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未発達なボクらの恋
二ー2
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□□□
翌。HRが終わるなり、純は興の席へと向かった。
「興」
「ん?」
「ちょっと気分よくなくてさ。悪いけど、今日、部活休ませてもらうな」
顔を上げた興に、純は声量を下げて告げた。
もちろん嘘である。昨日ではまとまらず、今日も今日で良智の前であることや、授業があるなどでなかなか集中できず、良智もいなくなる放課後にどうするか考えることにしたのだ。
「ああ」
心配の色もなく、興は許可してくれた。上手く偽れたのだろうか。しかし、その反応がまた、良い結果を期待できないと思わせられてしまう。
「ごめん」
「別にいいけど。今、余裕あるし」
一応、謝ると、興は問題なさそうにした。島山たちのおかげで部活はのんびりしている。しばらくは島山たちも来続けるし、余裕の出た今、一人ぐらいいなくても平気なのだ。が、不安があることで、本当にその状況による理由なのか疑いも出てしまう。
「じゃ」
純は背を向けた。
「…………」
離れ、教室から出て行く純を無言で見送っていた興が窺うような瞳で見ていたことに、当然ながら、純は気付かなかった。
□□□
そうして翌日の朝。朝食を済ませるよりも早く、純はある部屋のドアをノックした。
暫しして、開けられたドアから姿を見せたのは、同室者の和也の方だった。
「橋川?」
「興、まだいるよな?」
怪訝にする和也に純は尋ねた。
どうすべきか気持ちを固めることができた純は、本人を見ているうちにうだうだして言い出せなくなっては困ると思い、放課後にしようとした予定を朝に変更してやってきたのだ。
「いるけど……こんな朝からどうしたんだ?」
カミングアウトのことは興も言わなかったらしい。バラされては困るので助かることではあるのだが。
「ちょっと興に話があって」
「……興となんかあったのか?」
用件を伝えると、怪訝というより心配するような雰囲気が和也に表れた。
「別に何もないけど」
「そう? ならいいんだけど」
もしかして、そう思わされるくらいには興にも変化があったのだろうか。
「俺は、先に食堂行ってるから」
「ありがと」
「とりあえず、どうぞ?」
気遣いをした和也だが、中へと促す言葉にはなぜか疑問符が付いていた。先に食堂に行っているということだから、話す場所としてこの部屋を提供してくれるということではないのか。
中へ戻って行く和也に純も中へと入った。
「興。橋川が話しあるってよ」
部屋の中に入りながら、ベッドに腰掛けていた興に和也は言った。
「具合はもういいのか?」
顔を上げた興は、後から来た純に視線を向けると、開口一番から確認してきた。その声音は変わらずの淡泊さをしており、表情にも変化はない。
「ああ。おかげさまで」
純もそう返しておく。
「じゃ、俺は食堂行ってるから」
そこで和也が言葉を入れた。来訪者の案内と興にも伝えるために戻って来たものだったらしい。
「ああ」
興が返事をすると、入ってきたばかりの部屋を和也は出て行った。
「で、話って?」
和也がドアの外に消えると、興が先に開口した。
「一昨日のことを謝ろうと思って。あの時はごめん」
目的を伝えると、純は謝った。
どうすべきか考えた結果、夢と雑誌のせいにすることにした。気持ちを打ち明けるとすれば、興の恋愛事情をちゃんと知り、問題なさそうならばすることにしたのだ。
「別にいいけど」
興の口調は変わらなかった。あまりの変わらなさのため、何を思っているのか全く判断できないどころか読めもしない。
「そう? なんか俺、焦っちゃってたしさ」
「なんかじゃなく、しっかり動揺してたけどな」
「う……」
自分でもちゃんと分かっている。何故、あそこまで焦ってしまったのか自分でも疑念に思うくらいに。指摘を施すというより突っ込みを入れるように言われては言い返す言葉が出てこないというものだ。口達者ならば何かかしらは返せていたのだろうが。
「だって、それは……思ってもみなかったことが出たら、誰だって驚くだろ?」
それでも純は理由を思い出すと切り返した。
「思ってもみなかったこと」
一方、興は正面になるくらいまで顔を下げると、小さく呟いた。
「え?」
それは、聞き返してしまうほど、その間近にいる純にすら聞き取れないほどの小ささだった。
「いや、なんでもない」
興はそう返した。言いたいことがあるなら言ってくれればいいのにと思ったのだが、自分も隠していることがあることと失言防止のために言わないでおく。
「それで、もう大丈夫なのか?」
話題を変えるように、話を進めるように声音を変えると、興は顔を上げ直してきた。
「ああ、大丈夫。……なはず」
言い切ったものの、純は返答を追加した。
「はずかよ」
興の目が呆れた眼差しになった。
「いや、だってさ……」
言い切って、やっぱり駄目だったというのも嫌である。それなら、あやふやにしておいた方がいいと思い、言い直したのだ。
が、呆れてしまった興は、鼻から息まで吐き出した。純の思考回路はそんなに呆れることだろうか。それでいて、いつも通りの興と思えもするのだから、興にどんな印象を持っているか、恋心を自覚した後とあっては複雑にもさせられる。
だけれど、息を吐き出していながらも、それほど深く思っているわけではないようだった。
「まあ、いいけど」
そう言ったのだ。
「今日から部活は出るんだよな?」
それから再び質問を繰り出してくる。
「そのつもりだけど」
というか、もちろん行く。ただ、興がどう思っているのか、分かりきっていないことが少し不安ではあるが。
「そうか」
興はそれだけ言った。それから聞くかぎりでは嫌そうにしている雰囲気はない。偏見はないと言っていた通りに見える。
「……でも、ほんと、変なこと言ってごめん。まさか、あそこまで影響がきてるなんて思わなくて」
「別にいいって言ったろ」
改めて謝った純に、興も同じことを返した。ただ何か、不服という程ではないが、そのことに得心がいっていないような、彼の中で解決しきっていない何かがあるような、そんな雰囲気が興にはあった。
「そう言ってくれるなら、俺も安心だよ」
疑っているのだろうか。でも、それには気付かぬふりをして純は微笑を浮かべた。
「――そうか」
興は簡素に返した。その言葉をそのまま聞き入れたようにも聞こえるし、純の様子を窺いながら言ったようにも聞こえる。
「なんで昨日じゃなく今日なんだ?」
一呼吸分くらいの間をあけると、興は続けて尋ねてきた。
「え?」
が、触れられたくないことを触れられた気がし、純は思わず聞き返した。
「誤解を解くなら早い方がいいだろ」
誤解を解くという言葉にはずきりときたものがあったが、雑誌と夢のせいとすることにしたのだ。そう言われても仕方がない。
「昨日はずっと考えてたんだ」
純は言った。
「一日も?」
一日といっても、一日中考えていたわけではない。脳内を占めていたのはほぼ一日ではあったが、本格的に考え始めたのは放課後からだ。
「だって、大事なことだし」
今後の自分たちの関係が変わる可能性が高いのだ。時間はかけられないが、ちゃんと決めたかったことである。
「もし興が男もOKで受け入れてくれたとしても、その後に違ったってなっても困るしさ」
本当はそんな変わる心配はないのだが、そう言っておく。
「……そうか……」
それにしばし無言で見据えてくると、興は小声でそれだけ言った。
「それじゃあ、俺たちも朝飯食べに行くか」
それから、何か思案するような面持ちになったかと思うと、興はそう言葉を繋げた。
「え……あ、ああ……」
何が「それじゃあ」なのか。興は何を考えていたのか。一転したどころか話を終わらせることには、純は一瞬ついていけなかった。
けど、そんな純は気にもせず、立ち上がった興はドアに向かって歩き出している。
「…………」
純は後を追うように歩き出した。
(解決はしたんだよな?)
ついて行きながら、純は疑念に思った。別にいいと言うのだから、謝罪を聞いてくれたということであり、これまで通りの関係は続くということだ。
けれども、どうも解決したような感じがしない。興の気持ちが見えないからか。純の気持ちだけで終了になったからか。
純は、いまいち晴れない気分にさせられた。
□□□
水やりをしていた興は、ちらりと視線を横に動かした。
離れた所で同じ作業をしている純の姿が視界に入る。
部活となった今、ワンセットとして扱われるようになった興と純、それから視界には全く入っていない所にいる兼田の三人は、校舎周りの水やりをしているところだった。
今日は総出で水やりとなっていた。忙しさが一段落したことで、今日もそれだけとなったのである。他の二人は、顧問と別の場所にいる。
島山たちも横田たちを警戒しているとはいえ、興と純につくべき顧問が離れているのは、島山らでは衝突する確率があるからだ。それを防ぐために、顧問が不良側に付くことになったのだ。それで、無防備になる自分たちには、一番強いらし兼田が付くことになったのである。教師がいなければ結局は衝突する可能性があるように思えるのだが、兼田なら大丈夫らしい。
「…………」
今日、興はずっと考えていた。純のこと。自分の気持ちのこと。
一昨日、純への好意を興は知ることになった。
好きである以上、その気持ちを否定する気はない。
むしろ、そこまで好意を抱いたのかと、驚かされた。あんなに呆れてばかりいた相手だというのに。
だからこそ、謝られたことにはがっかりしたのだ。あれだけテンパっていたのだから、その中で発せられた言葉は間違いなく本音のはずだ。
なのに、影響――夢と雑誌のせいとしてきた。
だから、真意を探ろうと純を観察することにした。純ならどこかでボロを出すだろうと思い。
実際、怪しいと思えることがなかったわけではなかった。そもそも、謝るといいながら、困るといいながら、そんな様子は終始薄かった。言葉だけで言っているような感じだった。しかしながら、好きだという確証も得られることはできなかった。
一日、様子をうかがってもみたが、とくに何もなかった。それはつまり、夢と雑誌のせいは本当かもしれないということだ。謝りに来たのは一日空いてのことだし、その分、冷静に心情を分析することだってできたはずだ。純も大事なことと言っていたことから、そういう思いもあって導き出したことだとすると、言っていたことは本当だということになる。
けれど、興はいまいち納得ができていなかった。
テンパっていた時に言っていたことこそが、本音なのではないかという思いも抜けていなかったからだ。
だからといって、それに縋って気持ちを打ち明けることはしないし、不納得で追求するようなこともしない。本人の代わりに来た景一に言ったことが、純にそういう判断をさせたかもしれない思いもあったからだ。
それならば、文句を言えることではない。自分が曖昧な発言をしたのだ。その結果がこれに繋がっているかもしれないのだ。
しかし、景一に言ったことは本音でもある。
異性ならともかく、同じ男を相手に自分から告白したともなれば、相手からされたのを受け入れるより叱責は大きいはずだ。隠せばいいだけのことでもあるが、興にとっても苦手な校長に知られた時のことを考えると、自分から打ち明けるのは避けたい。叱られる時のことを考えると、好意を隠し、友人として付き合っていた方がいいとなってしまうのだ。
「三浦」
その時、名前を呼ばれるのと同時に肩に手を置かれたのは、本当に前触れがなかった。肩が跳ねるほど驚いてしまう。
「あ、わりい」
その犯人――いつの間にか背後にいた兼田は謝った。
「驚かすなよ」
後ろを振り向きながら興は非難した。
「別に驚かそうと思ったわけじゃねえよ。お前がぼーっとしてるからだろ。それに俺、何回か呼んでるしな」
「そうなのか?」
それは全然気付かなかった。周りから意識が外れるほど、そんなに考えに沈んでしまっていたらしい。
「どうしたんだ?」
次に聞こえてきた声は、そうなった原因でもある純の声だ。
見てみれば、さっきまで離れたところにいたはずの純が近くまで歩んできている。
「いや。こいつが俺のこと驚かすから文句言ってただけ」
自分たちのとこまできた純に興は述べた。
「それは、お前がぼーっとしてたからだろ」
それに文句を放ち返したのは、当然ながら兼田である。興の声音には不愉快な響きはなかったのだが、言われた兼田としては言い返したくもなることらしかった。
「なにか考え事でもしてたのか?」
対して、当事者でない純は、応酬そのものには何も示さずに質問をかけてきた。
「まあ、大したことじゃないんだけどな」
自分の気持ちはもちろん、純への不納得のことも言う気はない。兼田がいてはなおさらだ。だからといって、そこで言葉がなくなってしまうわけではない。
「純も島山たちに慣れてきたなって思ってな」
言葉を探す間も入れずに興は言った。思いついていたからではなく、しばらく前から思っていた事実である。
島山たちは喧嘩っ早いわけではなく、キレやすいというわけでもない。一般生徒に比べれば怒りやすくはあるし騒がしい奴もいるが、不良の中では静かな方だ。横田たちの仲間になっているから避けられているだけで、話も普通にできる。それは、自分や顧問、純で証明されている。もっとも、島山は純が嫌いなようだが。それでも話すことはするし、いじめも起きてはいない。小さな嫌がらせはあるが、ガキかと言いたくなるようなことで、純も対処でき始めている。マイナスイメージを持っている佐々木とも渡り合えてきているうえに、ここにいる兼田に関してなんかは素気なくあしらうことが増えてまでいるときた。
そんな状況を見ていれば、たった一週間近くでよくそこまで慣れたものだと感心させられる。
「そっち?」
「あ」
だが純からすると、興の発言は突っ込みたくなることだったらしい。不良と渡り合えるようにすると言っていたとはいえ、部員になった身として作業に慣れたと言われる方が嬉しいのだろう。そして、興の発言に反応したのは純だけではなかった。
「それ、俺も思った」
純と重なって賛同するように声を出した兼田だ。
「島山が嫌ってるのも物ともしなくなったし、佐々木を言い負かしたりするしさ」
「そんで、お前はあしらわれるようになったよな」
嬉々として純の状況を話す兼田に興も語った。それは、兼田にすれば水を差されたことと同じだったかもしれない。
「そうなんだよ。ぜってぇ、三浦のが移ったんだぜ」
気を落とすというよりも、テンションが下がったという感じで声質を落とす。そのくせ、その原因を人に押しつけてくる。
「移した覚えはないんだけどな」
自分も兼田をあしらうことは多々あるが、それは、くだらないことだったり鬱陶しくなったりした時だ。それ以外はちゃんと相手をしている。だいたいにして、それが出来るのも慣れたからだ。慣れなければ、不良相手にそんなことはできない。
「俺も移された覚えはないんだけど。でも、ちゃんと話してるだろ?」
純も同意見で返すと、フォローかなんなのか、違いの訂正もかける。
「エロ以外はな」
「当たり前だろ?」
至極当然といった顔と声音で、純は兼田の指摘に受け答えた。
「それ出されたら、からかわれるって分かってるんだし」
初めの方こそ、兼田の好みの話になっただけで戸惑っていたが、純とて学習し慣れが発生するもの。そちらへ話題を持って行きようものなら、あっという間に素気ない態度になってしまうように純はなっていた。とはいっても、全部できているというわけではないのだが。
「ちゃんとからかわれろよー。俺、つまんねえじゃん」
しかし、からかい相手として目をつけてもいる兼田にしてみれば、純の態度は不服でしかない。
が、純にしてみても、それは迷惑なことでしかない。
「知るかよ」
文句めいた口調で訴える兼田には、純も切り捨ててしまう。
だが、それで兼田の口が止まるわけでもなかった。
「んだよ。横田先輩たちが来ても、守ってやんねえぞ」
「それはちょっと困る。でも、エロも困るんだよな……」
困り気味にする純だが、横田たちのことよりも下ネタの方で声が弱まった。兼田の発言が冗談だったとしても、悩みどころが違う。それだけ困るということではあるのだろうが、純はやはり、〝純〟であるらしい。
「じゅんー、名前通りの奴めー」
それは兼田も思ったらしい。間延びした言い方でからかいを放つ。
「うるさい」
純は困じたようだった。名前を出されることは対処に困ってしまうらしい。
そんな純の反応は兼田の機嫌を良くしたらしく、いたずらげな笑いが上がった。
「でも、橋川ー」
けれど、その笑いもすぐにやんだ。それでも笑みは浮かんだまま発する。
「俺、お前のこと気に入ってんだかんなー」
「え?」
純は意外そうにした。見ていれば分かることなのだが、接点ができてまだ日が浅いといえる純には分からないことだったようだ。
「なんだかんだいって話しやすいし、からかいやすいしさ」
「……最後はよけいだな」
笑顔で好感を語る兼田に純は半眼になった。複雑そうにもするし、納得いかなさそうにもする。まあ、からかいやすさで気に入られれば誰だってそうなるだろうが。
「…………」
そんな一方で、興は不服にしていた。
何というわけではない。ただ気に食わないだけである。兼田が純を気に入ろうが気に入りまいが――いや、それで純が困るのも困るし、どうせなら気に入ってくれる方がいい。けど、今のこの状況は不満がある。それでいて、不満になる理由が分からない。謝ってきた時に言っていたことからすれば、純が兼田に惚れることはない。兼田が惚れても、純が受けるはずがない。そう思っても、自分の中で納得いかない何かがある。
「でも、なんか意外だな」
「いやいや、分かんだろ。俺、あいつらと態度違ってたよな?」
「ごめん。分からなかった」
「まじかよ」
興の内心に当たり前ながら気付いていない純と兼田は会話を続けている。何か分からない感情を抱いている最中とはいえ、純の、無関心というわけではないだろうが、気付かなさというか鈍感さには興も呆れさせられてしまう。だが、その片隅に、嬉しさというか良かったというか、喜色めいた感情が灯ったことを興は逃さなかった。
「…………」
だがそれで、このはっきりしない気持ちがなんなのか分かることにもなった。
やきもちだ。
自分は、兼田にやきもちを焼いていたのだ。まさかそんな感情まで抱くはめになろうとは。
恋心とは厄介なものだ。誰かに――和也しかいないが――相談する前に気付いてよかった。
が、同時に、やきもちを焼くだけ無意味だとも思わさる。純の謝罪通りなら、彼は自分に恋心を持っているわけではなく、付き合うということにもならないのだ。そんな相手の周りにやきもちを焼いてもなんの意味もない。
その無意味さと虚しさに、興は小さく、二人に気付かれないように鼻から息を出して溜め息をついた。
「島山」
道ばたの自分の担当区分の水やりを終えたちょうどその時、名を呼ぶ声がした。
「あ? んだよ」
この知った声は佐々木のものだ。そちらを向いた島山は、いつも通りではあるがぶっきらぼうに聞こえるだろう声で尋ねた。
「ちょっと、どうするのか思い出してさ」
「ああ……」
主語が抜けた佐々木の問いかけ方だったが、島山には分かっていることでもあった。
聞いた通りの意味で伝わっているかどうかも、そう尋ねられることも一つしかないので佐々木も伝わっていると理解していると分かっている。
「で? 決まったのか?」
「ああ。決めはした」
単刀直入な尋ねに、島山は告げた。
島山は、先日からあることで悩んでいた。その悩み事は佐々木と兼田にも伝えており、二人からはその場で二つ返事されている。その日から数日経ち、島山も決断していたのだが、まだ伝えていない状態だった。
「なんだ。なんで言わないんだよ」
「決行日ってのが決まってなかったんだよ」
だから、決断はしたが伝えていなかったのだ。
「なら、俺たちにも言えばいいだろ。俺たちも一緒にすんだから。それに、島山に任せっきりってのもよくないだろ」
「そうか……」
佐々木がそんなことを思っているとは思いもしなかった。佐々木は、他人に任せられることは任せてしまうので、協調性のある発言をしてくるとは夢にも思っていなかった。けれど、そう考えてくれていたということは、二つ返事は本物ということだ。
とはいえ、すぐにできることではない。
兼田がいないからだ。それに、安易な場所で話し合えることでもない。
「じゃあ、部活が終わったら話すぞ」
「分かった」
そこは佐々木もちゃんと分かっていることだ。異論も無く佐々木は承諾した。
□□□
就寝時間をとっくに迎え、室内からも電気が消されていた。
同室者も眠り、静まりかえった中、純は未だ起きていた。
布団の中に入ったまま、頭の下で手を組んで天井を見上げている。
けれど、眠れずにいたからではない。興のことを考えていたからだ。
興に変化は全くなかった。拒絶があるわけでも、気まずさがあるようでもない。偏見がないと言っていた通り、カミングアウトがあっても、それとも謝罪があったからか、なんとも思っていないようである。
嬉しいことであるが、内面が見えないことに、あわよくば、自分のことが好きで、あの謝罪が逆にがっかりさせているんじゃないか。それならばどうしよう、という良い方向での不安も過ぎっていたりする。
興がもっと分かりやすい反応をしてくれたなら、心が落ち着いていた今日のうちに告白していたのに――なんてことも思ってしまう。
小さく、良智がまだ寝入っていないことを考え、聞こえないよう本当に小さく息を吐き出すと、純は横を向いた。
今更になって、想いを胸に秘めておくことを選んだのは失敗だったかもしれないという思いが出てきていた。
隠したって、想いも自分の中で隠れるわけではないのだ。
そこで思い出したのは、以前みた夢のことだった。純に無駄なほどの意識を持たせた、興と体を重ねる夢。
以前のように動揺は感じないが、今は羨ましさがある。そういう事をしているということは、そういう関係であるということでもあるからだ。
現実になってほしいが無理な感じもする。
ならばせめて、夢の中だけでもと思う。
夢の中ならば両思いでいられるはずだ。
そう思い、純は目を閉じた。
翌。HRが終わるなり、純は興の席へと向かった。
「興」
「ん?」
「ちょっと気分よくなくてさ。悪いけど、今日、部活休ませてもらうな」
顔を上げた興に、純は声量を下げて告げた。
もちろん嘘である。昨日ではまとまらず、今日も今日で良智の前であることや、授業があるなどでなかなか集中できず、良智もいなくなる放課後にどうするか考えることにしたのだ。
「ああ」
心配の色もなく、興は許可してくれた。上手く偽れたのだろうか。しかし、その反応がまた、良い結果を期待できないと思わせられてしまう。
「ごめん」
「別にいいけど。今、余裕あるし」
一応、謝ると、興は問題なさそうにした。島山たちのおかげで部活はのんびりしている。しばらくは島山たちも来続けるし、余裕の出た今、一人ぐらいいなくても平気なのだ。が、不安があることで、本当にその状況による理由なのか疑いも出てしまう。
「じゃ」
純は背を向けた。
「…………」
離れ、教室から出て行く純を無言で見送っていた興が窺うような瞳で見ていたことに、当然ながら、純は気付かなかった。
□□□
そうして翌日の朝。朝食を済ませるよりも早く、純はある部屋のドアをノックした。
暫しして、開けられたドアから姿を見せたのは、同室者の和也の方だった。
「橋川?」
「興、まだいるよな?」
怪訝にする和也に純は尋ねた。
どうすべきか気持ちを固めることができた純は、本人を見ているうちにうだうだして言い出せなくなっては困ると思い、放課後にしようとした予定を朝に変更してやってきたのだ。
「いるけど……こんな朝からどうしたんだ?」
カミングアウトのことは興も言わなかったらしい。バラされては困るので助かることではあるのだが。
「ちょっと興に話があって」
「……興となんかあったのか?」
用件を伝えると、怪訝というより心配するような雰囲気が和也に表れた。
「別に何もないけど」
「そう? ならいいんだけど」
もしかして、そう思わされるくらいには興にも変化があったのだろうか。
「俺は、先に食堂行ってるから」
「ありがと」
「とりあえず、どうぞ?」
気遣いをした和也だが、中へと促す言葉にはなぜか疑問符が付いていた。先に食堂に行っているということだから、話す場所としてこの部屋を提供してくれるということではないのか。
中へ戻って行く和也に純も中へと入った。
「興。橋川が話しあるってよ」
部屋の中に入りながら、ベッドに腰掛けていた興に和也は言った。
「具合はもういいのか?」
顔を上げた興は、後から来た純に視線を向けると、開口一番から確認してきた。その声音は変わらずの淡泊さをしており、表情にも変化はない。
「ああ。おかげさまで」
純もそう返しておく。
「じゃ、俺は食堂行ってるから」
そこで和也が言葉を入れた。来訪者の案内と興にも伝えるために戻って来たものだったらしい。
「ああ」
興が返事をすると、入ってきたばかりの部屋を和也は出て行った。
「で、話って?」
和也がドアの外に消えると、興が先に開口した。
「一昨日のことを謝ろうと思って。あの時はごめん」
目的を伝えると、純は謝った。
どうすべきか考えた結果、夢と雑誌のせいにすることにした。気持ちを打ち明けるとすれば、興の恋愛事情をちゃんと知り、問題なさそうならばすることにしたのだ。
「別にいいけど」
興の口調は変わらなかった。あまりの変わらなさのため、何を思っているのか全く判断できないどころか読めもしない。
「そう? なんか俺、焦っちゃってたしさ」
「なんかじゃなく、しっかり動揺してたけどな」
「う……」
自分でもちゃんと分かっている。何故、あそこまで焦ってしまったのか自分でも疑念に思うくらいに。指摘を施すというより突っ込みを入れるように言われては言い返す言葉が出てこないというものだ。口達者ならば何かかしらは返せていたのだろうが。
「だって、それは……思ってもみなかったことが出たら、誰だって驚くだろ?」
それでも純は理由を思い出すと切り返した。
「思ってもみなかったこと」
一方、興は正面になるくらいまで顔を下げると、小さく呟いた。
「え?」
それは、聞き返してしまうほど、その間近にいる純にすら聞き取れないほどの小ささだった。
「いや、なんでもない」
興はそう返した。言いたいことがあるなら言ってくれればいいのにと思ったのだが、自分も隠していることがあることと失言防止のために言わないでおく。
「それで、もう大丈夫なのか?」
話題を変えるように、話を進めるように声音を変えると、興は顔を上げ直してきた。
「ああ、大丈夫。……なはず」
言い切ったものの、純は返答を追加した。
「はずかよ」
興の目が呆れた眼差しになった。
「いや、だってさ……」
言い切って、やっぱり駄目だったというのも嫌である。それなら、あやふやにしておいた方がいいと思い、言い直したのだ。
が、呆れてしまった興は、鼻から息まで吐き出した。純の思考回路はそんなに呆れることだろうか。それでいて、いつも通りの興と思えもするのだから、興にどんな印象を持っているか、恋心を自覚した後とあっては複雑にもさせられる。
だけれど、息を吐き出していながらも、それほど深く思っているわけではないようだった。
「まあ、いいけど」
そう言ったのだ。
「今日から部活は出るんだよな?」
それから再び質問を繰り出してくる。
「そのつもりだけど」
というか、もちろん行く。ただ、興がどう思っているのか、分かりきっていないことが少し不安ではあるが。
「そうか」
興はそれだけ言った。それから聞くかぎりでは嫌そうにしている雰囲気はない。偏見はないと言っていた通りに見える。
「……でも、ほんと、変なこと言ってごめん。まさか、あそこまで影響がきてるなんて思わなくて」
「別にいいって言ったろ」
改めて謝った純に、興も同じことを返した。ただ何か、不服という程ではないが、そのことに得心がいっていないような、彼の中で解決しきっていない何かがあるような、そんな雰囲気が興にはあった。
「そう言ってくれるなら、俺も安心だよ」
疑っているのだろうか。でも、それには気付かぬふりをして純は微笑を浮かべた。
「――そうか」
興は簡素に返した。その言葉をそのまま聞き入れたようにも聞こえるし、純の様子を窺いながら言ったようにも聞こえる。
「なんで昨日じゃなく今日なんだ?」
一呼吸分くらいの間をあけると、興は続けて尋ねてきた。
「え?」
が、触れられたくないことを触れられた気がし、純は思わず聞き返した。
「誤解を解くなら早い方がいいだろ」
誤解を解くという言葉にはずきりときたものがあったが、雑誌と夢のせいとすることにしたのだ。そう言われても仕方がない。
「昨日はずっと考えてたんだ」
純は言った。
「一日も?」
一日といっても、一日中考えていたわけではない。脳内を占めていたのはほぼ一日ではあったが、本格的に考え始めたのは放課後からだ。
「だって、大事なことだし」
今後の自分たちの関係が変わる可能性が高いのだ。時間はかけられないが、ちゃんと決めたかったことである。
「もし興が男もOKで受け入れてくれたとしても、その後に違ったってなっても困るしさ」
本当はそんな変わる心配はないのだが、そう言っておく。
「……そうか……」
それにしばし無言で見据えてくると、興は小声でそれだけ言った。
「それじゃあ、俺たちも朝飯食べに行くか」
それから、何か思案するような面持ちになったかと思うと、興はそう言葉を繋げた。
「え……あ、ああ……」
何が「それじゃあ」なのか。興は何を考えていたのか。一転したどころか話を終わらせることには、純は一瞬ついていけなかった。
けど、そんな純は気にもせず、立ち上がった興はドアに向かって歩き出している。
「…………」
純は後を追うように歩き出した。
(解決はしたんだよな?)
ついて行きながら、純は疑念に思った。別にいいと言うのだから、謝罪を聞いてくれたということであり、これまで通りの関係は続くということだ。
けれども、どうも解決したような感じがしない。興の気持ちが見えないからか。純の気持ちだけで終了になったからか。
純は、いまいち晴れない気分にさせられた。
□□□
水やりをしていた興は、ちらりと視線を横に動かした。
離れた所で同じ作業をしている純の姿が視界に入る。
部活となった今、ワンセットとして扱われるようになった興と純、それから視界には全く入っていない所にいる兼田の三人は、校舎周りの水やりをしているところだった。
今日は総出で水やりとなっていた。忙しさが一段落したことで、今日もそれだけとなったのである。他の二人は、顧問と別の場所にいる。
島山たちも横田たちを警戒しているとはいえ、興と純につくべき顧問が離れているのは、島山らでは衝突する確率があるからだ。それを防ぐために、顧問が不良側に付くことになったのだ。それで、無防備になる自分たちには、一番強いらし兼田が付くことになったのである。教師がいなければ結局は衝突する可能性があるように思えるのだが、兼田なら大丈夫らしい。
「…………」
今日、興はずっと考えていた。純のこと。自分の気持ちのこと。
一昨日、純への好意を興は知ることになった。
好きである以上、その気持ちを否定する気はない。
むしろ、そこまで好意を抱いたのかと、驚かされた。あんなに呆れてばかりいた相手だというのに。
だからこそ、謝られたことにはがっかりしたのだ。あれだけテンパっていたのだから、その中で発せられた言葉は間違いなく本音のはずだ。
なのに、影響――夢と雑誌のせいとしてきた。
だから、真意を探ろうと純を観察することにした。純ならどこかでボロを出すだろうと思い。
実際、怪しいと思えることがなかったわけではなかった。そもそも、謝るといいながら、困るといいながら、そんな様子は終始薄かった。言葉だけで言っているような感じだった。しかしながら、好きだという確証も得られることはできなかった。
一日、様子をうかがってもみたが、とくに何もなかった。それはつまり、夢と雑誌のせいは本当かもしれないということだ。謝りに来たのは一日空いてのことだし、その分、冷静に心情を分析することだってできたはずだ。純も大事なことと言っていたことから、そういう思いもあって導き出したことだとすると、言っていたことは本当だということになる。
けれど、興はいまいち納得ができていなかった。
テンパっていた時に言っていたことこそが、本音なのではないかという思いも抜けていなかったからだ。
だからといって、それに縋って気持ちを打ち明けることはしないし、不納得で追求するようなこともしない。本人の代わりに来た景一に言ったことが、純にそういう判断をさせたかもしれない思いもあったからだ。
それならば、文句を言えることではない。自分が曖昧な発言をしたのだ。その結果がこれに繋がっているかもしれないのだ。
しかし、景一に言ったことは本音でもある。
異性ならともかく、同じ男を相手に自分から告白したともなれば、相手からされたのを受け入れるより叱責は大きいはずだ。隠せばいいだけのことでもあるが、興にとっても苦手な校長に知られた時のことを考えると、自分から打ち明けるのは避けたい。叱られる時のことを考えると、好意を隠し、友人として付き合っていた方がいいとなってしまうのだ。
「三浦」
その時、名前を呼ばれるのと同時に肩に手を置かれたのは、本当に前触れがなかった。肩が跳ねるほど驚いてしまう。
「あ、わりい」
その犯人――いつの間にか背後にいた兼田は謝った。
「驚かすなよ」
後ろを振り向きながら興は非難した。
「別に驚かそうと思ったわけじゃねえよ。お前がぼーっとしてるからだろ。それに俺、何回か呼んでるしな」
「そうなのか?」
それは全然気付かなかった。周りから意識が外れるほど、そんなに考えに沈んでしまっていたらしい。
「どうしたんだ?」
次に聞こえてきた声は、そうなった原因でもある純の声だ。
見てみれば、さっきまで離れたところにいたはずの純が近くまで歩んできている。
「いや。こいつが俺のこと驚かすから文句言ってただけ」
自分たちのとこまできた純に興は述べた。
「それは、お前がぼーっとしてたからだろ」
それに文句を放ち返したのは、当然ながら兼田である。興の声音には不愉快な響きはなかったのだが、言われた兼田としては言い返したくもなることらしかった。
「なにか考え事でもしてたのか?」
対して、当事者でない純は、応酬そのものには何も示さずに質問をかけてきた。
「まあ、大したことじゃないんだけどな」
自分の気持ちはもちろん、純への不納得のことも言う気はない。兼田がいてはなおさらだ。だからといって、そこで言葉がなくなってしまうわけではない。
「純も島山たちに慣れてきたなって思ってな」
言葉を探す間も入れずに興は言った。思いついていたからではなく、しばらく前から思っていた事実である。
島山たちは喧嘩っ早いわけではなく、キレやすいというわけでもない。一般生徒に比べれば怒りやすくはあるし騒がしい奴もいるが、不良の中では静かな方だ。横田たちの仲間になっているから避けられているだけで、話も普通にできる。それは、自分や顧問、純で証明されている。もっとも、島山は純が嫌いなようだが。それでも話すことはするし、いじめも起きてはいない。小さな嫌がらせはあるが、ガキかと言いたくなるようなことで、純も対処でき始めている。マイナスイメージを持っている佐々木とも渡り合えてきているうえに、ここにいる兼田に関してなんかは素気なくあしらうことが増えてまでいるときた。
そんな状況を見ていれば、たった一週間近くでよくそこまで慣れたものだと感心させられる。
「そっち?」
「あ」
だが純からすると、興の発言は突っ込みたくなることだったらしい。不良と渡り合えるようにすると言っていたとはいえ、部員になった身として作業に慣れたと言われる方が嬉しいのだろう。そして、興の発言に反応したのは純だけではなかった。
「それ、俺も思った」
純と重なって賛同するように声を出した兼田だ。
「島山が嫌ってるのも物ともしなくなったし、佐々木を言い負かしたりするしさ」
「そんで、お前はあしらわれるようになったよな」
嬉々として純の状況を話す兼田に興も語った。それは、兼田にすれば水を差されたことと同じだったかもしれない。
「そうなんだよ。ぜってぇ、三浦のが移ったんだぜ」
気を落とすというよりも、テンションが下がったという感じで声質を落とす。そのくせ、その原因を人に押しつけてくる。
「移した覚えはないんだけどな」
自分も兼田をあしらうことは多々あるが、それは、くだらないことだったり鬱陶しくなったりした時だ。それ以外はちゃんと相手をしている。だいたいにして、それが出来るのも慣れたからだ。慣れなければ、不良相手にそんなことはできない。
「俺も移された覚えはないんだけど。でも、ちゃんと話してるだろ?」
純も同意見で返すと、フォローかなんなのか、違いの訂正もかける。
「エロ以外はな」
「当たり前だろ?」
至極当然といった顔と声音で、純は兼田の指摘に受け答えた。
「それ出されたら、からかわれるって分かってるんだし」
初めの方こそ、兼田の好みの話になっただけで戸惑っていたが、純とて学習し慣れが発生するもの。そちらへ話題を持って行きようものなら、あっという間に素気ない態度になってしまうように純はなっていた。とはいっても、全部できているというわけではないのだが。
「ちゃんとからかわれろよー。俺、つまんねえじゃん」
しかし、からかい相手として目をつけてもいる兼田にしてみれば、純の態度は不服でしかない。
が、純にしてみても、それは迷惑なことでしかない。
「知るかよ」
文句めいた口調で訴える兼田には、純も切り捨ててしまう。
だが、それで兼田の口が止まるわけでもなかった。
「んだよ。横田先輩たちが来ても、守ってやんねえぞ」
「それはちょっと困る。でも、エロも困るんだよな……」
困り気味にする純だが、横田たちのことよりも下ネタの方で声が弱まった。兼田の発言が冗談だったとしても、悩みどころが違う。それだけ困るということではあるのだろうが、純はやはり、〝純〟であるらしい。
「じゅんー、名前通りの奴めー」
それは兼田も思ったらしい。間延びした言い方でからかいを放つ。
「うるさい」
純は困じたようだった。名前を出されることは対処に困ってしまうらしい。
そんな純の反応は兼田の機嫌を良くしたらしく、いたずらげな笑いが上がった。
「でも、橋川ー」
けれど、その笑いもすぐにやんだ。それでも笑みは浮かんだまま発する。
「俺、お前のこと気に入ってんだかんなー」
「え?」
純は意外そうにした。見ていれば分かることなのだが、接点ができてまだ日が浅いといえる純には分からないことだったようだ。
「なんだかんだいって話しやすいし、からかいやすいしさ」
「……最後はよけいだな」
笑顔で好感を語る兼田に純は半眼になった。複雑そうにもするし、納得いかなさそうにもする。まあ、からかいやすさで気に入られれば誰だってそうなるだろうが。
「…………」
そんな一方で、興は不服にしていた。
何というわけではない。ただ気に食わないだけである。兼田が純を気に入ろうが気に入りまいが――いや、それで純が困るのも困るし、どうせなら気に入ってくれる方がいい。けど、今のこの状況は不満がある。それでいて、不満になる理由が分からない。謝ってきた時に言っていたことからすれば、純が兼田に惚れることはない。兼田が惚れても、純が受けるはずがない。そう思っても、自分の中で納得いかない何かがある。
「でも、なんか意外だな」
「いやいや、分かんだろ。俺、あいつらと態度違ってたよな?」
「ごめん。分からなかった」
「まじかよ」
興の内心に当たり前ながら気付いていない純と兼田は会話を続けている。何か分からない感情を抱いている最中とはいえ、純の、無関心というわけではないだろうが、気付かなさというか鈍感さには興も呆れさせられてしまう。だが、その片隅に、嬉しさというか良かったというか、喜色めいた感情が灯ったことを興は逃さなかった。
「…………」
だがそれで、このはっきりしない気持ちがなんなのか分かることにもなった。
やきもちだ。
自分は、兼田にやきもちを焼いていたのだ。まさかそんな感情まで抱くはめになろうとは。
恋心とは厄介なものだ。誰かに――和也しかいないが――相談する前に気付いてよかった。
が、同時に、やきもちを焼くだけ無意味だとも思わさる。純の謝罪通りなら、彼は自分に恋心を持っているわけではなく、付き合うということにもならないのだ。そんな相手の周りにやきもちを焼いてもなんの意味もない。
その無意味さと虚しさに、興は小さく、二人に気付かれないように鼻から息を出して溜め息をついた。
「島山」
道ばたの自分の担当区分の水やりを終えたちょうどその時、名を呼ぶ声がした。
「あ? んだよ」
この知った声は佐々木のものだ。そちらを向いた島山は、いつも通りではあるがぶっきらぼうに聞こえるだろう声で尋ねた。
「ちょっと、どうするのか思い出してさ」
「ああ……」
主語が抜けた佐々木の問いかけ方だったが、島山には分かっていることでもあった。
聞いた通りの意味で伝わっているかどうかも、そう尋ねられることも一つしかないので佐々木も伝わっていると理解していると分かっている。
「で? 決まったのか?」
「ああ。決めはした」
単刀直入な尋ねに、島山は告げた。
島山は、先日からあることで悩んでいた。その悩み事は佐々木と兼田にも伝えており、二人からはその場で二つ返事されている。その日から数日経ち、島山も決断していたのだが、まだ伝えていない状態だった。
「なんだ。なんで言わないんだよ」
「決行日ってのが決まってなかったんだよ」
だから、決断はしたが伝えていなかったのだ。
「なら、俺たちにも言えばいいだろ。俺たちも一緒にすんだから。それに、島山に任せっきりってのもよくないだろ」
「そうか……」
佐々木がそんなことを思っているとは思いもしなかった。佐々木は、他人に任せられることは任せてしまうので、協調性のある発言をしてくるとは夢にも思っていなかった。けれど、そう考えてくれていたということは、二つ返事は本物ということだ。
とはいえ、すぐにできることではない。
兼田がいないからだ。それに、安易な場所で話し合えることでもない。
「じゃあ、部活が終わったら話すぞ」
「分かった」
そこは佐々木もちゃんと分かっていることだ。異論も無く佐々木は承諾した。
□□□
就寝時間をとっくに迎え、室内からも電気が消されていた。
同室者も眠り、静まりかえった中、純は未だ起きていた。
布団の中に入ったまま、頭の下で手を組んで天井を見上げている。
けれど、眠れずにいたからではない。興のことを考えていたからだ。
興に変化は全くなかった。拒絶があるわけでも、気まずさがあるようでもない。偏見がないと言っていた通り、カミングアウトがあっても、それとも謝罪があったからか、なんとも思っていないようである。
嬉しいことであるが、内面が見えないことに、あわよくば、自分のことが好きで、あの謝罪が逆にがっかりさせているんじゃないか。それならばどうしよう、という良い方向での不安も過ぎっていたりする。
興がもっと分かりやすい反応をしてくれたなら、心が落ち着いていた今日のうちに告白していたのに――なんてことも思ってしまう。
小さく、良智がまだ寝入っていないことを考え、聞こえないよう本当に小さく息を吐き出すと、純は横を向いた。
今更になって、想いを胸に秘めておくことを選んだのは失敗だったかもしれないという思いが出てきていた。
隠したって、想いも自分の中で隠れるわけではないのだ。
そこで思い出したのは、以前みた夢のことだった。純に無駄なほどの意識を持たせた、興と体を重ねる夢。
以前のように動揺は感じないが、今は羨ましさがある。そういう事をしているということは、そういう関係であるということでもあるからだ。
現実になってほしいが無理な感じもする。
ならばせめて、夢の中だけでもと思う。
夢の中ならば両思いでいられるはずだ。
そう思い、純は目を閉じた。
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指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
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