42 / 49
番外編
2
しおりを挟む
2
「純。起きて」
「んー……」
すぐ近くから声をかけられ、純は唸った。身も、離れるように動く。
「純。遅刻しちゃうよ」
でも、良智の忠告が続く。
「……いい夢みたからもう少し寝る」
「なに言ってるんだよ! ご飯食べられなくなるよ!」
「んー……」
それで困るのは良智だろうと思ったのだが、いい夢を見た気分を阻害されたくなく、純は相槌だけを打っておいた。端から聞けば、寝起き特有のものに聞こえるだろう。
「純!」
だが、その反応が良くなかったらしく、しまいには叱責が飛んできた。
「…………」
数秒後、仕方がないという感じで純は身を起こした。けど、良智に怒られたからではない。遅刻と初めに言っていたことを思い出したからだ。朝食は食べられなくとも遅刻はまずい。そんなことで遅刻したことが父親に知られたりすれば、西町や校長のように正座では済まされない。
「やっと起きた」
まるで、困った者を相手にしていたかのような良智の声だった。
「あ~あ。せっかくいい夢だったのに」
対しての純も、仕方がないという態度を崩さなかった。ベッドから下りながら愚痴を零す。怒られることを考えはしたが、それでもやはり余韻に浸かっていたかったという思いも強かったのだ。
「そんなにいい夢だったの?」
そのことには良智も疑問が出てきたようだった。
「ああ」
「どんな夢?」
「興とやる夢」
純は言った。前は恥ずかしさしかなく、〝いい夢〟と思ったのも興と結ばれたい想いからだったが、今では欲からくる〝いい夢〟になってしまっていた。以前、名前通りの〝純〟はどこ行ったと言われたが、人間そんなもんだと割り切っている。
「あ……それ……」
良智の声音が、納得であり、困りであり、呆れでありによって力が抜けた。純が興とやる夢を見ることがあることは良智も知ってしまっているのだ。
「誤っても良智とやることはないから安心しろよ」
「誤ってもそれはしちゃいけない気がするんだけど」
両方とも恋人がいるのだ。気がするではなく、いけないことだ。
「まあな」
純は同意した。
「それで、純。サッカーはどうするんだ?」
景一にそんなことを聞かれたのは、カウンターに来たことを伝え、戻ってきた席に腰を落ち着かせてからである。
体育で純に誘いがかけられたことは、昨日のうちにサッカー部にも伝えられていた。純の上手さは前にも持ち上がったことがあり、また持ち上がったことで、満一致で受け入れることが決まったらしい。そのことは純も昨日のうちに聞いており、純の返答待ちとなっていた。
「それなんだけどさ」
そう言ったのは、純ではなく良智だ。部屋を出る前、良智にもそのことを振られており、彼には一足先に返事をしていたのである。
「俺、入らないから」
純は言った。実は、顧問に返事をしてからも考えは変わっていなかった。考えると言ったのも、そう言っておけば、考えた末の判断と取ってくれるだろうと思ったからだ。
「そう言うんだよ!」
答えた純に良智がそう続く。
「やりたくなるって前に言ってただろ」
「前は前。今は今」
純は返した。そういうことも言っていたが、環境が変われば心情も変わる。今の純の優先順位はサッカーではなくなってしまっているのだ。
「自分が入れば優勝するって思わないのか?」
「そう言われてもな。ここだって強いんだろ?」
こことは、純たちがいるこの学校のことだ。
ここ――条蓮高校のサッカー部が強いことを純が知ったのは最近のことだ。同じ地方にいたのなら分かるようなものだが、純は他校のことはあまり気にしていなかった。もちろん、他校の情報を元に練習したり、練習試合も行った。けれど、条蓮とは一度もなく、他校を気にしていない純が、加えて人覚えの悪さも相まって、試合で対戦になっても次にはすっかり顔ぶれを忘れ去っていた。
「まあ、決勝まではいくけど……」
「そこで負けることが多いとねえ……」
「なあ」
「ねえ」
二人が顔を見合わせて気持ちの共有を行う。でも、だからこそ、有力者を誘っているのだ。
「でもなあ、俺もあんまり入る気がなくなってるしな」
それでも、純も気が進まないことだ。興といたいからというのもあるが、前のサッカー部仲間に会いたくないというのもある。同じ地方のため、試合となれば必ず出場するうえに、純がいた高校も必ず決勝進出する。つまり、条蓮を負かす対戦校は、純が元いた学校ということだ。否応なく元仲間と会ってしまう。サッカーが好きなことは変わらないが、そのことが、断ることに躊躇いを持たせていなかった。島山たちと部活をしていた方がマシである。ちなみに、純がライバル校にいたことは誰にも明かしていない。サッカーの上手さは知られても、学校は他県からの転校ということで、なんとか明かさずにいる。むろん、今後も言うつもりもない。
「やりたくて足が疼くって言ってたのはどこいったんだ?」
「どこいったんだろうな」
そんなことも言っていたが、まだやりたい気持ちが強かった時だ。落ち着いてしまえばそんなこともない。
「興にカッコイイところ見せようとか思わないの?」
今度は良智からそんなことを聞かれる。
「ああ、それなら」
それには純ははっきりと返した。
「常に思われてるからいい」
呆れられることもまだまだあるが、好印象も多くある。格好良く見られているのもその一つで、自分よりも格好いい興が――といっても時々だが――頬を薄く色づかせることがあるほどだ。
「…………」
「あっそ!」
それに、二人はのろけを聞いた時のようになった。景一は辟易したような苦笑を浮かべ、良智は言葉強く終止符を打った。
□□□
温室の奥――観葉植物の木で隠れた裏に純たちは集まっていた。
そこは、木だけでなく板でも隠された場所となっており、温室の前にある作業場と同じくらいの広さがある。
入り口を境に半分は休憩場所という感じの方が強く、八人くらいがかけられる手作り感満載の木製のテーブルセットや小さな食器棚まである。そこのテーブルに、純、島山、佐々木の三人はいた。テーブルの上には飲み物に加えてお菓子まで準備されている。
「橋川。お前、サッカー部の誘い断ったんだって?」
「ああ。悪いか?」
テーブルの幅の狭い位置に座っていた島山の尋ねに、純は聞き返した。左右斜め前には佐々木と、一人分あけて純が座っている。純が一つあけて座っているのは、そこは興が座る場所だからだ。佐々木の隣、純の前には兼田がくる。島山たちが不良をやめ、純たちもこの場を使うようになってから、こんな形で定位置が決まることになっていた。でも、島山は元々そこを定位置としていたわけではなかったらしい。それがそこに移動したのは、自分たちの関係が原因であり、島山の気持ちの表れだろうと純は思っている。興を好きなゆえに純は受け入れられず、自分たちが付き合うことになってもその気持ちは変わらないため、興の近場へと移動したのだ。
「ああ、悪いな。お前、サッカー好きなんだろ? 好きなら好きなサッカーやれよ」
それは、消えきらない感情から言っているに違いない。興に迫った日以降、興に手出しするようなことはなくなったが、こうした、興から離れさせようとする発言をするようになった。いや、前々からそうだったのだろう。島山の気持ちを知らないから、嫌いな相手を自分がいる場所から遠ざけさせようとしているように聞こえていたのだ。
「俺の気持ちを考えてのことなら感謝するけど、興といたいから興といるよ」
純はそのままの気持ちを返した。
「俺はどっちでもいいけどさ。好きなサッカーより三浦を選ぶほど、そんなに好きってこと?」
そう言ったのは佐々木だ。佐々木は時々、気持ちを分かってくれているような、純寄りの発言をするようになった。自分たちの関係を受け入れているのか。ただ、その反面、興に対する冷たさが出るのは変わらずある。佐々木も佐々木で何かかしらを思っているのだろうが、内面が全く見えないのでなんとも分からない。興は知っているのか、目立つものでない限り流している。
「――まあ」
が、改めてというほどのものではないが、ストレートに言われると今更ながらに恥ずかしさが出てくる。
「ちっ」
そんな純に、島山は舌打ちした。やはり、恋愛から来ていた発言だったようだ。しかし、あれから一ヶ月過ぎたが、島山はまだ諦めていないのか。
「まあまあ、島山。俺がいるんだし」
「だからなんだってんだ」
宥める佐々木だが、島山の言うように、だからなんだというのか。その言い方から、佐々木も島山の気持ちを知っているということだろうが、仲間だからといって好きな感情がどうこうなるものではない。
「お前ら、戻ってきてたんなら手伝えよ」
そこへ、興の不機嫌そうな声が入ってきた。
いつの間にか、興と兼田が温室の中に入ってきていた。
「しかもなんだよ。お菓子まで出してんじゃねえか」
テーブルの上に置かれている物に兼田も不服にする。その手には工具箱がある。
「お前も休めばいいじゃねえか。終わったんだろ?」
文句を言うほどでもないとでもいうように島山は返した。
興と兼田は自分たちとは別に、この間発見したハウスの直しを顧問とやっていた。純らは通常の作業をしており、終わっても直しの方がもう暫くかかりそうなことに休憩することにしたのだ。
「そうだけど」
兼田は納得いかぬげにした。先に寛いでいたのが不満なのだろう。
こちらに歩んできている興は、食器棚の前、そこに置かれているクーラーボックスを開けている。冷蔵庫なんてものはないので、これに入れて飲み物を冷やしているのだ。
「みんな戻って来ているな」
そこへ、開け放たれていた戸から阿部も姿を現した。さすがに暑いからか、夏用のつなぎがないからか、作業用のズボンに半袖となっている。
「ほら、兼田も座ったらどうだ。三浦、私のも頼むよ」
促すと、阿部は興に声をかけた。顧問の分も中には入っているのだ。
「俺のは炭酸な」
促されるまま動いた兼田も、工具箱をテーブルの端の方に置きながら自分の分を伝える。
興からの返答は何もなかったが、振り向いた腕には三人分が持たれていた。
「兼田、行くぞ」
そして、最後に手にしたのであろうペットボトルを投げる仕草をする。
「は!? それを投げんのかよ!」
兼田は声を荒げた。炭酸飲料を乱暴に扱った結果など、この中に分からない者などいない。
「……冗談に決まってんだろ」
崩れぬ声音と声量で腕を降ろし、佐々木にペットボトルを渡す興だが、答えるのに間があったのはなんだったのだろうか。あからさまな間のあき方ではなかったが、気付けるくらいの間はあいていた。島山も気づいたらしく、肘を突いている彼の目が興を見ている。興は本気で投げて渡すつもりだったのだろうか。
兼田は気付いていないらしく、やっと一息付けるという感じで蓋を開けている。そして、島山と純の視線に気付いていない興は、次に缶コーヒーを掴むと同じく投げる仕草をした。が、そこで動きが止まる。
それもそうだろう。なんたって、次は顧問――教師だ。さすがに同じようにするわけにはいかないだろう。が、
「投げないのか?」
受け取ろうと手を持ち上げていた阿部の尋ねが飛ぶ。どうやらその気が満々だったようで、その顔は、起きるはずのことが起こらないことに素で怪訝にしているものになっている。
「私もまだまだ若い。受け取れるよ」
そんなことを言うが、それを若い基準にしていいのか。
しかし、相手が相手だ。顧問のその気を受けても興は躊躇っている。
が、阿部も阿部で受け取ろうとする姿勢を続けており、興の方が諦めることにしたらしかった。下から上へと投げる。
それを、言葉に自信が含まれていた通り、阿部は危ういげになることもなくしっかりキャッチした。
興は椅子に腰を下ろし、顧問と部長も飲み物に口を付ける。様子を窺っている純らの沈黙と、喉を潤す興らの沈黙で、六人も居ながらこの場が静まり返る。いや、兼田が菓子を食べているので全くの沈黙ではない。
会話を再開したのは、一息ついた阿部だ。
「それじゃあ、ちょっと部活の話でもしようか」
その内容は、現実に引き戻すものだった。
「次の日曜日なんだけど、全員に付き合ってもらうから」
「付き合うって、部活じゃなく?」
質問したのは二個目の菓子に手を伸ばしていた兼田だが、その言い方には純も疑問に思った。部活のことなら、大まかながらも内容を言う。付き合うなどとは言わない。
「そうだな。部活に関係しないことというわけでもないんだが、ちょっと離れるな」
何気に曖昧な言い方だが、一体なんだろうか。園芸部自体が阿部の趣味で立ち上がったようなもので、その趣味から離れながらも関係することとは。まあ、花関係なのだろうとは思うが、最近、園芸だけでなく造園にも手を付けているようなふしが阿部にはある。この間の土曜日の午後、植木の伸びた枝を切って形を整える作業をした。そのことも考えるとどんなことか想像しかねる。
「それと、夏休みなんだけど」
他は知らないが、一人の部員がそんなことを思っていることに当然ながら気付きもせず、阿部は話を進めた。
「みんなも分かってる通り、横田たちの卒業が危なくてな。部活も含めて卒業するための処置を執ることにしたから、君たちの部活動はなくなることになったよ」
そんな処置があるのかと思ったのは数秒のこと。部活がないということに、純は助かったという思いに変わった。一度、家に帰った時、長期の休みは帰ることを改めて家族と約束していたからだ。
「おし!」
一方、兼田は力強く拳を作った。
「これで香澄美と遊びまくれる!」
そんなことを言う。
香澄美とは、中学の頃から好き合っているという兼田の彼女のことだ。全寮制の女子校と、ここと似たような高校に通っている不良娘だという。けれど、兼田が不良をやめたことで彼女も改心することにしたらしく、彼女の方も不良と縁を切ったらしい。
「遊ぶのはいいが、ほどほどにな」
早くも浮かれた雰囲気を纏い始めていた兼田に阿部は忠告した。が、兼田にはいまいち届いていないようだった。
「佐々木はもっとほどほどにな」
「成績のこと言ってるのは分かってるけど、俺も時々ははめ外したいんだけど」
続けてもう一人にも忠告が行くが、佐々木は理由を分かっているようだった。
佐々木の成績ははっきりいって悪い。よくこの高校に入れたと思えるくらいで、最下位から数えた方が断然早いほどだ。
「成績が落ちなければ構わないよ」
阿部はそう返すが、そうも言いたくなるだろう。まして今、卒業の危機がある者たちのことを言ったばかりだ。無事に卒業させることを考えれば、相手が違うくともそう言わさるだろう。
「そしたら勉強づくしじゃん」
自分でそう言うということは、自分の能力はちゃんと理解しているということか。まあ、結果として出ているのだから、分かっていないとおかしいことだが。
「まあ、頑張るんだな」
結局は自分のことだからか。嘆きはしていないが愚痴るような佐々木に阿部も軽く返しただけだった。
「三浦はどうするんだ?」
そんな一方、島山が傍らに尋ねかけた。
「俺はお盆に帰る。親戚の集まりがあるからな」
そのことはすでに純も聞いている。毎年、親族同士が集まることになっているらしく、興もそれに出なければならないのだという。どこでやるかは大人たちの話し合いで決まるので興には分からないことだが、今年は校長と西町と共に行くことになったということだ。なので、興の帰省は緊張したものとなる。
「島山は?」
聞いたのは純だ。純は初日から帰るため、お盆までだが寮に残る興と、その興に想いを寄せ続けている島山のことはやはり気にさせられることだ。
「俺は残る。帰ったって勉強しろとしか言われないしな」
「でも、帰ったら喜ぶだろ」
心配させられる選択だが、口に出したのも素直な思いだ。寮に入っていて普段、家族とは離れているのだ。滅多に見ない息子の顔を見れるとなれば親も嬉しがるのではないか。
「お前ん家はそうかもしんねえけど、うちは冷めてるからな」
「そうなんだ」
それぞれの家によって事情は違うものだ。ああだこうだ言うことでもなく、純はそれだけ返しておいた。
「じゃあさ。俺に勉強教えてよ」
そう言って入ってきたのは佐々木である。
「他の奴に頼め」
島山の拒否は素気なかった。
「俺だってやんなきゃなんねえのに、他の奴のまでみてられるかよ」
そうは言うが、島山は佐々木より断然いい成績をしている。けれど、順位にすれば良くも悪くもないというところで、成績としてはそこそこの実力だ。
「なんだったら兼田に教えてもらえ。彼女と遊ぶっつったって、一週間くらいは寮にいんだからよ」
兼田はこの中で一番成績がいい。というか、毎回一位を取るほどの頭の良さだ。なんとかとなんとかは紙一重というような奴だが、そんな秀才ならば頼もしいかぎりだろう。
「そうだけどさ」
けど、佐々木は気が進まなさそうだった。島山の方がいい理由でもあるのだろうか。
「俺は別にいいぜ」
対して、そんな反応をされても、兼田は明るいままだった。気にしていないだけか、そうなる理由を知っているのか。
「でも、一週間くらいしたら、休みが終わる五日前ぐらいにしか戻ってこないから、その間に頼んできても無理だからな」
その間、兼田はどうするつもりなのだろうか。ずっと彼女と遊んでいるつもりだろうか。
「じゃあ、やっぱ島山だな」
「なんでだよ」
兼田の予定から再び指定する佐々木だが、島山は受け入れたくなさそうだった。佐々木よりはできるわけだし、分かるところだけでもいいから教えればいいだろうに。自信がないのだろうか。
「どうするか決めるのはいいが、日曜のことも忘れないでくれよ?」
と、阿部が発言してきた。言葉口調そのものは軽いが、どこか心配げな色が含まれている。阿部にとって重要なのは日曜のことなのだ。
そのことに気付かなかったのか。それに返した兼田には気遣いがなかった。
「さっそく忘れてた」
□□□
落ち着いた表情はしているものの、純はどうしていいか分からなかった。
正面にいる興は緊張してしまっている。
そんな二人は、ベッドの上で向かい合って正座をしていた。
「純。なんで正座してんだよ」
「興がしてるから」
純は答えた。とりあえず、理由はこれしかない。
「なんで何もしてこないんだよ」
「だって……興、緊張してるようだし……」
続けて聞かれたことにも、純は理由が相手にあることを告げた。
今、二人は昨日できなかった行為のリベンジを行おうとしているところだった。正確には、興がである。
いったい、どんな心情の変化なのか。このことは興から持ちかけられた。そうとなればその気のある純は当然ながら一言で承諾した。一晩、和也と部屋を交換することにもなり、必要な物を持って部屋へと来た。
だが、いざやろうかとなった時、興は緊張しだしてしまった。言い出したものの、持っている抵抗はなかなか割り切れなかったのだろう。それどころか、緊張のしすぎなのか、ベッドに乗った興は正座をした。その様子に、純もつられて正座をしたのだが、動きがないまま、どうしていいか困りだすくらいの――といっても何十分も経っているわけではないが――時間が経過することになったのだ。
「こういう時だけ無駄に気、遣いやがって」
興はぼそりと呟いた。
「え?」
聞き返すものの、予測できるくらいには聞き取れている。無駄に気を遣うも何も、見た目からして緊張している相手のことは考えるに決まっている。
「で、どうすんだ?」
「どうするって言われても……」
尋ねられても困るだけだ。こちらはいつでもいいのだ。興さえ準備ができればいつでも意欲を高めることができる。そう、今の純は待機中で、興次第な状況なのだ。
が、肝心の興自身が動けなくなっている。これまでのチャレンジも純がリードしてきた。それを求めているのだろう。
別にそれはいい。言い出しながらリードしてくれと言っても、それは全然かまわない。しかし、
「興。もう少し緊張、緩めてくれないか?」
端から見ても分かるくらい体に力が入っているようでは、そんな彼の気持ちを知っているとあっては、行動に移したくとも移しにくいというものだ。純としては、こういう時だけ強引さを求められても困るという状態だ。
行為を進めるためにも要求を出した純だったが、興も興で気持ちの処理をしてはいた。
「今、必死で緩めてる」
ものの、時間のかかりそうなやり方だった。
緩めることに力を注いだって、力そのものが加わっていては意味がない。必死ということは、結局は意識しているということでもあるのだ。そんな状態で事に及ぼうとしたってこれまでと同じ結果に決まっている。
「それ、緩んでないよな」
興には悪いが、純は指摘させてもらった。
一晩、純と部屋を交換した和也は、その純のベッドに腰掛けていた。
「二人、上手くいってるかな」
「さあ、どうだろうな」
良智の呟きに、和也は関心のない声音で返した。その目は下に向けられ続けている。
和也と良智の仲は悪いわけではないが、それほど親しくもない。お互いに性格を知っているため、二人きりになったからといって気まずくなることもない。だが、その間柄で話すことはこれといってあるわけではなく、和也は読書、良智はゲームと、それぞれがいつも通りに好きなことをしていた。
「昨日の今日だし、なんとも言えないな」
リベンジをするから部屋を交換してほしいことを言ってきたのはつい、二時間前のことだ。それも、要請者は興だ。何を思って自ら実行しようと考えたかは知らないが、和也としては進展しないだろうと思っている。しかし、口にもしたように、昨日の今日だ。意を固めたような表情もしていたし、行為に抵抗を感じていたのを乗り越えるかもしれない。でも、やっぱりということもあるかもしれない。今の段階ではなんとも言えないことだ。けど和也としては、先へ進んでほしいと思っている。
「上手くいってるといいね」
その言葉に、和也はずっと本に注がれていた視線を上げた。
恋人同士。そのできている二人のセックスに上手くいくも何もないだろう。けれど、興に抵抗があることをなぜか良智も知っている。だからこそ、そんな発言も成立することなのだが、違和感は感じてしまう。それと、そんなお前はどうなのかと思うことでもある。良智と景一のこの二人のカップルも、そのことでは進展がないことを和也も知っているのだ。和也が知っていることを二人が知っているかどうかは知らないが。
「お前らはどうなんだ?」
和也は聞いた。
「え?」
振られるとは思っていなかったのだろう。虚を突かれたような顔で良智は顔を向けてきた。
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!」
それからの良智の反応は、まさに焦りだった。早口で否定しながら寝そべっていた身を起こすと、さらに両手を突き出して手を振ってくる。
「なに、その反応」
大袈裟にも見える反応に、和也はただでさえ冷めている気分がさらに冷めた気がした。それに反し、良智の顔はいっきに赤くまでなっている。
「だって! いきなりそんなこと聞くんだもん!」
「宮原が最初に言ったんだろ」
「俺たちのことは言ってないよ!」
それでも、恋人持ちの者がそんなことを話題に出せば持ち出される確率は高い。というか、他人を、まして他人の事情など気にもならない自分が振ったのだ。他と話せばもっと確率は上がるだろう。
「だから?」
「だからって……!」
「それで?」
良智の焦りを無視し、和也は再び尋ねた。
「あ、いや……」
すると、良智の声音と態度が静まった。代わりに、顔の温度が見ていても分かるくらいさらに増す。良智は、〝純〟という名前を持つ者より純情のようである。
だが、そんな彼に、和也は溜め息をつかせられた。
(石井も可哀想になってきた)
きっと、その手の進展はしばらくないだろう。
内心、そこまでの状況が判断できたからだ。
「純。起きて」
「んー……」
すぐ近くから声をかけられ、純は唸った。身も、離れるように動く。
「純。遅刻しちゃうよ」
でも、良智の忠告が続く。
「……いい夢みたからもう少し寝る」
「なに言ってるんだよ! ご飯食べられなくなるよ!」
「んー……」
それで困るのは良智だろうと思ったのだが、いい夢を見た気分を阻害されたくなく、純は相槌だけを打っておいた。端から聞けば、寝起き特有のものに聞こえるだろう。
「純!」
だが、その反応が良くなかったらしく、しまいには叱責が飛んできた。
「…………」
数秒後、仕方がないという感じで純は身を起こした。けど、良智に怒られたからではない。遅刻と初めに言っていたことを思い出したからだ。朝食は食べられなくとも遅刻はまずい。そんなことで遅刻したことが父親に知られたりすれば、西町や校長のように正座では済まされない。
「やっと起きた」
まるで、困った者を相手にしていたかのような良智の声だった。
「あ~あ。せっかくいい夢だったのに」
対しての純も、仕方がないという態度を崩さなかった。ベッドから下りながら愚痴を零す。怒られることを考えはしたが、それでもやはり余韻に浸かっていたかったという思いも強かったのだ。
「そんなにいい夢だったの?」
そのことには良智も疑問が出てきたようだった。
「ああ」
「どんな夢?」
「興とやる夢」
純は言った。前は恥ずかしさしかなく、〝いい夢〟と思ったのも興と結ばれたい想いからだったが、今では欲からくる〝いい夢〟になってしまっていた。以前、名前通りの〝純〟はどこ行ったと言われたが、人間そんなもんだと割り切っている。
「あ……それ……」
良智の声音が、納得であり、困りであり、呆れでありによって力が抜けた。純が興とやる夢を見ることがあることは良智も知ってしまっているのだ。
「誤っても良智とやることはないから安心しろよ」
「誤ってもそれはしちゃいけない気がするんだけど」
両方とも恋人がいるのだ。気がするではなく、いけないことだ。
「まあな」
純は同意した。
「それで、純。サッカーはどうするんだ?」
景一にそんなことを聞かれたのは、カウンターに来たことを伝え、戻ってきた席に腰を落ち着かせてからである。
体育で純に誘いがかけられたことは、昨日のうちにサッカー部にも伝えられていた。純の上手さは前にも持ち上がったことがあり、また持ち上がったことで、満一致で受け入れることが決まったらしい。そのことは純も昨日のうちに聞いており、純の返答待ちとなっていた。
「それなんだけどさ」
そう言ったのは、純ではなく良智だ。部屋を出る前、良智にもそのことを振られており、彼には一足先に返事をしていたのである。
「俺、入らないから」
純は言った。実は、顧問に返事をしてからも考えは変わっていなかった。考えると言ったのも、そう言っておけば、考えた末の判断と取ってくれるだろうと思ったからだ。
「そう言うんだよ!」
答えた純に良智がそう続く。
「やりたくなるって前に言ってただろ」
「前は前。今は今」
純は返した。そういうことも言っていたが、環境が変われば心情も変わる。今の純の優先順位はサッカーではなくなってしまっているのだ。
「自分が入れば優勝するって思わないのか?」
「そう言われてもな。ここだって強いんだろ?」
こことは、純たちがいるこの学校のことだ。
ここ――条蓮高校のサッカー部が強いことを純が知ったのは最近のことだ。同じ地方にいたのなら分かるようなものだが、純は他校のことはあまり気にしていなかった。もちろん、他校の情報を元に練習したり、練習試合も行った。けれど、条蓮とは一度もなく、他校を気にしていない純が、加えて人覚えの悪さも相まって、試合で対戦になっても次にはすっかり顔ぶれを忘れ去っていた。
「まあ、決勝まではいくけど……」
「そこで負けることが多いとねえ……」
「なあ」
「ねえ」
二人が顔を見合わせて気持ちの共有を行う。でも、だからこそ、有力者を誘っているのだ。
「でもなあ、俺もあんまり入る気がなくなってるしな」
それでも、純も気が進まないことだ。興といたいからというのもあるが、前のサッカー部仲間に会いたくないというのもある。同じ地方のため、試合となれば必ず出場するうえに、純がいた高校も必ず決勝進出する。つまり、条蓮を負かす対戦校は、純が元いた学校ということだ。否応なく元仲間と会ってしまう。サッカーが好きなことは変わらないが、そのことが、断ることに躊躇いを持たせていなかった。島山たちと部活をしていた方がマシである。ちなみに、純がライバル校にいたことは誰にも明かしていない。サッカーの上手さは知られても、学校は他県からの転校ということで、なんとか明かさずにいる。むろん、今後も言うつもりもない。
「やりたくて足が疼くって言ってたのはどこいったんだ?」
「どこいったんだろうな」
そんなことも言っていたが、まだやりたい気持ちが強かった時だ。落ち着いてしまえばそんなこともない。
「興にカッコイイところ見せようとか思わないの?」
今度は良智からそんなことを聞かれる。
「ああ、それなら」
それには純ははっきりと返した。
「常に思われてるからいい」
呆れられることもまだまだあるが、好印象も多くある。格好良く見られているのもその一つで、自分よりも格好いい興が――といっても時々だが――頬を薄く色づかせることがあるほどだ。
「…………」
「あっそ!」
それに、二人はのろけを聞いた時のようになった。景一は辟易したような苦笑を浮かべ、良智は言葉強く終止符を打った。
□□□
温室の奥――観葉植物の木で隠れた裏に純たちは集まっていた。
そこは、木だけでなく板でも隠された場所となっており、温室の前にある作業場と同じくらいの広さがある。
入り口を境に半分は休憩場所という感じの方が強く、八人くらいがかけられる手作り感満載の木製のテーブルセットや小さな食器棚まである。そこのテーブルに、純、島山、佐々木の三人はいた。テーブルの上には飲み物に加えてお菓子まで準備されている。
「橋川。お前、サッカー部の誘い断ったんだって?」
「ああ。悪いか?」
テーブルの幅の狭い位置に座っていた島山の尋ねに、純は聞き返した。左右斜め前には佐々木と、一人分あけて純が座っている。純が一つあけて座っているのは、そこは興が座る場所だからだ。佐々木の隣、純の前には兼田がくる。島山たちが不良をやめ、純たちもこの場を使うようになってから、こんな形で定位置が決まることになっていた。でも、島山は元々そこを定位置としていたわけではなかったらしい。それがそこに移動したのは、自分たちの関係が原因であり、島山の気持ちの表れだろうと純は思っている。興を好きなゆえに純は受け入れられず、自分たちが付き合うことになってもその気持ちは変わらないため、興の近場へと移動したのだ。
「ああ、悪いな。お前、サッカー好きなんだろ? 好きなら好きなサッカーやれよ」
それは、消えきらない感情から言っているに違いない。興に迫った日以降、興に手出しするようなことはなくなったが、こうした、興から離れさせようとする発言をするようになった。いや、前々からそうだったのだろう。島山の気持ちを知らないから、嫌いな相手を自分がいる場所から遠ざけさせようとしているように聞こえていたのだ。
「俺の気持ちを考えてのことなら感謝するけど、興といたいから興といるよ」
純はそのままの気持ちを返した。
「俺はどっちでもいいけどさ。好きなサッカーより三浦を選ぶほど、そんなに好きってこと?」
そう言ったのは佐々木だ。佐々木は時々、気持ちを分かってくれているような、純寄りの発言をするようになった。自分たちの関係を受け入れているのか。ただ、その反面、興に対する冷たさが出るのは変わらずある。佐々木も佐々木で何かかしらを思っているのだろうが、内面が全く見えないのでなんとも分からない。興は知っているのか、目立つものでない限り流している。
「――まあ」
が、改めてというほどのものではないが、ストレートに言われると今更ながらに恥ずかしさが出てくる。
「ちっ」
そんな純に、島山は舌打ちした。やはり、恋愛から来ていた発言だったようだ。しかし、あれから一ヶ月過ぎたが、島山はまだ諦めていないのか。
「まあまあ、島山。俺がいるんだし」
「だからなんだってんだ」
宥める佐々木だが、島山の言うように、だからなんだというのか。その言い方から、佐々木も島山の気持ちを知っているということだろうが、仲間だからといって好きな感情がどうこうなるものではない。
「お前ら、戻ってきてたんなら手伝えよ」
そこへ、興の不機嫌そうな声が入ってきた。
いつの間にか、興と兼田が温室の中に入ってきていた。
「しかもなんだよ。お菓子まで出してんじゃねえか」
テーブルの上に置かれている物に兼田も不服にする。その手には工具箱がある。
「お前も休めばいいじゃねえか。終わったんだろ?」
文句を言うほどでもないとでもいうように島山は返した。
興と兼田は自分たちとは別に、この間発見したハウスの直しを顧問とやっていた。純らは通常の作業をしており、終わっても直しの方がもう暫くかかりそうなことに休憩することにしたのだ。
「そうだけど」
兼田は納得いかぬげにした。先に寛いでいたのが不満なのだろう。
こちらに歩んできている興は、食器棚の前、そこに置かれているクーラーボックスを開けている。冷蔵庫なんてものはないので、これに入れて飲み物を冷やしているのだ。
「みんな戻って来ているな」
そこへ、開け放たれていた戸から阿部も姿を現した。さすがに暑いからか、夏用のつなぎがないからか、作業用のズボンに半袖となっている。
「ほら、兼田も座ったらどうだ。三浦、私のも頼むよ」
促すと、阿部は興に声をかけた。顧問の分も中には入っているのだ。
「俺のは炭酸な」
促されるまま動いた兼田も、工具箱をテーブルの端の方に置きながら自分の分を伝える。
興からの返答は何もなかったが、振り向いた腕には三人分が持たれていた。
「兼田、行くぞ」
そして、最後に手にしたのであろうペットボトルを投げる仕草をする。
「は!? それを投げんのかよ!」
兼田は声を荒げた。炭酸飲料を乱暴に扱った結果など、この中に分からない者などいない。
「……冗談に決まってんだろ」
崩れぬ声音と声量で腕を降ろし、佐々木にペットボトルを渡す興だが、答えるのに間があったのはなんだったのだろうか。あからさまな間のあき方ではなかったが、気付けるくらいの間はあいていた。島山も気づいたらしく、肘を突いている彼の目が興を見ている。興は本気で投げて渡すつもりだったのだろうか。
兼田は気付いていないらしく、やっと一息付けるという感じで蓋を開けている。そして、島山と純の視線に気付いていない興は、次に缶コーヒーを掴むと同じく投げる仕草をした。が、そこで動きが止まる。
それもそうだろう。なんたって、次は顧問――教師だ。さすがに同じようにするわけにはいかないだろう。が、
「投げないのか?」
受け取ろうと手を持ち上げていた阿部の尋ねが飛ぶ。どうやらその気が満々だったようで、その顔は、起きるはずのことが起こらないことに素で怪訝にしているものになっている。
「私もまだまだ若い。受け取れるよ」
そんなことを言うが、それを若い基準にしていいのか。
しかし、相手が相手だ。顧問のその気を受けても興は躊躇っている。
が、阿部も阿部で受け取ろうとする姿勢を続けており、興の方が諦めることにしたらしかった。下から上へと投げる。
それを、言葉に自信が含まれていた通り、阿部は危ういげになることもなくしっかりキャッチした。
興は椅子に腰を下ろし、顧問と部長も飲み物に口を付ける。様子を窺っている純らの沈黙と、喉を潤す興らの沈黙で、六人も居ながらこの場が静まり返る。いや、兼田が菓子を食べているので全くの沈黙ではない。
会話を再開したのは、一息ついた阿部だ。
「それじゃあ、ちょっと部活の話でもしようか」
その内容は、現実に引き戻すものだった。
「次の日曜日なんだけど、全員に付き合ってもらうから」
「付き合うって、部活じゃなく?」
質問したのは二個目の菓子に手を伸ばしていた兼田だが、その言い方には純も疑問に思った。部活のことなら、大まかながらも内容を言う。付き合うなどとは言わない。
「そうだな。部活に関係しないことというわけでもないんだが、ちょっと離れるな」
何気に曖昧な言い方だが、一体なんだろうか。園芸部自体が阿部の趣味で立ち上がったようなもので、その趣味から離れながらも関係することとは。まあ、花関係なのだろうとは思うが、最近、園芸だけでなく造園にも手を付けているようなふしが阿部にはある。この間の土曜日の午後、植木の伸びた枝を切って形を整える作業をした。そのことも考えるとどんなことか想像しかねる。
「それと、夏休みなんだけど」
他は知らないが、一人の部員がそんなことを思っていることに当然ながら気付きもせず、阿部は話を進めた。
「みんなも分かってる通り、横田たちの卒業が危なくてな。部活も含めて卒業するための処置を執ることにしたから、君たちの部活動はなくなることになったよ」
そんな処置があるのかと思ったのは数秒のこと。部活がないということに、純は助かったという思いに変わった。一度、家に帰った時、長期の休みは帰ることを改めて家族と約束していたからだ。
「おし!」
一方、兼田は力強く拳を作った。
「これで香澄美と遊びまくれる!」
そんなことを言う。
香澄美とは、中学の頃から好き合っているという兼田の彼女のことだ。全寮制の女子校と、ここと似たような高校に通っている不良娘だという。けれど、兼田が不良をやめたことで彼女も改心することにしたらしく、彼女の方も不良と縁を切ったらしい。
「遊ぶのはいいが、ほどほどにな」
早くも浮かれた雰囲気を纏い始めていた兼田に阿部は忠告した。が、兼田にはいまいち届いていないようだった。
「佐々木はもっとほどほどにな」
「成績のこと言ってるのは分かってるけど、俺も時々ははめ外したいんだけど」
続けてもう一人にも忠告が行くが、佐々木は理由を分かっているようだった。
佐々木の成績ははっきりいって悪い。よくこの高校に入れたと思えるくらいで、最下位から数えた方が断然早いほどだ。
「成績が落ちなければ構わないよ」
阿部はそう返すが、そうも言いたくなるだろう。まして今、卒業の危機がある者たちのことを言ったばかりだ。無事に卒業させることを考えれば、相手が違うくともそう言わさるだろう。
「そしたら勉強づくしじゃん」
自分でそう言うということは、自分の能力はちゃんと理解しているということか。まあ、結果として出ているのだから、分かっていないとおかしいことだが。
「まあ、頑張るんだな」
結局は自分のことだからか。嘆きはしていないが愚痴るような佐々木に阿部も軽く返しただけだった。
「三浦はどうするんだ?」
そんな一方、島山が傍らに尋ねかけた。
「俺はお盆に帰る。親戚の集まりがあるからな」
そのことはすでに純も聞いている。毎年、親族同士が集まることになっているらしく、興もそれに出なければならないのだという。どこでやるかは大人たちの話し合いで決まるので興には分からないことだが、今年は校長と西町と共に行くことになったということだ。なので、興の帰省は緊張したものとなる。
「島山は?」
聞いたのは純だ。純は初日から帰るため、お盆までだが寮に残る興と、その興に想いを寄せ続けている島山のことはやはり気にさせられることだ。
「俺は残る。帰ったって勉強しろとしか言われないしな」
「でも、帰ったら喜ぶだろ」
心配させられる選択だが、口に出したのも素直な思いだ。寮に入っていて普段、家族とは離れているのだ。滅多に見ない息子の顔を見れるとなれば親も嬉しがるのではないか。
「お前ん家はそうかもしんねえけど、うちは冷めてるからな」
「そうなんだ」
それぞれの家によって事情は違うものだ。ああだこうだ言うことでもなく、純はそれだけ返しておいた。
「じゃあさ。俺に勉強教えてよ」
そう言って入ってきたのは佐々木である。
「他の奴に頼め」
島山の拒否は素気なかった。
「俺だってやんなきゃなんねえのに、他の奴のまでみてられるかよ」
そうは言うが、島山は佐々木より断然いい成績をしている。けれど、順位にすれば良くも悪くもないというところで、成績としてはそこそこの実力だ。
「なんだったら兼田に教えてもらえ。彼女と遊ぶっつったって、一週間くらいは寮にいんだからよ」
兼田はこの中で一番成績がいい。というか、毎回一位を取るほどの頭の良さだ。なんとかとなんとかは紙一重というような奴だが、そんな秀才ならば頼もしいかぎりだろう。
「そうだけどさ」
けど、佐々木は気が進まなさそうだった。島山の方がいい理由でもあるのだろうか。
「俺は別にいいぜ」
対して、そんな反応をされても、兼田は明るいままだった。気にしていないだけか、そうなる理由を知っているのか。
「でも、一週間くらいしたら、休みが終わる五日前ぐらいにしか戻ってこないから、その間に頼んできても無理だからな」
その間、兼田はどうするつもりなのだろうか。ずっと彼女と遊んでいるつもりだろうか。
「じゃあ、やっぱ島山だな」
「なんでだよ」
兼田の予定から再び指定する佐々木だが、島山は受け入れたくなさそうだった。佐々木よりはできるわけだし、分かるところだけでもいいから教えればいいだろうに。自信がないのだろうか。
「どうするか決めるのはいいが、日曜のことも忘れないでくれよ?」
と、阿部が発言してきた。言葉口調そのものは軽いが、どこか心配げな色が含まれている。阿部にとって重要なのは日曜のことなのだ。
そのことに気付かなかったのか。それに返した兼田には気遣いがなかった。
「さっそく忘れてた」
□□□
落ち着いた表情はしているものの、純はどうしていいか分からなかった。
正面にいる興は緊張してしまっている。
そんな二人は、ベッドの上で向かい合って正座をしていた。
「純。なんで正座してんだよ」
「興がしてるから」
純は答えた。とりあえず、理由はこれしかない。
「なんで何もしてこないんだよ」
「だって……興、緊張してるようだし……」
続けて聞かれたことにも、純は理由が相手にあることを告げた。
今、二人は昨日できなかった行為のリベンジを行おうとしているところだった。正確には、興がである。
いったい、どんな心情の変化なのか。このことは興から持ちかけられた。そうとなればその気のある純は当然ながら一言で承諾した。一晩、和也と部屋を交換することにもなり、必要な物を持って部屋へと来た。
だが、いざやろうかとなった時、興は緊張しだしてしまった。言い出したものの、持っている抵抗はなかなか割り切れなかったのだろう。それどころか、緊張のしすぎなのか、ベッドに乗った興は正座をした。その様子に、純もつられて正座をしたのだが、動きがないまま、どうしていいか困りだすくらいの――といっても何十分も経っているわけではないが――時間が経過することになったのだ。
「こういう時だけ無駄に気、遣いやがって」
興はぼそりと呟いた。
「え?」
聞き返すものの、予測できるくらいには聞き取れている。無駄に気を遣うも何も、見た目からして緊張している相手のことは考えるに決まっている。
「で、どうすんだ?」
「どうするって言われても……」
尋ねられても困るだけだ。こちらはいつでもいいのだ。興さえ準備ができればいつでも意欲を高めることができる。そう、今の純は待機中で、興次第な状況なのだ。
が、肝心の興自身が動けなくなっている。これまでのチャレンジも純がリードしてきた。それを求めているのだろう。
別にそれはいい。言い出しながらリードしてくれと言っても、それは全然かまわない。しかし、
「興。もう少し緊張、緩めてくれないか?」
端から見ても分かるくらい体に力が入っているようでは、そんな彼の気持ちを知っているとあっては、行動に移したくとも移しにくいというものだ。純としては、こういう時だけ強引さを求められても困るという状態だ。
行為を進めるためにも要求を出した純だったが、興も興で気持ちの処理をしてはいた。
「今、必死で緩めてる」
ものの、時間のかかりそうなやり方だった。
緩めることに力を注いだって、力そのものが加わっていては意味がない。必死ということは、結局は意識しているということでもあるのだ。そんな状態で事に及ぼうとしたってこれまでと同じ結果に決まっている。
「それ、緩んでないよな」
興には悪いが、純は指摘させてもらった。
一晩、純と部屋を交換した和也は、その純のベッドに腰掛けていた。
「二人、上手くいってるかな」
「さあ、どうだろうな」
良智の呟きに、和也は関心のない声音で返した。その目は下に向けられ続けている。
和也と良智の仲は悪いわけではないが、それほど親しくもない。お互いに性格を知っているため、二人きりになったからといって気まずくなることもない。だが、その間柄で話すことはこれといってあるわけではなく、和也は読書、良智はゲームと、それぞれがいつも通りに好きなことをしていた。
「昨日の今日だし、なんとも言えないな」
リベンジをするから部屋を交換してほしいことを言ってきたのはつい、二時間前のことだ。それも、要請者は興だ。何を思って自ら実行しようと考えたかは知らないが、和也としては進展しないだろうと思っている。しかし、口にもしたように、昨日の今日だ。意を固めたような表情もしていたし、行為に抵抗を感じていたのを乗り越えるかもしれない。でも、やっぱりということもあるかもしれない。今の段階ではなんとも言えないことだ。けど和也としては、先へ進んでほしいと思っている。
「上手くいってるといいね」
その言葉に、和也はずっと本に注がれていた視線を上げた。
恋人同士。そのできている二人のセックスに上手くいくも何もないだろう。けれど、興に抵抗があることをなぜか良智も知っている。だからこそ、そんな発言も成立することなのだが、違和感は感じてしまう。それと、そんなお前はどうなのかと思うことでもある。良智と景一のこの二人のカップルも、そのことでは進展がないことを和也も知っているのだ。和也が知っていることを二人が知っているかどうかは知らないが。
「お前らはどうなんだ?」
和也は聞いた。
「え?」
振られるとは思っていなかったのだろう。虚を突かれたような顔で良智は顔を向けてきた。
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!」
それからの良智の反応は、まさに焦りだった。早口で否定しながら寝そべっていた身を起こすと、さらに両手を突き出して手を振ってくる。
「なに、その反応」
大袈裟にも見える反応に、和也はただでさえ冷めている気分がさらに冷めた気がした。それに反し、良智の顔はいっきに赤くまでなっている。
「だって! いきなりそんなこと聞くんだもん!」
「宮原が最初に言ったんだろ」
「俺たちのことは言ってないよ!」
それでも、恋人持ちの者がそんなことを話題に出せば持ち出される確率は高い。というか、他人を、まして他人の事情など気にもならない自分が振ったのだ。他と話せばもっと確率は上がるだろう。
「だから?」
「だからって……!」
「それで?」
良智の焦りを無視し、和也は再び尋ねた。
「あ、いや……」
すると、良智の声音と態度が静まった。代わりに、顔の温度が見ていても分かるくらいさらに増す。良智は、〝純〟という名前を持つ者より純情のようである。
だが、そんな彼に、和也は溜め息をつかせられた。
(石井も可哀想になってきた)
きっと、その手の進展はしばらくないだろう。
内心、そこまでの状況が判断できたからだ。
0
指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
お気に入りに追加
66
あなたにおすすめの小説

きみがすき
秋月みゅんと
BL
孝知《たかとも》には幼稚園に入る前、引っ越してしまった幼なじみがいた。
その幼なじみの一香《いちか》が高校入学目前に、また近所に戻って来ると知る。高校も一緒らしいので入学式に再会できるのを楽しみにしていた。だが、入学前に突然うちに一香がやって来た。
一緒に住むって……どういうことだ?
――――――
かなり前に別のサイトで投稿したお話です。禁則処理などの修正をして、アルファポリスの使い方練習用に投稿してみました。

僕の王子様
くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。
無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。
そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。
見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。
元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。
※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
いとしの生徒会長さま
もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……!
しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!

【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています
乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について
はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる