純情なる恋愛を興ずるには

有乃仙

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キズは自分にしか分からないこと

三ー3

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                □□□ 
 
 良智が帰ってきたのは、夕方過ぎのことだった。
 机で宿題をしていた純は、ドアの開閉音が聞こえたことで顔を上げると、壁で死角になっている廊下から良智が現れた。
「ただいまー」
「おかえり」
 同室者が帰ってきたことで、宿題の区切りと見て取る。
「もう汗だくだよー。お腹も減ったしさー」
「今日はいつもより天気がよかったからな」
 二つ目にして空腹の訴えが出たことに、純は小さく苦笑しながら述べた。
 今日は、部活をするには絶好の天候だった。運動部よりも動かない園芸部ですらシャツ一枚だったのだ。快晴の下で走り回っていれば、汗は凄いだろうし、エネルギー消費の激しい良智なんかは空腹もあっという間だろう。
「しかも、明日、練習試合だから、いつも以上に真面目だったし」
 まいったとでもいうようにしながらも、慣れたこと、もしくは好きなことだからだろう。投げるように鞄をベッドに置き、着替えの準備を始める良智の口調そのものは軽い。
 練習試合のことは、三日くらい前に純も聞いている。この学校と順位が前後の学校ところと行う予定が入っているという。
「純。写真部どうだった?」
「遠出してて、会うこともできなかった」
 服を脱ぎながら尋ねられたことに、やっぱり感じてしまう羨ましさを抱えながら純は答えた。
「なんだ――だったら、サッカー部に来ればよかったのに」
 袖に腕を通していた良智は、頭も服に通してからそう返してきた。
「やだ。俺もやりたくなるから行かない」
 純は断った。やりたい気持ちを未だ持ち続けているのだ。今も羨ましさを抱いたし、目の前にされればもっと疼きもしてくるに違いない。なるべく関わりは持ちたくない。
「そんなしょっちゅうなるわけじゃないんだから、少しぐらいいいじゃんか」
 身なりを整え、良智は振り向いた。汗は引いたようだが熱の方はまだ収まっていないらしく、顔に赤みが残っている。
「それでも嫌だ」
 足のことを知っても拘わらずに誘いをかけてくれることは嬉しかったが、純も決めたのだ。治りでもしないかぎり、スポーツはやらない。
「頑固だなあ」
 良智はぼやくように言うが、頑固とはまた別だと思う。それとも、事情を知っても辛さを分かりきっていないと、そういうふうにも取れるのだろうか。
「じゃあ、他に良さそうなとこはあった?」
 純の頑なな態度――は、していないと思うのだが、考えを変える気がないことは受け取ってくれたらしく、良智はサッカーのことから離れてくれた。
「どこも大変そうだったし。悩むところだな」
 見学を終えていないことを思い出した純は、興の促しもあって園芸部の見学はやめ、他の部活見学を再開させた。
 選ぶ基準としては、あまり動くことがないところ。
 それからいけば、美術部なんかはうってつけだったのだが、画力に自信がなく決断しかねてしまった。他の部も、基準に沿ってはいるのだが躊躇わせられてしまうところばかりで、結局、悩まされるだけになってしまった。会うことのできなかった写真部も、いい撮影場所を求めて意外に動き回っている情報を得ることになり、部員と会う前から悩ませられることにもなってしまっていた。
 そうして悩みながら帰宅することになったのだ。その道すがら教師と会い、転校してまだ間もないとはいえ、宿題を忘れても大目にはみないと忠告を受けたことで宿題の存在を思い出し、宿題をしていたという経緯になっていたりする。
「だからって、園芸部ってのもやだしなあ」
 純はぼやいた。不良がいることもそうだが、その不良にアクシデントの当人だと知られてしまった。元々、入る気はなくなっていたのだが、その気持ちはさらに増すことになっている。
「不良と関わりたくなかったら、園芸部は駄目だよ。活動も、見た目に反して大変らしいし」
「うん」
 頷くものの、ちゃんと聞いていての頷きではなかった。
 それより、不良の懸念の方が過ぎっていた。
 不良と関わることや活動が大変なことより、アクシデントのことで接触されないかどうか。
 当人であることを知られた純にとっては、園芸部に入る入らないは関係ない不安要素となっていた。温室であった不良の反応からしてもよく思えなかったし、不良たちに広まらないことと、絡まれないことを祈るしかない。
「でも、興も可哀想だよな。辞めたくても辞められないわけだし」
 けど何より大変なのは、興である。いくら顧問に懇願され、対策を取っているのだとしても、自分に絡んでくる奴らと居続けなければならないのだ。
「……そうだね」
 良智も同意する。
「…………」
 自分のことを心配してくれるのは嬉しいが、興の方こそどうにかできればいいのにと、純は思った。

                  □□□

 興が部屋に戻ると、同室者の安藤あんどう和也かずやが先に帰ってきていた。
「おかえり」
 ベッドに腰掛けていた和也が、呼んでいた本から顔を上げる。
 興と同じくどこか取っつきにくそうな雰囲気を持っている和也は、やはり自分と同じく冷めた性格をしている。声音や態度にもそれは表れており、他者とも関わりをあまり持とうともしないため、興より接しにくさを感じる者は多い。
 しかし、和也自身は良い奴であり、仲良くなってしまえばその接しにくさはほとんど感じられなくなる。現に、興自身が仲良くなっており、結婚が決まっている恋人――つまり、フィアンセとも上手く付き合い続けている。
「今日は、大丈夫だったみたいだな」
「ああ」
 ベッドに腰掛けながら興は頷いた。
 大丈夫とは、不良のことである。でも、全員ではなく、三年の不良――特に、横田と横田に近い不良らのことを指す。
 その彼らに、興は目を付けられていた。
 原因は、教師側に親戚が二人もいるからである。
 親戚が二人もいれば特別扱いもされているだろうと、何かと突っかかってこられていたのだ。
 だが実際はその逆で、立場がある者と関わりがある者として真面目にやるよう、厳しく見られている。
 そのことをきちんと言ったのだが、なぜか機嫌を悪くされてしまった。
 だが、そこまではおそらく、よかったのだろう。
 興は、そのことに呆れてしまった。相手が年上で不良ということもあり、悟られぬようにしたつもりだったのだが、横田にも伝わってしまったらしかった。
 そこから、彼らの絡む原因が、〝教師に親戚がいる〟から〝自分〟へと変わった。
 親戚が理由で絡んでいたのも、きっと、ただの八つ当たりだったのかもしれない。そこからさらに絡んでくるようになった彼らの絡み方は、まさに、気にくわない者を相手にしたものと同じだった。
 全生徒に暴力事件として知られることになった事を起こした以降もそれは続いており、しかし、横田たちも馬鹿ではなく、教師の目を避けるため、後輩の不良を使って今なお呼び出している。
 そういった関係も含め、和也の確認はなっている。
 そして、その後輩というのが、今日、部活に出てきていた島山たち、特に島山のことだ。
 だが、この島山たちは、興にとっては不良の中でもマシな方である。
 無愛想な態度で、気に入らない態度やちょっかいをかけてくることもあるが、力を振るってくることがないのだ。島山と一緒にいる二人も、鬱陶しい絡み方はあるが力は振るわない。言い返したり言い負かしたりしても、横田に告げるわけでもないので、彼らといる分には気が楽にできる。
 とはいえ、厄介であることにも変わらない。それぞれにグループがあると思われているが、実は、横田たち三年を中心に不良が集まっているだけで、グループがあるわけではないのだ。仲のいい者同士が集まったり別行動していたりするので、そう勘違いされているだけである。そのため、リーダーとなる横田の指示で島山たちも動くことが多々ある。興を呼び出すというのもそれだ。そしてそれが、島山たちとも関わりたくない最大の理由だ。
「土曜だし、よけい緊張したけど、無事、部屋に戻ってこれて安心した」
 毎週ではないし、それ以外の時もあるが、休みの前日に呼び出してくることが大半である。教師も休みになるため、バレる可能性が低いからだ。今日がまさしくその日なため、部活の最中から緊張していた。気を紛らわすことができたのは、純がいた時ぐらいだ。だが、島山に連れてくるよう連絡もなく、本人が現れることもなかった。なので胸中では、こうして口にしている以上に安堵しきっている。
「正確に言えば、部屋にいても心配は抜けるもんじゃないけどな」
 なのに、和也はそれを壊す訂正を施してきた。
「言うなよ」
 正確にすれば、たしかに部屋の中でも気が抜けることではないし、戻ったからと向こうも呼び出せなくなるわけではない。むしろ、翌日が休みなため、よけい呼び出される危険がある。
 それでも、事件後の呼び出しははるかに減っており、電話がかかってくることもまず無くなった。なので、興にとって、部屋の中は安息地帯といっても過言ではない場所になっている。それを崩そうな発言はやめてもらいたい。
 「和也は絡まれることはもうないからいいけど、俺は今もなんだからな」
「……ごめん……」
 本気ではない文句を放つと、和也は声音を弱らせた。
「――別にいいけどさ。俺だって、文句言える立場じゃないし」
 対して興も、本気ではないことを真面目に取られ、気持ちが沈むことになっていた。自分の方こそが悪いことを言ったとでもいうように済まなさそうにする。
「そんなことないって。今のは、興の気持ちを考えなかった俺が悪いんだし」
 和也はそう言うが、興の気持ちが晴れるわけではない。
「でも、一番の原因は俺だし……」
 横田たちが起こした事件の被害者は、興だけではない。和也もだ。
 三年に襲われているところを彼が目撃し、止めようと乱入してきたものの、腕力の差で敵わず、巻き込まれることになってしまったのだ。
 だが、和也の気は弱くなく、事件後、興のように絡まれ続けるということは回避してしまった。
 だけれど、巻き込まれた影響で距離を置かれてしまった友好関係も戻るということにはならなかった。そのことには、興も申し訳なさを感じている。
 のだが、興の気持ちとは裏腹に、自身への脅威を退けてしまった和也は気楽なもので、いっさい絡まれることがなくなったにも拘わらず、空いた他人との距離を戻そうとすることも、それどころか意にすら介さず、好きな読書を楽しむ日々を送っている。
 だが、それは表面上のことだけで、少なからず事件の影響だと興は思っている。平静な態度をしていても、興とは別の理由で他人を避けている節があることを興は感じ取っていたからだ。
「なに言ってんだ。何度も言うけど、悪いのは横田先輩たちだ。興は悪くない」
 それは、事件が起き、興が謝った時から言われ続けていることだ。元凶でもある興を、和也は一度も責めるようなことはなかった。それどころか、周囲と距離をあけたままながらも、未だ続いている状況に心配までしてくれている。
「いつまでも、自分を責めるな」
「……ん」
 変わらずそう言ってくれることは嬉しいことだ。本当にそう思ってくれていると思える。興は微笑を浮かべた。
 それに、和也も笑みを浮かべ返してくる。そこには、どこか安心できる雰囲気が含まれている。
 その時だった。着信音が鳴り響いた。
 ただの電話音であることとポケットの中で振動していることから、間違いなく自身のである。興はズボンのポケットから携帯電話を取り出した。そして、見た画面に表示されていた名前は、嫌な予感しかさせない相手のものだった。
「島山」
 無意識に出た名に、今では被害が及ばなくなった和也も小さく反応すると、真面目な面持ちになる。もちろん、島山自身に脅威はない。島山を使っている横田が関わっている可能性の方が高いからだ。
 通話ボタンを押し、耳に当てると、呼び出し音が切れたことで通話が繋がったと思ったのだろう、興が応じる前に島山の声が聞こえてきた。
『横田先輩が呼んでる』
 部活の時よりも愛想に欠ける声音で告げられた用件は、予想通りのものであり、最も望まないものだった。
 興の表情が暗くなる。
 今日は何事もなく終わると思ったのに。その感情と嫌悪が瞬く間に満ちる。
『今日はもともと呼ぶつもりだったようで、部活が終わるまで待ってたらしいんだ。横田先輩からメールが入ってもいたんだけど、電話がくるまで気付かなかった』
「…………」
 だからなんだ、というのが正直な感想だ。
 愛想のなさだけで語調はいつもと変わらないが、きっと、横田から電話がきて島山も焦ったのだろう。だから、呼んでいることだけを言えばいいものを、こうして説明までしてきているのだ。それとも、何事もなく終わると思っただろう自分への言い訳か。
 どちらにしろ、気の抜けているところへの呼び出しは、身構えている時の呼び出しよりも沈鬱とさせられることだ。
 そんな興の気持ちを知ってか知らずか、島山は言葉を進めた。
『噴水な。早くしろよ。じゃないと俺も怒られるからな』
 焦っただろうことで、島山も自分のことを優先しているに違いない。興とて、そんなの知るかと切って捨てたいことだが、今、横田のところにいるかもしれないこともあり、安易なことは言えない。島山のことだから、言われたことをわざわざ報告することはないだろうが、もしもということもある。
 伝えることは伝えると、こちらの返答も聞かず――というか、聞く必要もないことなのだが――通話が切れた。
 興も携帯電話を耳から外す。
「興」
 入れ替わりに和也の心配げな声が入り、顔を上げると、声音通りの心配げな表情を和也はしていた。
「初めから呼び出す気だったんだってよ。島山がそのメールに気付かなかったんだってさ」
 立ち上がりながら、いつものこととなるべく平静を保ちながら、それでも保ちきれない落ち込みを覗かせながら興は述べた。拒絶や無視を選ばないのは、後でその反動が必ずくるからだ。それならば、呼び出された時に応じた方がいい。
 決して受け入れたくないことだとしても。
「行ってくる」
 携帯電話をポケットにしまいながらそう続けると、興はベッドを離れた。
「あ、ああ……」
 和也は返事をするものの、気が進まなさそうだった。本来なら教師に進言すべきことなのだ。
 教師も、横田たちがまだ絡み続けていることを知ってはいるが、興が、自分で対処できる範囲だとして介入を断ってしまっている。そのため、注意は続けているが、こちらから言わないかぎり、深く関わってこない状況になっている。
 だが、実際のところというのを、和也は知っている。訴えるべきことに興が言おうとしないわけも。
 けど、興の気持ちも汲み取ってくれており、今は何も言わずにいてくれている。
「一人で戻ってくるのが辛そうだったら呼べよ」
「ああ」
 かけられた気遣いに返すと、興は、入ってきたばかりでもある部屋を後にした。

                  □□□

 純は、良智と景一との三人で食堂に向かっていた。
「あ」
 二人の後ろを歩いていた純は、動く人影を視界に捉え、外に顔を向けると小さく声を発した。
 窓の外、寮から去るように歩いて行く斜め後ろ姿がある。見えるその横顔が、興だったのだ。
「興」
「本当だ」
 楽しげに話をしていた良智と景一も、純が反応したことで外を見、存在を確認する。
 興は、寮の敷地を出て行くと、前に広がる林へと真っ直ぐに入っていった。
「どこに行くんだ?」
 時刻は夕方過ぎ。ほとんどの生徒も戻ってきており、夕食を取れる時間にもなっている。そんな時間に林なんかに入って、いったいどこに行くのか。
「林って言ったら」
「噴水かな」
 景一の言葉を引き取るように良智が憶測を立てる。
「――ああ、あそこか」
 一瞬、浮かばなかった純だったが、すぐに噴水のあった場所を思い出した。
 林の中のひらけた場所にあり、月明かりに反射する水の下、池となっている中で興が水浴びをしていた所だ。
 そして、アクシデントが起きた場所でもある。
「…………」
 慌てて顔を上げてみれば半眼になっていた目のことは、今でも思い出すことができる。それどころか、漠然とながら情景まで甦らせることができてしまった純は、忘れたい事をまだ覚えていることになんとも言えない気分になった。
「あ。そうだ、純」
 思い出していた純の他にも、何やら良智も思い出すことがあったらしかった。
「その噴水なんだけど」
 早く忘れたい出来事が起きた場所のことに、純は気構えた。
「あれ? もしかして、大事なこと言い忘れてたってパターン?」
 景一は、それだけである程度の予測ができたらしい。
「うん」
 良智も肯定する。しかも真顔になっていることから、そうなるくらいには重要なことであるということだ。
 いったい、良智は何を言い忘れていたのだろうか。
「そこ、横田先輩のグループがよく集まってる場所だから、あまり近づかないでね」
 声を潜め、良智が発言したのは注意だった。
「横田先輩……」
 だが、その名が誰なのか出てこず、純はまず先にそっちを思い出すことから始めなければならなかった。
「それを忘れるなよ。初めに言っておくべきことだろ」
「だって……」
 傍らでは、景一が良智を窘めている。
「ああ。不良のリーダーか」
 そこでやっと純も思い出した。興に目を付けているという三年の不良のことだ。
「そう」
「こっちでも忘れてるし」
 肯定する良智に対し、景一は呆れぎみにする。
 けど、それは仕方がないことでもある。横田の名前を聞いたのは数日前のことで、会ったこともなければ見たこともなく、さらには部活のことや温室にいた不良のことで、すっかり記憶の隅に追いやられていたのだ。
「分かった」
 景一の呆れは受け流し、純は素直に了承した。林の中に入ること自体そうそうあることではないだろうが、不良が陣取ってしまっているのでは近づかないようにしなければならない。何より、暴力事件と言えることを起こした相手とは近づきたくもない。
 だが、そんな者が集まる場所に、興は何しに行ったのか。
「でも、なんで興はそんな所に行くんだ?」
 純は聞いた。
「かもだよ。そうと決まったわけじゃないから」
「じゃあ、他に何があるんだ?」
 それは、純粋な疑問からだ。純が林に入ったのは夜である。林じゅう彷徨っていたかは分からないが、見つけたのは噴水だけだった。林のことは全く知らないと言っていい。
「他にはないけど……」
 良智の言葉が小さくなった。それは、発言に間違いはないと言っていることでもある。
「園芸部のことで行ったんじゃないか?」
 新たに憶測を出したのは、景一だった。
「噴水の所にも園芸部が管理してる花があるし。そこを忘れてて、もしくは横田先輩たちに会わないよう、今、行くのかもしれないし」
 それなら理屈は通る。興だって、自分に暴力を振るう相手には近づきたくないだろう。それが部活で行かなければならないとはいえ、避けたいはずだ。
「そういうこともあるね」
 景一の見解には、純だけでなく良智も納得した。
「ほら、飯食いに行こうぜ」
 納得を得られたことで、景一は自分たちの本来の目的へと流れを戻した。
「うん、そうしよ。俺、もう腹減ってるからさぁ」
 それによって、良智の意識も切り替わることになった。
 あまりにもあっさりとした変え方には心配はないのかと思わせるが、景一の考えが当たっているなら、心配するほどでもないことなのだ。さすがに不良とて戻ってくるだろうし、居たら居たで興も引き返すだろう。
 三人は歩き出した。
 そのことでよけい、良智の意識が食事へと向く。今日は何かとか、声音と表情からして楽しみにしているというのが表れる。さらには、空腹加減を腹からも主張する。
「…………」
 この周囲に響くほどの大きさに、良智の言葉が途切れた。
 良智の腹の虫はよく聞く。一日に一回は聞いているかもしれないと思うほど、この一週間で聞いている。けれど、今のは初めて聞く大きさだった。
 その、今までにない大きさには、純と景一から笑声が漏れた。
 可笑しいからではなく、苦笑いというわけでもない。それだけ減っていたのかという、納得に笑うしかないというものだ。
 一方、よく聞かれている良智は、今までにない音量だったからか、笑われたからか、顔を赤くしている。
「他に聞かれなくてよかったな」
 たぶん、彼らにとっても今までにない大きさだったのだろう。笑みを含んだまま景一は言った。もしかしたら、景一は純と違って可笑しくもあったのかもしれない。
 良智は赤らめたまま無言で頷いた。
 そんな良智にも可笑しそうに笑いを零す景一と、恥ずかしさでそっぽを向いてしまった良智に、それこそ純は小さくながらも苦笑を漏らした。


 林の中を興は歩いていた。
 その表情は、緊張で無表情に近い硬さを持っている。
 そこからさらに少し進んだところで木々は途切れ、出たところで興は立ち止まった。
 噴水の周りに生徒が集まっているのを視界にめる。
 数は四人。その彼らの後ろ、噴水の横には島山が立っている。呼び出しに使われたのだから居て当然だ。島山といつもいる二人はいない。
 だからといって、気が和らぐものではない。
 止まったとはいえ草の踏む音でも聞こえたのか、話していた彼らがこちらに気付いた。
「待ってたぜ」
 噴水の縁に腰掛けていた生徒のうち一人が立ち上がった。彼が、呼び出しを命じた本人――リーダーである横田だ。意外に薄く髪を染め、男らしい顔立ちをしているくらいで目立ちは少ないが、態度が大きそうな雰囲気が全体的に表れており、不良うんぬん関係なく関わりたいとは思えない相手だ。
 歩み寄って来ようとする彼に、興は思わず身構えた。増した硬質さが面持ちに表れる。
「おいおい。なに下がってんだよ」
 文句ではない。呆れでもない。だからといって窘めでもない。だけれど、そこには逃げることを許さない気配が確実に纏われている。
 しかも、近づいてくる彼の背後で他の者達も立ち上がりだしていては、興の緊張も増してしまわずにはいられないというものだ。
 幸いなのは、三年しかおらず、その三年も全員ではないということだ。
 島山は、居続けるか帰るかだけで介入してこない。今も、無愛想な表情で、瞳だけで様子を窺っている。その瞳は、無愛想以上に刺すように冷たく、まるで、この状況を快く思っていないようですらある。
 だが、一人がそんな表情をしているからとはいえ、上級生の行動に変更はない。
「ほら」
 言葉にない強制と、この後に行われることへの嫌悪、逃げても後で反動がくることを理解していることも相俟り、動けずにいる後輩のところまで来た横田は、その二の腕を掴んだ。
「来い」
 強く引っ張り、連れて行かれる。
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指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
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