純情なる恋愛を興ずるには

有乃仙

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キズは自分にしか分からないこと

四  理解:興

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(なんであんな所にいるかなあ)
 廊下を歩きながら純は内心ぼやいた。
 食堂に行くため階段を下りようとしたら、踊り場に島山たちがいるのを発見してしまったのだ。他にも二人ほどおり、五人くらいで談笑していた。
 それくらいの数ならば抜けられないわけではなかったのだが、相手は不良だ。しかも、島山三人組とは面識ができているうえ、アクシデントを起こした人物とも知られてしまっている。通りようものなら問答無用で絡まれるに決まっている。そのため、別の階段を使うことにし、まだ一度も通ったことのない廊下までくることになっていた。
 休日ということもあってか、それとも、皆、朝の行動をし終えて部屋に戻ったのか、廊下には全く人気がなかった。寮生活自体が初めてで、休日を皆がどのように過ごしているか分からないが、部屋から声や物音が漏れ聞こえてくることもなく、意外に静かである。
 それか、部活でいなくなってしまっているのか。
 大会が近いこともあり、運動部系は活発になっている。練習試合で遠征する良智も、純が平日より遅めに起きた頃には準備を終えており、一声かけて部屋を出て行った。学校で部活をするにしても、早いところはもう始まっているはずだ。
 そんな感じで動いているのかもしれない。
 と、前方のドアの一つが開いた。
 出てきたのは、興と黒髪の生徒である。同じ部屋から出てきたことから、同室同士だろう。
 純は軽く駆けだした。
「興」
 呼びかけると、歩いて行こうとする興と、一歩遅れて同室者が振り返る。
 その同室者は、食堂で興を見かける時にはいつもいる生徒でもあった。興に目を付けている不良のせいで、興自身も周りも距離を置いているというのにずいぶん度胸があるなと思っていたが、同室なら納得できないこともない。
「なんか用か?」
 駆け寄った純に尋ねた興は、昨夜のことがあったとは思えない変わりのなさだった。
「昨日の……」
 言いかけて、純は言葉を躊躇わせた。同室者とはいえ、昨夜のことや絡まれ方を知っているとは限らないからだ。
「ああ。見ての通りだ」
 言いたいことを察してくれたのか、興はそういう返し方をした。けど、そう言われても、変わりない様子では判断しにくいというものだ。大丈夫であると取っていいのだろうか。
「……分からないんだけど……」
 純は言った。
「そうか? まあ、それならそれで別にかまわないけどな」
 興の態度は実に素っ気ないものだった。そのことから、なんともないと取っていいのだろう。けれど、
「いや、かまうっていうかなんていうか……」
 興はいいかもしれないが、心配していた身としては落ち着かないことだ。
「心配だし」
「そんな必要ねえよ」
 同室者がいることも頭から抜けてつい心情を口にも出すが、興は感心がないかのように切り捨ててしまった。
「でも……」
 知られたくない興としてはあまり関わってほしくないのだろう。だけど純も、誰にも言わないと決めたとはいえ、知ってしまったことで心配が根付いてしまっており、「はい、分かった」と何事もなく居続けるには抵抗を感じてしまっている。
 同室者も興の発言に彼を見るが、何かを言うことはしなかった。彼も興のことを知っているのだろうか。
「それじゃ、俺たち飯だから」
 だが、自分の気持ちを告げた興は、純の言いたさそうな表情には何も応じずに踵を返した。終始無言だった同室者も、言葉もなくそれに続こうとする。
「ちょっ、興、待っ……」
 それを、純は止めようとした。
 興はそれでいいかもしれないが、純はそうもいかない。自身も踏み出す。
 しかし、
「え?」
 興に近づき、足が床に着いた瞬間、体が傾いだ。後遺症だ。
「……!」
 純がそのことに気付いたのと、彼らが振り向いたのはほぼ同時だった。
 純は前にいた興を巻き込んで倒れてしまった。
 半分しか振り向いていなかった興だったが、受け身を取ろうとしたのか、受け止めてくれようとしたのか、転倒した時には完全に純を向いて倒れていた。今度は下半身といわず半分以上重なってしまい、しっかり押し倒したと言える状態になってしまっている。
「セーフ!」
 が、興を巻き込んだことよりも、純はそれ以上に違うところに意識が集中していた。
 二度も興を巻き込み、二度も足の付け根の間に顔を埋めてしまっているのだ。倒れながらそのことが瞬間的に甦り、倒れた時にはそのことだけで脳内が満たされていたのだ。
 けれど、今回はそれを免れた。三度目の災難を起こさずに済み、純は勢いよく身を起こした。
 しかしながら、
「あれ?」
 その結果を覆すかもしれない予測がぎることになった。その予感には、真面目な表情も一変、少々間抜けさすら出る。
 手のひら――手の下に、ある感触がある。
 指先に少し力が籠もったのは、なんであるか確かめようとしての無意識の動作だ。
 純は、手元に視線を落としてみた。
 すると、予感は的中していた。二度あることは必ず三度あるらしい。
 回避できたはずの足の根元、しかもど真ん中に、手が、突かれていた。
 体を起こすために突いた手が、丁度よくそこにくることになったようである。
「ごめん!」
 純は勢いよく手を離した。その勢いは、膝立ちになり、手が頭上に掲げられるほどだ。
 そんな純にか、興はどこかぽかんとしているようでもあった。巻き込まれをまぬがれた同室者は、興の横でなんとも言えない表情で見ている。
 そんな彼らの表情が硬さを持ったのは、すぐのことだった。
 純の後ろに視線が動く。
「へえ、お前」
 声がしたのは怪訝に思った直後のことだ。
「そいつの股間、好きなのか?」
 立て続けに、上がったままの手首が掴まれる。
 からかって遊ぶようなたちの悪さを感じる声調に見上げてみれば、背後に生徒がいた。声に感じられた通り、顔には笑みが浮かんでいる。
 そのせいか、見た目はいいのだが、態度が悪そうな雰囲気が滲み出ていた。ただ、どこかで見たことがあるような気がするのは気のせいだろうか。同じ学校の生徒なのだから当たり前なのだが、どこで見ただろうか。
「先輩、何か用ですか?」
 硬い声音で同室者は尋ねた。興も緊張したような警戒したような面持ちをしており、二人にとっては苦手な相手のようである。
「温室の鍵、貸せ」
 同室者の質問に、先輩らしい生徒は興に視線を変えると、上からの物言いで用件を告げた。
「温室の鍵?」
 興の緊張した面持ちに訝しさが混ざった。
「今日は出なきゃなんねえんだよ」
「あ、ああ……」
 興は理解したようだった。
 純が跨いだままでいた間から足を抜き立ち上がると、上級生から距離を取る行き方で部屋に戻る。それ程までに彼が苦手らしい。
 興が部屋の中に入り、場が静まりかえる。
 それはいいのだが、
「あの、先輩。手、放してくれませんか?」
 純は控えめに、いつまでも手首を掴んだままでいる背後に要望を出した。
「あ?」
 あ? ではない。早く放してほしい。二人ほどではないが、純も緊張しだしていた。
 なにせ、この先輩が誰か分かってしまったからだ。
 横田である。
 暴力事件を起こした張本人とあっては、緊張してしまわずにはいられない。それと、不快も少なからず感じていた。昨日、興にあんなことをしておいて、よく平然とした顔で現れたものだ。
「お前。あいつの股間、好きなのか?」
 だが、緊張の方が上回っており、それはさらに増えることにもなった。
 軽く腰を折る程度に顔を近づけ、横田は手を掴んできた時と同じことを尋ねてくる。浮かんでいる笑みは意地悪げだ。純にはそう見えた。
「いや、偶然です……」
 目を付けられたかもしれない。そう思わせる気配が存分に含まれていることに、純は引かずにはいられなかった。できることなら、無理矢理にでもこの手を放させたい。
 しかし、横田はそんなこと気にもかけず、手も放さずにさらに投じてくる。
「この前も、食堂で顔埋めたらしいじゃねえか」
 言い方から、彼は自分たちのアクシデントの時にはいなかったようであるが、誰であるかしっかり知られていた。どうせあの場にいた不良仲間が伝えたのだろうが、ものすごくよけいなことをしてくれた。言って殴られでもしたら嫌なので、横田が目撃者でなくとも言わないが。
「あれも偶然で……」
 それより、その笑みと、掴んでいる手はどうにかならないだろうか。
「ふ~ん」
「…………」
 意味ありげにも聞こえるが、絡む対象にだけはされたくない。
「持ってきた」
 そんな不安が過ぎっていた時、興の声が聞こえた。
 見れば、横田の後ろに興が戻ってきていた。
 無言で鍵を持った手を伸ばす興に、やっと手が放される。掴まれていたとはいえ、さすがにずっと腕が上がっているのは疲れた。掴む力も強めだったし、手首も痛いときた。
 痛さで手首をさすり始めたというのに、鍵を受け取った横田は済まないの一言も、興に礼を言うこともなく去って行ってしまった。不良相手では、そんな言葉を求めるだけ無駄なのかもしれない。
 純は立ち上がった。
「お前、なんかされたか?」
 横田が去って行くのを見ていた興が、こちらを向き尋ねる。
「手首掴まれてただけ」
「そうか」
 興の感応は、どこか安堵しているようにも見えた。
「でも、気をつけた方がいいぞ」
 そう言ったのは、興の同室者である。興はいったん離れていたのでその時のことは知らないが、ずっといた同室者から見ると注意が必要なことに見えたようだった。
 でもそれは、純も分かっていることだ。自分が絡まれる可能性があることは、島山たちに知られた時に推測できている。
「ん。じゃ、気をつけろよ」
 興の対応は、ある意味、雑だった。知らないから仕方がないだろうが、警戒や安堵の雰囲気まで見せていたとは思えない適当さが感じられる。それとも、淡泊だからそう聞こえるのか。
「分かった」
 それでも忠告であることには変わらず、純は返事をしておいた。
「それじゃ。俺ら、これから飯だから」
「あ。俺もそうなんだ」
 歩き出した興に、純も歩み出した。同室者も興が近づいたことで歩み出す。
「は?」
 そんな純に、興は変なことを聞いたような反応をした。そりゃ、八時も過ぎれば朝食には遅いだろうが、二人だって今からだ。そんな反応をされる筋合いはない。
「さっき起きたばっかなんだよ」
 本当は三十分くらい前に起きたのだが、抜けきっていない眠気をむさぼっていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。けど、そのことと思ったことは言葉に出さず、純は理由だけを述べた。
「あっそ」
 興の返事は素っ気ない。顔が前に戻される。でも、ついて来るなとは言わないので純も隣を歩く。
「西側の階段使ってるんだけど」
 一拍置くと、純は話しかけた。通らない場所にいることに何か言っておいた方がいいような気がしたのだ。
「島山たちがいてさ、こっちに来たんだ。そしたら、まさかあの人まで出てくるなんてな。あの人だろ? 横田先輩っての」
 思い出してはいたが、念のため、純は確認しておくことにした。
「ああ」
「やっぱり」
 記憶は間違っていなかった。
「関わらない方がいいぞ」
「不良の時点で関わりたくないよ」
「和也が……」
 何を言おうとしたのか。名前を出した興は、そこで言葉が途切れてしまった。
「お前に聞きたいんだけど」
 それから、質問者に転じようとしてくる。
「なに?」
「こいつのこと、知ってるか?」
 同室者を示しながら、興はそんなことを聞いてきた。
「…………」
 それが彼の名前かと思うより、かけられた質問に、純は答えることができなかった。はっきりいって、分からなかったからだ。食堂で一緒にいることは分かっていたが、誤解を解こうと興の元へ行った時に近くで見たくらいで、それ以外では全く関わりがなかった。
「クラスは?」
「……ごめん」
 分からないの言葉の代わりに純は謝りを入れた。
「やっぱり」
 予想通り。そう言える感情が興の声音にはしっかり表れていた。そして、呆れぎみだった。
「こいつ、俺らと同じクラスだぞ」
「え?」
 その事実は結構、驚きだった。
「気付かなかった」
 まだ全員を覚えているわけではないので、そうだったのかと言える相手がこれからも出てくることではあったが、そのうちの一人が目の前にいる人物だったとは。
「部屋割りの仕方、知ってるか?」
「まあ、一応」
 各学年、各クラスごとで部屋を割り当てていくやり方だ。余れば他のクラスの者と同室になる。「お前と同じクラスの俺と同室っていったら、まず、クラスも一緒だろ」
「あ」
 確かにそうだ。なぜ気付かなかったのだろうか。
「まあ、俺も目立たないようにしてたし、気付かなくても仕方ないかもしれないな」
 対して、同室者はいたって普通だった。気付かなかったことに気を落としている様子すらない。というか、そんなことをしていたのか。それでは分かるはずないではないか。
「俺は安藤和也。よろしく」
「よろし……」
 自己紹介されたことで純も返した。いや、返そうとして遮られた。
「は、しないけどな」
「はぁ?」
 言っていることと真逆のことが付け足され、純は虚を突かれた気がさせられた。
「よろしくって言ったんだから、よろしくしろよ」
「やだ」
 窘めとまではいかないが、興も言うものの、クラスメイト――和也は一言で拒否してしまった。
「まじで友達作らないつもりか?」
「そのつもり。気が向いたら他にも作るよ」
 興の尋ねに迷いもなく肯定してしまう。彼は、積極性にも欠けるようである。
「……そうか……」
 興は早くも諦めてしまったようだった。けれどその表情は、仕方がないというものになっている。興はその理由を知っているのだろう。
「そういうわけだから。俺は誰かと親しくなろうなんて思ってないから」
 和也も改めて、己の気持ちを変える気がないことを口にしてくる。和也も和也で冷めた口調をしているが、それがまた、和也の無関心さが強調されているようだった。
 それから、和也は一人で歩き出した。
「…………」
 友人を作る作らないは人それぞれだ。彼にその気がないのだから、無理に関わることはない。でも、それならそれで、あの紹介の仕方はどうなのだろう。
「わりいな」
 謝る声にそちらを見れば、その場に残っていた興が済まなさそうな顔をしていた。
「作りたくないんだから、仕方ないさ」
 純は言った。不服部分はあるが、彼にその気がなければどうしようもないことである。
 興は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「行くか」
「ああ」
 促す言葉に応じると、純は興と共に歩き出した。
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指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
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