41 / 49
番外編
アフター スクールデイズ
しおりを挟む
1
三浦興がダウンしたのは、サッカーを開始してわずか五分後のことだった。
「ごめん、興」
ぐったりと座り込んで荒い呼吸をしている興に、宮原良智はやらかしてしまった時と同じ済まなさで謝った。
「大丈夫か? 興」
一方、いたって普通に尋ねたのは、体力の無さを知っている橋川純だ。
だが、興の体力の無さは、このクラスでは周知されていることでもあった。それでも良智が謝っているのは、謝った通りそうさせた一番の原因だからだ。
今、純たちのクラスは体育で校庭へと出てきていた。やることになったサッカーは四チームに分けられ、本来の数より少なすぎる数で対戦していた。一回戦目は、興のいるチームと良智のいるチームで、良智が興で遊んだ。興もむきになり、早い段階で体力を消耗してしまうことになったのだ。加え、今は夏。バテるのもあっという間だ。
試合の方は、良智が興を連れて戻り始めたと同時に再開され、今し方、良智のチームの勝ちで終わり、次の試合メンバーと入れ替わりに動き出しているところだ。
「おーい、橋川。次、俺らだぞ」
興のことを知っているため、純を呼ぶクラスメイトも特に心配している様子は声音にもない。すぐ近くに保健室があるということもあるだろう。
「じゃあ、行ってくるな」
でも、純にしてみれば心配してしまうこと。だからといって、プレイを放棄するわけにもいかない。やってしまった良智がいるし大丈夫だろうと判断すると、うなだれたまま片手を力なく上げた興を視界の端に捉えながら、声をかけた純は二回戦目メンバーが集まっている校庭の中心へ駆けて行った。
「三浦の心配すんのはいいけど、こっちのことも考えろよ」
自分のチームの列に加わると、隣のクラスメイトがそんなことを言ってきた。
「でも、心配だしな」
別に考えていないわけではないのだが、いくら周知されていて近くに保健室があるのだとしても、心配なものは心配だ。
「それじゃあ、始めるぞ」
純が返すと、それに続くように教師が言葉を入れてきた。この授業中に決戦までやってしまいたい思いがある教師は早々に授業の初めに言っていたルールの確認に入った。
試合が開始され、相手チームに攻め込んでいかれるものの、死守したキーパーからボールを回された純は、相手チームのゴール目指し走り出した。
勢いよく走っていく。
興と結ばれて早くも一ヶ月が過ぎた。なんだかクラスメイトに関係がバレているようであることを感じつつ過ごし、もう少しで夏休みである。
純の後遺症は完治したらしく、今では何もしなくても表れなくなった。なので、足を気にすることもなく走れるし、好きなサッカーも思う存分できる。今も、いっさいの心配もなく駆け抜けていく。
だが、順調な足と試合は違う。さすがに半ばを過ぎれば阻止しようとしてくる数が増える。
「橋川!」
それとほぼ同時に名を叫ぶ者がいた。ちらりと見ると、仲間の一人が片手を上げている。
しかし、そのすぐ近くには相手チームの一人がおり、マークされてしまっている。二人ともサッカー部で、互いに一番の警戒対象と見ているのだ。
純は他にも視線を巡らせた。いくらサッカー部とはいえ、互いに手慣れた相手とあっては上手く繋いでくれるか分からない。
そして、
「パス」
様子を窺った純は、逆へとボールを蹴った。
「え!? 俺!?」
飛んでいくボールの直線上にいたクラスメイトが驚き声を上げる。
それでも、慌てながらも動き出す。も、
ボールが飛んだと同時に動き出していた相手チームにあっさり奪われてしまう。
「へたくそ」
一応は抵抗したものの、あまりにもあっけない奪われ方に純は言葉を投げた。
「いやいやいやいや!」
それに、彼は少々早口で返してきた。
「つか、なんで俺にきたわけ!?」
「ノーマークだったから」
純は疑問に答えた。彼の周りにも人はいたのだが、サッカー部のように警戒はされていなかった。それに、彼はサッカー部ではないが運動が苦手というわけでもない。だから彼に回したのだが、彼にしてみたら、サッカー部が呼んでいるのに自分へきたのはよほど予想外だったようだ。
「橋川は良く見てるんだな」
そう発言したのは、興の脇へ移動していた教師だ。実は、彼はサッカー部の顧問でもあったりする。興の息切れはだいぶ収まり、なぜか体育座りをしている。良智はその隣に座り、興とは対照的に男らしく胡坐を掻いている。
「さすが、元とはいえサッカー部」
現役のサッカー部である良智が褒める。
そんな純の活躍もあって、二回戦目は純のいるチームが勝った。
「おっしゃ!」
サッカー部でもあるチームメイトが嬉しそうに声を上げる。対して、対戦相手にいたサッカー部は悔しそうだ。
「おい、橋川。お前、ホント、辞めてしばらく経つのかよ」
戻って行く途中、純は相手チームの一人に話しかけられた。敵対する関係だが結局はクラスメイト。嬉しい悔しいはあるが、本気の試合として意識はしていないのだ。
自分が入っていた部のことは、ずっと隠していこうと思っていたのだが、後遺症が見えなくなっていくにつれて純の心配も消えていき、おもいっきり動いたことでサッカーの上手さも知られることになり、バラすことにもなっていた。
「ああ。半年は過ぎてるな」
辞めたのが去年の秋。ここに来てからは体育で触れるくらいで、部活のように本気のことにはその時からいっさい関わっていない。
「それでもあんな慣れた動きできんのかよ」
クラスメイトは感心したような驚いたような声音になるが、小学からずっとやってきたのだ。体に染みこんだ動きは半年そこそこで消えてしまうほど軽いものではない。
皆がいる所まで来ると、純は興がいるところへ足を向けた。
「勝ったよ」
「ああ」
言いながら歩み寄っていけば、興から微笑が返ってくる。さすがに一試合が終わるくらいの時間が経てば、興の息切れも元に持っている。
「これで、俺のとこと決勝だね」
良智もそんな声をかけてくる。
「ああ」
そんな良智は、サッカー部なだけあってか自信を持っているようだった。でも、純のチームにもサッカー部はおり、純自身も感覚を取り戻しているので接戦になるのではないかと予想している。
と、興の視線が動いた。
見てみれば、興の同室者、安藤和也がすぐ近くに来ていた。
「ただいま」
「おかえり」
声をかける和也に興が応える。
「さすがに、サッカー慣れしたのが二人もいれば強いな」
和也は言った。和也は、対戦相手チームの一人に入っていた。活躍はあまりしていないが、回されればそれなりにプレイしていた。体力のない興と比べることではないが、和也の方が結構できていた。
「お前のチームの負けだな」
和也の発言を受け、良智に顔を向けた興は判断を下した。
「なに決めつけてるんだよ。こっちだって出来る奴、俺以外にもいるんだからな」
「それでもお前らの負け」
良智も言い返すが、結果が見えているかのように興は断言してしまった。
「遊ばれたこと根に持ってたりして」
そんな興の内面を分析したのは和也である。
「そんなことない」
否定する興だが、済ました顔がどうも真実みを欠けさせていた。良智も信じ切れなかったようで反駁している。
「よし、次やるぞ」
その時、腕時計を見ていた教師の声がかかった。二回戦目の時とは違って始めるまでに時間があいたのは、今終わった生徒たちの休息のためだ。
「純、勝ってこいよ」
立ち上がる良智の横で、興が恋人に言葉を贈る。もしかしたら、興はやはり根に持っているのかもしれない。
「ああ」
「やっぱ、根に持ってるんじゃないか?」
あえて言わず頷くだけにしておいた純だったが、腰を下ろす和也が同じ思いを口にした。
「だから、そんなことないって」
「俺、絶対勝つもんね」
否定する興だが、良智も、純と和也と同じく受け取れていたらしい。拗ねたように言い返した。
決勝戦は、サッカー部が一人ずつ、慣れた者が一人ずついるチームの対戦だからか、序盤から熱を持ったものとなった。
ゴール間近まで行くのだが、なかなか入れられずを双方が繰り返す。
何巡目かで純に回ってきたのは、半ば辺りでのことだ。
「橋川に回ったぞ!」
相手側が警戒を示す。これまでの純の活躍で、サッカー部なみに警戒されてしまっていたのだ。
「宮原!」
「純! ボール貰うよ!」
マークしていた者を突破した純に良智が迫ってくる。
「ヤダ」
しかし、興に勝つことを承諾してしまった身。勝たせる気はないし渡す気ももちろんない。
それでも、サッカーができる相手では、それも現役では簡単には抜けられるものではない。良智とボールの取り合いになる。だが、辞めたとしても経験の長さか、純の方が上手だった。
フェイントをかけると、純は良智を抜けた。
「宮原ー!」
彼のチームメイトから叱責が飛ぶ。
「じゃあ、近藤が止めてよ!」
けれど、良智も大声で言い返す。
「しゃあねえな!」
短髪の彼――近藤はこちらに向かって駆けだした。彼が、部は違うがサッカーが出来る奴である。
純は瞳を動かした。先にいるチームメイトがどう配置になっているかを瞬時に把握する。
そうして純がボールを蹴ったのは、まさに相手が近くまで迫ってきている時だ。
「あ」
近藤が抜けた声を出す。
「近藤ー!」
今度は良智から叱責が飛ぶが、彼の足は、止まった純を抜けてボールを追いかけている。
「うっせえ!」
近藤も近藤で怒鳴り返しながら身を翻す。
一方、ボールを回された方は、数人に囲まれ苦戦していた。さすがに四方からでは対処しきれず奪われてしまうが、そこへサッカー部が駆けつけ、移動される前に素早く取り返す。が、良智が到着し、今度はサッカー部同士の攻防戦となる。
よく足が絡まないなという動きを見せた末、勝者は良智になった。
とはいっても、そこを脱出したというわけではなく、隙を突いた良智がボールを蹴って近くにいた仲間に回したのだ。
受け取ったのは、様子を窺っていた近藤だ。だが、近藤も弾くように蹴って、迫り、足を伸ばしてきた者からボールを死守する。それは、連携プレイとも言えるかもしれない。蹴り飛ばした先に、さらに別の仲間がいたからだ。
しかし、近くにいながら、ボールがその仲間の元まで届くことはなかった。
誰の元からも離れ、無防備になったその瞬間、そこに人が現れたからだ。
純である。
近い距離にいた相手の仲間との間に走り現れたと思うと、おもいっきり蹴り飛ばす。
ボールは計ったようにゴールに向かい、僅かの高さでキーパーが阻止できずにシュートが決まる。
嬉しさと悔しさ、そしてどよめきのような歓声が上がる。
だが、それは周囲でのことだ。純の付近にいた者たちは逆に沈黙していた。
「え?」
しかも、容量を得ない感じになっている。
「ん?」
何事が起きたのか悟らぬ声に、純はそちらを見た。
「どうしたんだ?」
純は怪訝な表情で尋ねた。
「え? あ、いや……」
「てか、いたんだ……」
みな、呆然ぎみにしていた。純が現れるとは思っていなかったらしい。
「はっはっはっはっ」
そんな彼らに、教師が笑った。
「みんなしてボールに集中しすぎて橋川のこと忘れてたな。橋川もわざと入らないでタイミングを見計らってたし。なかなかの判断力じゃないか」
離れて見ていたからこそ分かることだ。今はこうして笑っているが、これが部活だったならば褒めと怒りが飛んでいただろう。
「なんか、橋川、サッカー部より上手いな」
和也もそんな感想を漏らす。
「三浦! 橋川をうちの部にくれ!」
「やだ」
教師の要望に興は即答で断った。元々は純もサッカー部なので上手いのは当たり前だ。サッカー部顧問が求めるだけ、それだけ上手いということでもある。だが興にとっては部活のことよりも、純といる時間が減ることの方が問題なことだ。純を渡すわけにはいかないのである。
そんな会話がなされている頃、気を持ち直した者たちによって試合は再開されていた。
ムードを作ってもいた彼らの士気は上げられ、気合いの入り方が変わる。純にはサッカー部である良智が完全にマークし、近藤も見た目からして分かるくらい真剣な表情で、別の一人とこちらのサッカー部に付いている。
本気を出した。そんな感じだ。
突然の純の出現とシュートは、意識を改めるくらいの効果を働かせたらしい。不慣れな者に指示が飛ぶほどだ。体育でやる軽さではなく、部活の風景にも見えなくなってきている。
勝負するということから離れていた純はそこまで士気は上がらないものの、出番となればやる。
だが、気合いを入れ直した良智も余裕のある表情から真剣な表情に変わり、動きも変化していた。先程までとは打って変わって機敏で足裁きも早く、純を苦戦させる。
奪われるが、抜けられる寸前に取り返す。が、動きが一変した良智もその瞬後に足を戻してくる。だが、純も純で打開策をとっている。
良智がいる逆側にボールを弾くように蹴る。
そうすれば、不慣れなゆえにマークされずにいたチームメイトが受け取り、同じく不慣れなためにマークされていなかった相手チームが後を追う。
本気に切り替わった良智も早くも駆けだし、純も続いて良智を追い走り出す。それほど本気ではないし、自分の持ち場というのも決まっているわけではないが、自分がすべき行動の一つは分かっているつもりだ。
「三浦!」
「断る」
彼らのプレーを見ていた顧問兼教師が脇へ声を飛ばすが、それだけで言いたいことが分かっている興は即答した。
移動した彼らは、半ば辺りで攻防戦を繰り広げていた。不慣れな者らに変わってサッカー部二人が交戦している。良智のマークがなくなった純だったが、対策でも考えたのか、代わって近藤が純の傍にいる。
だが、得意な者と出来る者ではまた実力は異なる。良智が仲間にボールを回し、それを追う者らの動きに紛れて近藤をかいくぐり、ボールを手に入れる。けれど、すぐに回すと純は走りだした。近藤も追いかけてくる。
一方、ボールを受け取った者もまた、すぐに回していた。ボールはサッカー部へと渡り、交戦になる前に高く前へ蹴られる。そのボールを引き継いだのは、先へ進んでいた純だ。
そのままゴールへ向かっていく。後ろからは近藤、前からはキーパーが待ち構えるが、ゴールからある程度離れていたキーパーと近づいたところで、純はボールを手放した。
斜めへと蹴る。
その先にいたのは、ゴール近場で待機していた仲間である。
キーパーが戻る間もなく、できる者が迫る間もなく、彼によってシュートが決まる。
「なっ……」
「連携プレイ」
やられたという顔をするキーパーに純は言った。いくら不慣れだろうと、ゴール近場で渡されれば、回数を重ねていれば、やることは誰だって分かることだ。
「まじかよ」
追いついた近藤がぼやく。
「三浦!」
そんな一方、再び教師が名前を呼んだ。純のプレーは教師を気に入らせたらしく、少々興奮ぎみだ。
「だから、やだっての」
が、興奮などない興は変わらぬ声音だ。敬語が完全に抜けているのは、しつこいと言っている表れである。
そんな感じで、本気を出した周りとは一歩引いてさりげなく活躍をした純は、初めに思った通りなんだかんだと接戦となり、一点差で純のいるチームが勝つことになった。
「よし、三浦!」
「だから、何度言やいいんだよ」
「これはもう、サッカー部に入れるしかないぞ!」
興の拒絶を聞いていない教師がそう決めつける。
「…………」
さすがにそれには、興は言葉を返す気がなくなったようだった。
「じゃあ、純に聞けよ。純がいいって言えばいいから」
興は判断を本人に投げた。結局は、本人の意思しだいなことだからだ。
「橋川ー!」
興からの返答を聞いたそうそう、教師は声を張り上げた。
「はい?」
「サッカー部入らないか!?」
「いいです」
純の返答は迷いがなかった。
「よし!」
よほど嬉しかったのだろう。教師はガッツポーズを作った。しかし、
「え? 違います! 断るの意味です!」
慌てた純の声が戻ってくる。
「なんでさ!」
それに返したのは、教師ではなく良智だった。
「純が入れば優勝間違いなしだってのに!」
「そうだぜ! あれだけ上手いんだ。みんなもぜってー欲しがるぜ!」
「でもな……」
サッカー部二人にも求められるが、純は渋った。サッカーは今も好きだしやりたいとも思う。けれど、即答してしまえるくらい恋人となった興とも離れがたく、思いはあるが、あまりなびかなくなっているのだ。
「じゃあ、せめて、九月にやる大会には出てくれない?」
「そうだな。お前なら、今からの練習でも全然問題ないしさ」
「よし! 決まりだな」
部員二人にも頼まれれば断れないと思ったのか、教師は決定したとでもいうような態度をとった。興は純に判断を任せたため何も言わないでいる。
「んー……考えさせてくれ」
短く唸ると、純は保留を要求した。
「えー! なんでさ!?」
「そんなに三浦と居たいのかよ」
「あー、やー、まあ……」
良智の反応はともかく、もう一人の推測には純は口を濁した。やはり、自分たちの関係はクラスにも知られているようだ。隠しても意味がなさそうなことに、最後には曖昧ながらも肯定の意味も持つ言葉が出ていく。
「好きなサッカーよりもお前を優先するなんて、何があるんだ?」
「…………」
教師の疑問に興は無言で返した。さすがに、妻子持ちの教師には言えない。和也も素知らぬ顔をして純らを見ている。
「じゃあ、夏休み前までには決めてくれよ」
「分かった」
純は頷いた。
「いい返事待ってるぞ!」
「はあ……」
教師からも言葉が飛んでき、それには覇気の無い声音を吐いた。そんなことを言われても困るからだ。でも、そんな純の反応に部員は何も言わず、この場はそれで収まることになった。
□□□
倒れるように、純はベッドに背中から体を預けた。
その上から、手を突いた興が一旦見下ろし、近づいてくると二人は唇を合わせた。
自分に被さった体に純は腕を回して密着を強めると、自然と口付けが深くなる。
長めのキスを終えると、もう一度重ね合わせる。今度は角度を変えながら何度もやる。互いに感じ合いながら、感情を高ぶらせていく。
その高ぶった感情のもと、純は興の体のラインに沿って手を下げていった。くびれから腰に滑らせ、ズボンの中に手を入れる。
瞬間。
「待て!」
興が体を押し離した。
「興?」
尋ねるものの、純はどうしたのか分かっている。
「やっぱり駄目だ」
興の口から放たれたのは、予想通りの結果だ。
「まだ何もしてないんだけど」
それでも、その気になっていた純にとっては困じることだ。
「分かってる。でも、無理。雰囲気があってもなくても、やるとなると抵抗感じる」
「そっか……」
横田たちに強要されていたことで、行為そのものに興は抵抗を感じている。今では横田たちと一切の関わりがなくなり平穏な生活を送れているが、影響が完全に取り払われたわけではなかった。今のように行為に移行しようとすると、拒否反応が出てしまうのだ。
「無理しなくていいから。ゆっくり慣れてこ」
強制的にやっても横田たちと同じになるだけだ。興の気持ちも分かっているわけだし、じょじょに進んでいけばいい。まあ、一ヶ月過ぎた今でも進展は全くしていないのだが。
「悪いな」
謝りながら興は抱きついてきた。行為は駄目でも、抱きしめることやキスはいいのだ。ようは、性的行為かどうかということである。
「〰〰〰〰〰……」
が、今の純には刺激的なことだった。いつもよりも長いキスにその気になってもいたため余計だ。
興の腰が揺れるように身じろいだ。主張しているものがあることに気付いたのだ。しかし、身じろいだだけでよけようとはしない。
「興」
純は呼んだ。
「なに?」
「なにじゃなく……」
やりたい気持ちに反応している体。そんな状況で密着なんかされ続けたら、溜まっていくだけだ。興なら分かっているだろうに。
なのに、分かっていないとでもいうような雰囲気で返してこない。
「興」
純はもう一度呼んだ。
「ん?」
だが、興は今し方と同じ反応を返してくる。
「ん? じゃなくてだな……」
こういう時の興は意地悪だ。分かっているのに純の気持ちを考慮してくれない。
「興」
もう一度呼ぶ。が、それは純のものではない。瞳を動かしてみれば、その存在に純は気付くことになった。
「だからなんだよ」
けど、興は別の声であることに気付かなかったらしい。上体を少し起こし、純を見てくる。
「いや、今のは俺じゃなく」
間近で興の顔を見返した純は、その人物を発見した方へ瞳を向けた。
興もそれを追って見る。
「和也」
そこにいたのは、興の同室者である。
「橋川が困ってるぞ。興も分かってるんだろ? どけたらどうだ?」
どうやら、他人から見ても困じているのが分かるくらいだったらしい。まあ、早くトイレに駆け込みたいほどだ。表れていても仕方がないかもしれない。
「…………」
言われ、興はやっと上からよけてくれた。
純は素早く身を起こすとベッドから下りた。慌てて駆けていく。
「橋川」
が、そこで呼び止められてしまう。
「自分の部屋でやれよ」
振り向いてみれば、和也にそんなことを言われる。
「〰〰〰〰……」
純は行動に戸惑ってしまった。純の手は、目的地のトイレのドアノブを掴んでいる。このドアの中に入ってしまえば、溜まったものをすぐに吐き出すことができる。なのに、それができないなんて。
このままトイレに入りたい。でも、和也のストップがかかってしまった――正確には、他者の部屋であることを示されてしまった。
「――ケチ……!」
動作にもじゃっかん表れた葛藤は数秒。その言葉をもって了承の意を送ると、純は部屋を駆け出て行った。
勢いよく開け放たれていったドアがゆっくりと閉まり戻っていく。
和也は溜め息をついた。その傍ら、ベッドの上に残っていた興は、出て行った純に呑気に手を振っている。
「興」
それから同室者を呼ぶ和也に、興は手を止めながら顔を上げ向けた。
「興だってやりたいんだろ? そろそろ先に進んだらどうだ?」
「そりゃ、そうだけど……」
興は言葉を弱らせた。和也がそういう理由は分かっているし、純の気持ちも分かっているつもりだからだ。興とて、純とならやりたいと思っている。しかし、嫌悪がなかなか消えない。純と先へ進む方法を考えながら試したりしているのだが、それもなかなかというのが実情だ。今日も、キスのことだけに意識することをしたのだが、先へと進もうとした手に気付いた瞬間、熱が冷めてしまった。
「橋川の股間に気付いて無視できるなら、少しぐらい我慢できるだろ」
「でも……」
結局できなくなり、興は純に抱きつくことで満足させている。けれど、その気も持って挑む純はそうもいかないことだ。まして、反応もさせていたのではなおさら。最後は純がトイレに駆け込むということをしている。呑気に手を振っていた興だが、毎度そんな終わり方をしていればさすがに和也も呆れてしまうし、そんなことも言いたくなるだろう。
「まあ、興の気持ちも分からなくないんだけど、橋川が可哀想に見えてきたよ」
「の、わりには、部屋に帰らせたけど」
そんな純が可哀想というなら、この部屋のトイレを使わせてもいいだろうに。
述べる興に、和也は言った。
「いくら可哀想でも、他人のなんて聞きたくないからな。それと、やるなら初めに俺にも言ってほしいんだけど。知らずに遭遇しちゃうからさ」
良智はベッドに寝そべってゲームをしていた。
たとえ試合が近かろうが試合の最中だろうが、他にやらなければならないことがないかぎり、日課となっているゲームをやらないということはないのだ。
その時、ドアの開く音がしたかと思うと、ドアが閉まる音やら走る音やら騒がしい物音が聞こえてきた。良智はそちらへ顔を向けた。
「あ、純」
すると、その音の発信者は、恋人の部屋へ行っていたはずの同室者だった。
だが、同室者は余裕がないとでもいうようにトイレへと駆け込んでしまう。
慌ただしさが一瞬にして静まり返る。
「…………」
おおよその理由は、良智も予想できた。
机に手を伸ばし、端から出ていたコードを掴んで引き寄せる。ヘッドホンだ。自分も気にせず、純も気にせずというのを考えてだ。
「じゅ~ん! 音量高めにしてヘッドホン付けてるからー!」
良智はトイレに向かって叫ぶと、ヘッドホンを装着した。
三浦興がダウンしたのは、サッカーを開始してわずか五分後のことだった。
「ごめん、興」
ぐったりと座り込んで荒い呼吸をしている興に、宮原良智はやらかしてしまった時と同じ済まなさで謝った。
「大丈夫か? 興」
一方、いたって普通に尋ねたのは、体力の無さを知っている橋川純だ。
だが、興の体力の無さは、このクラスでは周知されていることでもあった。それでも良智が謝っているのは、謝った通りそうさせた一番の原因だからだ。
今、純たちのクラスは体育で校庭へと出てきていた。やることになったサッカーは四チームに分けられ、本来の数より少なすぎる数で対戦していた。一回戦目は、興のいるチームと良智のいるチームで、良智が興で遊んだ。興もむきになり、早い段階で体力を消耗してしまうことになったのだ。加え、今は夏。バテるのもあっという間だ。
試合の方は、良智が興を連れて戻り始めたと同時に再開され、今し方、良智のチームの勝ちで終わり、次の試合メンバーと入れ替わりに動き出しているところだ。
「おーい、橋川。次、俺らだぞ」
興のことを知っているため、純を呼ぶクラスメイトも特に心配している様子は声音にもない。すぐ近くに保健室があるということもあるだろう。
「じゃあ、行ってくるな」
でも、純にしてみれば心配してしまうこと。だからといって、プレイを放棄するわけにもいかない。やってしまった良智がいるし大丈夫だろうと判断すると、うなだれたまま片手を力なく上げた興を視界の端に捉えながら、声をかけた純は二回戦目メンバーが集まっている校庭の中心へ駆けて行った。
「三浦の心配すんのはいいけど、こっちのことも考えろよ」
自分のチームの列に加わると、隣のクラスメイトがそんなことを言ってきた。
「でも、心配だしな」
別に考えていないわけではないのだが、いくら周知されていて近くに保健室があるのだとしても、心配なものは心配だ。
「それじゃあ、始めるぞ」
純が返すと、それに続くように教師が言葉を入れてきた。この授業中に決戦までやってしまいたい思いがある教師は早々に授業の初めに言っていたルールの確認に入った。
試合が開始され、相手チームに攻め込んでいかれるものの、死守したキーパーからボールを回された純は、相手チームのゴール目指し走り出した。
勢いよく走っていく。
興と結ばれて早くも一ヶ月が過ぎた。なんだかクラスメイトに関係がバレているようであることを感じつつ過ごし、もう少しで夏休みである。
純の後遺症は完治したらしく、今では何もしなくても表れなくなった。なので、足を気にすることもなく走れるし、好きなサッカーも思う存分できる。今も、いっさいの心配もなく駆け抜けていく。
だが、順調な足と試合は違う。さすがに半ばを過ぎれば阻止しようとしてくる数が増える。
「橋川!」
それとほぼ同時に名を叫ぶ者がいた。ちらりと見ると、仲間の一人が片手を上げている。
しかし、そのすぐ近くには相手チームの一人がおり、マークされてしまっている。二人ともサッカー部で、互いに一番の警戒対象と見ているのだ。
純は他にも視線を巡らせた。いくらサッカー部とはいえ、互いに手慣れた相手とあっては上手く繋いでくれるか分からない。
そして、
「パス」
様子を窺った純は、逆へとボールを蹴った。
「え!? 俺!?」
飛んでいくボールの直線上にいたクラスメイトが驚き声を上げる。
それでも、慌てながらも動き出す。も、
ボールが飛んだと同時に動き出していた相手チームにあっさり奪われてしまう。
「へたくそ」
一応は抵抗したものの、あまりにもあっけない奪われ方に純は言葉を投げた。
「いやいやいやいや!」
それに、彼は少々早口で返してきた。
「つか、なんで俺にきたわけ!?」
「ノーマークだったから」
純は疑問に答えた。彼の周りにも人はいたのだが、サッカー部のように警戒はされていなかった。それに、彼はサッカー部ではないが運動が苦手というわけでもない。だから彼に回したのだが、彼にしてみたら、サッカー部が呼んでいるのに自分へきたのはよほど予想外だったようだ。
「橋川は良く見てるんだな」
そう発言したのは、興の脇へ移動していた教師だ。実は、彼はサッカー部の顧問でもあったりする。興の息切れはだいぶ収まり、なぜか体育座りをしている。良智はその隣に座り、興とは対照的に男らしく胡坐を掻いている。
「さすが、元とはいえサッカー部」
現役のサッカー部である良智が褒める。
そんな純の活躍もあって、二回戦目は純のいるチームが勝った。
「おっしゃ!」
サッカー部でもあるチームメイトが嬉しそうに声を上げる。対して、対戦相手にいたサッカー部は悔しそうだ。
「おい、橋川。お前、ホント、辞めてしばらく経つのかよ」
戻って行く途中、純は相手チームの一人に話しかけられた。敵対する関係だが結局はクラスメイト。嬉しい悔しいはあるが、本気の試合として意識はしていないのだ。
自分が入っていた部のことは、ずっと隠していこうと思っていたのだが、後遺症が見えなくなっていくにつれて純の心配も消えていき、おもいっきり動いたことでサッカーの上手さも知られることになり、バラすことにもなっていた。
「ああ。半年は過ぎてるな」
辞めたのが去年の秋。ここに来てからは体育で触れるくらいで、部活のように本気のことにはその時からいっさい関わっていない。
「それでもあんな慣れた動きできんのかよ」
クラスメイトは感心したような驚いたような声音になるが、小学からずっとやってきたのだ。体に染みこんだ動きは半年そこそこで消えてしまうほど軽いものではない。
皆がいる所まで来ると、純は興がいるところへ足を向けた。
「勝ったよ」
「ああ」
言いながら歩み寄っていけば、興から微笑が返ってくる。さすがに一試合が終わるくらいの時間が経てば、興の息切れも元に持っている。
「これで、俺のとこと決勝だね」
良智もそんな声をかけてくる。
「ああ」
そんな良智は、サッカー部なだけあってか自信を持っているようだった。でも、純のチームにもサッカー部はおり、純自身も感覚を取り戻しているので接戦になるのではないかと予想している。
と、興の視線が動いた。
見てみれば、興の同室者、安藤和也がすぐ近くに来ていた。
「ただいま」
「おかえり」
声をかける和也に興が応える。
「さすがに、サッカー慣れしたのが二人もいれば強いな」
和也は言った。和也は、対戦相手チームの一人に入っていた。活躍はあまりしていないが、回されればそれなりにプレイしていた。体力のない興と比べることではないが、和也の方が結構できていた。
「お前のチームの負けだな」
和也の発言を受け、良智に顔を向けた興は判断を下した。
「なに決めつけてるんだよ。こっちだって出来る奴、俺以外にもいるんだからな」
「それでもお前らの負け」
良智も言い返すが、結果が見えているかのように興は断言してしまった。
「遊ばれたこと根に持ってたりして」
そんな興の内面を分析したのは和也である。
「そんなことない」
否定する興だが、済ました顔がどうも真実みを欠けさせていた。良智も信じ切れなかったようで反駁している。
「よし、次やるぞ」
その時、腕時計を見ていた教師の声がかかった。二回戦目の時とは違って始めるまでに時間があいたのは、今終わった生徒たちの休息のためだ。
「純、勝ってこいよ」
立ち上がる良智の横で、興が恋人に言葉を贈る。もしかしたら、興はやはり根に持っているのかもしれない。
「ああ」
「やっぱ、根に持ってるんじゃないか?」
あえて言わず頷くだけにしておいた純だったが、腰を下ろす和也が同じ思いを口にした。
「だから、そんなことないって」
「俺、絶対勝つもんね」
否定する興だが、良智も、純と和也と同じく受け取れていたらしい。拗ねたように言い返した。
決勝戦は、サッカー部が一人ずつ、慣れた者が一人ずついるチームの対戦だからか、序盤から熱を持ったものとなった。
ゴール間近まで行くのだが、なかなか入れられずを双方が繰り返す。
何巡目かで純に回ってきたのは、半ば辺りでのことだ。
「橋川に回ったぞ!」
相手側が警戒を示す。これまでの純の活躍で、サッカー部なみに警戒されてしまっていたのだ。
「宮原!」
「純! ボール貰うよ!」
マークしていた者を突破した純に良智が迫ってくる。
「ヤダ」
しかし、興に勝つことを承諾してしまった身。勝たせる気はないし渡す気ももちろんない。
それでも、サッカーができる相手では、それも現役では簡単には抜けられるものではない。良智とボールの取り合いになる。だが、辞めたとしても経験の長さか、純の方が上手だった。
フェイントをかけると、純は良智を抜けた。
「宮原ー!」
彼のチームメイトから叱責が飛ぶ。
「じゃあ、近藤が止めてよ!」
けれど、良智も大声で言い返す。
「しゃあねえな!」
短髪の彼――近藤はこちらに向かって駆けだした。彼が、部は違うがサッカーが出来る奴である。
純は瞳を動かした。先にいるチームメイトがどう配置になっているかを瞬時に把握する。
そうして純がボールを蹴ったのは、まさに相手が近くまで迫ってきている時だ。
「あ」
近藤が抜けた声を出す。
「近藤ー!」
今度は良智から叱責が飛ぶが、彼の足は、止まった純を抜けてボールを追いかけている。
「うっせえ!」
近藤も近藤で怒鳴り返しながら身を翻す。
一方、ボールを回された方は、数人に囲まれ苦戦していた。さすがに四方からでは対処しきれず奪われてしまうが、そこへサッカー部が駆けつけ、移動される前に素早く取り返す。が、良智が到着し、今度はサッカー部同士の攻防戦となる。
よく足が絡まないなという動きを見せた末、勝者は良智になった。
とはいっても、そこを脱出したというわけではなく、隙を突いた良智がボールを蹴って近くにいた仲間に回したのだ。
受け取ったのは、様子を窺っていた近藤だ。だが、近藤も弾くように蹴って、迫り、足を伸ばしてきた者からボールを死守する。それは、連携プレイとも言えるかもしれない。蹴り飛ばした先に、さらに別の仲間がいたからだ。
しかし、近くにいながら、ボールがその仲間の元まで届くことはなかった。
誰の元からも離れ、無防備になったその瞬間、そこに人が現れたからだ。
純である。
近い距離にいた相手の仲間との間に走り現れたと思うと、おもいっきり蹴り飛ばす。
ボールは計ったようにゴールに向かい、僅かの高さでキーパーが阻止できずにシュートが決まる。
嬉しさと悔しさ、そしてどよめきのような歓声が上がる。
だが、それは周囲でのことだ。純の付近にいた者たちは逆に沈黙していた。
「え?」
しかも、容量を得ない感じになっている。
「ん?」
何事が起きたのか悟らぬ声に、純はそちらを見た。
「どうしたんだ?」
純は怪訝な表情で尋ねた。
「え? あ、いや……」
「てか、いたんだ……」
みな、呆然ぎみにしていた。純が現れるとは思っていなかったらしい。
「はっはっはっはっ」
そんな彼らに、教師が笑った。
「みんなしてボールに集中しすぎて橋川のこと忘れてたな。橋川もわざと入らないでタイミングを見計らってたし。なかなかの判断力じゃないか」
離れて見ていたからこそ分かることだ。今はこうして笑っているが、これが部活だったならば褒めと怒りが飛んでいただろう。
「なんか、橋川、サッカー部より上手いな」
和也もそんな感想を漏らす。
「三浦! 橋川をうちの部にくれ!」
「やだ」
教師の要望に興は即答で断った。元々は純もサッカー部なので上手いのは当たり前だ。サッカー部顧問が求めるだけ、それだけ上手いということでもある。だが興にとっては部活のことよりも、純といる時間が減ることの方が問題なことだ。純を渡すわけにはいかないのである。
そんな会話がなされている頃、気を持ち直した者たちによって試合は再開されていた。
ムードを作ってもいた彼らの士気は上げられ、気合いの入り方が変わる。純にはサッカー部である良智が完全にマークし、近藤も見た目からして分かるくらい真剣な表情で、別の一人とこちらのサッカー部に付いている。
本気を出した。そんな感じだ。
突然の純の出現とシュートは、意識を改めるくらいの効果を働かせたらしい。不慣れな者に指示が飛ぶほどだ。体育でやる軽さではなく、部活の風景にも見えなくなってきている。
勝負するということから離れていた純はそこまで士気は上がらないものの、出番となればやる。
だが、気合いを入れ直した良智も余裕のある表情から真剣な表情に変わり、動きも変化していた。先程までとは打って変わって機敏で足裁きも早く、純を苦戦させる。
奪われるが、抜けられる寸前に取り返す。が、動きが一変した良智もその瞬後に足を戻してくる。だが、純も純で打開策をとっている。
良智がいる逆側にボールを弾くように蹴る。
そうすれば、不慣れなゆえにマークされずにいたチームメイトが受け取り、同じく不慣れなためにマークされていなかった相手チームが後を追う。
本気に切り替わった良智も早くも駆けだし、純も続いて良智を追い走り出す。それほど本気ではないし、自分の持ち場というのも決まっているわけではないが、自分がすべき行動の一つは分かっているつもりだ。
「三浦!」
「断る」
彼らのプレーを見ていた顧問兼教師が脇へ声を飛ばすが、それだけで言いたいことが分かっている興は即答した。
移動した彼らは、半ば辺りで攻防戦を繰り広げていた。不慣れな者らに変わってサッカー部二人が交戦している。良智のマークがなくなった純だったが、対策でも考えたのか、代わって近藤が純の傍にいる。
だが、得意な者と出来る者ではまた実力は異なる。良智が仲間にボールを回し、それを追う者らの動きに紛れて近藤をかいくぐり、ボールを手に入れる。けれど、すぐに回すと純は走りだした。近藤も追いかけてくる。
一方、ボールを受け取った者もまた、すぐに回していた。ボールはサッカー部へと渡り、交戦になる前に高く前へ蹴られる。そのボールを引き継いだのは、先へ進んでいた純だ。
そのままゴールへ向かっていく。後ろからは近藤、前からはキーパーが待ち構えるが、ゴールからある程度離れていたキーパーと近づいたところで、純はボールを手放した。
斜めへと蹴る。
その先にいたのは、ゴール近場で待機していた仲間である。
キーパーが戻る間もなく、できる者が迫る間もなく、彼によってシュートが決まる。
「なっ……」
「連携プレイ」
やられたという顔をするキーパーに純は言った。いくら不慣れだろうと、ゴール近場で渡されれば、回数を重ねていれば、やることは誰だって分かることだ。
「まじかよ」
追いついた近藤がぼやく。
「三浦!」
そんな一方、再び教師が名前を呼んだ。純のプレーは教師を気に入らせたらしく、少々興奮ぎみだ。
「だから、やだっての」
が、興奮などない興は変わらぬ声音だ。敬語が完全に抜けているのは、しつこいと言っている表れである。
そんな感じで、本気を出した周りとは一歩引いてさりげなく活躍をした純は、初めに思った通りなんだかんだと接戦となり、一点差で純のいるチームが勝つことになった。
「よし、三浦!」
「だから、何度言やいいんだよ」
「これはもう、サッカー部に入れるしかないぞ!」
興の拒絶を聞いていない教師がそう決めつける。
「…………」
さすがにそれには、興は言葉を返す気がなくなったようだった。
「じゃあ、純に聞けよ。純がいいって言えばいいから」
興は判断を本人に投げた。結局は、本人の意思しだいなことだからだ。
「橋川ー!」
興からの返答を聞いたそうそう、教師は声を張り上げた。
「はい?」
「サッカー部入らないか!?」
「いいです」
純の返答は迷いがなかった。
「よし!」
よほど嬉しかったのだろう。教師はガッツポーズを作った。しかし、
「え? 違います! 断るの意味です!」
慌てた純の声が戻ってくる。
「なんでさ!」
それに返したのは、教師ではなく良智だった。
「純が入れば優勝間違いなしだってのに!」
「そうだぜ! あれだけ上手いんだ。みんなもぜってー欲しがるぜ!」
「でもな……」
サッカー部二人にも求められるが、純は渋った。サッカーは今も好きだしやりたいとも思う。けれど、即答してしまえるくらい恋人となった興とも離れがたく、思いはあるが、あまりなびかなくなっているのだ。
「じゃあ、せめて、九月にやる大会には出てくれない?」
「そうだな。お前なら、今からの練習でも全然問題ないしさ」
「よし! 決まりだな」
部員二人にも頼まれれば断れないと思ったのか、教師は決定したとでもいうような態度をとった。興は純に判断を任せたため何も言わないでいる。
「んー……考えさせてくれ」
短く唸ると、純は保留を要求した。
「えー! なんでさ!?」
「そんなに三浦と居たいのかよ」
「あー、やー、まあ……」
良智の反応はともかく、もう一人の推測には純は口を濁した。やはり、自分たちの関係はクラスにも知られているようだ。隠しても意味がなさそうなことに、最後には曖昧ながらも肯定の意味も持つ言葉が出ていく。
「好きなサッカーよりもお前を優先するなんて、何があるんだ?」
「…………」
教師の疑問に興は無言で返した。さすがに、妻子持ちの教師には言えない。和也も素知らぬ顔をして純らを見ている。
「じゃあ、夏休み前までには決めてくれよ」
「分かった」
純は頷いた。
「いい返事待ってるぞ!」
「はあ……」
教師からも言葉が飛んでき、それには覇気の無い声音を吐いた。そんなことを言われても困るからだ。でも、そんな純の反応に部員は何も言わず、この場はそれで収まることになった。
□□□
倒れるように、純はベッドに背中から体を預けた。
その上から、手を突いた興が一旦見下ろし、近づいてくると二人は唇を合わせた。
自分に被さった体に純は腕を回して密着を強めると、自然と口付けが深くなる。
長めのキスを終えると、もう一度重ね合わせる。今度は角度を変えながら何度もやる。互いに感じ合いながら、感情を高ぶらせていく。
その高ぶった感情のもと、純は興の体のラインに沿って手を下げていった。くびれから腰に滑らせ、ズボンの中に手を入れる。
瞬間。
「待て!」
興が体を押し離した。
「興?」
尋ねるものの、純はどうしたのか分かっている。
「やっぱり駄目だ」
興の口から放たれたのは、予想通りの結果だ。
「まだ何もしてないんだけど」
それでも、その気になっていた純にとっては困じることだ。
「分かってる。でも、無理。雰囲気があってもなくても、やるとなると抵抗感じる」
「そっか……」
横田たちに強要されていたことで、行為そのものに興は抵抗を感じている。今では横田たちと一切の関わりがなくなり平穏な生活を送れているが、影響が完全に取り払われたわけではなかった。今のように行為に移行しようとすると、拒否反応が出てしまうのだ。
「無理しなくていいから。ゆっくり慣れてこ」
強制的にやっても横田たちと同じになるだけだ。興の気持ちも分かっているわけだし、じょじょに進んでいけばいい。まあ、一ヶ月過ぎた今でも進展は全くしていないのだが。
「悪いな」
謝りながら興は抱きついてきた。行為は駄目でも、抱きしめることやキスはいいのだ。ようは、性的行為かどうかということである。
「〰〰〰〰〰……」
が、今の純には刺激的なことだった。いつもよりも長いキスにその気になってもいたため余計だ。
興の腰が揺れるように身じろいだ。主張しているものがあることに気付いたのだ。しかし、身じろいだだけでよけようとはしない。
「興」
純は呼んだ。
「なに?」
「なにじゃなく……」
やりたい気持ちに反応している体。そんな状況で密着なんかされ続けたら、溜まっていくだけだ。興なら分かっているだろうに。
なのに、分かっていないとでもいうような雰囲気で返してこない。
「興」
純はもう一度呼んだ。
「ん?」
だが、興は今し方と同じ反応を返してくる。
「ん? じゃなくてだな……」
こういう時の興は意地悪だ。分かっているのに純の気持ちを考慮してくれない。
「興」
もう一度呼ぶ。が、それは純のものではない。瞳を動かしてみれば、その存在に純は気付くことになった。
「だからなんだよ」
けど、興は別の声であることに気付かなかったらしい。上体を少し起こし、純を見てくる。
「いや、今のは俺じゃなく」
間近で興の顔を見返した純は、その人物を発見した方へ瞳を向けた。
興もそれを追って見る。
「和也」
そこにいたのは、興の同室者である。
「橋川が困ってるぞ。興も分かってるんだろ? どけたらどうだ?」
どうやら、他人から見ても困じているのが分かるくらいだったらしい。まあ、早くトイレに駆け込みたいほどだ。表れていても仕方がないかもしれない。
「…………」
言われ、興はやっと上からよけてくれた。
純は素早く身を起こすとベッドから下りた。慌てて駆けていく。
「橋川」
が、そこで呼び止められてしまう。
「自分の部屋でやれよ」
振り向いてみれば、和也にそんなことを言われる。
「〰〰〰〰……」
純は行動に戸惑ってしまった。純の手は、目的地のトイレのドアノブを掴んでいる。このドアの中に入ってしまえば、溜まったものをすぐに吐き出すことができる。なのに、それができないなんて。
このままトイレに入りたい。でも、和也のストップがかかってしまった――正確には、他者の部屋であることを示されてしまった。
「――ケチ……!」
動作にもじゃっかん表れた葛藤は数秒。その言葉をもって了承の意を送ると、純は部屋を駆け出て行った。
勢いよく開け放たれていったドアがゆっくりと閉まり戻っていく。
和也は溜め息をついた。その傍ら、ベッドの上に残っていた興は、出て行った純に呑気に手を振っている。
「興」
それから同室者を呼ぶ和也に、興は手を止めながら顔を上げ向けた。
「興だってやりたいんだろ? そろそろ先に進んだらどうだ?」
「そりゃ、そうだけど……」
興は言葉を弱らせた。和也がそういう理由は分かっているし、純の気持ちも分かっているつもりだからだ。興とて、純とならやりたいと思っている。しかし、嫌悪がなかなか消えない。純と先へ進む方法を考えながら試したりしているのだが、それもなかなかというのが実情だ。今日も、キスのことだけに意識することをしたのだが、先へと進もうとした手に気付いた瞬間、熱が冷めてしまった。
「橋川の股間に気付いて無視できるなら、少しぐらい我慢できるだろ」
「でも……」
結局できなくなり、興は純に抱きつくことで満足させている。けれど、その気も持って挑む純はそうもいかないことだ。まして、反応もさせていたのではなおさら。最後は純がトイレに駆け込むということをしている。呑気に手を振っていた興だが、毎度そんな終わり方をしていればさすがに和也も呆れてしまうし、そんなことも言いたくなるだろう。
「まあ、興の気持ちも分からなくないんだけど、橋川が可哀想に見えてきたよ」
「の、わりには、部屋に帰らせたけど」
そんな純が可哀想というなら、この部屋のトイレを使わせてもいいだろうに。
述べる興に、和也は言った。
「いくら可哀想でも、他人のなんて聞きたくないからな。それと、やるなら初めに俺にも言ってほしいんだけど。知らずに遭遇しちゃうからさ」
良智はベッドに寝そべってゲームをしていた。
たとえ試合が近かろうが試合の最中だろうが、他にやらなければならないことがないかぎり、日課となっているゲームをやらないということはないのだ。
その時、ドアの開く音がしたかと思うと、ドアが閉まる音やら走る音やら騒がしい物音が聞こえてきた。良智はそちらへ顔を向けた。
「あ、純」
すると、その音の発信者は、恋人の部屋へ行っていたはずの同室者だった。
だが、同室者は余裕がないとでもいうようにトイレへと駆け込んでしまう。
慌ただしさが一瞬にして静まり返る。
「…………」
おおよその理由は、良智も予想できた。
机に手を伸ばし、端から出ていたコードを掴んで引き寄せる。ヘッドホンだ。自分も気にせず、純も気にせずというのを考えてだ。
「じゅ~ん! 音量高めにしてヘッドホン付けてるからー!」
良智はトイレに向かって叫ぶと、ヘッドホンを装着した。
0
指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
お気に入りに追加
66
あなたにおすすめの小説

きみがすき
秋月みゅんと
BL
孝知《たかとも》には幼稚園に入る前、引っ越してしまった幼なじみがいた。
その幼なじみの一香《いちか》が高校入学目前に、また近所に戻って来ると知る。高校も一緒らしいので入学式に再会できるのを楽しみにしていた。だが、入学前に突然うちに一香がやって来た。
一緒に住むって……どういうことだ?
――――――
かなり前に別のサイトで投稿したお話です。禁則処理などの修正をして、アルファポリスの使い方練習用に投稿してみました。

僕の王子様
くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。
無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。
そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。
見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。
元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。
※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。
乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について
はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
いとしの生徒会長さま
もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……!
しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!

【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる