Bar Night

彼方

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9.Bourbon

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 目の前で、必死で涙をこらえる学生達。その額から、汗がこぼれ落ちている。

「……三年生は今日で引退だ。二年生以下は先輩達から教わったことをこれからも続けて、来年はその雪辱を果たすこと。三年生は悔いが残った奴もいるかもしれねぇが、お前達が今日まで頑張ったことは無駄じゃない。今日まで三年間頑張ったことを胸に刻んで、明日からまた大学受験なり……就活なり、各々向かっていくことだ。以上」
 ありきたりの言葉しか言えないけれど。それだけ言うと、学生達がピシッと背を正し、 ありがとうございました と大声で叫ぶ。そのまま一礼して……その場に崩れ落ちる。そうして仲間達がその肩を支える。

「ごめんなっ……俺が、俺が二本負けだったからっ……」
「違う、俺が一本取られなかったらっ……」
「本数負けだったんだ、俺が二本取ってたらっ……」
「ごめんっ……」
 皆が皆、互いをかばい合う。後輩達も後ろで号泣している中……一人だけ、泣くのを必死でこらえている奴がいる。俺から見れば奴は異端児だった。

 高校入学当初から実力があり、一年目で既にレギュラー。昨年の三年生が引退してからは、全員一致で大将に決まった。本人は困惑気味だったが、実力はずば抜けていたし、何より安心感がある。大将はチームの要。コイツが負けたら仕方が無い、そう思える奴だった。

「皆ごめん……俺が引き分けだったから……」
「何言ってんだよ、大将戦までもつれ込ませた俺達が悪いんだよっ……ごめんなっ……」
 ムードメーカーでも有り、部長でもある学生が号泣しながら奴に抱きつく。
 これまで必死でこらえていたものがプツリ、と途切れたらしい。奴は……静かに、声を押し殺して泣いた。


 高校教師になって三年半。就職当時から、俺は剣道部の顧問になった。高校時代にインターハイに出場した経験があること、大学でも剣道部に入部しそれなりの結果を出していたことが評価されたらしい。今年の三年生は、一年生の頃から知っている連中だった。

 勤め先の高校は学歴優秀、運動部も軒並み揃って結果を出す……まぁ、自分の母校でもあるのだが。今年、久しぶりに剣道部はインターハイに出場した。けれど、全国出場校は強い。我が校は三回戦で姿を消した。

 帰りの電車の中。皆が泣き疲れ、座って眠りこけている中、一人だけ窓の外を見て隅に立つのは……やはりあの異端児だった。

「志望校は決まってんのか」
「あ……はい。天蒼アソウ大学志望です」
 声をかけると、まっすぐにこちらを見てくる。
「あそこは俺の友人も行ってたけど、良い所だよ。学部も豊富だし……剣道部も結構強いけどどうするんだ」
「剣道は趣味で続けようと思ってます。部活は……高校で充分です」
 少し寂しげな笑みを浮かべる。きっとこいつは団体行動が苦手だ。どちらかというと、一匹狼で。俺と、少し似た部分がある。

「……おまえ、部活楽しかったか」
「え」
 驚いたように顔を上げるから、思わず苦笑する。
「自分で気付いてねぇのか、線引いてること」
「それは……」
 わかっているだろうから、あえて聞いてみる。その口が止まるのを見て、俺は一つ、息を吐く。
「あー俺もな……中学まであんまり団体行動好きじゃなかったんだわ。剣道も自分が勝てりゃいいと思ってたし、団体も別にな。どうせ個人競技だろって思ってたし。でも高校入って出会った奴等がさ、皆が皆強烈でさ。剣道強いけど個性が強すぎっつーか。それこそ団体なんてどうしようもねぇだろって。でも何やかんやで三年間続けて、インターハイ出てさ。今でもしょっちゅう会ってんだけど……そん時、少しずつ俺の中で何かほぐれてったんだよ」

 そう、中学までは優等生を表で演じつつ、裏では問題児だった。中学から煙草は吸う、酒は呑む、女で遊ぶ。年上の女連中から何故かモテたから、随分可愛がってもらった。それは高校に入学しても変わらなかったが……ある時、部員の一人にばれた。俺は人生最大級に怒られて、少しだけ改めた。口うるせぇ、と今でも時々思うが、あの時アイツ等に出会ってなければ、きっと今の俺はもっとすさんでいた。


「それは自分から歩み寄ったんですか」
「あー、それもあるし、張ってた壁をぶちこわしてきた奴がいてさ。今でもそいつには頭上がんねぇ」
 ははっ、と笑う。
「だからオマエもさ……きっと出会うぜ、そういう奴に。男でも、女でも」
「そう、だと嬉しいですね」


 学生達と別れ、自宅の最寄り駅で下車する。
 何であの話を学生にしたのか、自分でもよくわからない。何となく青春を思い出したから、だろうか。

 不意に目にとまる、一軒の店。どうやらBarのようだが……こんな所に今まで店なんてあっただろうか。首をかしげつつ、扉に手をかけた。

 カランカラン

 入口の扉に取り付けられた古めかしいベルが鳴る。狭い店内には、数えられるほどのカウンター席しかない。


「いらっしゃいませ、どうぞ」
 声をかけたのは、バーテンダー。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いている。
 案内されたのはカウンターの丁度真ん中の席。斜め左前に立つバーテンダーは、チョコレートやナッツが乗った小皿を出してくれる。

 ぐるり、と店内を見回す。店内は薄暗く、ランプの灯りのみでカウンターは照らされ、壁に散りばめられたステンドグラスが木の床に色を映し出している。

「あの……メニューありますか」
「申し訳ありません、当店にメニューはございません。お客様のご希望の物を何でもお創りします」
 普通、居酒屋やBarにあるはずのメニューが無い。尋ねてみるが、バーテンダーはいつものことなのか、静かに返答する。
 酒は好きで何でも呑める口だが……メニューが無いと、それはそれで悩む。
相原アイハラさんはバーボンはお好きですか」
「あ……そうですね、呑めます」
「それではいくつか種類がございますので、飲み比べでいかがでしょう」
「あの、お任せします」
「かしこまりました」

 小さく一礼すると、バーテンダーは背を向けて上の棚を開けて酒の瓶をいくつか手に取った。


 気がつくと、目の前に灰皿が置かれている。胸ポケットから煙草とライターを取り出し、火を点ける。健全な高校生の前では見せられない姿だ。

 ふぅ、と煙を吐き出す。高校時代に吸っていたところを見つかって、部員に酷くしかられた。こっそり隠れて吸っていたのだが、臭いはやっぱり消せない。身体に悪い、剣道するのに体力が無くなる。二十歳になるまでやめろ、そう鬼の形相で迫ってきたあいつの顔は、今も忘れない。
 約束どおり、俺は律儀に二十歳まで煙草を断った。そうして……二十歳の誕生日、あいつは1カートンの煙草を俺にプレゼントとしてよこしやがった。単なる嫌がらせとしか思えないプレゼントに苦笑し、そこからまた煙草を吸い始めたが……量は格段に減った。


「お待たせいたしました」
 コトン、と目の前に置かれる五つのミニグラス。全てストレートのバーボン、らしい。
「五つとも似ているようで、少しずつ味が違います。香り、コク、酸味……お好きな物からどうぞ」
 どれがどの銘柄か教えてくれる気はないらしい。とりあえず端から一つずつ口に入れていく。


 時間をかけて五つ全てを味わう。確かに、似ているようで少しずつ違う。まるで、俺達のようだ。

「何かお悩みでも」
「え」
 一つ目のグラスに戻ったところで、バーテンダーが声をかけてくる。斜め前に立つバーテンダーは白い布でグラスを拭いたままだ。
「あぁ……俺、こんなんでも高校の教員なんですよ。で、今日顧問やってる部活の試合があったんですけど……負けちゃって。学生達が号泣してんのに、一人だけ泣くのこらえてる奴がいて。そいつは一年の頃からちょっと変わってて……あんまり自分を出さないっていうか、溶け込めてねぇっていうか」
 グラスを置き、煙草をくわえ、火を点け、煙を吐き出す。
「もったいねぇなって思ってはいたんです。せっかくの高校で、部活やって……それなのに仲間と打ち解けねぇって……もっと早くに何か言ってやるべきだったんじゃねぇのかなって。帰りも一人だけ黄昏れてて……何でかなぁ、って思って」
 そこまで一気に話して苦笑する。気にはなっていた。けれど、手はさしのべなかった。面倒くさいと思ったのかもしれない。

「……学生は先生の話を聞いてどう返答したのですか」
「そうだと嬉しいですね、だとさ。大人ぶっちゃってよ」

 そう、何処か大人びている。けれど内面はまだまだ子どもだ。周りに素直に助けを求められない、小さなプライド。それが邪魔をしている。

「先生にもそのような時期があったのでは」
「あぁ……まぁ、そうっすね。俺は恵まれたんですよ、周りに」
 個性の強い四人。いや、自分含め五人か。馬鹿やって、笑って。同じクラスにいたら絶対に仲良くはしないだろう。まぁ、クラスにも仲の良い連中なんてほとんどいなかったのだが。

「何ですかね、青春ってか……あの頃はやっぱり若かったんですね。ひたすら剣道やって、集まって……喧嘩して。まぁ今もしょっちゅう口喧嘩みたいなのしますけど。でも俺の場合、あっちから入ってきてくれたんですよ。あ、いや……入り込まれたっつうか」
「それでも、その人達は先生が侵入を許せるほどの方だったのでしょう」
「あぁ……それは言えてますね」


 出会ってから九年。大学はお互いバラバラになり、就職先も違うけれど。今でも五人で集まるのは居心地が良い。



「その学生さんにも……そういう人はいないのでしょうか」
「今はいないみたいですけどね」
「部活には、でしょう。他にはいかがですか」

 そう尋ねられ、ふと数ヶ月前の事を思い出す。三年になる直前、春先頃だった。大将を決めたとき、困惑していた彼が……ある日を境に少し変わった。確かに一線引いていた。それは確かだ。それでも、当たりは少し柔らかくなってきていた、そんな気がする。

「もしかしたら、彼なりに部活をとても大事に思っていたのかもしれませんし、部活にはいなくても、その他で大切な友人がいたのではないでしょうか」

 あぁ、そうか。俺は俺の物差しで見ていたのだ、と気付く。

「そう、ですね……。何か、教師失格ですね」

 苦笑してグラスを手に取る。

「いいんですよ。まだまだ……悩むことばかりです。悩まない人生なんてつまらないでしょう」
 ふわり、とバーテンダーが微笑む。
「そうっすね……。アイツにも、そういう信頼できる奴がいるんだったら……俺が口出す話じゃありませんし」
「そうかもしれませんが……先生に気付いて貰っていたという事実を知った彼は、嬉しかったと思いますよ」
「そうですかねぇ……」
「えぇ、きっと」

 そう言って、バーテンダーは再びグラスを白い布で拭き始めた。


 ゆっくりと時間をかけて五つのバーボンを飲み干す。

「ごちそうさまでした、勘定」
「はい、五百円です」
 財布を取り出した手が止まる。
「え、チャージ料とか」
「結構です。一律五百円ですので、お気になさらず」
 それなら、と五百円玉を財布から取り出し、カウンターに置く。

「先生」
 扉に手をかけたところで、呼び止められる。振り返ると、バーテンダーがふわりと微笑んだ。

「また何か悩んだ際はどうぞお越しください」
「あぁ、ありがとさん。ごちそうさま」

 小さく頭を下げ、店を後にする。
 久しぶりにゆっくり出来て、それでいて感じのいい店だった。


 翌日から、また学校が始まった。三年生が引退した部活は、二年生が代替わりをし、一生懸命引っ張っている。


「先生」
 ある日の放課後。呼び止められ、振り向くと……そこにはあの生徒がいた。
「おぉ、元気か」
「はい。この間、同期で打ち上げしてきたんです」
「そうか、どうだった」
「……楽しかったです」
 少し恥ずかしそうにはにかむ笑顔に、思わず俺も笑う。

「おぅ、良かったな。受験頑張れよ。行き詰まったらいつでも稽古に参加しろ。気分転換になる」
「はい、そうさせてもらいます」

 一礼して去って行くその背中姿が、何だか少し大きくなったような気がした。


 帰り道。あのBarに立ち寄ろうとしたが、何故か店は見つからなかった。けれど、それで良い気がした。おそらく、そういう所なのだ、と。




 薄暗い店内。カウンターに置かれた、一冊の古びた本。椅子に座るバーテンダーは、グラスに氷を入れ、酒を注ぐ。

「……壁を壊す、か」

 言葉にしてバーテンダーは微笑む。

「彼が来たって事は、そろそろアイツが来る頃かな」

 bourbon そう本に記し、静かに本を閉じた。
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