純情なる恋愛を興ずるには

有乃仙

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未発達なボクらの恋

一 好きの気付き方

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「よ、はよ」
 食堂に向かっていると、別の階段からちょうど下りてきた景一と会った。
「おはよう」
「おはよ……」
 気兼ねない友人同士でやるような軽い挨拶に、純とその後ろにいた良智も返す。
「どうしたんだ、良智?」
 けど、気が沈んでいるような声音で良智が返したことに、景一は不思議そうにした。
「別に……」
 そうは言うが、トーンが落ちたままでは何かあるといっているようなものだ。景一は純を見た。
「純は普通だな」
「そりゃ、普通だし」
 ある意味当たり前のことだ。良智に何かあったからといって、その同室者までもがそうなるとは限らないことだ。
「なにあったんだ?」
 そのまま純へと景一は尋ねた。
「ちょっとトイレでな」
 さすがに純でも率直に言うのは憚れる。良智もどこまで意識しているか分からないため、純は控えめに言っておくことにした。
「トイレって……おいおい……」
「ああ、違う違う。俺が聞かれた方だから」
 何を想像したのか。発音の仕方から少なからず勘違いはしたようであることに、純は早めのうちに遮って訂正を施した。
「聞かれた? ああ。そういうこと」
 一体、トイレというキーワードから何が考えささったのか。景一は、聞き返すというより言葉を繰り返すと理解を示した。
「そういうこと」
「純でもそういうことすんだな」
 さすが同じ男。何をと言わなくても理解してくれた。ただ、感心されたのはいかなるわけか。
「俺も元気な男なんでな」
「お前からそんな言い方も聞くことになるとは思わなかったけどな」
 言って簡単に分かられるような言い方は恥ずかしさがあるので柔和に表現してみたのだが、何故かこれまた、引いてはいないが複雑にさせられたという雰囲気が景一に纏われた。景一は、自分にどんなイメージを持っているのだろうか。こんなことを言うのは似合わないのだろうか。
「ちなみに景一は?」
 どうしてそうなるのか分からなかったが、聞いても答えてくれなさそうな気がし、純は問うことをしない代わりに他者の事情を聞くことにした。
「うん?」
 それに、景一は聞き間違いをしたとでもいうような反応を見せた。
「景一に経験は?」
「――――」
 周囲に誰もいないこともあって少し直球に聞くと、景一は黙した。けど、数秒だけのことだ。
「もしかして、良智がこうなってるのってそのせいか?」
 景一が答えたのは、返答ではなく予測だった。
「たぶん」
 純は肯定しておいた。いや、たぶんではなく、間違いなくそうであろう。
「たぶんじゃないよ!」
 すると、それまで黙っていた良智が声を荒げてきた。
「もう! 割り切った純ってたち悪いよ!」
 実は、良智にも同じことを聞いていた。
新たな問題に自慰行為を聞かれたことをすっぽり忘れていた純は、良智と顔を合わせても、思い出しても気まずくならなくなっていた。それだけ、興の発言に安堵したことは大きくなっていたのだ。
 良智には割り切ったことだけを伝え、あとは良智の心の持ち方ということでその場はひとまず解決することになった。それが、昨日のこと。
 今朝になって、改めて確認してきた良智と会話を交わし、そこで良智も気持ちを入れ替え、しんに解決することになった。そうして、景一と同じことを聞いてきた良智に同じことを純は聞いたのだ。それが少々しつこかったらしく、良智は気を沈ませてしまった。そして、そのままの状態で部屋を出ることになり、今へと至ることになったのである。
 だが、それがたちが悪いと言えることなのか、純はいまいち分かっていなかった。良智だって困ることで食い下がることがあるというのに、なぜ自分だとたちが悪くなるのか。
「そうか?」
 よく分からず、純は疑問符をつけて返しておいた。


                 □□□


 生徒が読み上げる文章を純は目で追っていた。
 国語の授業。純は知らないが、教科書に載るくらいには有名らしい小説を、教師に指名された生徒が読んでいる最中である。
 教師がストップをかけた。次の生徒が示される。
 次は、興だった。
 口にされた名に、頬杖を突いて文章を追っていた純は視線を向けた。
 その先で、立ち上がった興が続きを読み始める。先の生徒と同じように感情の起伏はほぼなく、説明文も台詞も変わらずに読んでいく。
 純は、興を眺めた。
 思うことは、興が好きなのかそうでないのか。
 昨日、興と別れて部屋に戻ってから、純はそのことをずっと考えていた。
 好きか嫌いかと問われれば、好感があるので好きである。
 ただ、そこに恋愛感情があるかといえば、それが分からない。
 自身としては友人として好きと思っている。しかし、安堵したのは恋愛に関する会話をしていての時だ。友人として安堵するのはおかしいだろう。
 けれどもだ。昨日の保健室で、二人きりということに興を意識してしまっていた。安堵した時のことを思い出していたというのもあるが、それにしては、緊張するほど意識させられていた。
 異性や、好意や憧れを持っている相手ならまだしも、気兼ねなくなっただけの相手にあそこまで意識するなんて。感じた動揺も勘違いとしたが、もしかしたら、恋愛感情で意識してしまっていたのだろうか。しかし、純に恋としての自覚がないことから、意識しすぎていたための擬似的な恋愛感情によるものと考えることもできる。
 でも、自覚していないだけとも取れる。
 が、自覚がない以上、恋には結びつけにくいことだ。
 自分は、いったいどちらの感情を持っているのか。
「…………」
 こうして見ていても判断がつかない。分かるのは好感があることだけだ。
 と、純が思いついたのは、教師のストップがかかり、興が読み終えた時である。
 興と接触している時、その時に感じる心の動きを読み取ればいいのだ。
 部活では必ず一緒にいるし、感情も一番動くはずだ。まあ、よけいな者らともいることになるが、それは仕方がない。机上の空論めいて考えているよりはいいはずだ。
 そう決めると、純は放課後を待つことにした。


                  □□□


「純」
 放課後。鞄に荷物を入れていた純は、聞こえた興の声に内心どきりとして脇に来た興に顔を上げた。ちなみに、良智はそうそうに部活に行ってしまったのでもういない。今朝のことを未だに引きずってのことではなく、その事は、景一の初心うぶだなという発言で朝のうちに落着している。
「ああ、今終わったところだから」
 判断しようという思いはずっとあったとはいえ、不意の声にはつい驚いてしまった。けれど、動揺はなんとか表面には表さずに純は返した。鞄を閉じて立ち上がる。
「別に急がなくてもいいけど」
「見てのとおり終わったんだって、急いだわけじゃないから」
 勘違いをする興に純は椅子をしまいながら述べ返した。動きが速くなったわけではないのだが、興は何を見てそう思ったのか。
「そうか」
 興の返答はそれだけだった。
「じゃ、行こう」
「ああ」
 来た興ではなく純が促せば、それでも興は頷き、二人は歩き出した。
 それから興が話しかけてきたのは、廊下に出、並んで歩き出してからである。
「今日、もしかしたらやることがないかもしれないんだ」
「そうなのか?」
「あっても、少し居れば済むと思うんだよな」
「あれだけやることがあったってのに、もうないのか?」
 できる予定の休みがなくなる程やることが溜まっていたというのに、週が明けたとたんなくなってしまうとは。
「土曜に島山たちが一日出たらしくて、今日にやろうとしてたことも終わったんだってよ。だから、やることが少なくなったんだってさ」
 自分たちは終わっていなかった草取り、島山たちは顧問の補佐をした日だ。午前で終わった自分たちと同じく島山たちも午前で終了していたと思っていたが、そうではなかったらしい。
「んで、俺は行かなきゃなんないから行くけど、お前はどうする? 寮に戻るか?」
「いいのか?」
 興が行かなきゃならないのは部長だからだろう。その部長からそんな発言が出るくらい作業量がなくなったということでもあるのだろうが、温室に行く前に決めてしまっていいのだろうか。今日やることはすでに指示を受けているのだとしても、顧問の趣味の場となってもいる園芸部だ。その顧問によって、作業が増やされたり変えられたりすることだってあるかもしれない。
「ああ。もし、人手欲しかったら、そん時は悪いけど呼ぶし」
「だったら俺も行くよ。いちいち呼ぶのも面倒だろ」
 それと、分かれにくさもある。むろんそれは口には出さないが。
「電話すれば済むことだろ。――と、思ったんだけど、番号もアドレスも知らないな」
「なら、交換しないか?」
 電話と言って興が気付いたように、口にされた時には純もそのことに気付いる。
一週間も同じ部にいながら、連絡の手段が作られていなかった。クラスが一緒なので口頭で済むし、純自身も、興への意識やら夢のことやらですっかり彼方へと飛んでしまっていた。というか、この高校に来てから携帯をいじること自体が減った。友人が少ないというのもあるが、寮に入ったことが大きいだろう。
「そうだな」
 純の提案を、興は異論もなく受け入れた。
 自然な動きでポケットに手を伸ばす興に、純も携帯電話を取り出す。
 電話番号とアドレスを交換する。
 ちゃんと届いているか確認してみれば、新しい情報がきちんと入っていた。
 そのことに、口元に笑みが浮かぶ。
(――って、なに喜んでんだ、俺)
 そこで、純は内面の動きに気付いた。今、自分は嬉しく思わなかったか。いや、完全に嬉しく思っていた。
 授業中に決めたことを思いだし改めて考えてみるが、嬉しさだけでなく、笑みまで浮かんでいたことに気付いてしまう。
(…………)
 これは、どういった意味でのことか。
 意識しているからか。それとも、自然と笑みが浮かんだことから、もしかしたら――
(もしかして、そうなのか……?)
 見極めようにも、そう、思ってもしまうことだった。


 温室にはすでに島山たちが来ていた。
 島山はホースを使って植物に水をかけており、ここ一週間と同じく真面目な姿を見せている。
 それに対し、棚の前で椅子に逆向きに座っている兼田はまたアダルト雑誌を開いている。近づく前から分かったのは、その傍らに立っている佐々木が同じく見開きで見せている物を見ていることで力が抜かれ、中身がこちらからでも見えるようになっていたからだ。
「珍しいな。今日も来てるなんて」
 歩みよって行きながら興は感想を述べた。その際、佐々木は兼田に見せていたことで少し前屈みになっていた背を伸ばしながら、さりげない動作で手にしていた物を体の後ろに隠した。それが、間違いなく問題集であったことを純は見逃さなかった。
「わりいかよ」
 そう言ったのは島山だ。バレたくないことがバレて、逆にどこか不機嫌そうな声音になっている。
「別に悪くはねえけど。必ずサボるくせに、先週、一度もサボらずに来ておいて今日も来るなんて珍しくも思うだろ」
 興ははっきりと言ってのけた。佐々木の動きには一言も触れない。まあ、立ち止まった興に続いて隣で止まった純も口を閉じたままではあるが。でもそれは、興が何も言わないからだ。
「しばらくはここに来ておいた方がいいと思ってな」
 答えたのはその佐々木だ。いつも通りの口調と態度だが、隠したと分かっているからか、片腕だけ背後に回しているのは違和感がある。兼田は背もたれに頬杖を突き、雑誌は見開きのままぶら下げている。彼がそういったものが好きで、特に園芸部では話題に出すことが多いことを先週知ることになった。が、なまめかしいグラマラスな肢体は未だ刺激が強い。せめて閉じてほしいものだ。
「なんでだ?」
 雑誌のことは耐性がついているし、佐々木の動作の理由も知っているのだろう。興はどちらにも何も言わずに聞き返した。けれど、それは純も気になることだ。
「おいおい、忘れたのかよ」
 兼田は呆れた声を出した。
「今日から横田たちが復帰しただろうが」
 続けて理由を語ったのは、水やりが終わったらしい、ホースを片付けた島山だ。だがそれで、重要なことを思い出すことにもなった。
「ああ、そういえばそうだ」
 興も思い出したらしく、反応そのものは薄いが、緊張したような気配が表れた。
「呑気だな。お前が一番気をつけなきゃなんねえことだろうが」
 まだ近くなかったためか、歩み寄ってきた島山はそれに気付かなかったようだった。興は、特に横田に目を付けられている。さすがに謹慎明け当日にやらかすということはないだろうが、注意しないといけない相手だ。
「ちょっとそれどころじゃなかったんでな」
 呆れた島山に、興は訳があることを返した。きっと、昨日のことを言っているのだろう。焦りが強すぎたとはいえ、こうして冷静になってみると、昨日の自分はそこまでするかと思えることだ。半日足らずで解決したものの、もう、触れられたくもないくらい恥ずかしい。
「あいつらのこと忘れるくらいなんて、何があったってんだよ」
 追いかけっこは寮内から始まっていたのだが、島山たちは気付いていなかったらしい。まあ、純が疾走した時、廊下には誰もいなかったし、大声を出しながら走っていたわけでもない。部屋の中にいれば分からぬことだろう。
「お前らには関係ねえことだよ」
 興は答えることを断った。
「つうか、なんでここに来る方がいいんだよ。あいつらがやったこととお前らは関係ないだろ?」
 それから質問に転じる。が、それは純も気になることでもあった。ここに来る方がいいということは、顧問がいる方が彼らにとっても都合がいいということだ。絡まれたのは興と純だけだし、島山らもそれを選ぶ理由はない。
 いや、そういえば、島山たちもあの件に関わっていたのだ。
「もしかして、知らせたのがバレたとか」
 佐々木の話では、佐々木と兼田が見張っていて、その間に島山が教師を呼びに行ったということだ。もしそのことが横田たちに知られていれば、島山たちにとっても避けた方がいいことになる。
「ん?」
「あ?」
「ああ……」
 それに示されたのは、三者三様な感応だった。
「なんでお前が知ってんだ?」
 そして、最後の兼田の疑問は、興と島山の感応を言葉に表したようなものでもある。
 だがそこで、失言したことに純は気付いた。
「あー……」
「知らせたって、こいつらが?」
 しかし、気付いた時にはすでに遅い。興から質問がかけられている。
 関わったことは誰にも知られたくないことであることも純は聞いている。言っていたのは佐々木だが、他の二人も思っていることであることぐらい分かっていることだ。
「おい。どっから聞いた」
 島山から怒気が含まれた声音が飛んでくる。
「ごめん。それ、俺」
 それに謝ったのは、バラした張本人の佐々木だ。
「はあ?」
 理解不能。そんな感じの島山の反応だった。
「まあ、ちょっと色々あって」
 それに、佐々木は曖昧に返した。口外したことは仲間にも知られたくないことなのだとしても、腹黒な佐々木なら適当な言い訳ができるような気もするのだが。が、曖昧に済まそうとするわりには笑みもなく、バツ悪げなぎこちなさの方が佐々木には出ていた。それだけ秘密にしておきたかったことらしい。
「なにがちょっとで色々あんだよ」
 島山は不機嫌そうだった。佐々木の発言に厳しく指摘を施す。不機嫌になると、そんな些細なことにも敏感になってしまうらしい。
 対して、明確な発言はないものの、教師に知らせたのだと興なら導き出すことができるはずだ。興は意外そうな面持ちになっていた。
「コミュニケーションの成果かな? なあ?」
 そして、他人に知られたくなかったようなバツの悪さをしていた佐々木であったが、不機嫌を受けても結局は言い返せる言葉を持っていたらしかった。
「え? あ、ああ……かな……?」
 そのことにはさすがと思ってしまうが、そんなこと振られても困るだけだ。肯定するが、純は要領を得ない言い方になってしまった。ただ、彼との間にそう言えるだけの関係ができていないのは確かだ。
 が、それでは逆に怪しませることにもなってしまう。島山の目が胡乱げなものになっている。
「ちっ」
 続けて舌打ちするが、忌々いまいましげなのはどうしてか。自分だからか。嫌いな相手だからなのか。だから、そんなに気に食わなくなっているのか。それでいて、切り替えるのも早かった。
「とにかく、しばらくは来るからな」
 もっとも、切り替えたのは話題だけで不機嫌は戻っていない。
「まあ、俺は別にいいけど。でも、あいつらも同じ部ってのは忘れてないか?」
 心境はともかく、戻されたことで興も返すが、その口から放たれたのは大事なことでもあった。
「…………」
 島山だけでなく、兼田と佐々木も黙してしまう。
 安全対策に部活に来ることにしても、肝心の避けたい相手も同じ部に在籍しているのでは、その避けたい状況が起きる可能性だってある。幽霊部員ではあるが、まれに横田たちも出ることがあるからだ。
 だが、解決策を見つけ出すのも早かった。
「阿部といっからいい」
 不良を牽制する影響力が教師にはある。それゆえ、影ではなんてことにもなっているのだが、抑止力としての効果はまだ切れていない。
 この一週間は、横田たちが寮から出てこないので興も純も顧問とは別に行動していたが、復帰した今日からはなるべく一緒にいることになっている。島山らもその影響のもとで身を守るつもりらしい。
「ま、俺はどうでもいいけど」
 興の返答は無下だった。自分のことではなく、なおかつ、なんだかんだと言ってなるべくなら関わりを持ちたくない相手だからか。でも、全く無下にするわけでもなかった。
「とりあえず、今日は四時に来るって言ってたぞ」
 昼間にでも教えられていたのだろう。顧問の情報を興は伝えた。


                 □□□


 純は説明を聞きながら見つめていた。
 隣で、花の手入れの仕方を実演しながら説明している興の横顔。
 本来は手元を見なければならないところを、初めに取った作業を見る姿勢のまま、純は興の顔に視線を注いでいた。
 島山たちは、四時きっかりに来た顧問に、土曜に一日出てくれたので今日は休んでいいと言われ、横田たちの対策をしようとしていたわりにはさっさと帰って行った。
「分かったか?」
 興がこちらを見た。
「って、なに見てんだよ」
「興の顔」
 目線が違うことに気付いた興に、純も隠すことなく答えた。
「俺の顔見ててどうすんだよ。ちゃんとやり方見てろよ」
 もっともな窘めだが、それには純にも理由がある。
「いやあ、興の顔、きれいだなって思って」
「は?」
 が、興に意味が通じていない顔をされてしまった。
「美形だなって」
 言葉を変えて純は言い直した。きれいでは男向きではないかと思ったのだ。でも、それも正しいことでもある。整った顔立ちは、たとえ男でもきれいと言えるものだ。それをそのまま言葉にしたにすぎない。
「……はあ」
 興は、顔の向きを元に戻すと息をついた。目まで閉じられ、完全に呆れられてしまっている。
「なに?」
 何故そんな反応をされるのか純はよく分からなかった。せっかくの褒め言葉だというのに。説明を聞いていなかったのは悪いと思うが、賛辞ぐらいは素直に聞き入れてもいいのではないか。けれど、そういう溜め息ではなかった。
「いや、なに考えてんだって思ってな」
 そう言われ、純はそのことを認識することにもなった。
「……ん? そういえば、なんでそんなこと考えてたんだ? 俺」
 確かに興の顔を見ていたし、感想も口にした通りのことを思っていた。何をしている最中であったかもちゃんと分かっている。でも、いつから逸れた事に集中してしまっていたのか。自分のしていたことは理解していたが、言われて初めて、純は意識していた先が違っていたことを自覚した。
「知るかよ」
 見つめられていただけで内心など分かるはずもない興は呆れた口調のままだ。
「それより、もう一度説明すっから、今度はちゃんと聞いてろよ」
 呆れてしかいない興は、真面目に取り合う気がないようだった。怒る気力もないという感じで、興は本来のことに戻した。
「あ、うん。分かった」
 純も頷き、説明し直し始めた興に耳を傾ける。ものの、意識までしっかり切り替えることはちょっとできなかった。
「…………」
 なんだって興の方に集中していたのか。
 ――魅入っていた。
 そう思ってもいい意識の寄り方だった。連絡先を交換した時といい、これは、もう決まりだろうか。
 でも、いまいちピンとこなかった。本当にそうなのかという疑問が巡っている。
 抱いている感情と自覚している感情が違うからだ。この気持ちを解決させたくなってくるが、今は部活中だ。興に呆れられた直後でもあるし、部活を優先しなければならない。
 考えるのは部屋に戻ってからにすると決め、純は、意思を持って興の説明に意識を集中させた。


                 □□□


 部屋に戻った純は改めて考えていた。
 自分は、興が好きなのか。
 部活中の意識の仕方や、連絡先を交換して嬉しく思ったりしたことから考えれば、好きと思ってもいいかもしれない。
 しかし、肝心の恋心を感じていない。この際、相手が男だとか女だとかは置いておくとしても、恋をしたという感覚がない。恋という言葉もいまいちしっくりこない。もちろん、ときめきも感じない。
 ということは、恋ではないということにもなる。
 まさか、夢の影響が今なお続いているとでもいうのだろうか。
(…………)
 それも捨てきれないあたり、複雑である。でもそうなら、この勘違いの感情は消さないといけない。そんな偽物の恋心にいつまでも振り回されたくはない。
 しかし、勘違いだとするには得心しにくい心の動きがある。
 安堵したことと、連絡先を交換して嬉しく思ったことだ。
 保健室で二人きりになった時もいやに意識してしまっていた。
 あの気持ちはなんだったのか。
 まだ恋の経験がないので、親しみによるものなのか、恋愛観によるものなのかがよく分からない。
 誰かに聞ければ分かるかもしれないのだが。
 そういう思いが浮かんだところで、純は同室者の存在を思い出した。それと、景一。
 二人は恋人同士だ。恋心を知っている二人なら区別できるかもしれない。
 良智はこういった話が好きだとも言っていた気がするし、聞くには丁度いいかもしれない。
「…………」
 いや、丁度よくないかもしれない。確か、この手の話なると浮かれてしまい、恋絡みへと持って行く傾向があると注意を受けた記憶も甦ってきた。
 浮かれられるのはまあいいとしても、それで真意が分からなくなってしまうのは困る。
 となると、聞く相手は景一か。彼ならば、分からなかったとしてもまともな回答が返ってきそうである。
 時計を見てみると、もうそろそろサッカー部も部活が終わる頃だ。
 純は、帰りを待つことにした。
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指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
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