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キズは自分にしか分からないこと
二ー2
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「後は俺一人でいいから」
体育館を出、校舎の廊下に入った所で純は進言した。
「いいから行くぞ」
しかし、興は手を放すことなく、前を向いたまま歩いていく。
「ほんと、大丈夫だから」
言った瞬間、興は立ち止まった。手を放して振り向く。そして、
「んじゃ、行くか」
「え?」
言って歩き出した興に、正直、純は何言ってるんだと思った。
「……ちょ、興」
進んで行く興を咄嗟に追う。が、
「あ」
軽くながらも駆けだしてしまい、純は己の失敗に気付いた。
その声に反応したのかなんなのか、立ち止まった興が振り返る。
「やっぱ嘘か」
その口から出たのは、予測済みであったという発言。
それには、驚かされると同時に嘘がばれての気まずさを感じずにはいられなかった。
「あー……」
「始まる前から暗いから、嫌なのかと思ってたけど、転ぶのがやだったんだな」
「…………」
正確には、後遺症によって転ぶのが嫌なのだが、言うのは躊躇われた。
「でも、けっこう慣れた感じだったし、バスケ部の奴から見ても上手いって思われてたな」
それはそうだ。自負するくらいなのだ。できて当然である。後遺症のことがなければもっと動いてもいるほどだ。
「だから行くぞ」
続けて発せられた言葉は、理解しかねるものだった。
「意味分かんないんだけど」
下がっていた顔を上げた純は、踵を返して歩き出した興の背に発した。その、『だから』とはどういう意味なのか。
「分かんなくていい」
立ち止まりはしたものの、尻目に振り返った興は取り合ってくれなかった。
「……興……」
だが、意味がありそうな言い回しには純も納得しにくい。
三度、歩き出した興だったが、純の呼びかけに応えてか、再び立ち止まると横顔だけを振り返らせた。
「なんかあるんだろ? そのなんかで居づらくなったんだろ?」
興は言った。
「…………」
そうである。だから、勘違いされたことを体育館を出る口実にしようとしたのだ。でも、なぜ分かったのか。憶測が立てられるくらい端から見ても落ち込んでいたのか。なるべく気付かれないようにしたつもりだったのだが。
「ほら、行くぞ」
「…………」
歩き出しながら促されるが、純はすぐに動けなかった。けど、声をかけないからか、興は背後を気にもせず歩いていく。
仕方がなく、純も進みだした。
「――なんで分かるんだ……?」
支障のない足取りで興の後ろまで追いかけると、純は尋ねた。
「暗かったからだよ」
興は前を向いたまま言った。
「こけたにしてはやけに落ち込んでたし。なんかあるんだなって思ったんだよ」
興は見事に見抜いていた。だが、事情を知っている良智ならともかく、声をかけてきたクラスメイトも教師も気付いていなかったというのに、どこで見抜いたのだろうか。もしかして、見つめてきていた時か。
「…………」
足を捻ったのが嘘で――というか、興が勘違いしたのをそのまま利用したのだが――、さらに落ち込んでいたことに気付いて体育館から出させてくれたり、いや――勘違いしておきながら捻っていないことに感づいていたということは、初めからある程度察していて自分を連れ出してくれたということになる。
興は、そういう事が出来る人物ということなのか。
もしそうなら、意外とすごいかもしれない。
そのまま興について行くと、着いたのはあるドアの前、保健室だった。
「保健室なんだ」
捻ったということからいけば行き先はそうなるが、実際は捻ってはいないのだ。興はどうするつもりなのか。
「当然だろ」
ドアを開けながらしごく当たり前のように興は返してくるが、何が当然なのかいまいち分からない。
興に続いて中に入ろうとした時、ふと視界に入った入り口の脇に目を転じると、「西町弘基」と書かれたネームプレートがあった。興の親戚でもある養護教諭はそういう名前らしい。
「お前達か」
用があるから来た。まさにそんな歩調で入っていく興に続いて入っていくと、事務机にいた養護教諭――西町というらしい彼が声をかけてきた。
「体育か。また転んで興の股間にでもダイブしたのか?」
格好で分かったのだろう。納得し、来た理由を推測するが外れである。興といるからといってそういう解釈をしないでもらいたい。昨日、クラスメイトに散々からかわれもしたし、興が気にしていないのだから早く忘れさせてほしい。
「してません」
「転んだのは合ってるけど、俺は傍にいなかったからなんともない。その代わり、足捻った」
否定した純に続き、興も説明する。
「しっかりと怪我してるのか。見せてみ……」
「ってことにして、休ませてやって」
捻ったと聞いて真摯な眼差しになった西町だったが、立ち上がったところで興は口を挟むように発言を続けた。
「は?」
西町は聞き返した。
それで、純も興の目的を理解した。捻ったという嘘を口実にサボろうというのだ。
けれど、である。
「興、いくら親戚っていったって、それは無理なんじゃないか?」
親戚だからといって贔屓せず公平に扱うと、校長もしているというのだ。彼だって同じに決まっている。対象は純でも、頼み事をするのが興では同じことだ。だからといって、純自身、頼む気はない。
「理由によるな」
だが、椅子に座り直していた西町は、すぐに判断することはしなかった。
「なんかあるみたいで落ち込んでるから」
「ちょ……興……」
ストレートに理由を語る興に、純は少々焦らされた。
「俺、そんなに落ち込んでるわけじゃないんで、戻りま……」
他人から聞けば、そんな事と思われるようなことだ。そんなことで迷惑をかけるわけにはいかないし、そういうことを悩みで抱えていることも知られたくない。
否定する純だったが、早口ぎみの否定は最後まで言えなかった。
「落ち込んではいるのか」
西町がそう聞き取ったからだ。
純は言葉が返せなかった。言っている意味が分からなかったのだ。
傍らの興は、表情を変えることなく純を見ている。その表情に変化はなくとも、言葉もなく見続けているということに、何かはやらかしているのだということを察することができる。西町も返答を待って口を閉じているので、室内に沈黙が落ちることにもなった。
「え?」
少しして、言われていることが脳内に入ってきた純はそれだけ反応することができた。
だが、何故そうなのかが、まだ分からない。
「違うのか?」
西町が確認してくる。
それに対し、純は興に顔を向けた。
「そういうことだろ?」
興も、言葉違いに同意見であることを述べる。
「――――」
純が意味を理解したのは、それからさらに数秒してのことだ。
自分の発言がどうで、どういう意味合いが含まれていたかを認識する。
それはつまり、無意識のうちに事実を発していた、ということである。
「…………」
やらかした。額を押さえながら純は俯いた。
「お前って、隠し事とか嘘とか苦手そうだな」
そんな純に興は感想を述べるが、そうかもしれない。この間も失言しているし、自分は下手なのかもしれない。
「……悪い、名前なんだっけ」
そう聞いたのは、純が理解したとなってから、何やら卓上をあさり白紙を取り出した西町だ。
「橋川純」
答えたのは興である。
「橋川。落ち込んでる理由、聞いていいか?」
それから、純本人に尋ねをかけてくる。
「…………」
純は躊躇った。一度上げた顔の中、瞳が下がってしまう。
「……それは……」
他人には大したことではないと思える事だ。返ってくる反応も想像ついているため言いにくさしかない。
良智と景一には話したが、強制的な部分があったし、なにより、事故のことしか話していない。でも、ここではそれ以上も話さなければならなくなる気がする。
「言いたくないならそれでもいい。強要はしないからな」
気が進まなさそうな純の様子から、西町は気持ちを察してくれたらしかった。大人なだけあるということなのか。
「でも、言ったら楽になるってこともある」
一方、言うことを推奨したのは興である。
純にとっては遠慮したい勧めだが、楽という単語には少なからず意識させられた。
「それもあるな。でも、内容にもよるだろうな」
年下の親戚の反対の見解に、西町は一概には言えないことでもあることを返した。
「それが、聞いてもらうだけで楽になることなのか。相談することで解決したいことなのか。聞いた側が受け入れるか受け入れないか、ってのもあるな」
意外にも真面目に指摘を施す西町に、興は感心と思案が表れた。考えていなかったことを講師に取り上げられ、さらに知識を得た受講生のようでもある。
(……俺は……)
だが、純の思考は、興が言った楽と西町の講義に回されていた。
自分のことはそれ程のことではない。しかし、前の学校でのことは間違いなく純を追い詰めている。周囲が言っていた、『そんな事』で片付けられたくないことだ。
そんな思いを抱いている自分は、西町の言ったどれに当てはまるのか。
聞いてもらいたい気持ちはある。聞いてもらって楽になりたい。けど、ただ聞いてもらいたいわけじゃない。苦しさを分かってもらいたい。
つまり、認められたいと思っているのだ。
「橋川。休んでいいぞ。ベッドも使っていいしな」
純が、自分の気持ちがどれに当てはまるのかを導きだしたところで、西町が許可を出してきた。何も語らないながらも認める条件を満たしたのだろうか。
「じゃ、俺は戻るかな」
「当たり前だな」
純の休養が決まり、己の行動を口にする興に西町も適正な判断であることとして扱う。
けどその声で、興も大事に巻き込まれていたことを純は思い出した。
その時の興は、どうだったのだろうか。
「――興は……」
気付くと、純は声に出していた。
「ん?」
歩き出していた興が立ち止まり振り返る。
しかし、純はそこで言い淀んでしまった。
興から聞いたわけではないし、興とてあまり知られたくない事のはずだ。本人から聞いたわけでもないことを聞いてもいいのだろうか。
「んだよ」
「…………」
黙ってしまった純に、興は怪訝にした。だが、浮かんだ躊躇いが聞きにくくさせている。
けど、知りたい。
「……どうだったんだ?」
しばしの沈黙後、尋ねることにした純だったが、声は小さくなってしまっていた。
「どうって……ああ……」
前置きも何もない尋ねは当然ながら意味が伝わるものではなかったが、すぐになんのことか通じた。
「そりゃ、聞いてるか」
小声で納得する。それから興は答えてくれた。
「弘基さんに言ってたな」
「俺な」
「ひろき」とは誰かと思ったが、知らないと分かっていたようで西町が明かしてくれる。そういえば、ネームプレートに書いてあった。
「もっとも、興の場合、接する奴がいなくなったってのもあるけどな」
巻き込まれるのを恐れ、皆が興から一線を引いていた時だ。興も距離をあけていたとはいえ、よりどころは必要としていたらしい。
「愚痴もたくさん聞いたしな」
「おかげで、今の状態にまで戻れたかな。サンキュ」
「どういたしまして」
「…………」
それを聞き、この人なら話してもいいかもと純は思った。同時に、この養護教諭も同じかもしれないという不安も過ぎる。
けれど、興の事があったのだから、理解は示してくれるかもしれないという期待も芽生えていた。
「……俺は……」
興と西町の間で会話が続く中、沈黙していた純は期待にかけることにした。
「……前の高校でサッカー部に入ってたんだ」
語り出した純に、興が戻ってくる。
「それで?」
ベッドに腰掛けると、早くも途切れさせてしまった先を興は促した。
が、決めたとはいえ、不安がまだ大きかった純はすぐに再開できなかった。けど、二人から真剣に聞いてくれる雰囲気があったことに、純は最後まで語ることを心に決めた。
「……事故に遭って、足を骨折したんだ」
それでも、取り払われていない不安と拭い切れていない過去を語ることで声音は沈んでしまっている。
「俺も気付いたから逃げたんだけど、足がぶつかっちゃって……」
純は手の届く太股に触れた。
「足は治ったんですけど、足の感覚がなくなることが出てくるようになって……」
初めは頻繁ではなかったのだが、今では毎日、必ず一回は起こるようになっていた。転ぶかどうかは発症する時によるが、転校後は狙われているように転倒している。
「動いていれば、転ぶことが多いんです」
「もしかして、何もないのに転んでたのって」
そこのところで興が理解を示した。興の前では三度、しかも二度は、器用に下半身の上に倒れている。
「その後遺症のせいなんだ。今は防げるようにもなってきたけど、重心が傾いてると転びやすいし、足の感覚もなくなるから、余計、バランス取れなくなって転ぶんだ」
「そうだったのか」
「なるほど」
興に続き西町も納得した。その表情は真面目なままで、白衣を着ていることもあってか患者から症状を聞いている医者にも見えなくない。
「診てもらったんですけど、異常はないって言われて。異常がないならどうしようもないってことで、そのままになったんです」
だから今も影響があり、運動も、苦手分野のように気が沈むくらいにまでなっているのだ。
「症状出てるのに、結果に出ないことなんてあるのか?」
興は疑問にした。その相手は純ではなく西町だ。
「俺は専門じゃないからな。全く分からん。でも、そういう結果が出たってことは、あるってことだろ」
西町はきっぱりと言い切った。
「それで、サッカーはどうしたんだ?」
それから先を促してくる。純にとっての、一番の辛いところであり、一番認めてもらいたいところだ。
「続けてました。サッカーはもともと好きだったし、サッカー部のみんなも励ましてくれたので……」
後遺症のせいで落ち込み始めていた純は、その時は仲間の励ましに助けられていた。しかし、
「でも、本音じゃなかったんだ……陰で文句言ってるの聞いて……邪魔だとか、迷惑だとか……本当はこう思ってるんだって。口では励ましておきながら、陰では迷惑者扱いで……」
励ましに救われていた純にとってはショック以外のなにものでもなかった。
「……その陰口が耐えられなくて、サッカー辞めたんだけど、辞めて当たり前だって言ってるのまで聞いちゃって……足のことも学校中に広まってるし……サッカー部の誰かが広めたみたいなんだけど、みんなが俺が悪いように言ってるんだ。それが辛くて……学校にも行きたくなくなって……学校変えたいって親と教師に言ったんだけど、そんな事って言って聞き入れてもらえなかった。気にすることじゃないって言うけど、俺には駄目だった……父親と言い合いにもなったけど、なんとか転校させてもらえることができて、ここに通うことになったんだ」
一通り、純は語り終えた。
興も、西町も何も言わなかった。それが、終始持っていた不安を煽る。
「――学校が変わっても、知られれば同じことになるとは考えなかったのか?」
話さなければよかったか。そう思った時、西町が開口した。
「俺はそこまで考えてなかったけど、親にも教師にも言われました。どこに行っても同じだって。でも、とにかくそこにいたくなかったんです。サッカーを辞めてもメンバーはいるし、足のことも部以外に広まってるし、しかも、良くなく広まってるから……」
今の説明で分かってもらえるとは思っていない。前の高校の教師も、親も分かってくれなかったのだ。現状を知っていて分からなかったのだから、説明を聞いただけの二人が理解できるとは思っていない。
しかし、求めているのは認められることだ。
「…………」
理解してのことか、やはりできていないためか。それとも、聞いたことへのただ単なる反応か。西町は鼻から小さく息を吐くように相槌を打った。だけどそれが、純の沈んだ感情を追い込むものにもなった。
「純」
それに対し、興は名を呼んできた。興の口調は変わらずで、表情にあった真剣みも薄らいでいるものの、呆れや、純の不安を肯定するような感応は表れていない。
「ここ」
隣を叩いて何やら意思表示してくるが、座れということだろう。
純は隣に腰を下ろした。
すると、興は頭に手を置いてきた。頭が傾ぐくらい押してくる。
「辛そうな顔してた時もあったけど、結構、辛かったんだな」
その言葉は、純の胸をついた。
「泣いたか?」
続けてかけられたのは、そんな尋ねだった。
「え?」
どうしてそんなことを聞くのか。理解しかね、純は興を見た。といっても、手を置かれ続けているため下を向いたままでだが。
「泣いてないけど……」
純は言った。泣いてしまえば自分はさらに弱くなる。どこかでそう思っていた部分もあり、純は泣かないようにしてきた。
「辛い時は泣くのもいいもんだぞ。少しはすっきりするし」
「…………」
助言や勧めというより、語るという感じだった。声音も柔らかさがあるようにも感じられる。
けれど、泣きたいわけじゃない。自分の辛さを認めてほしいだけだ。
「男だからとか、女だからとか、んなの関係ねえよ。泣きたい時は誰だって泣きたい。んで、前の学校にいるのを我慢したくなかったんだろ? なら、泣くのも我慢すんなよ。今まで我慢した分、ここで泣いちまえ」
「俺は別に……」
気持ちを分かってほしいだけ。それを言おうとした純だったが、目から流れてきたものに言葉を止めざるおえなかった。
涙である。
泣こうと思ったわけではない。自然と出てきたのだ。
手で拭おうとするが出てくる方が早く、拭き取る前にどんどん溢れていく。
「……っ……」
加え、喉が詰まりまでするではないか。
心は、思っていた以上に泣きたかったらしい。
膝の上に腕を乗せ、そこに顔を埋めるように隠す。涙と同じく止められそうにない嗚咽を聞かれたくなかったのだ。
泣き出してしまった純に、二人は何も言わなかった。
ずっと置かれている興の手が、優しく指先で頭を叩いてくる。
それは、撫でてもいるようで、赤ん坊をあやしている時のように、優しい手だった。
□□□
「で」
純は、ベッドに仰向けに寝転がっていた。
「なんでベッドに」
疑問を口にする。
ひとしきり泣いて落ち着くと、今度はベッドに寝転がるように促されたのだ。
「そのために来たんだから当たり前だろ」
言ったのは、隣で背を向けて横向きに寝ている興だ。こうするよう促した本人でもある。
「そうだっけ?」
休むというのはそうかもしれないが、寝る体勢に入るのとは違う気がする。
「ゆっくり休め。目も赤くなったし。そのまま戻ったら何かあったと思われるからな」
枕元の方にいる西町も寝ることに賛成的だ。
「はあ」
初めに許可した時にベッドを使ってもいいと言っていたが、ベッドを使う=寝るまでしていいらしい。しかしながら、戻らなかったら戻らなかったで、何かあったと思われるのではないか。
だが、反応が薄い以上にしまりない感応で応じた純だったが、気分はそれなりにすっきりしていた。話し、受け入れられ、そして泣いたことが、内側に溜め込んでいたものを吐き出したらしい。
けれど、打ち明けたばかりということもあり、沈んだ気持ちから回復しきっていないこととこの現状とで、それが面に表れるまでに至っていない純は気のない反応にもなっていた。
「――興は」
「心配してるんだよ」
興は戻らなくていいのか。そう聞こうとした純だったが、西町が返してくる方が早かった。
実は、しまりがないうえに、気力がないというか、しゃっきり感までがないのはこの為もあった。
付き添いなだけのはずの興までもがベッドに横たわっているのは何故か。
しかも、純よりも寝る気でいるようである。加え、真隣。隣のベッドではなく、手を少しずらしただけで簡単に触れられるくらい近い真隣だ。
この状況は何かと問いたい。
「サボりたいだけだ」
むこうを向いたまま、興は反論するように訂正をかけた。
「そうかそうか」
それに返す西町の態度は軽い。訳を知っていての応じ方をした通り、言葉に惑わされないくらい内心を分かっているのだろう。
「ゆっくり休め」
「はあ」
「お休み」
言葉は純に向けられたものだったが、まともに返したのは興の方だった。本当に寝る気らしい。これでは、完全にサボりと思われるのではないか。
興が居続けていることには何も言わず、西町もカーテンを閉めてしまう。
離れていく靴音がし、椅子に腰掛けたような音がする。彼も仕事に戻ったようだ。
静寂が訪れる。
「…………」
しかし、休めと言われてすんなり眠れるものでもない。自分の心情というのを考えてくれてのことだろうが、なんだか落ち着かない。
首だけ動かして横を向いてみれば、こちらに背を向けたままの興は身じろぎ一つしない。それどころか、微かに肩が上下している。
西町は心配していると言い、興はサボりと言っていた。実際はどちらなのか。聞くにもなんだか声をかけにくく、口を開くまでには至れない。
純は顔の向きを戻した。
おそらく、戻ると言っても止められるだろう。興もこの通りだし、自分も寝てしまった方がいいのかもしれない。
そう考えると、純は目を閉じた。
体育館を出、校舎の廊下に入った所で純は進言した。
「いいから行くぞ」
しかし、興は手を放すことなく、前を向いたまま歩いていく。
「ほんと、大丈夫だから」
言った瞬間、興は立ち止まった。手を放して振り向く。そして、
「んじゃ、行くか」
「え?」
言って歩き出した興に、正直、純は何言ってるんだと思った。
「……ちょ、興」
進んで行く興を咄嗟に追う。が、
「あ」
軽くながらも駆けだしてしまい、純は己の失敗に気付いた。
その声に反応したのかなんなのか、立ち止まった興が振り返る。
「やっぱ嘘か」
その口から出たのは、予測済みであったという発言。
それには、驚かされると同時に嘘がばれての気まずさを感じずにはいられなかった。
「あー……」
「始まる前から暗いから、嫌なのかと思ってたけど、転ぶのがやだったんだな」
「…………」
正確には、後遺症によって転ぶのが嫌なのだが、言うのは躊躇われた。
「でも、けっこう慣れた感じだったし、バスケ部の奴から見ても上手いって思われてたな」
それはそうだ。自負するくらいなのだ。できて当然である。後遺症のことがなければもっと動いてもいるほどだ。
「だから行くぞ」
続けて発せられた言葉は、理解しかねるものだった。
「意味分かんないんだけど」
下がっていた顔を上げた純は、踵を返して歩き出した興の背に発した。その、『だから』とはどういう意味なのか。
「分かんなくていい」
立ち止まりはしたものの、尻目に振り返った興は取り合ってくれなかった。
「……興……」
だが、意味がありそうな言い回しには純も納得しにくい。
三度、歩き出した興だったが、純の呼びかけに応えてか、再び立ち止まると横顔だけを振り返らせた。
「なんかあるんだろ? そのなんかで居づらくなったんだろ?」
興は言った。
「…………」
そうである。だから、勘違いされたことを体育館を出る口実にしようとしたのだ。でも、なぜ分かったのか。憶測が立てられるくらい端から見ても落ち込んでいたのか。なるべく気付かれないようにしたつもりだったのだが。
「ほら、行くぞ」
「…………」
歩き出しながら促されるが、純はすぐに動けなかった。けど、声をかけないからか、興は背後を気にもせず歩いていく。
仕方がなく、純も進みだした。
「――なんで分かるんだ……?」
支障のない足取りで興の後ろまで追いかけると、純は尋ねた。
「暗かったからだよ」
興は前を向いたまま言った。
「こけたにしてはやけに落ち込んでたし。なんかあるんだなって思ったんだよ」
興は見事に見抜いていた。だが、事情を知っている良智ならともかく、声をかけてきたクラスメイトも教師も気付いていなかったというのに、どこで見抜いたのだろうか。もしかして、見つめてきていた時か。
「…………」
足を捻ったのが嘘で――というか、興が勘違いしたのをそのまま利用したのだが――、さらに落ち込んでいたことに気付いて体育館から出させてくれたり、いや――勘違いしておきながら捻っていないことに感づいていたということは、初めからある程度察していて自分を連れ出してくれたということになる。
興は、そういう事が出来る人物ということなのか。
もしそうなら、意外とすごいかもしれない。
そのまま興について行くと、着いたのはあるドアの前、保健室だった。
「保健室なんだ」
捻ったということからいけば行き先はそうなるが、実際は捻ってはいないのだ。興はどうするつもりなのか。
「当然だろ」
ドアを開けながらしごく当たり前のように興は返してくるが、何が当然なのかいまいち分からない。
興に続いて中に入ろうとした時、ふと視界に入った入り口の脇に目を転じると、「西町弘基」と書かれたネームプレートがあった。興の親戚でもある養護教諭はそういう名前らしい。
「お前達か」
用があるから来た。まさにそんな歩調で入っていく興に続いて入っていくと、事務机にいた養護教諭――西町というらしい彼が声をかけてきた。
「体育か。また転んで興の股間にでもダイブしたのか?」
格好で分かったのだろう。納得し、来た理由を推測するが外れである。興といるからといってそういう解釈をしないでもらいたい。昨日、クラスメイトに散々からかわれもしたし、興が気にしていないのだから早く忘れさせてほしい。
「してません」
「転んだのは合ってるけど、俺は傍にいなかったからなんともない。その代わり、足捻った」
否定した純に続き、興も説明する。
「しっかりと怪我してるのか。見せてみ……」
「ってことにして、休ませてやって」
捻ったと聞いて真摯な眼差しになった西町だったが、立ち上がったところで興は口を挟むように発言を続けた。
「は?」
西町は聞き返した。
それで、純も興の目的を理解した。捻ったという嘘を口実にサボろうというのだ。
けれど、である。
「興、いくら親戚っていったって、それは無理なんじゃないか?」
親戚だからといって贔屓せず公平に扱うと、校長もしているというのだ。彼だって同じに決まっている。対象は純でも、頼み事をするのが興では同じことだ。だからといって、純自身、頼む気はない。
「理由によるな」
だが、椅子に座り直していた西町は、すぐに判断することはしなかった。
「なんかあるみたいで落ち込んでるから」
「ちょ……興……」
ストレートに理由を語る興に、純は少々焦らされた。
「俺、そんなに落ち込んでるわけじゃないんで、戻りま……」
他人から聞けば、そんな事と思われるようなことだ。そんなことで迷惑をかけるわけにはいかないし、そういうことを悩みで抱えていることも知られたくない。
否定する純だったが、早口ぎみの否定は最後まで言えなかった。
「落ち込んではいるのか」
西町がそう聞き取ったからだ。
純は言葉が返せなかった。言っている意味が分からなかったのだ。
傍らの興は、表情を変えることなく純を見ている。その表情に変化はなくとも、言葉もなく見続けているということに、何かはやらかしているのだということを察することができる。西町も返答を待って口を閉じているので、室内に沈黙が落ちることにもなった。
「え?」
少しして、言われていることが脳内に入ってきた純はそれだけ反応することができた。
だが、何故そうなのかが、まだ分からない。
「違うのか?」
西町が確認してくる。
それに対し、純は興に顔を向けた。
「そういうことだろ?」
興も、言葉違いに同意見であることを述べる。
「――――」
純が意味を理解したのは、それからさらに数秒してのことだ。
自分の発言がどうで、どういう意味合いが含まれていたかを認識する。
それはつまり、無意識のうちに事実を発していた、ということである。
「…………」
やらかした。額を押さえながら純は俯いた。
「お前って、隠し事とか嘘とか苦手そうだな」
そんな純に興は感想を述べるが、そうかもしれない。この間も失言しているし、自分は下手なのかもしれない。
「……悪い、名前なんだっけ」
そう聞いたのは、純が理解したとなってから、何やら卓上をあさり白紙を取り出した西町だ。
「橋川純」
答えたのは興である。
「橋川。落ち込んでる理由、聞いていいか?」
それから、純本人に尋ねをかけてくる。
「…………」
純は躊躇った。一度上げた顔の中、瞳が下がってしまう。
「……それは……」
他人には大したことではないと思える事だ。返ってくる反応も想像ついているため言いにくさしかない。
良智と景一には話したが、強制的な部分があったし、なにより、事故のことしか話していない。でも、ここではそれ以上も話さなければならなくなる気がする。
「言いたくないならそれでもいい。強要はしないからな」
気が進まなさそうな純の様子から、西町は気持ちを察してくれたらしかった。大人なだけあるということなのか。
「でも、言ったら楽になるってこともある」
一方、言うことを推奨したのは興である。
純にとっては遠慮したい勧めだが、楽という単語には少なからず意識させられた。
「それもあるな。でも、内容にもよるだろうな」
年下の親戚の反対の見解に、西町は一概には言えないことでもあることを返した。
「それが、聞いてもらうだけで楽になることなのか。相談することで解決したいことなのか。聞いた側が受け入れるか受け入れないか、ってのもあるな」
意外にも真面目に指摘を施す西町に、興は感心と思案が表れた。考えていなかったことを講師に取り上げられ、さらに知識を得た受講生のようでもある。
(……俺は……)
だが、純の思考は、興が言った楽と西町の講義に回されていた。
自分のことはそれ程のことではない。しかし、前の学校でのことは間違いなく純を追い詰めている。周囲が言っていた、『そんな事』で片付けられたくないことだ。
そんな思いを抱いている自分は、西町の言ったどれに当てはまるのか。
聞いてもらいたい気持ちはある。聞いてもらって楽になりたい。けど、ただ聞いてもらいたいわけじゃない。苦しさを分かってもらいたい。
つまり、認められたいと思っているのだ。
「橋川。休んでいいぞ。ベッドも使っていいしな」
純が、自分の気持ちがどれに当てはまるのかを導きだしたところで、西町が許可を出してきた。何も語らないながらも認める条件を満たしたのだろうか。
「じゃ、俺は戻るかな」
「当たり前だな」
純の休養が決まり、己の行動を口にする興に西町も適正な判断であることとして扱う。
けどその声で、興も大事に巻き込まれていたことを純は思い出した。
その時の興は、どうだったのだろうか。
「――興は……」
気付くと、純は声に出していた。
「ん?」
歩き出していた興が立ち止まり振り返る。
しかし、純はそこで言い淀んでしまった。
興から聞いたわけではないし、興とてあまり知られたくない事のはずだ。本人から聞いたわけでもないことを聞いてもいいのだろうか。
「んだよ」
「…………」
黙ってしまった純に、興は怪訝にした。だが、浮かんだ躊躇いが聞きにくくさせている。
けど、知りたい。
「……どうだったんだ?」
しばしの沈黙後、尋ねることにした純だったが、声は小さくなってしまっていた。
「どうって……ああ……」
前置きも何もない尋ねは当然ながら意味が伝わるものではなかったが、すぐになんのことか通じた。
「そりゃ、聞いてるか」
小声で納得する。それから興は答えてくれた。
「弘基さんに言ってたな」
「俺な」
「ひろき」とは誰かと思ったが、知らないと分かっていたようで西町が明かしてくれる。そういえば、ネームプレートに書いてあった。
「もっとも、興の場合、接する奴がいなくなったってのもあるけどな」
巻き込まれるのを恐れ、皆が興から一線を引いていた時だ。興も距離をあけていたとはいえ、よりどころは必要としていたらしい。
「愚痴もたくさん聞いたしな」
「おかげで、今の状態にまで戻れたかな。サンキュ」
「どういたしまして」
「…………」
それを聞き、この人なら話してもいいかもと純は思った。同時に、この養護教諭も同じかもしれないという不安も過ぎる。
けれど、興の事があったのだから、理解は示してくれるかもしれないという期待も芽生えていた。
「……俺は……」
興と西町の間で会話が続く中、沈黙していた純は期待にかけることにした。
「……前の高校でサッカー部に入ってたんだ」
語り出した純に、興が戻ってくる。
「それで?」
ベッドに腰掛けると、早くも途切れさせてしまった先を興は促した。
が、決めたとはいえ、不安がまだ大きかった純はすぐに再開できなかった。けど、二人から真剣に聞いてくれる雰囲気があったことに、純は最後まで語ることを心に決めた。
「……事故に遭って、足を骨折したんだ」
それでも、取り払われていない不安と拭い切れていない過去を語ることで声音は沈んでしまっている。
「俺も気付いたから逃げたんだけど、足がぶつかっちゃって……」
純は手の届く太股に触れた。
「足は治ったんですけど、足の感覚がなくなることが出てくるようになって……」
初めは頻繁ではなかったのだが、今では毎日、必ず一回は起こるようになっていた。転ぶかどうかは発症する時によるが、転校後は狙われているように転倒している。
「動いていれば、転ぶことが多いんです」
「もしかして、何もないのに転んでたのって」
そこのところで興が理解を示した。興の前では三度、しかも二度は、器用に下半身の上に倒れている。
「その後遺症のせいなんだ。今は防げるようにもなってきたけど、重心が傾いてると転びやすいし、足の感覚もなくなるから、余計、バランス取れなくなって転ぶんだ」
「そうだったのか」
「なるほど」
興に続き西町も納得した。その表情は真面目なままで、白衣を着ていることもあってか患者から症状を聞いている医者にも見えなくない。
「診てもらったんですけど、異常はないって言われて。異常がないならどうしようもないってことで、そのままになったんです」
だから今も影響があり、運動も、苦手分野のように気が沈むくらいにまでなっているのだ。
「症状出てるのに、結果に出ないことなんてあるのか?」
興は疑問にした。その相手は純ではなく西町だ。
「俺は専門じゃないからな。全く分からん。でも、そういう結果が出たってことは、あるってことだろ」
西町はきっぱりと言い切った。
「それで、サッカーはどうしたんだ?」
それから先を促してくる。純にとっての、一番の辛いところであり、一番認めてもらいたいところだ。
「続けてました。サッカーはもともと好きだったし、サッカー部のみんなも励ましてくれたので……」
後遺症のせいで落ち込み始めていた純は、その時は仲間の励ましに助けられていた。しかし、
「でも、本音じゃなかったんだ……陰で文句言ってるの聞いて……邪魔だとか、迷惑だとか……本当はこう思ってるんだって。口では励ましておきながら、陰では迷惑者扱いで……」
励ましに救われていた純にとってはショック以外のなにものでもなかった。
「……その陰口が耐えられなくて、サッカー辞めたんだけど、辞めて当たり前だって言ってるのまで聞いちゃって……足のことも学校中に広まってるし……サッカー部の誰かが広めたみたいなんだけど、みんなが俺が悪いように言ってるんだ。それが辛くて……学校にも行きたくなくなって……学校変えたいって親と教師に言ったんだけど、そんな事って言って聞き入れてもらえなかった。気にすることじゃないって言うけど、俺には駄目だった……父親と言い合いにもなったけど、なんとか転校させてもらえることができて、ここに通うことになったんだ」
一通り、純は語り終えた。
興も、西町も何も言わなかった。それが、終始持っていた不安を煽る。
「――学校が変わっても、知られれば同じことになるとは考えなかったのか?」
話さなければよかったか。そう思った時、西町が開口した。
「俺はそこまで考えてなかったけど、親にも教師にも言われました。どこに行っても同じだって。でも、とにかくそこにいたくなかったんです。サッカーを辞めてもメンバーはいるし、足のことも部以外に広まってるし、しかも、良くなく広まってるから……」
今の説明で分かってもらえるとは思っていない。前の高校の教師も、親も分かってくれなかったのだ。現状を知っていて分からなかったのだから、説明を聞いただけの二人が理解できるとは思っていない。
しかし、求めているのは認められることだ。
「…………」
理解してのことか、やはりできていないためか。それとも、聞いたことへのただ単なる反応か。西町は鼻から小さく息を吐くように相槌を打った。だけどそれが、純の沈んだ感情を追い込むものにもなった。
「純」
それに対し、興は名を呼んできた。興の口調は変わらずで、表情にあった真剣みも薄らいでいるものの、呆れや、純の不安を肯定するような感応は表れていない。
「ここ」
隣を叩いて何やら意思表示してくるが、座れということだろう。
純は隣に腰を下ろした。
すると、興は頭に手を置いてきた。頭が傾ぐくらい押してくる。
「辛そうな顔してた時もあったけど、結構、辛かったんだな」
その言葉は、純の胸をついた。
「泣いたか?」
続けてかけられたのは、そんな尋ねだった。
「え?」
どうしてそんなことを聞くのか。理解しかね、純は興を見た。といっても、手を置かれ続けているため下を向いたままでだが。
「泣いてないけど……」
純は言った。泣いてしまえば自分はさらに弱くなる。どこかでそう思っていた部分もあり、純は泣かないようにしてきた。
「辛い時は泣くのもいいもんだぞ。少しはすっきりするし」
「…………」
助言や勧めというより、語るという感じだった。声音も柔らかさがあるようにも感じられる。
けれど、泣きたいわけじゃない。自分の辛さを認めてほしいだけだ。
「男だからとか、女だからとか、んなの関係ねえよ。泣きたい時は誰だって泣きたい。んで、前の学校にいるのを我慢したくなかったんだろ? なら、泣くのも我慢すんなよ。今まで我慢した分、ここで泣いちまえ」
「俺は別に……」
気持ちを分かってほしいだけ。それを言おうとした純だったが、目から流れてきたものに言葉を止めざるおえなかった。
涙である。
泣こうと思ったわけではない。自然と出てきたのだ。
手で拭おうとするが出てくる方が早く、拭き取る前にどんどん溢れていく。
「……っ……」
加え、喉が詰まりまでするではないか。
心は、思っていた以上に泣きたかったらしい。
膝の上に腕を乗せ、そこに顔を埋めるように隠す。涙と同じく止められそうにない嗚咽を聞かれたくなかったのだ。
泣き出してしまった純に、二人は何も言わなかった。
ずっと置かれている興の手が、優しく指先で頭を叩いてくる。
それは、撫でてもいるようで、赤ん坊をあやしている時のように、優しい手だった。
□□□
「で」
純は、ベッドに仰向けに寝転がっていた。
「なんでベッドに」
疑問を口にする。
ひとしきり泣いて落ち着くと、今度はベッドに寝転がるように促されたのだ。
「そのために来たんだから当たり前だろ」
言ったのは、隣で背を向けて横向きに寝ている興だ。こうするよう促した本人でもある。
「そうだっけ?」
休むというのはそうかもしれないが、寝る体勢に入るのとは違う気がする。
「ゆっくり休め。目も赤くなったし。そのまま戻ったら何かあったと思われるからな」
枕元の方にいる西町も寝ることに賛成的だ。
「はあ」
初めに許可した時にベッドを使ってもいいと言っていたが、ベッドを使う=寝るまでしていいらしい。しかしながら、戻らなかったら戻らなかったで、何かあったと思われるのではないか。
だが、反応が薄い以上にしまりない感応で応じた純だったが、気分はそれなりにすっきりしていた。話し、受け入れられ、そして泣いたことが、内側に溜め込んでいたものを吐き出したらしい。
けれど、打ち明けたばかりということもあり、沈んだ気持ちから回復しきっていないこととこの現状とで、それが面に表れるまでに至っていない純は気のない反応にもなっていた。
「――興は」
「心配してるんだよ」
興は戻らなくていいのか。そう聞こうとした純だったが、西町が返してくる方が早かった。
実は、しまりがないうえに、気力がないというか、しゃっきり感までがないのはこの為もあった。
付き添いなだけのはずの興までもがベッドに横たわっているのは何故か。
しかも、純よりも寝る気でいるようである。加え、真隣。隣のベッドではなく、手を少しずらしただけで簡単に触れられるくらい近い真隣だ。
この状況は何かと問いたい。
「サボりたいだけだ」
むこうを向いたまま、興は反論するように訂正をかけた。
「そうかそうか」
それに返す西町の態度は軽い。訳を知っていての応じ方をした通り、言葉に惑わされないくらい内心を分かっているのだろう。
「ゆっくり休め」
「はあ」
「お休み」
言葉は純に向けられたものだったが、まともに返したのは興の方だった。本当に寝る気らしい。これでは、完全にサボりと思われるのではないか。
興が居続けていることには何も言わず、西町もカーテンを閉めてしまう。
離れていく靴音がし、椅子に腰掛けたような音がする。彼も仕事に戻ったようだ。
静寂が訪れる。
「…………」
しかし、休めと言われてすんなり眠れるものでもない。自分の心情というのを考えてくれてのことだろうが、なんだか落ち着かない。
首だけ動かして横を向いてみれば、こちらに背を向けたままの興は身じろぎ一つしない。それどころか、微かに肩が上下している。
西町は心配していると言い、興はサボりと言っていた。実際はどちらなのか。聞くにもなんだか声をかけにくく、口を開くまでには至れない。
純は顔の向きを戻した。
おそらく、戻ると言っても止められるだろう。興もこの通りだし、自分も寝てしまった方がいいのかもしれない。
そう考えると、純は目を閉じた。
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指圧のことは、有乃にとっても何でその情報を得たのか、聞いたことがある気がするなあ……というくらいおぼろげな記憶です
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