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キズは自分にしか分からないこと
四ー2
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□□□
朝食を終え、部屋に戻った純は、昨日やっていた宿題の続きをしていた。
部活も決めなければならないのだが、ひとまず後回しである。教師に大目には見ないと忠告を受けたこともあり、部活よりもこちらが優先だろうと思ってのことだ。
高校生になって、成績キープのために自主的に勉強をすることはあったが、宿題が出されたのはこれが初めてだった。
この学校は、勉学に力が入れられており、さりげなく宿題が多いという。今は大会が近づいてきているので少ないが、部活に忙しさがなくなれば、宿題も増えるのだという。
前の学校から離れればいいと思い、まともに情報を得ることもなく親が決めた条蓮高校へ入ったが、知られているだろうことも、後から後から明らかになっていっているような気がする。はっきりいって、この学校のレベルというのすら分かっていない。それどころか、全寮制と教えられるまで、この地域に全寮制の高校があることすらも知らなかったという始末だ。思い切って色々聞いてみるのもいいが、すごいことが出てきそうである。
ただ、今いえることは、勉学に力が入れられているわりには、それとも、復習を兼ねている宿題だからか、出された問題はそれほど難しくはない。
順調に解いていると、ふいにドアをノックする音が耳に届いた。
条件反射のように顔を向けるが、見たところで、壁で隠れているドアはもちろん訪問者も見えない。
純は立ち上がった。
歩み寄って行く最中、もう一度ドアが叩かれる。
ドアを開けると、純にとっては意外な人物がいた。
私服姿の養護教諭である。腕には白衣を掛けており、これから仕事であろうことを窺わせる。
「先生。どうしたんですか?」
さらにドアを開け広げながら純は尋ねた。
寮の管理担当として、教師が二人担当することになっている。西町はその内の一人である。
「橋川、部活は決めたか?」
「まだです。宿題終わったら考えようと思ってました」
聞かれ、純は質問への返答と予定を答えた。部活決めは一週間となっており、週末開けには入部届けを出すよう指示を受けていた。つまり、明日が最終期限だ。
「これ、用紙な。出すのは担任か、その部の顧問に出してくれ。俺はこれを頼まれただけだからな」
「はい」
入部届けの用紙は後から渡すと言われていたが、部を決めることだけですっかりそのことじたい忘れていた。
言いながら差し出された紙を純は受け取った。B5用紙の半分くらいの大きさで、名前の他に、入部希望、理由を書く欄、注意事項だろうの文章が書かれているだけのものだった。
「良さそうなところはあったか?」
「いえ。悩んでしまうところばかりで……」
「そうか。ま、いいところはあるだろうし、足のこともあまり気にする必要はないと思うぞ」
西町に足のことは話してある。悩んでいれば、足が関係しているかもしれないぐらいには察せているかもしれない。けれど、正しく当ててしまった発言には、見透かされているような感覚にもさせた。
「でも、やっぱり気になるし、足のことを考えて選びたくなります」
隠すことなく、純は気持ちを打ち明けた。いくら受け入れてもらえたとはいえ、抱えているものが全て消えたわけではないのだ。
「でも、いつかは向き合わなきゃならないだろ」
「…………」
それを聞き、純はそのことに初めて気付いた。
いや、後遺症と共に過ごさねばならないことは分かっていた。
だが、嫌がり続けていても、それは受け入れていることにはならない。それを認めることで、本当に受け入れたと言えることになるのだ。
そのことに、今、気付かされた。
なので、向き合うというのも、後遺症をどうのこうのするのではなく、受け入れるために向き合うこと。
後遺症と過ごさねばならないと分かっているなら、生活の一部として取り入れなければならないことであるのだ。
取り入れる――受け入れてしまえば、嫌がり続けるよりは、気も抜けて生活を送れるのかもしれない。
「どうした?」
「あ。いいえ、なんでもないです」
「……ああ……まあ……」
いまさら気付いたというのもなんだか抵抗を感じ、答えるのを遠慮した純だったが、それをどう受け取ったのか、西町もまた、気まずげにした。
「そりゃ、簡単には受け入れられないことだろうが……まずは、ここの生活に慣れていくことからだな」
どうやら、自分の発言が、生徒の気持ちを考えていないものだと思わせたらしかった。
「ああ、そうじゃなくてですね」
じゃっかん慌てて、純は受け取らせた意味を否定した。
「そうしなきゃならないんだってことに、気付いたんです」
純は語った。
「分かってはいたんですけど、受け入れたくない気持ちの方が強くて……こんな足でずっといるのは嫌だって思ってたんですけど、実際こうなってるわけだし。ちゃんとこのことを受け入れなきゃならないんだって。そのことが分かったんです」
純は思ったことを、そう言葉にまとめた。
「……言うのは早いかと思ったけど、そうでもないみたいだったな」
西町の口元が緩んだ。けどそれは、言っても大丈夫だったことへの安心というより、こちらの心の動きに対してのもののようだった。
「打ち明けたのがよほど効果的だったようだな」
その訳を、西町は三日前のことだと取ったようだった。でも、そうかもしれない。受け入れてもらい、気持ちが軽くなった分、前向きに考えられるようになったのかもしれない。気持ちが軽くなってから、なんだか視界も明るくなった気がするし、捉え方もそれまでと少し変わった気がする。
「みたいですね」
なんだか気恥ずかしくなり、純は苦笑した。
西町も、意味を変えた笑みを小さく浮かべると、話を進める。
「入っても部活は変更可能だから、もし無理そうだったら相談しろ」
「……はい」
彼は気にかけてくれていたのだろうか。打ち明けられた教師としてはそうしなければならなくなるのかもしれないが、頼ってもいいのかと思う。
「それじゃ、いいとこ見つかるといいな」
「はい」
返事をすると、西町は去って行った。やはり仕事だったのか、歩きながら白衣をはおる。
部活のことで気が重くなっていた部分があった純だったが、心持ちが軽くなった気がした。
□□□
純は外に出てきていた。
宿題が終わったので、部活を決めるために出てきたのだ。部屋で考えないのは、今日も活動している所を訪ねるためである。
活動とはいっても、個人が暇つぶしで行っているもので、部活動とはいえないらしい。それでもやることは部活動と同じ内容なため、はたから見れば活動していると思えるものだ。けど、本人達にしてみれば、暇を潰すために来ているもので、活動する気構えはないのだという。当然、顧問もおらず、気楽に遊んでいるということだ。
そうやって休日を過ごす者達がいることを昨日の見学の時に当人から聞き、誘いをかけられたこともあって純は訪ねてみることにしたのだ。
にしても、いくら気構えがないとはいえ、暇つぶしで校舎まで来て部活と同じことをするなど、敷地内に寮を持っている全寮制ならではだろう。
「ん?」
そうして、校舎近くまで来た時だった。
純は立ち止まった。
その瞳が向いている先は、校舎の周りにある木立の一つ。その、奥だ。
そこは、校舎裏の一角で、道の脇であり、芝生に少し入った所にある、密集した木々に遮られている所だ。木立の向こうにあるはずの校舎の壁もほとんど見えない。
だけど、立ち止まったこの位置からは、人影が見えていた。遠目にいる人物がちょうどよく、木と木の間に嵌まっている。
この位置だからこそ見えるようなものだ。一歩でも横に動かれれば隠れてしまう。
そしてその後ろ姿は、純には興に見えた。
その予想は間違っておらず、横を向いてくれたことで興であることが確定する。
そこでふと、純はあることを思った。
他人から見た場合の自分の部活のイメージとはどんなものか――ということだ。
最終的に決めるのは自分だが、やはり悩んでいるわけでもあり、決断するための参考にはなるかもしれない。
その考えから決定に至ったのは、ごく短い時間のことだった。
決めると、純は木立の中へと入った。
訪問は、午後でもでき、行く約束をしていたわけでもないので寄り道をしたところで問題はない。
木立を抜けると、芝生の空間になった。木々と校舎の壁に囲まれており、近くにある校庭もほとんど見えず、周囲から死角になってしまっている。
そして肝心の興は、壁の前にいた。
足下には花壇があり、それへの水かけをしている。こんな所に一人でいるのだからプライベートではないだろうとは思っていたが、園芸部は休み関係なく活動する部なのだろうか。
「興」
そんなことを思いながら歩み寄って行くと、純は声をかけた。
すると何故か、気の抜けた声と共に顔を振り向かせた興は、こちらを認めるなりうんざりげな顔へと変わった。
「どうしてお前は、いちいち来んだよ」
体ごと振り返ってくれるものの、口にしたのも迷惑そうにしたものだった。そっちこそなんでそんな態度なのかと思ったが、不良に目を付けられていることで他人と距離をあけていることを思い出した。
「興を見つけたら、ちょっと思いついたことがあって」
だからといって、せっかく来たのに何も聞かずに去るのもなと思い、純は用件を成すことにした。
「なんだよ」
感情を変えることもない興に、純は聞いた。
「俺、どこの部が合うと思う?」
「はあ?」
もしかしたら、純は興を呆れさせるのが得意なのかもしれない。むろん、純にそんな意識はない。だが、一週間足らずで、基本的に淡泊であるらしい興に呆れを多く与えるのは、今後も純だけであろう。
今も、こいつは何を言っているんだという表情を興は盛大にしている。
「部活、決めかねててさ」
「んなの、知るかよ」
それを見なかったことにして困り気味に訳を語るも、興の目が呆れ一色になる。それはまあ、興にしてみたら知ったこっちゃないことだ。けど、決めかねている純としても、他人のイメージが気になるところだ。
「漠然でもいいからさ。俺、なにが似合いそう?」
「……って、言われてもなあ……」
もう一度求めると、興の面持ちが困じたものに変わった。迷惑そうにしながらも、頼んだら頼んだなりに応じてくれるらしい。いい奴というか、優しい奴というか。
「運動系は嫌なんだろ?」
「ああ」
そう言うということは、運動が似合うということだろうか。
「……どこが似合うかなんていまいち分かんねえけど、横田たちがいなけりゃ、園芸部誘ってるんだけどな」
悩むと、興は求めたものとは違う意見を答えとした。
人数がいても、まともに活動しなければいないのと同じだ。管理するところに対して動いている数が少ないと、顧問でなくとも人手不足を感じるようである。けれども、不良の存在は他の生徒を寄せ付けない。そして、不良の中でも一番の脅威となるのが、出された者なのだろう。
「ふ~ん」
それに応じた、感心したようにも聞こえた声は純のものではない。
「お前、俺のいないところではそう呼んでんのか」
声がした方を見てみると、五、六人くらいの生徒が近くにいた。先頭には横田がいることから、おそらく三年の不良メンバーだろう。
声が聞こえた時、純が振り向くよりも先に興がびくりと反応したが、誰の声か分かったからだったのだ。
「ん?」
近づいてくると、横田は興の肩に手を置いた。
「…………」
一方の興は、一変して表情が硬くなってしまっていた。先輩のというだけでなく、自分に絡んでいる不良のリーダーを呼び捨てにしているのを聞かれたのだ。さすがに気まずい以上の緊張をしてしまわずにはいられないだろう。
「お前、転校生だろ」
「三浦の股間、好きなんだってな」
「ち、違います!」
純は力強く否定した。どうしてアクシデントがそんな解釈になっているのか。今朝、横田にも見られたし、仲間に何か言ったのだろうか。
「そんなんじゃありません!」
「嘘つくなよ」
「好きなら行けよ。ほら」
「うわっ」
だが、彼らがそれでそうなのかと、素直に納得してくれるわけがなかった。背中を押され、純は目の前にいた興と接触、押し倒しながら転倒してしまった。
「なにすんだ!」
それにはさすがに純も怒りが沸いた。相手が上級生だろうと怒鳴る。
しかし、その怒りはすぐに冷めることにもなった。
誰かが何かをしたわけではない。純自らが気付いたのだ。
今朝、転んだ時に感じたのと同じ予感に、高ぶった感情がいっきに引いていく。
身を起こしながら怒鳴った純が突いたその手。その下にある、柔らかい感触は――
純は、顔をそちらへ下ろした。
案の定、上体を起こしかけている興の中心部に、手が、突かれていた。
「悪い!」
反射的に、純は手を放した。
そして、それを目撃した不良らが取り合わないわけがない。
「やっぱ好きなんじゃねえか」
「偶然でも、さすがに三回も続くわけねえもんな」
「………」
正確にはこれで四回目だが、そんなことを言えるはずがない。言ってしまえば、この不良らのいい絡み相手になってしまう。
だが、四回目という言葉を飲み込んでいるうちに、事は急激に進むことになった。
「そんなに好きなら、ヤっちまったらどうだ」
「は?」
純の脇にしゃがんだその不良の発言に、純は意味が伝わってこなかった。いや、意味は伝わっている。その発想になる訳が理解できなかったのだ。
「ちょ、なにすんだ!」
突然、両肩を左右の背後から押さえられ、純は声を荒げた。体を揺らすが押さえる力の方が強い。
「……!」
しかも、力が加わったのは純だけではなかった。
「はなせ……!」
いつの間にか興の背後に回り、花壇の縁に腰掛けていた横田がその体に腕を回し、腕ごと興を押さえ込んでいた。興も身長があり、男子生徒としての体躯もあるはずだが、年の差なのかなんなのか、横田の方が上回っており、興の動きを封じてしまっていた。
「お前が準備しなきゃ、始まんねえだろうが」
「なっ……」
横田の発言に興は言葉を詰まらせた。動きまで止まってしまう。だが、それも一時のことだ。別の不良がさらに押さえ、興は暴れだした。
「…………」
純は信じられない気分にさせられた。
彼らは本気なのか。でなくとも昨日、興に迫っているのだ。なのに、今日も強いろうというのか。
「や、やめ……!」
嫌がる興は、怯えも含んでいた。
「暴れんな」
見ていても力を強めたと分かるくらい、横田は興を腕の中に押さえこんだ。けれども、逃れたい興がそれで抵抗をやめるわけがない。
「暴れるにきま……っ」
「うるせえよ」
必死で逃げようとするも、反発の言葉も中途半端に口を塞がれてしまう。
「休みでも教師どもが来てんだから、大人しくしてろ」
「うう……」
けっこう力があるらしい。口を塞いだことで、片腕で興の体を押さえることになった横田だが、抵抗をやめない興をがっちりホールドしてしまっている。花壇に腰掛け、体格が勝っている分だけ被さるようになっていることが、抵抗を封じ込めているということもあるかもしれない。それでも、小柄というわけではない体を押さえ込んでいるのだから、それだけ力があるということだ。他の二人は、準備とやらを始めている。
「なに考えてんだ!」
純は叫んだ。本気でするつもりのようであることに、自分もよりいっそう抵抗する。
「暴れんじゃねえよ」
「お前が突っ込まれるわけじゃねえんだからいいだろうが」
「そういうことじゃないだろうが!」
押さえつけてくる三年に怒鳴り返すが、純も焦っていた。このままでは彼らの思う通りになってしまう。
「どうする? 突っ込ませるか?」
「それじゃあ、もったいねえだろ。しゃぶらせろ」
「そうだな」
一方、興を押さえている方でも話を進めていた。
「ふざけんな!」
完全に自分たちの尺度だけで応酬を行う三年に、今度はそちらへ純は怒鳴った。
だが、頭に置かれていた手が力を加えてき、純は芝生に両手を突いた。そうなれば、興の体はもう目の前だ。
「俺たちはお前のためにやってんだぜ?」
「ありがたく思えよ」
「思うか!」
それどころか、善意のない笑みは、ただ楽しんでいるようにしか見えない。
さらに頭を押され、純はさらに焦った。
身動ぎしているだけになっている興に近づき、歯を食いしばって抗う。だが、上から押される力の方が優勢だ。
「お前ら! 何してるんだ!」
その時だ。怒声が響いたのは。
反射的に三年がそちらを見ると、木々の間から走ってくる白衣の姿があった。養護教諭だ。その後ろには園芸部の顧問もいる。
「やべっ」
「逃げろ!」
二人の教師の姿に、三年は慌てて逃げ出した。
しかし、意外にも近くまで迫ってきていたことに、一番逃げだしにくい体勢にいた横田が西町に捕まり、別の一人が顧問に捕まる。むろん、捕まりたくない彼らは抵抗するが、教師らも逃がすまいと力強く押さえ込んでいる。
「…………」
その攻防戦を、純は呆然ぎみに眺めた。その傍らでは、興が寛げさせられていたズボンを急いで直している。
その間に、教師と生徒の勝敗は決まりつつあった。
力があっても子供と大人の差なのか。それとも、やはり力の差なのか。横田は地面に押さえつけられ、顧問に押さえられていたもう一人は逃げ出してしまう。
だが、誰であるか知られた以上、残りの者達も逃げることはできない。
しかしこれで、迫っていた行為から逃れることができた。
遅ればせながら、危機が去ったことを自覚した純は、安堵の息を吐き出した。
朝食を終え、部屋に戻った純は、昨日やっていた宿題の続きをしていた。
部活も決めなければならないのだが、ひとまず後回しである。教師に大目には見ないと忠告を受けたこともあり、部活よりもこちらが優先だろうと思ってのことだ。
高校生になって、成績キープのために自主的に勉強をすることはあったが、宿題が出されたのはこれが初めてだった。
この学校は、勉学に力が入れられており、さりげなく宿題が多いという。今は大会が近づいてきているので少ないが、部活に忙しさがなくなれば、宿題も増えるのだという。
前の学校から離れればいいと思い、まともに情報を得ることもなく親が決めた条蓮高校へ入ったが、知られているだろうことも、後から後から明らかになっていっているような気がする。はっきりいって、この学校のレベルというのすら分かっていない。それどころか、全寮制と教えられるまで、この地域に全寮制の高校があることすらも知らなかったという始末だ。思い切って色々聞いてみるのもいいが、すごいことが出てきそうである。
ただ、今いえることは、勉学に力が入れられているわりには、それとも、復習を兼ねている宿題だからか、出された問題はそれほど難しくはない。
順調に解いていると、ふいにドアをノックする音が耳に届いた。
条件反射のように顔を向けるが、見たところで、壁で隠れているドアはもちろん訪問者も見えない。
純は立ち上がった。
歩み寄って行く最中、もう一度ドアが叩かれる。
ドアを開けると、純にとっては意外な人物がいた。
私服姿の養護教諭である。腕には白衣を掛けており、これから仕事であろうことを窺わせる。
「先生。どうしたんですか?」
さらにドアを開け広げながら純は尋ねた。
寮の管理担当として、教師が二人担当することになっている。西町はその内の一人である。
「橋川、部活は決めたか?」
「まだです。宿題終わったら考えようと思ってました」
聞かれ、純は質問への返答と予定を答えた。部活決めは一週間となっており、週末開けには入部届けを出すよう指示を受けていた。つまり、明日が最終期限だ。
「これ、用紙な。出すのは担任か、その部の顧問に出してくれ。俺はこれを頼まれただけだからな」
「はい」
入部届けの用紙は後から渡すと言われていたが、部を決めることだけですっかりそのことじたい忘れていた。
言いながら差し出された紙を純は受け取った。B5用紙の半分くらいの大きさで、名前の他に、入部希望、理由を書く欄、注意事項だろうの文章が書かれているだけのものだった。
「良さそうなところはあったか?」
「いえ。悩んでしまうところばかりで……」
「そうか。ま、いいところはあるだろうし、足のこともあまり気にする必要はないと思うぞ」
西町に足のことは話してある。悩んでいれば、足が関係しているかもしれないぐらいには察せているかもしれない。けれど、正しく当ててしまった発言には、見透かされているような感覚にもさせた。
「でも、やっぱり気になるし、足のことを考えて選びたくなります」
隠すことなく、純は気持ちを打ち明けた。いくら受け入れてもらえたとはいえ、抱えているものが全て消えたわけではないのだ。
「でも、いつかは向き合わなきゃならないだろ」
「…………」
それを聞き、純はそのことに初めて気付いた。
いや、後遺症と共に過ごさねばならないことは分かっていた。
だが、嫌がり続けていても、それは受け入れていることにはならない。それを認めることで、本当に受け入れたと言えることになるのだ。
そのことに、今、気付かされた。
なので、向き合うというのも、後遺症をどうのこうのするのではなく、受け入れるために向き合うこと。
後遺症と過ごさねばならないと分かっているなら、生活の一部として取り入れなければならないことであるのだ。
取り入れる――受け入れてしまえば、嫌がり続けるよりは、気も抜けて生活を送れるのかもしれない。
「どうした?」
「あ。いいえ、なんでもないです」
「……ああ……まあ……」
いまさら気付いたというのもなんだか抵抗を感じ、答えるのを遠慮した純だったが、それをどう受け取ったのか、西町もまた、気まずげにした。
「そりゃ、簡単には受け入れられないことだろうが……まずは、ここの生活に慣れていくことからだな」
どうやら、自分の発言が、生徒の気持ちを考えていないものだと思わせたらしかった。
「ああ、そうじゃなくてですね」
じゃっかん慌てて、純は受け取らせた意味を否定した。
「そうしなきゃならないんだってことに、気付いたんです」
純は語った。
「分かってはいたんですけど、受け入れたくない気持ちの方が強くて……こんな足でずっといるのは嫌だって思ってたんですけど、実際こうなってるわけだし。ちゃんとこのことを受け入れなきゃならないんだって。そのことが分かったんです」
純は思ったことを、そう言葉にまとめた。
「……言うのは早いかと思ったけど、そうでもないみたいだったな」
西町の口元が緩んだ。けどそれは、言っても大丈夫だったことへの安心というより、こちらの心の動きに対してのもののようだった。
「打ち明けたのがよほど効果的だったようだな」
その訳を、西町は三日前のことだと取ったようだった。でも、そうかもしれない。受け入れてもらい、気持ちが軽くなった分、前向きに考えられるようになったのかもしれない。気持ちが軽くなってから、なんだか視界も明るくなった気がするし、捉え方もそれまでと少し変わった気がする。
「みたいですね」
なんだか気恥ずかしくなり、純は苦笑した。
西町も、意味を変えた笑みを小さく浮かべると、話を進める。
「入っても部活は変更可能だから、もし無理そうだったら相談しろ」
「……はい」
彼は気にかけてくれていたのだろうか。打ち明けられた教師としてはそうしなければならなくなるのかもしれないが、頼ってもいいのかと思う。
「それじゃ、いいとこ見つかるといいな」
「はい」
返事をすると、西町は去って行った。やはり仕事だったのか、歩きながら白衣をはおる。
部活のことで気が重くなっていた部分があった純だったが、心持ちが軽くなった気がした。
□□□
純は外に出てきていた。
宿題が終わったので、部活を決めるために出てきたのだ。部屋で考えないのは、今日も活動している所を訪ねるためである。
活動とはいっても、個人が暇つぶしで行っているもので、部活動とはいえないらしい。それでもやることは部活動と同じ内容なため、はたから見れば活動していると思えるものだ。けど、本人達にしてみれば、暇を潰すために来ているもので、活動する気構えはないのだという。当然、顧問もおらず、気楽に遊んでいるということだ。
そうやって休日を過ごす者達がいることを昨日の見学の時に当人から聞き、誘いをかけられたこともあって純は訪ねてみることにしたのだ。
にしても、いくら気構えがないとはいえ、暇つぶしで校舎まで来て部活と同じことをするなど、敷地内に寮を持っている全寮制ならではだろう。
「ん?」
そうして、校舎近くまで来た時だった。
純は立ち止まった。
その瞳が向いている先は、校舎の周りにある木立の一つ。その、奥だ。
そこは、校舎裏の一角で、道の脇であり、芝生に少し入った所にある、密集した木々に遮られている所だ。木立の向こうにあるはずの校舎の壁もほとんど見えない。
だけど、立ち止まったこの位置からは、人影が見えていた。遠目にいる人物がちょうどよく、木と木の間に嵌まっている。
この位置だからこそ見えるようなものだ。一歩でも横に動かれれば隠れてしまう。
そしてその後ろ姿は、純には興に見えた。
その予想は間違っておらず、横を向いてくれたことで興であることが確定する。
そこでふと、純はあることを思った。
他人から見た場合の自分の部活のイメージとはどんなものか――ということだ。
最終的に決めるのは自分だが、やはり悩んでいるわけでもあり、決断するための参考にはなるかもしれない。
その考えから決定に至ったのは、ごく短い時間のことだった。
決めると、純は木立の中へと入った。
訪問は、午後でもでき、行く約束をしていたわけでもないので寄り道をしたところで問題はない。
木立を抜けると、芝生の空間になった。木々と校舎の壁に囲まれており、近くにある校庭もほとんど見えず、周囲から死角になってしまっている。
そして肝心の興は、壁の前にいた。
足下には花壇があり、それへの水かけをしている。こんな所に一人でいるのだからプライベートではないだろうとは思っていたが、園芸部は休み関係なく活動する部なのだろうか。
「興」
そんなことを思いながら歩み寄って行くと、純は声をかけた。
すると何故か、気の抜けた声と共に顔を振り向かせた興は、こちらを認めるなりうんざりげな顔へと変わった。
「どうしてお前は、いちいち来んだよ」
体ごと振り返ってくれるものの、口にしたのも迷惑そうにしたものだった。そっちこそなんでそんな態度なのかと思ったが、不良に目を付けられていることで他人と距離をあけていることを思い出した。
「興を見つけたら、ちょっと思いついたことがあって」
だからといって、せっかく来たのに何も聞かずに去るのもなと思い、純は用件を成すことにした。
「なんだよ」
感情を変えることもない興に、純は聞いた。
「俺、どこの部が合うと思う?」
「はあ?」
もしかしたら、純は興を呆れさせるのが得意なのかもしれない。むろん、純にそんな意識はない。だが、一週間足らずで、基本的に淡泊であるらしい興に呆れを多く与えるのは、今後も純だけであろう。
今も、こいつは何を言っているんだという表情を興は盛大にしている。
「部活、決めかねててさ」
「んなの、知るかよ」
それを見なかったことにして困り気味に訳を語るも、興の目が呆れ一色になる。それはまあ、興にしてみたら知ったこっちゃないことだ。けど、決めかねている純としても、他人のイメージが気になるところだ。
「漠然でもいいからさ。俺、なにが似合いそう?」
「……って、言われてもなあ……」
もう一度求めると、興の面持ちが困じたものに変わった。迷惑そうにしながらも、頼んだら頼んだなりに応じてくれるらしい。いい奴というか、優しい奴というか。
「運動系は嫌なんだろ?」
「ああ」
そう言うということは、運動が似合うということだろうか。
「……どこが似合うかなんていまいち分かんねえけど、横田たちがいなけりゃ、園芸部誘ってるんだけどな」
悩むと、興は求めたものとは違う意見を答えとした。
人数がいても、まともに活動しなければいないのと同じだ。管理するところに対して動いている数が少ないと、顧問でなくとも人手不足を感じるようである。けれども、不良の存在は他の生徒を寄せ付けない。そして、不良の中でも一番の脅威となるのが、出された者なのだろう。
「ふ~ん」
それに応じた、感心したようにも聞こえた声は純のものではない。
「お前、俺のいないところではそう呼んでんのか」
声がした方を見てみると、五、六人くらいの生徒が近くにいた。先頭には横田がいることから、おそらく三年の不良メンバーだろう。
声が聞こえた時、純が振り向くよりも先に興がびくりと反応したが、誰の声か分かったからだったのだ。
「ん?」
近づいてくると、横田は興の肩に手を置いた。
「…………」
一方の興は、一変して表情が硬くなってしまっていた。先輩のというだけでなく、自分に絡んでいる不良のリーダーを呼び捨てにしているのを聞かれたのだ。さすがに気まずい以上の緊張をしてしまわずにはいられないだろう。
「お前、転校生だろ」
「三浦の股間、好きなんだってな」
「ち、違います!」
純は力強く否定した。どうしてアクシデントがそんな解釈になっているのか。今朝、横田にも見られたし、仲間に何か言ったのだろうか。
「そんなんじゃありません!」
「嘘つくなよ」
「好きなら行けよ。ほら」
「うわっ」
だが、彼らがそれでそうなのかと、素直に納得してくれるわけがなかった。背中を押され、純は目の前にいた興と接触、押し倒しながら転倒してしまった。
「なにすんだ!」
それにはさすがに純も怒りが沸いた。相手が上級生だろうと怒鳴る。
しかし、その怒りはすぐに冷めることにもなった。
誰かが何かをしたわけではない。純自らが気付いたのだ。
今朝、転んだ時に感じたのと同じ予感に、高ぶった感情がいっきに引いていく。
身を起こしながら怒鳴った純が突いたその手。その下にある、柔らかい感触は――
純は、顔をそちらへ下ろした。
案の定、上体を起こしかけている興の中心部に、手が、突かれていた。
「悪い!」
反射的に、純は手を放した。
そして、それを目撃した不良らが取り合わないわけがない。
「やっぱ好きなんじゃねえか」
「偶然でも、さすがに三回も続くわけねえもんな」
「………」
正確にはこれで四回目だが、そんなことを言えるはずがない。言ってしまえば、この不良らのいい絡み相手になってしまう。
だが、四回目という言葉を飲み込んでいるうちに、事は急激に進むことになった。
「そんなに好きなら、ヤっちまったらどうだ」
「は?」
純の脇にしゃがんだその不良の発言に、純は意味が伝わってこなかった。いや、意味は伝わっている。その発想になる訳が理解できなかったのだ。
「ちょ、なにすんだ!」
突然、両肩を左右の背後から押さえられ、純は声を荒げた。体を揺らすが押さえる力の方が強い。
「……!」
しかも、力が加わったのは純だけではなかった。
「はなせ……!」
いつの間にか興の背後に回り、花壇の縁に腰掛けていた横田がその体に腕を回し、腕ごと興を押さえ込んでいた。興も身長があり、男子生徒としての体躯もあるはずだが、年の差なのかなんなのか、横田の方が上回っており、興の動きを封じてしまっていた。
「お前が準備しなきゃ、始まんねえだろうが」
「なっ……」
横田の発言に興は言葉を詰まらせた。動きまで止まってしまう。だが、それも一時のことだ。別の不良がさらに押さえ、興は暴れだした。
「…………」
純は信じられない気分にさせられた。
彼らは本気なのか。でなくとも昨日、興に迫っているのだ。なのに、今日も強いろうというのか。
「や、やめ……!」
嫌がる興は、怯えも含んでいた。
「暴れんな」
見ていても力を強めたと分かるくらい、横田は興を腕の中に押さえこんだ。けれども、逃れたい興がそれで抵抗をやめるわけがない。
「暴れるにきま……っ」
「うるせえよ」
必死で逃げようとするも、反発の言葉も中途半端に口を塞がれてしまう。
「休みでも教師どもが来てんだから、大人しくしてろ」
「うう……」
けっこう力があるらしい。口を塞いだことで、片腕で興の体を押さえることになった横田だが、抵抗をやめない興をがっちりホールドしてしまっている。花壇に腰掛け、体格が勝っている分だけ被さるようになっていることが、抵抗を封じ込めているということもあるかもしれない。それでも、小柄というわけではない体を押さえ込んでいるのだから、それだけ力があるということだ。他の二人は、準備とやらを始めている。
「なに考えてんだ!」
純は叫んだ。本気でするつもりのようであることに、自分もよりいっそう抵抗する。
「暴れんじゃねえよ」
「お前が突っ込まれるわけじゃねえんだからいいだろうが」
「そういうことじゃないだろうが!」
押さえつけてくる三年に怒鳴り返すが、純も焦っていた。このままでは彼らの思う通りになってしまう。
「どうする? 突っ込ませるか?」
「それじゃあ、もったいねえだろ。しゃぶらせろ」
「そうだな」
一方、興を押さえている方でも話を進めていた。
「ふざけんな!」
完全に自分たちの尺度だけで応酬を行う三年に、今度はそちらへ純は怒鳴った。
だが、頭に置かれていた手が力を加えてき、純は芝生に両手を突いた。そうなれば、興の体はもう目の前だ。
「俺たちはお前のためにやってんだぜ?」
「ありがたく思えよ」
「思うか!」
それどころか、善意のない笑みは、ただ楽しんでいるようにしか見えない。
さらに頭を押され、純はさらに焦った。
身動ぎしているだけになっている興に近づき、歯を食いしばって抗う。だが、上から押される力の方が優勢だ。
「お前ら! 何してるんだ!」
その時だ。怒声が響いたのは。
反射的に三年がそちらを見ると、木々の間から走ってくる白衣の姿があった。養護教諭だ。その後ろには園芸部の顧問もいる。
「やべっ」
「逃げろ!」
二人の教師の姿に、三年は慌てて逃げ出した。
しかし、意外にも近くまで迫ってきていたことに、一番逃げだしにくい体勢にいた横田が西町に捕まり、別の一人が顧問に捕まる。むろん、捕まりたくない彼らは抵抗するが、教師らも逃がすまいと力強く押さえ込んでいる。
「…………」
その攻防戦を、純は呆然ぎみに眺めた。その傍らでは、興が寛げさせられていたズボンを急いで直している。
その間に、教師と生徒の勝敗は決まりつつあった。
力があっても子供と大人の差なのか。それとも、やはり力の差なのか。横田は地面に押さえつけられ、顧問に押さえられていたもう一人は逃げ出してしまう。
だが、誰であるか知られた以上、残りの者達も逃げることはできない。
しかしこれで、迫っていた行為から逃れることができた。
遅ればせながら、危機が去ったことを自覚した純は、安堵の息を吐き出した。
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指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
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