥遊は満足げに頷いて、そこから別のページを開く。みるくみくのファンが悩み相談の内容と返事をまとめたサイトだろう。
「こ、このくらい私だってやってますよ……」
「しかしみるくさんはこの全てを覚えている」
「は?」
「みるくさんは全てのコメント、全てのファンを覚えているんだよ」
「そんなこと……できるわけないじゃないですか!」
「それができるんですよね、みるくさんは」
「…………」
そう。
これがみるくみくが個人勢にも関わらず企業勢の、それも上位数名レベルの数字を出せる理由。
『みるくみくはファンの全員を覚えている伝説』
もちろん、全てを全て覚えているわけではないと思う。しかしスーパーチャットはもちろん、コメントをくれる人、相談してくれた人はほとんど覚えていた。これは御厨自身も知らなかった特技のようなもので、どんな相談をしてくれたか、どんなコメントをくれたか、少しでも情報があれば糸を手繰り寄せるように詳細を思い出すことができるのだ。
おかげでファンとのエピソードは忘れたことがないと言われるまでになり、自然とトークの傾向まで掴めるようになったのだ。
「企画のおもしろさ、コンプライアンスギリギリを攻めたトークやネタはたしかにみるくさんの持ち味ですがファンがみるくさんを推す理由はそこにあります」
「企業の幹部のなかにはみるくさんのファンもいるらしい。俺もそっちの知り合いから教えてもらったからな」
「へ、へぇ……」
佐野は口許をひきつらせて異世界の異物でもみるように小鳥遊と新谷をみた。
目元を柔らかくほころばせみるくみくの3頭身フィギュアを撫でる姿はいつもの仕事ができるイケメンとはかけはなれていて、どちらかというと佐野が毛嫌いするオタクそのものなのだろう。
中原はあえて何も指摘しないつもりでいたが、『それ』が気になって稲尾と佐野はほとんど話を聞いていないと察したのだろう。
一旦、区切りがついたところで諦めのため息をついた。
「あの、部長?それはなんですか?」
中原が24型モニターの前に並べられた小さな人形、フィギュアをちょんと指差した。
「これか?みるくみくさん」
「あー、有名なvちゅーばーでしたっけ?」
「そうだ」
「お好きなんですか?」
「あぁ」
佐野が可愛らしい顔をほんの一瞬歪め、稲尾はこてんと首をかしげた。
翌日、早速というか、何か吹っ切れたのか小鳥遊はみるくみくの小さなフィギュアを数体持参してモニターの前に並べていた。黒いモニターの前に3頭身くらいにディフォルメされたフィギュアがちょこんと愛らしい笑顔を向けている。
「これ何年か前に予約始まって即完売したやつじゃないですか」
新谷は真ん中に配置されたフィギュアを指差した。
「よく知ってるな、その頃まだみるくさんってそれほどメジャーじゃなかったのに」
「サーバー落としは有名な伝説ですから。にしてもよく買えましたよね」
「そりゃパソコン、スマホ、タブレットの3台体勢で予約したからな。家にあとひとりいる」
「わぁ……」
たしかに新谷の言う通り、『みるくみく ドレスの姿』として発売されたこのフィギュアはメーカーの予想を大きく上回る予約が入り生産の限界数を超える可能性があったから早々に予約終了した代物だ。
チャンネル登録者数100万人突破記念で作ったもので、再販もされていない。転売や中古市場にも出回っているようだが軒並み定価の倍以上の値段が設定されており頭の痛い問題でもあった。
予約のときでも通販サイトのサーバーが落ちたそうで、推定みるくみくのせいなどとネットで話題になったりもした。
どちらにしても、御厨にとって苦い思い出の産物だった。
「へぇ~意外ですねー、小鳥遊さんがvチューバーなんかにハマるなんて」
「なんか?」
ピクリと小鳥遊の眉尻がつり上がる。しかし佐野は気づいていない。
「だってぇ、小鳥遊さんなら現実の女の子を選り取りみどりでしょ?小鳥遊さんが誘ったら断る子なんていないのに」
「…………」
「私、フォロワー2万人のインフルエンサーなんでぇ、何回かいわゆるvの中の人?ってやつに会ったことあるんですけど……その、何て言うのかな、言いにくいんですが、タレントとか声優になれなかったような子がやってる印象なんですよね。顔では売れなかったからキャラクターの顔借りてる、みたいな」
「ほぉ、つまり佐野さんはご自身よりみるくさんが格下だとでも言いたいのかな?」
「へ!? そんなことは……でも!小鳥遊さんがハマるようなものでもないかなーって」
瞬間、デスク回りの空気が氷点下にまで凍りついた。中原がめんどくさそうにベェーと舌を出し、隣にいた新谷が吹き出した。
「俺が何を好きでもきみには関係ないだろ」
「た、小鳥遊さん!?」
「佐野さんはみるくさんの素晴らしさをご存じないとみえる」
「す、素晴らし……?」
「ところで佐野さんはインフルエンサーをしているそうだが配信はされているのかな?」
「あ、当たり前じゃないですか!ライブだって……」
「そのときコメントをくれる一人一人のことを覚えているかい?」
「そりゃ、いつも来てくれる人なら……」
「甘い、甘いな。佐野さん」
「た、小鳥遊さん……?時間が押してるんですけど……」
中原が止めようとするが聞こえていないのだろう。小鳥遊はフッフッフと意味深に笑った。たぶん小鳥遊以外の誰かが同じような笑いかたをしたら即、怪しい人だと断定される笑いかただ。小鳥遊ですら、あまり関わりたくない雰囲気を出しているくらいだから。
「みるくさん、みるくみくさんの素晴らしさを語るとき切れ味のいいトーク力や企画能力に目が行きがちだがそんなものじゃあないんだよ。vを始めてまだ2年程度。最初こそ目立つ存在ではなかった……個人勢だしそれほど話題になるようなこともなかったからな……みるくさんは個人勢だからいわゆる箱推し、同じ事務所の横の繋がりから得られるファンはほとんどない。たしかにゲーム配信や歌枠、お絵かき配信と、多芸だがそれだけでここまで登り詰めるのは難しい……しかしみるくさんには推したくなる魅力がある!」
小鳥遊はぐっと拳を握りしめ、パチパチとどこかのサイトへアクセスした。
「『みるくさんの地下室配信』……?これなに?」
「こちらはみるくさんがときどきやってる企画の一つですね。リスナーから悩み相談にのるというよくあるネタのひとつです」
新谷が控え目に解説した。小鳥遊は満足げに頷いて、そこから別のページを開く。みるくみくのファンが悩み相談の内容と返事をまとめたサイトだろう。
「こ、このくらい私だってやってますよ……」
「しかしみるくさんはこの全てを覚えている」
「は?」
「みるくさんは全てのコメント、全てのファンを覚えているんだよ」
「そんなこと……できるわけないじゃないですか!」
「それができるんですよね、みるくさんは」
「…………」
そう。
これがみるくみくが個人勢にも関わらず企業勢の、それも上位数名レベルの数字を出せる理由。
『みるくみくはファンの全員を覚えている伝説』
もちろん、全てを全て覚えているわけではないと思う。しかしスーパーチャットはもちろん、コメントをくれる人、相談してくれた人はほとんど覚えていた。これは御厨自身も知らなかった特技のようなもので、どんな相談をしてくれたか、どんなコメントをくれたか、少しでも情報があれば糸を手繰り寄せるように詳細を思い出すことができるのだ。
おかげでファンとのエピソードは忘れたことがないと言われるまでになり、自然とトークの傾向まで掴めるようになったのだ。
「企画のおもしろさ、コンプライアンスギリギリを攻めたトークやネタはたしかにみるくさんの持ち味ですがファンがみるくさんを推す理由はそこにあります」
「企業の幹部のなかにはみるくさんのファンもいるらしい。俺もそっちの知り合いから教えてもらったからな」
「へ、へぇ……」
佐野は口許をひきつらせて異世界の異物でもみるように小鳥遊と新谷をみた。
目元を柔らかくほころばせみるくみくの3頭身フィギュアを撫でる姿はいつもの仕事ができるイケメンとはかけはなれていて、どちらかというと佐野が毛嫌いするオタクそのものなのだろう。
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