純情なる恋愛を興ずるには

有乃仙

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純情と非純情のあいまで

三-3

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 純は外へと出てきていた。
 林を横手に止まることなく走っていく。
 林が終わり、左右に道が分かれている所まできた純はそこで立ち止まった。片方は校舎、もう片方は温室などがある。
「ここまで来ちゃったけど……どうすれば……」
 困じるのはそこだ。
 多分、興は追いかけてくるし探しもするだろう。だが、興と顔を合わせるのは遠慮したい。もっと正確にすれば、落ち着くまでそっとしておいてほしい。
(……ここまで逃げなくてもよかったのかも……)
 純はそんな思いが過ぎった。先程の心理は、間違いなく逃げることだったため逃げても仕方がないことだ。でも、今の気持ちを素直に言えば、興なら待ってくれるのではないか。
 そう思ったのだ。が、またしても夢の映像シーンが流れ込んでき、会いにくさが引き戻されてしまう。
「あーもう! 出てくんなよ!」
 せっかく冷静さが出てきたというところでの映像復元には、苛立ちに似た感情も沸き上がってくる。純は頭を掻きむしった。最後に手のひらで頭を叩くと、肩を落として溜め息をつく。
「どうしよう……」
 そうしてなんとか気持ちを入れ替えれば、それに戻ってくる悩み。
 頭を抱える体勢になっていても仕方がないので純は姿勢を戻した。それから自分がきた方向を向く。興がどうなったかも気になったのだ。
 すると、離れたところに走ってくる人の姿があった。
 興だ。やはり追いかけてきたようだ。
 しかし、冷静さが覗いたとはいえ、悩むだけ悩んだだけのようなもの。興と顔を突き合わせられるまで気持ちが落ち着ききっていないどころか、ぶり返ってしまった。
 純は素早く左右を確認した。校舎方面に行くか。温室がある方面に行くか。逃げ隠れするにはどちらが適しているかなんて見当も付かないが、部活場所でもある温室には行きにくい。なら、行くとするのは一つしかない。
 純は、校舎側へ地を蹴った。

「あ。くそっ」
 それを捉えていた興は、早くも息切れを始めている吐息と共に吐き出した。

 再び全力で走り出した純は、そのまま校舎の前までやってきた。
 そこで速度を落とし、後ろを確認する。
 興の追いかけてくる姿はないが油断は禁物だ。寮から外に出てきても追ってきたのだ。逃げた方向も見られていたし、撒いたとは思わない方がいいだろう。
 隠れられる場所を探すため、純は早足に変えながら周囲を見回した。
 だが、校舎前には良さそうと思える所はなかった。身を潜められそうな所がないわけではないのだが、やり過ごせるか不安にさせられる。だからといって門から出るほどでもない。
 では、校舎の中に入るか。校舎ならば寮よりも広いし探すのも大変だ。しかし、校舎もいまいち気が進まなかった。これといった訳はないのだが、どうも入る気が起きてこない。
 それならばどこに隠れるか。
 浮かんだのは、『部屋』だった。
 自然に浮かんだその案にはそれだという思いが起きる。
 部屋に閉じこもっていれば、逃げることをしなくてもいいのだ。むろん、興に見つからないよう逃げおおせるという条件付きだが。だが、成功すれば、気を抜ける己の部屋で隠れていることができる。
 もう一度後ろを確認してみると、興の姿はまだない。完全に撒いたのか、諦めたのか。どちらにしろ、いないのならば今のうちだ。
 体力はまだまだある。冷静さも出てき……
「…………」
 た、とはまだ言い切れなかった。心情面を分析する純を裏切るように夢が反芻され、内心訂正をかけつつ、それなりに思考は回っていると判断する。
 気を持ち直すと、純は走り出した。

 そして、その興は校舎近くまで来ていた。
 だが、普段、運動しない体。体力が早くも無くなり、興は立ち止まることになった。膝に両手を突いて息をつくが、繰り返される呼吸は長時間運動していたように荒い。
 やはり、運動部じゅん相手では分が悪い。速さもだし、体力もだし、持久力にも差がある。しかも、こういう時にかぎっての後遺症不発だ。純にとってはいいことであるのだが、これでは自分が不利でしかない。
 こうなれば、良智が貸してくれた鍵を使って部屋で待ち伏せした方がいいかもしれない。
 そんなことを巡らしながら周囲に視線をやる。見回したところで純がいるはずないだろうが念のためである。
 思った通り、純は見当たらなかった。
 その代わりのように、親戚の弘基の姿を発見した。
 校舎裏であり校庭前。隣接する体育館に近い校舎の壁前にいる。そこにある花壇の前にしゃがんでおり、草取りをしているようだった。保健室の前辺りだけは暇つぶしにやってくれているのだ。だからといって、そのために来ているわけではないことは承知していることだ。部活が行われているからである。サッカー部は練習試合にでも行ったのか、校庭は静かだ。
 だが、発見したのは彼だけではなかった。なんと、木立の中から追いかけている存在が出てきたではないか。周囲を窺いながら、まるで、警戒している野生動物のようにゆっくりと歩み出てくる。
 弘基も気付いたらしく、声をかけられたらしい純が立ち止まる。
 しかし、目的の人物を見つけたことよりもだ。
「……えぇ……? もう、あんな、とこ……に、いん……の、かよ……」
 どこに行ったかなんて知らないことだが、まさか、あんな所から出てくるとは思ってもいなかった。しかも、ここからなら近くはあるが、出てきたということは、そこから出てくる行き方をしたということだ。ここから行って戻ってくるというような馬鹿な逃げ方はさすがに純でもしないだろうし、どう移動したのかはだいたい想像が付けられることだ。
 いくら、自分が早くもペースダウンしているとはいえ、あんな所まで着くほど移動しているということには、息がまったく整っていないながらも、言葉も耐え耐えに興は驚きを吐き出したくなることだった。

 寮ではなく、校舎の裏に純が現れたのにはわけがあった。
 体育館の横まで来た時、まず、興はどう考えて追ってきているのか疑問に思うことになった。
逃げる方向は見られていたので校舎方面まではくるはずだ。純が来たとおりに興もここまで来たとして、この後、彼はどう行動するのか。
 そんなことが考えささることになった。
 純と同じく寮に戻ることを考えるのか、そのまま探し続けるのか。
 そう思った時、興は今どこにいるのかも気になることになり、ちょっと確認してみようと純は思った。興に見つからないよう戻る必要があるため、確認できた居所によっては行動を変えねばならなくもなる。
 そういう思いもあり、体育館側に広がる木立の中に入った純は、そこから出ることになったのだ。
「橋川?」
 周囲を窺いながら木立を出ると、怪訝げな声が近くで聞こえ、純は手前に瞳を戻した。
 すると、西町がいた。周りばかりに意識が向いていたので、こんな近くに人がいたとは気付かなかった。
「先生。何してるんですか?」
 だけれど、保健室の先生というには違うんではないかというのを目にすることになり、純は質問をかけた。
 手袋を嵌めている彼は花壇の前にしゃがみ、脇には草の入ったバケツを置いていたのだ。
「見ての通り、草取りだ」
 西町は立ち上がりながら言った。
「はあ」
 そういえば、保健室前の花壇は指示があるまでしなくていいと言われていた。こういうことだったらしい。だから、保健室にじょうろなんてものもあったのだ。
「お前はなんでそんな所から来るんだ?」
 次は、手袋を外しながら西町が怪訝に尋ねてきた。
「まあ、ちょっとあって」
 興から逃げているとは言いづらすぎる。
「興は一緒じゃないのか?」
「ああ、まあ。今日は部活休みなので」
 興をなるべく一人にさせないようにと思い園芸部に入ったが、休みの日まで一緒にいるというわけではない。変わらぬ距離でいる友人もいるわけだし、四六時中いるわけにはいかない。そして、早く行きたい。興はどこにいるのだろうか。
「休みなのに校舎まで来てるのか」
 相手の考えが読み取れないという顔を西町はした。興が関係していなければ、純の行動は怪訝にさせられることらしい。まあ、暇つぶしで部活をやるような輩でない限り、休みにわざわざ校舎まで来る者はいないだろう。
「…………」
 けれど、言いにくい内容であることに、純の反応は曖昧なものになってしまった。けれども、西町は怪訝にするわりにはそれほど気にも留めていないようで、純のそんな反応にもそれ以上の怪訝は示さなかった。散歩でもしていたと思ったのだろう。
 と、純は気付くことになった。
 西町の後方、こちらにやってくる人物がいる。なにやら疲弊しきって走るのもままならないような遅さで駆けてくるが、そんな走り方は一瞬で気にならなくなっている。なにせ、その姿が自分を追っていた存在だったからだ。
「橋川」
「え?」
 僅かだがそちらへ意識が移っていた純にとって、目の前から呼ばれたことは不意なことだった。
「暇か?」
「暇っていうかなんていうか……」
 この時、暇ではないと言っておけばよかったのだ。だが、興を見つけたことで早くこの場から去りたい気持ちに駈られていた純は、他のことまで考えが回らなくなっていた。
「なんだ、暇で校舎に来るくらいうろついてたんじゃないのか?」
 なので、そう西町からそんな疑問を受け、純は返答に悩むことになってしまった。加え、逃げたさに落ち着きがなくなってきてもいる。
「あー、その、なんていうか……」
 とはいえ、今から言い直しても、その理由や、何より純の行動について怪しまれるのではないかという心配が一瞬で駆け巡ることになり、純は言葉に迷うことにもなってしまった。だからといって、知られたくないことを説明する気など起きるはずもなく、言う選択は自然と削除されている。その一方で、逃げたい気持ちも強く、焦りを見せないよう迷いながら片足をそれとなく引いていたりする。
 ちらりと正面から視線を動かしてみれば、興がさらに迫ってきていた。純ならばもうとっくに到着しているのだが、走るのを辛そうにしているぶん時間もかかっている。というか、もう走りになっていない。それでも着実に近づいてきており、早く逃げないとマズイ位置だ。
「なんだ、はっきりしないな」
 純が視線をやる先に背を向けることになっている西町は、背後にいる興に全く気付いていない。当然、純の態度の訳も知らない。
「まあ、いい」
 けど、西町は気にしないことにしたらしかった。
「手伝え」
「え? いや、でも……」
 さすがにそんなことをしたら興に捕まってしまう。
「そろそろ職員室に行かないといけなくてな。俺が行ってる間、やっててほしいんだ」
「いや、でも……」
 それなら、戻ってきてから続きをやればいい。わざわざ手伝わせるほどでもないだろう。どうせ、見る者なんてほとんどいないのだろうし。
「なんだ。不都合なことでもあるのか?」
「ま、まあ……色々と」
 怪訝にする西町に、純は誤魔化そうとした。焦りも大きくなってきている。早く逃げないと興に辿り着かれてしまう。
「何が不都合だっていうんだ」
「あー、えと、その……」
 西町にしてみたら、うろつくくらいだから時間が空いているだろうと思っているのだろう。興の件がなければ実際そうだし、手伝いも断っていなかった。
「……!」
 それより、気になる西町の後方に視線を動かせば、もう着いたと言っても過言ではないくらいすぐ近くに興の姿があった。
 咄嗟に、純は踵を返しながら地を蹴った。しかし、反射的に動いた西町の手に掴み止められてしまう。
「……!」
「ん?」
 声にならなかった驚き声が上がる。対し、西町はそこでやっと、興の存在に気付いた。
「興」
 さすがに脇まで来れば気付くだろう。けど、かけた声が聞こえていないんじゃないかというほど、興は無反応だった。一方、手を払おうと振り向いた純は、目の前に迫っていた存在に動きが止まる。
 そんな純の裾を、西町の存在にすら気付いていないんじゃないかと思うほど通り過ぎて近づいた興は掴むが、そのまま力なく滑り、芝生の上にへたり込んでしまった。
「興……?」
 掴まれて焦った純だったが、そこで興の呼吸の荒さに気付くことにもなった。
 肩の上下が激しく、呼吸がまともにできていないんじゃないかと思えるほどの荒さには、逃げることよりもさすがに心配の方が出てくる。
「すごい息切れだな。大丈夫か?」
 その様子には、西町の声音も真面目なものになった。やっと手を放し、興の横にしゃがむ。
「……じゅ……の……」
 「純の」と言おうとしたのだろう。まったく整わない息の荒さのため、興はまともに発することができていなかった。一語だけだろうが、呼吸の合間に語句を入れるだけでも苦しそうで、声音も掠れている。
「ああ、喋んなくていい。まずは落ち着いてからだ」
 西町の言うとおりだ。呼吸の荒い状態でムリに喋らせでもしたら、逆に呼吸困難になってしまうのではないかと思わせるほどだ。
 西町の言葉を受け、興は言うことを聞いたようだった。荒い呼吸を繰り返す。
「だ、大丈夫か?」
 だが、大抵の者ならそろそろ落ち着き始めてもおかしくない頃になってもなかなか収まらない様子に、純は心配とも不安ともつかない気持ちになった。西町と同じく片膝を突く。
「こいつは、お前のように運動してこなかったからな。体力がないんだよ」
「……そうなんですか……」
 それは意外だ。勉強も運動もそつなくこなせそうな格好良さなのに、体力がないなんて。それなのに、こんなになるまで追ってきていたのか。
「これが原因か?」
「え?」
 興の様子を見ていた純は、脈絡なく振ってきた事柄に顔を上げた。
「部活が休みなのにここまで来てたの」
 西町は言った。
「そんで、興がこうなってるのはお前のせいだろ」
 続けて二つ目を推測する。
「…………」
 正解だった。推測できないわけではないのだろうが、知られたくないことを知られてしまったことには純も言葉がすぐに出てこなかった。
 一方の西町は、推測はしたが追求する気はないようで、興に視線を戻した。
「もうしばらくかかるな」
 興の様子から判断をする。やっと落ち着いてきているが、呼吸の間隔はまだ短めだ。
「興、立てそうか?」
「…………たぶん……」
 少しの間を置いて、興は呼吸の間に言葉を入り込ませた。まだ弱いが、先程よりもしっかりと発せている。
「じゃあ、あとは保健室で休め」
 興の応答に、西町は場所移動を指示した。
「橋川」
「はい」
「興を保健室に連れてってくれ。俺の手、汚れてるからな」
「あ、はい。分かりました」
 純は引き受けた。手袋をはめていたとはいえ、汚れる時は汚れるのだ。
 立ち上がる西町に続いて純も立ち上がる。
「ああ、それから、橋川」
 歩き出した西町だったが、数歩進んだところで用件があるとでもいうように振り返った。
「はい?」
「興が回復するまでお前もいろよ」
「え? でも……」
 純は躊躇った。興が落ち着いてきたことで純の心配も落ち着いてき、それまでのことを思い出してもいたからだ。連れて行くのは良しとしても、回復するまでいるのは気が引ける。
「なんで追いかけっこなんかしてたかは知らんが、いつまでもしてたって仕方ないだろ。早く解決するよう努めろ」
 西町の中ではそれなりに自分たちの状況がまとめられているようだった。居ろというのもそのためのようだ。
「…………」
 だが、純とて分かっていないわけではない。逃げていたって解決することではなく、こうなるまで追いかけてきた興の気が収まるわけではないだろうことも想像ついている。
 だけれど、純の心が平静ではない。本人に言うのも未だ気まずいし、告白する準備なんてのも整っていない。
 だが、この時がその時なのかもしれない。
 これから保健室に行く。そこで打ち明ける方が、今日以降に打ち明けるよりもいいのかもしれない。
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指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
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