純情なる恋愛を興ずるには

有乃仙

文字の大きさ
上 下
8 / 49
キズは自分にしか分からないこと

二ー3

しおりを挟む
                  □□□

 ふいに意識が浮上し、純は目を覚ました。
 どこかで何かの音が鳴っていたような気がしたが、気のせいだろうか。
「…………」
 続いて視界に映った天井に、純は状況を一瞬にして思い出した。
 どうやら、しっかり眠りについていたらしい。しかも、姿勢が変わっていないことや寝る前よりすっきりしていることから熟睡までしていたことが窺える。落ち着かなさを感じながらも目を閉じてしまえば眠れるらしい。
 横を見てみれば、興もまだそこにいた。
 寝る前とは打って変わってこちらを向いており、隣のベッドから拝借した枕に顔の四分の一ほどが埋もれている。目覚めはまだ遠いようで、未だ小さな寝息が漏れている。
「――――」
 しばし見つめると、純は体ごと興を向いた。
 改めて彼を見る。
 興は、意外に整った顔立ちをしていた。だからといって女っぽいというわけではなく、男前な容姿だ。けれど、男臭さというのはまったくない。格好良さとしての、容姿端麗な容貌だ。すでに思っていたことではあるが、同じ男でもついまじまじと見てしまうほどだ。
 今は下がっている眉は整えているのか意外に細く、伏せられた目にかかる睫毛もこれまた長い。すらりと形よく伸びた鼻に、その下にある、少し開いている唇には艶と膨らみがある。
 その、唇のところで視線が止まった純は、その唇に指を伸ばした。
 人差し指で押すように軽く触れる。
「気になるか?」
「うわっ」
 瞬間、上から声が振ってき、純は驚き声を上げた。
「先生!」
 反射的に枕元を見上げてみれば、西町が立っていた。
「そんな驚くなよ」
 そうは言われても、いきなり声をかけられれば、それも間近ですれば誰だって驚くだろう。しかも、唇に触れた途端だ。
「い、今のはですね……!」
 だが、驚きは一瞬。気まずくなるところを見られたわけでもあり、驚く以上に純は焦ることになっていた。身を起こしながら、訳も何も思いつく前に言い訳を語ろうとする言葉が飛び出す。
「橋川」
 そんな純に対して、西町はからかうことも、意地悪い笑みを浮かべることもなく、いたって冷静だった。
「お前、興に認められたみたいだな」
「え?」
 焦りを気にも留めずに放たれた事柄に、純の慌てた心持ちはいっきに沈静化した。
「お前自身のことも、前の学校であったことも、みんな含めて受け入れたみたいだ」
「そうなんですか?」
 それは実に嬉しいことだったが、反面、真実性にいまいち欠けてもいた。
 興が理解してくれた言葉をかけてくれた時、確かに嬉しさが純を覆った。だが、こうして冴えた思考になってみると、今までの周囲の反応もあって疑いの方が出てきてしまう。
「ああ。じゃなきゃ、隣でなんて寝たりしない」
 だけれど、西町は間違いないことであることを言った。
「寝たとしても隣のベッド。あくまでも友人ってだけの奴に気を遣っても、そこまで近くはならない。だから、サボりってのも嘘。橋川が心配だったんだよ」
「…………」
 語る西町に、純は若干なりとも信じられない気持ちになった。
 興が心配してくれていた。
 興が言っていたのは照れ隠しみたいなものということだろうか。もしかしたら、背を向けていたのもそれを悟られないようにするためだったのか。だが、それが本当なら、興は辛さを分かってくれたのだ。
 真実性が高くなり、嬉しさが戻ってくる。
「でも、だからって勘違いするなよ」
 そんな純の内心を読み取ったかのようなタイミングで開口した西町が言ったのは忠告だった。
「興のこと聞いたなら、不良がまだ目、付けてることも知ってるよな?」
「はい」
「こいつは、自分で対処できるって言ってるし、実際、前より関わりは減ってる。でも、一緒にいることでそいつを巻き込むかもしれないっていう不安は持ち続けてる。だから、いくらお前を認めたといっても距離はあけるはずだ。お前も目、付けられたくなかったら、そこんとこはわきまえるようにな」
「分かりました」
 その忠告を、純は受け入れた。
 認めてくれたのは嬉しいし、関わりを持ちたいとも思うが、こうやって教師の立場にいる者まで注意してくるのだ。良智からも関わり方なるものを聞いているし。なにより、興がそうした距離の取り方をしているというのだ。それが関係の持ち方ならば、そうするしかない。
 西町は刻む程度に笑みを作った。
「それでな」
 理解してくれたことへの喜色か、それとも、話題転換のための笑みだったのか。さらに続きがあるような、変えるような接続後を口にした西町は言った。
「興も触ってっから」
「はい?」
 けど、純には意味が伝わらなかった。
「お前の唇」
「え……!?」
 それを言われればさすがに分かる。というか、真面目な話の後にそれを振るか。いや、それより、興までがそんなことをしていたとは。
 思いもしなかったことが起きていたことに、純は素早く横を見た。
 興は、未だ眠りについていた。真隣で応酬が交わされ、純が何度か大きな声を出しているというのに起きる気配もない。
「薄っぺらいって言ってたぞ」
「薄っぺらい……」
 そりゃあ、女に比べれば膨らみには欠けるだろう。けれども、男としてその感想はどう捉えるべきなのかは判断に困る。異性に興味はあっても各部位の男女差までの知識などない。当然、女性が好む唇なんてものも知らない。
 と、興が身動みじろいだ。瞼が開く。
「んんー……」
 小さく唸りながら仰向けに寝返りを打つと、腕を伸ばして背伸びをする。手はベッドの支柱に当たることなく器用に間を抜けていったが、引き戻す時にぶつかり、痛さに小さく声に出る。寝起きゆえか、なんともマイペースなことだ。
「やっと起きたか」
「ん」
 西町の声に、興は仰向けのまま声の主を見上げると、返事だろう、声を漏らした。
「はよ」
「おはよ」
 それから、起き上がりながらこちらにしてくる興のあいさつに純も返す。
 そして、身を起こして改めてこちらを見た興の目が、窺うように見据えてくる。
「なに?」
 見つめてくることに、純は尋ねた。
「すっきりしてんな」
「そう?」
 確かに気分は寝る前よりすっきりしているが、表情にも表れるくらいの変わりっぷりだろうか。
「興の言った通りだ」
 カーテンを開け終わった西町も同意する。
「落ち込む以上に暗くもあったが、今は無くなってる。気分も軽いだろ」
「――はい」
 言われてみれば、すっきりというよりは軽いという方が合っている。たしかに落ち込んだし、話している時は辛さも思い出していた。それが、話しただけでこんなに軽くなるとは。寝たということもあるかもしれないが、かなりの効果だ。
「その足。マッサージとか繰り返したら治ったりしないのか?」
 そう疑問を投げかけてきたのは興だった。
「どうなんだろうな」
 分かりかねることに純は怪訝で返した。原因がはっきりしているならばまだしも、異常がないと診断されていることだ。分かっていればすでに実践しているし、分からないからこそ、こうして苦しんでいるのだ。
「指圧ってのもいいかもしれないな」
 言ったのは西町である。
「指圧?」
「指で押すってことだろ」
 聞き返した純に興が答えるが、それは純も分かっていることだ。
「効果は実証されてるらしいぞ」
「そうなんですか?」
 いったいどこで実証されているのか。
「じゃあ、それでやってみろよ。そんで、本当かどうか教えてくれ」
 傍らから実行の命令がかかってくるが、それは実証検分しろと言っているようなものではないのか。
「俺も本当か知りたいから教えてくれよ」
 それどころか、提案した西町までがそんなことを言ってくるではないか。言った本人なのだから知っているのではないのか。
「実証されてるんじゃないのか?」
 興もそこのところを取り上げる。
「そういうことを何かでちらっと聞いただけで、本当かまでは俺も知らないんだよ」
 怪訝に、西町はそう返した。だから〝らしい〟と言ったのか。
「なんだ。そうなのかよ」
 興はどこかがっかりしたようだった。自分のことではないのにそんな反応するなんて、心配してくれているのだろうか。
「でも、それだけで治るなら、やってみる価値はあるだろ」
「まあ、な」
 西町の言い分に、興は歯切れが悪いながらも納得を示した。
「じゃあ、やっぱやってみろよ」
「そうしようかな」
 歯切れが悪いながらも納得できることではあるからだろう。再び進めてくる興に、純も挑戦してみようという気が出てきた。
「ああ、してみろ」
「うん」
 この足が治ってほしのは切実な願いだ。可能性があるなら試してみるのもいいかもしれない。
 その時、ノックの音が室内に響いた。
「失礼しまーす」
 入って来たのは二人の生徒だ。
「あ」
 その生徒に、純は小さくながらも声を漏らすこととなった。
 入ってきたのが、景一を伴った良智だったからだ。心配して来てくれたのだろうか。が、何も景一まで連れてこなくてもいいだろうに。捻った(ことになっている)のだから、戻っても体育は参加できないし、ここで休んでいたと思えばいいだけのことだ。景一まで連れてくるほどではないだろうに。
「よ。足捻っただけでサボりなんて、お前もやるな」
 歩み寄ってきながら景一が軽い口調で声をかけてくる。
「だって、戻ったってできないし。ここで休むことにしたんだよ」
 つっかえることなく言う純だが、よくもまあさらりと出たものだと、内心、自分自身で感心していたりする。
「でも、次の授業には出られるよね? 教室だし」
「そりゃあ、まあ……」
 椅子に座っているだけで動くことがないのだ。出られるに決まっている。けれども、何故そんな分かりきったことを聞くのか。良智の尋ねに怪訝に思った純だったが、ふと、もしやと思わされる。
「あれ……? もしかして、終わった……?」
 少し慎重に確認してみる。
「終わって今は昼休みだよ」
「うそ……いつの間に?」
 良智の回答は勘通りであり、それゆえ驚かされるものだった。
 そんなに寝た感覚はなかったのだが、一時間以上も経っていたとは。でもだから景一も一緒なのか。目を覚ます直前、遠くの方で何か音が鳴っているような気もしたが、チャイムの音だったのかもしれない。
「もう、昼なんだな」
 興も思わなかった時間経過だったようで、声音には意外さが含まれていた。ものの、口調そのものは呑気なものだ。サボってしまったということになんとも思っていない感じである。
「分かると思うんだけど」
 時間感覚のない二人に対し、良智はぼやくように言った。そんな彼こそ、ベッドに乗っていることに寝ていたと考えつかないのだろうか。そうすれば、気付かなかった理由も推測つくだろうに。
「もしかして寝てたとか?」
 一方、景一はちゃんと憶測が立てられたようだった。
「ああ……んん、まあ……」
 とはいえ、はっきりと返せるものではない。
 純は、どちらかといえば真面目に入る。面倒臭いと思ったり怠けたいと思ったりすることもあるが、授業をサボることはやっていけないことだと思っている。それをやってしまったわけであり、訳はあれど、言いづらいことだ。
 けれど、救いの手――というほどでもないが、そんなものが出された。
「ほら、迎えも来たことだし。もう行け」
 西町が退室を促してきたのだ。
「あ、はい」
 逸らすというにはそれほどのことではないが、純にはありがたいことだった。純はそちらへ意識を向けた。
 とはいえ、それが一時いっときのことで、出ればまた振られるかもしれない危惧があったのだが、今の純には入っていない。
「興は?」
 ベッドを降りるが、今一人には動く気配すらないことに、純は尋ねた。
「俺はもう少しいる。午後の授業には間に合うように戻っから」
「分かった」
 まだ眠いのか、なんだかだるそうな雰囲気の興だったが、校長の親戚でもある者がしょっちゅうサボるわけにもいかないだろうし、ちゃんと戻ってくるだろうと判断する。
「次は気をつけて転べよ」
「どんな注意ですか」
 歩き出した純に西町が養護教諭らしく言葉を送ってくるが、そんな注意のされ方をされても困るというものだ。咄嗟に反応が出来るようにもなってきているとはいえ、前触れないことに何を気をつけるというのか。
 が、そんなことは後回しにしておかなければならない難関が純を待っていた。
「あれ、足は大丈夫なの?」
 良智がそう聞いてきたのだ。
「え?」
 瞬間、純はマズイと思った。
 自分は足を捻ったことになっている。大なり小なり歩みに表れることだ。
 が、自分は今、何事もなくしっかりと歩み出してしまったではないか。
「ああ。思ったより軽かったみたいで、寝てるうちに治ったみたい」
 焦りは一瞬。なんとか理由を付ける。しかし、
「やっぱ寝てたのか」
 景一がそう言ったことで、やり過ごせたと思った事柄が再び呼び戻されることにもなった。しかも、確定として。
「ああ、うん、まあ……」
 せっかく西町が行動を呼びかけてきたことで逸らされたと思ったのに。これではなんの意味もない。
「お前が気をつけるのは足だけじゃなく口もだな」
「…………」
 興が小さく呟いたのが聞こえたが、心当たりがありすぎるだけに言い返せない。
「ほら、早く行け。昼ごはん食べられなくなるぞ」
 けれど、西町の言葉でまた動き出す。
「そうだ。早く行こ」
 お陰で良智の意識もそちらへと向いてくれた。この中で一番エネルギーを消費しやすいのは良智だ。純の退場後もなんだかんだと動いているだろうし、その分、腹も空かせているはずだ。
 歩き出した良智と景一に続き、純も足を踏み出そうとして――興を振り向いた。
「ありがと」
 礼を言う。
「ん」
 それに、興が返したのはそれだけだった。けれど、その顔には微笑が浮かんでいる。
 そのことに、礼を言った時に浮かんでいた笑みが口からも漏れる。
 たった短い時間で、興への好感がかなり上がっていた。
 クラスメイトだけではなく、友人にもなりたいと思うほどに。
 そして、普通の足取りで歩き出すと、廊下に出た所で待っていた良智と景一と合流し、純は保健室のドアを閉めた。
しおりを挟む
指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
感想 0

あなたにおすすめの小説

きみがすき

秋月みゅんと
BL
孝知《たかとも》には幼稚園に入る前、引っ越してしまった幼なじみがいた。 その幼なじみの一香《いちか》が高校入学目前に、また近所に戻って来ると知る。高校も一緒らしいので入学式に再会できるのを楽しみにしていた。だが、入学前に突然うちに一香がやって来た。 一緒に住むって……どういうことだ? ―――――― かなり前に別のサイトで投稿したお話です。禁則処理などの修正をして、アルファポリスの使い方練習用に投稿してみました。

僕の王子様

くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。 無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。 そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。 見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。 元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。 ※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について

はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

いとしの生徒会長さま

もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……! しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...